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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二十二章
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王子流転3

「ボーラッ」


 野太いかけ声がし、複数の雄たけびが続いた。

 勇壮な呼号が何度も草原を揺るがす。


 蹄が大地をえぐる音も混じって聞こえる。

 雑草を踏み越え、駆けて来る幾頭もの馬の足音は、耳を澄ますまでもなく、こちらに近づいていると判る。


 ロベルティートは、その場に立ちすくんだ。

 身を守る術はない。


 南西地方のごく緩い寒気とはいえ、真冬の乾いた風に素肌を晒しており、下帯一枚だけが今持てる全てだった。


 王都から離れ、住む人も無い広大な草原を跋扈するという、蕃族強盗の類と遭遇したのであれば、死は避け難い。


 人生最悪の屈辱を受けた挙句、盗人の手にかかって死ぬ。

 己の命運が、いかに凄まじい変転を遂げたものか、昨日までの王太子は改めて思い知った。


「これがシルマイト、おまえの望みか」


 力なく呟くロベルティートだった。

 実妹に不埒を働こうと企てたという、酷すぎる冤罪に問われ、汚名を着せられたというよりも、なすりつけられた状態で、路銀どころか靴すら与えられない格好での王都追放だった。


 つまり、野垂れ死ねとの暗黙の意思が働いているのだろう。

 実際のところは、どうやら盗賊に殺される結末を迎えるらしい。


「ボーラ、ボーラッ」


 男達の雄叫が、ついに身辺まで迫った。

 今、はっきり視界に収まっている。栗毛や青鹿毛の、ずんぐりとした馬体を盛んに追い攻め、手に持った木の鞭を激しく振り回して、絶叫を繰り返す黒い髪の集団が。

 噂に聞く遊牧の民だろうか。


「最期の時というわけだな」


 観念して、ロベルティートは目をすがめ、馬を操る彼らを力なく眺めた。


 ガロア大陸の先住民族と思しい男達は、元王太子の周辺を丸く取り囲んで馬を走らせ、口々にボーラと喚いている。


 その様子は、レオス人の目には、野蛮な盗人の集団にしか見えておらず、下帯しか身につけていない自分は、彼らの獲物としては最低の存在に違いない。


 慰みに殺されるのだろうと、ごく自然に考えが至った。

 抵抗は、するだけ無駄だとの諦めがある。


「シルマイトの思い通りになぶり殺されるのかと思うと、いくら何でも腹立たしいが……どうにも手の打ちようが無いな」


 一旦は、さすがに地の底まで落ちた気力が怒りの余勢で多少上向きになったものの、しかしそれだけの事だった。


 丸腰の身が、一矢報いる志を持っても滑稽なだけだと思い返し、彼は棒立ちの姿勢から動かなかった。

 黒髪集団の棟梁格らしい男が、鞭を頭上で水平に回した。


 止まれの合図だったらしい。まもなく周囲は静まり返った。

 ロベルティートは目を閉じた。


「わたしは見ての通り、丸裸だ。

 期待に応えられなくて済まないが、財産になるような目ぼしい物は、かけらも持ち合わせていない。


 精々が命くらいだが、殺すのであれば、なるべく手短にやって貰えるだろうか」


 どことなく他人事であるかのような口調で、彼は言った。

 反応は無い。


 あるいは、ガロア大陸の標準語を兼ねるレオスの言葉が通じない相手なのだろうか。

 一抹の不安が胸をよぎった。

 

