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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二章
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富国、南方に在りて6

「八方塞がりに陥った彼らが、何とか状況を変えたいと考えたら、北方圏と結ぶしかない。

 中でも一番交流が深い北方の国とだ。


 あの二国が手を結んで出来る事と言えば、一つしかないな。

 海路を使った貿易だろう」


「よく見た」


 ダディストリガは大きく頷いた。


「連中が後ろ盾を失ったと仮定した時、後は北方と組んで海路を開拓する以外に活路は無い。

 逆を言えば、海路振興策が成って、対北方貿易中継の重要な拠点化に成功すれば、やつらの立場は劇的に変わる。


 貿易の経路が陸路に限定されている現在より、海にも利用価値が出るとなれば、北方圏としても目の色を変えざるを得ぬ。

 何よりも、北では薪が要るのだからな」


 厳しい冬を乗り越える暖房用途、生活や工業を支える燃料用途、ほとんどは薪によって賄われるのが大陸の実情だった。


 地理上の成り立ちとして、薪を思うように自産出来ない国もある。

 殊に北方のエルンチェアは、北海を背景に臨む国土事情から、海水を煮沸して塩を取る技術に優れている。


 ただし、平野部に開けているため山が無く、産塩能力を支えるに必要な工業燃料としての薪が自国で賄いきれない事情を抱えてもいる。


 彼らにとって、安定した燃料の供給元は南方圏なのだった。

 ランスフリートも過去に何度か聞かされ、よく承知している。


「今は、大連峰の通行可能な峠を使うしかないが、将来的には海路も貿易に使えるようになる、か。

 こう考えれば、北の動きも腑に落ちる、という事か」


「そういう事だ。

 逆に、北が海路振興策を妨害する可能性もある。

 その方が利益になるとの見込みがつけば、躊躇いなくそうするだろう」


「だから、あの山国次第なのか。

 噂と言っていたが、本当はかなり信憑性が高い情報なんだろう」


「想像に任せる」

「それならそれでもいいさ。

 とにかく、北方圏が自分達の都合で海路策を潰す。そうなれば、得をする国がある」


「ああ。

 連中から手を引きたいと、あの国が考えた時、より積極的に北方圏へ働きかける可能性もある」

「大国に挟まれて振り回される小国は、たまったものじゃないな」


「他人の事より自分の事だ。

 彼らだけの問題なら別にどうでも構わん。


 問題は、我がダリアスライスが巻き込まれる可能性だ。

 我関せずで済むと思うか」


「無理だろう」

「そこで、だ。

 ティプテ・ワルドと手を切って貰いたい」


 ダディストリガは、一気に話題を飛躍させた。

 あまりに急な事で、ランスフリートは咄嗟に何の反応も返せなかった。

 体を硬直させた従弟へ


「当人に悪気が無いとしても、おまえの弱点になってしまう。

 聞き分けてくれ」


 一番大事な事を言った。

 しばらくして、やっと態勢を立て直し


「……断る」


 彼は顔を強張らせ、首を横に振った。


「それとこれとは話が違う。

 おれ達がどうなっていようと、国際情勢に何の関係があるんだ」

「おれが気にしているのは、我が国の政治の中枢を誰が握るか、だ」


 従兄も引こうとはしない。


「この複雑極まりない情勢下で、ばかな連中がばかな事をしでかしてみろ。

 取り返しがつかん」

「ばかな連中か。

 おまえの言う連中は、そこまで愚かなのか」

「何だと」


 ダディストリガは青ざめ、拳を白むほど握り締めた。


「おまえは何を言い出すのだ」

「物は試しだ、やらせてみたらどうだ」


 ランスフリートは表情を和らげ、気楽げないつもの様子に戻った。


「案外、きちんと運営してくれるかもしれないじゃないか」

「無責任な事を言うなっ。

 やらせてみたが失敗だったでは、済まんのだぞ」


 白んだ拳を震わせ、半ば腰を浮かせて、従兄は声を荒げた。


「おまえという男は、聡明なのか愚劣なのか。いったいどちらだ。

 つい先程まで明晰な意見を展開させていた当人の言葉とは、とても思えん事を平然と言う。


 この国は、我ら一門が政治軍事の要職を占めてこそ、成る国なのだ。

 言わせるな、今更こんな基本の話」


 立ち上がりかけたのを、何とか自制したらしく、話しながら再び椅子に腰を据える。

 その様子を、ランスフリートは真顔になって見つめた。


「……本気で、そう信じているのか」


 やがて目を逸らした。

 自分達の間には、越え難い思想の溝が横たわっている。しみじみ実感させられた一瞬であった。


(まるで宗教だ。ユピテア教も顔負けだな。

 大父さまといい、ダディストリガといい、ティエトマール家を絶対正義とする思想に染まり切っている。

 おれには、ついて行けそうもない)


 惜しい、と思う。

 彼の見るところ、従兄は若年ながら一個師団を預かり、軍指導者たる激務を立派に全うして、麾下の将兵から不動と言ってよい支持を得ている。また、武人でありつつも政治を理解出来る。希有な人材である。