 もし意思の疎通が叶わないのなら、こちらがどう思おうが無意味ではないか。


 彼らは彼らの望む通りに振舞うに違いなく、全身を切り刻まれて、苦痛にまみれながら事切れる人生の結末を迎えるのかもしれない。


 ロベルティートは体が震えるのを感じた。恐怖に抗えず、知らないうちに顔を伏せていた。

 しばしの沈黙。


 やはり相手に意味は通じなかったのか。

 絶望しかけた刹那。


 全く意表をついた大笑が沸き起こった。

 驚いて目を開き、顔をあげると、黒髪と髭面の男が、破顔して体を大きくゆすっているのが見えた。


「なぜ笑う」


「いや悪いね。

 どうやら、勘違いさせてしまったらしい。


 ドゥマ・ロベルティート。

 おれは、あんたを殺そうなんて、微塵も思っちゃいないさ」


 野太い陽気な声が、疑問に応えた。

 名を呼ばれて、ますます驚きが深くなり、目をまるくする。

 黒髪の男は、機敏な動作で馬から飛び降りると、気さくな笑顔を作って


「助けに来たんだよ。

 とんだ目に遭いなさったあんたをね」

「何。

 助けに、とはどういう事だ」

「こういう事さ」


 懐をまさぐり、一枚の紙を取り出す。

 突き出されたそれを、少なからず不審がりながら手にとったロベルティートだったが、開いた瞬間、真実を知った。


 文面をすばやく読み下した彼は、視線を蕃族の男の黒い瞳へ向けた。

 イローペの族長、その名をカムオという遊牧民の男が、頷き返してきた。


 絶望の淵から生還した。

 ロベルティートは実感し


「そうか、そうだったのか。

 ランスフリートどのが」


 敬愛する隣国の青年ランスフリート・エルデレオンに満腔の感謝を捧げていた。



 カムオ率いるイローペ集団が現れた理由について、得心がゆき、気分を切替えた彼は、目の前に立つ大陸先住民の男性に


「それにしても、なぜランスフリートどのと知己を得る事が出来たんだ。


 あまつさえ、わたしの難を救うよう申し付かるとは……ユピテア大神のご加護としても、恐ろしいまでの偶然だ」


 ごく素朴な疑問を投げかけた。

 族長は肩をすくめ、大きく首を振った。


「そんな話より、服を着て暖をとるのが先決だと、おれなんぞは思いますがね」

「もっともだ」


 ロベルティートも苦笑して同意した。

 カムオは部下に合図して、イローペ人が冬に用いる厚手の下着と毛皮の上衣を持ってこさせ、見るだけで肌がそぞけたつなりの若者へ与えた。


 身につけると、ごわごわとした肌触りで、少なからぬ刺激感がある。


 常に上等な服を用いていたロベルティートは、経験した事が無い着心地の悪さに閉口したが、贅沢を言える立場でも場合でもない事は承知している。


 黙って、部族の若い衆が着付けてくれる手に従った。

 黒みを帯びた下着は、胴体まで何の起伏もなく、体の線に合わない。


 帯とは到底称し得ない太い縄を、腰にまいて締め上げ、調節するのである。

 その上から、毛皮の防寒着をはおる。


 これも膝に届く長い丈で、全体が固くてひどく重たい。

 イローペの民は当たり前に着ているが、慣れていなければ身につけるのも難儀な代物だった。


「ふむ。これが庶民の品というものか」


 妙に感心するロベルティートへ、カムオは


「あいにく、旦那(ドゥマ)に着せられる上等な品は手持ちに無い。

 それで間に合わせてくれ」


「十分だ。暖かい。

 服がこれ程ありがたいものだとは、今まで知らなかった」


「まあ、物分かりはいいらしいな。

 おれはそういうやつは好きだ。


 ドゥマ・ランスフリートはいいやつだった。その友達だっていう仁なら、悪いやつじゃないと思っていたよ。

 おれの勘に間違いがなかったのは、確かだな」


 満足げに言った。

 装いが整うと、彼はロベルティートを自分の馬に乗せた。

 手綱はカムオが自らとる。


旦那(ドゥマ)、しっかり捕まってろよ。

 おい、引き上げるぞ。

 こんな草っぱらに長居は無用だ」


 鞭を乗り馬の尻に威勢良くあてた。


「ホーッ」


 馬を追う声が続々と上がり、次いで


「ボーラッ」


 民族語なのだろう、独特の掛け声が一斉に響いた。

 遊牧民の集団は、たちまち場を離れていった。


「ちょいと寒いだろうが、仲間のところにつくまでの辛抱だ」


 前を睨みながら、カムオは背後の若者へ手短に説明した。

 ここからさほど遠くない場所に、彼が率いる部族を待たせているのだという。


 簡易な木の天幕を張って、百人を超える部族の民が、カムオらの帰りを待っている。

 露営場に着けば空腹も満たせる。


 そう聞いた時、ロベルティートは食欲のうずきを知った。

 そういえば、新年祝賀会を終えてから今まで、水一滴口にしていなかった。


 暖かい食事と、喉を潤す一杯の酒。素朴でも単純でも良いから得たい。

 彼はその欲求を、生への希望ないしは執念と受け止めた。

 何としても生き延びたい。


 出来るなら宮廷へ戻りたい。

 心からの願いが胸中で沸騰を始めたのだった。



 かまど周辺では、若い女達が賑やかに笑声をたてながら、忙しげに働いている。


 高山に住むカプルス人とよく似た生活形式で、木をふんだんに使った丈夫な天幕の周りに、水樽を十数個も置き、石を積み上げて作ったきわめて簡便な台所を使う。


 彼女らは、イローペである。

 見渡す限り草の海が広がる土地に、野営の寝所と台所を用意して放牧の家畜を追い、乳を絞り、肉をとって食い、革を加工しては街に持ち込む。


 商品を捌く傍ら、都市間交易に一役買い生活の糧とする。


 昔ながらの遊牧生活を送る黒い髪の人々は、部族の外に関する仕事は男、内側の用事に携わるのは女、そのように分業して生活をたてている。


 陽気に騒ぎつつ、かまどで火を起こしたり鍋を煮るのも女であれば、暴れる大型の家畜を抑えつけ、勇ましく斧を振るうのも女だった。

 族長から、客人を連れて来ると言われ


「もてなしの用意をしておいてくれ」


 そう言いつけられた女達は


「ボーラッ」


 イローペ人特有らしい気合を張り上げ、よく育った家畜を潰しにかかっている。


「これはいい肉がとれるよう」


 崩れ落ち、動かなくなった若い牛を見やり、年かさの女は嬉しそうに保証した。


 わっと嬌声があがり、包丁を手にした娘達が群がる。

 瞬く間に解体が行われ、牡牛は骨以外に何も残す事なく自然に還った。


「さあ、もうそろそろバズが帰って来る頃だよ」


「さっさと鍋の支度を調えちまおう。

 腹をすかせたヤーヤどもが騒ぐとうるさい」


「そんときゃ、そこらの骨でもしゃぶらせておけばいいさねえ」


 げらげら威勢良く笑う娘に、周囲の若い女達も倣った。

 斧を手にした女は苦笑して


「ヤーヤどもはそれでもいいさ。

 お客さんは、そうはいかないよ。


 ちゃんと支度を終えておかなきゃ、バズに恥をかかせちまう。

 さ、早いとこ仕上げちまいな」


 指示を飛ばした。

 族長は、まもなく帰ってくるだろう。

 部族始まって以来の、金髪の珍客を連れて。

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