 個人的にも、昔から物堅い気性だったものの、付き合いにくくはなかった。同年の友人に対するような振る舞いも許してくれる、芯から話の判らない男ではないはずだった。


 しかし、最近は当家絶対主義が強すぎるように見受けられる。

 もう少しだけ、周囲を見渡す事が出来れば、と考えずにはいられない。


「ダディストリガ。

 人材は他家にもある、とは思わないのか」

「何」

「怒るなよ。冷静に聞いてくれ。

 言いたくはないが、大父さまといえども人の身だ。

 無謬では有り得ない。おれが今どういう立場か。それを考えれば判るだろう」


「黙れ」

「大父さまも、間違う時は間違うんだ。失敗もある。

 あんまり、我々が指導者たらねば王国は滅びるとは、思い込まない方がいいと思う」

「黙れと言っているッ」


 再び怒声が上がった。今度は、戦慄した様子をはっきり全身に表わしていた。


「さっきから、何を言っているのだ。

 我が一門の指導力を疑問視するのか」

「違う。

 我が一門だけを見ていては、見えなくなる事もあるんじゃないか、と言いたいんだ」

「……仮にそうだとしてもだ」


 一呼吸を置いて、ダディストリガはゆっくり言った。冷静を心掛けようと努力している様子が伺える。

 こちらから見れば、従弟のこの考えこそ、危険思想であろう。


 実際上、国家の方針を定め運営している機構が当一門であるからには、意思の統一にあたって好ましくない勢力と簡単に手を結ぶ事は、どうしてもしかねる。


 ましてや、敵対意思を隠そうともしない相手から人材を見出すなど、噴飯ものとしか言いようがないのである。


「現在の情勢下では、何がどうなるか。率直に認めるが、見当がつかん。

 ただ何らかの形であれ、我が国に影響が及ぶのは避けられないだろう。


 おまえ自身、つい今しがた認めたばかりだ。我関せずは無理だと。

 このような時に、現行の組織機構を崩壊させ、新たな秩序を立て直す暇があると思うのか」


「そこまでやらなくてもいいさ」

「我らがやりたくなくとも、おまえの言う他家の人材とやらに、その意思があったらどうする。

 おれは言ったぞ、やらせてみたが失敗だったでは、済まん話だと。

 そんな甘い考えが通用する状況ではないのだ」


「……判ったよ」


 止むを得ず、ランスフリートは自説をひっこめた。どうやら相手が悪すぎるらしい。


「それは判った。

 でも彼女の話は別だ。これは承服出来ない」

「聞き分けてくれ。

 今、おまえが王座へ至る階段を踏み外す事は、この国を路頭に迷わせるのと同じ事だ。


 権力欲に憑りつかれた連中の執念を甘く見るな。

 きゃつらは、どんな些細な契機も見逃さぬ。全てを利用する。


 ゆえに、身を慎んで女と手を切り、蒙昧な連中を付け入らせぬよう、身辺に万全を期してくれ。

 何が起こるか判らんのだから」

「おれもティプテも潔白だ。何もしていない。

 ただ愛し合っている。それだけだ」


 いかに相手が悪かろうと、これだけは引っ込めるわけにはいかない。ランスフリートの決意は固かった。

 ダディストリガは顔色を悪くした。唇を噛みしめ、膝の上で握った拳を小刻みに震わせている。


 引き下がれないのは、彼も同じ事である。

 昨夜の対話の重みを考えれば、説得に失敗した、とは到底言えない。


 まったく、誰が年若い女性の暗殺など、好んで行いたいであろう。

 厳命をうべなう身として、従弟がどうあっても翻意しないとなれば、それも止むを得なくなる。


 かの政敵兄弟に彼女の身柄が確保された時、いったいどうなるか。

 当家にすれば、楽観は甚だ困難だった。


(頼む。判ってくれ。

 おれは……いかに大父さまのご命令といえども、それだけは避けたいのだ)


 長い沈黙を経て、彼は


「それが、いかんのだ」


 絞り出すように言った。話せる内容に限度があるという点が、何とももどかしい。


「前にも話して聞かせただろう。

 しばらくの辛抱だ。ほんの数年でよい、あの娘を一時遠ざけろ。然るべき時が来たら、またやり直せ。

 そこまで愛し合っているというなら、出来ぬ相談ではあるまい」


「ほんの数年だって。

 それが数十年になり、ついには永遠にならない、と言えるのか。約束出来るのか。

 いや、おまえは信じるに値するだろうが、他はどうなんだ」


 ランスフリートは強情に首を振った。


「おれが、おまえや大父さまの望み通り、王座に座ったとする。

 で、おれの望み通りにもなるのか。


 したくない結婚をさせられ、彼女は尼僧の身分を理由に遠ざけられたままという事に、本当にならないのか」


「それは」

「ならないとは、言い切れないだろう。

 嫌だ。別れる必要は認めない。

 おれ達が、誰にどう迷惑をかけたという。付け入る隙だって、毛ほどもあるものか」


「ばか。まだ判らんか」

「判らん」

「おまえ」


 ダディストリガは目が眩む思いに捉われた。


「おれに、女を手にかけろと言うのか」


 と、怒鳴りたい衝動を押し殺すのに、彼はまたもや歯を食いしばらなくてはならなかった。

 そうとは知らぬランスフリートは、苦悩する従兄を気の毒には思ったが、だからといって、生まれて初めて愛した女性との別離を承知してもよいとまでの同情心は起こさなかった。

むしろ、やはりこれだけは承知出来ない、と改めて心に誓っていた。


 自分が強情を張れば張る程、その愛する女性の身に危険が迫る事に、彼はまだ気づいてはいなかった。

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