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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二十二章
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王子流転2

 恐るべき弟よ。

 馬の背に身を固定され、昨日までは想像すらしていなかった辱めを受けているロベルティートは、身を焦がさんばかりに胸中で荒れ狂う怒り、我が身を恥じる思いとは別に、シルマイト・レオンドールという名の青年を心底畏怖(いふ)していた。


 ここまでの事を平然とやってのける神経も神経であれば、決断も決断である。

 大胆などと称するのもおこがましい。


 真正面から、ダリアスライス王国に敵対意思を表示したのだ。

 弟の胸中では、いかなる案配の計算式が成り立って、あの大国相手に勝算ありと踏んだものだろうか。

 そればかりではない。


(シルマイト・

 そんなに、おれが憎かったのか)


 つくづく思い、いっそ殺してくれればと、脳裡の隅でちらりと考えた。

 もちろん、あっさり楽にしてたまるかといった、激しい憎悪があればこそ、兄にとんでもない汚名を着せて冤罪を鳴らし、年の初めに晒し者とする。

 このような陰惨で残酷な思案へと行き着いたに違いない。


 私怨に、レイゼネアまで巻き込むとは。

 昨夜の一件が、否応無く思い出され、ロベルティートは体を震わせた。



 全くの不意打ちだった。

 昨夜半、正確には南刻の六課を半分ばかりも過ぎた頃、突如として寝室に、下級兵士の一団が押し入って来た。


 既に寝間着へと衣装を変え、寝台で休もうとしていた寸前の事だ。

 彼らは、慌てて制止しようとした新王太子付きの小姓を、容赦なく突き転ばせ、第一王位継承権を正式に認められた貴人ともあろう立場に対しても、居丈高な態度で臨んだ。

 着替えも許さずに典礼庁への出頭を「命じ」たのだ。


「理由は」


 懸命に冷静さを保ちながらロベルティートに、誰も詳細を語らなかった。

 ただ徹底した無視というわけではなく、頭だった兵士が


「典礼庁及び神務庁宛に、告発状が届けられている」


 ぶっきらぼうな口調で答えた。

 敬称も敬語も、何もかもが省かれていた。


 どうにか、捕縛といった事態だけは避けられた。

 そこまでは遠慮したのだろうが、しかし、王太子の身辺を厳重に囲み、いかにも囚人めいた扱いに終始する兵士一同だった。

 ロベルティートは


(まさかシルマイトが)


 疑いながらも、確認する手立てはなく、抵抗を諦めて廊下を歩いた。

 用意されていた小馬車に乗って、腹立たしい移動を余儀なくされたのだった。

 王子の私室から城の外へ出る、その向かう先は


(……教会か)


 身柄を拘束されるのだろうと見当をつけた。

 先に逮捕されている次兄、三兄と同じ運命を辿るのだろうか。


 しかし、典礼庁はともかくとして、神務庁が関わっているというのは、どういう事なのだろう。

 不快は確かだが、ロベルティートは、神務庁の関与には心当たりが無い。不思議に思う気持ちも少なからずあるのだった。


 ついた早々、今度は暗く狭い個室へ案内され、驚くべき事に椅子への着席も許されず、壮年の司祭から頭ごなしに罪状告発文の朗読を聞かされた。

 内容は、だがこれまでの事など、足元にも及ばない衝撃的なものだった。


「未婚女性の寝室に押し入り、不埒な行為に及ばんとした旨、告発を受けている。

 (あるじ)いわく、接吻を強要した挙句、交渉を迫ったという。

 寸前で侍女に異変を気づかれ、兵士を呼ばれた為に逃走、未遂に終わったとの由。


 レイゼネア・エミューネ内親王殿下は、左様に仰せられた」


「何ッ。

 レ、レイゼネアがッ」


「殿下の傍証人として、侍女パニタ。

 確かに、告発文が提出されている」


 告発者の名を聞いた瞬間、あまりの事に、ロベルティートは絶句した。

 あれ程に深く交流し、愛しんだ実妹が。


 いや、有り得ない。

 絶対に、妹の真意ではない。

 そう思い直したと同時に、引いていた血の気が一気に昇って来た。


「そんなばかなっ。

 わたしがレイゼネアの寝室に、押し入るはずがないだろう。

 そもそも、姫の在所は城の奥向きにある、男のわたしがどうやって渡るんだ」


 ロベルティートは悲痛な声をあげ、必死の面持ちで否定した。

 だが、司祭は聞く耳を持つ素振りすら見せず、周囲に控える兵士達へ顎をしゃくった。


 直ちに、二人が王子の両腕を取り、引っこ抜く積もりであるかのように、ひどく乱暴に引っ張った。

 苦痛のせいで、言葉を続けられなくなった彼を、来た時と同様に兵士らが取り囲み、強引に室内から連れ出した。


 貴族向けの部屋は満室との事で、新しい王太子は、狭い小休憩室に放り込まれた。

 三名が名目上だけの護衛を仰せつかって残されたが、身辺を世話出来る者は居なかった。


 寝台は用意されず、ロベルティートは背もたれも無い丸椅子に腰かけて一夜を過ごす他は無かった。

 もちろん、ただぼう然と過ごしたのではない。

 衝撃から立ち直って


「冗談ではないっ。

 こんな無法があるものか」


 叫び、自分の話を聞くよう、または釈明の場を公式に設けるよう、兵士らに訴えた。

 が、その努力は何もかもが徒労だった。

 弁明の機会は与えられないまま、日の出と同時に


「処罰を言い渡す」


 その部屋で、今度は後ろ手に縄を打たれた。

 しかも、抗議する気配を察知されたのか、開いた口へ革の轡をねじ込まれたのだ。


 仕掛けがある特殊なもので、口を動かすと唇の端や舌、口内の肉を傷つける構造になっている。

 もはや罪人扱いを越えて、暗に刑罰を課しているとしか思えなかった。


 何一つ言いたい事を言えもせず、無造作に髪を切られた。

 その間、これも表情を消した神務卿が


「我がユピテア教の教えによれば、肉親間での不義は厳しく戒めるべしとある。

 たとえ未遂であれ、神に対する許し難い不道徳、不埒と言わねばならない」


 断罪するのを拝聴しなければならなかった。


「裸馬による都市周回の刑がふさわしい」

「今一つ」


 もう一人が姿を見せた。

 ロベルティートは、その男性が典礼卿である事を知っていた。


「他国と宜しく計らい、我がエテュイエンヌ王国の利益を著しく損なった。

 ラインテリア産の建築用木材の斡旋、知らぬとは言わさない」

「う……ッ」


 ランスフリートと面談した際に、幾つかの商談は出ていた。

 現在はヴェールト産の木材に重きを置いている建築資材、それを徐々にラインテリアへ切り替えて行くという策だった。

 だが。


(何を言うんだ、典礼卿。

 その方も、知っている事じゃないかっ)


 外商卿、そして父王にも、話は通しているのだ。

 ロベルティートが独断で話を運び、国益を損なったという事では、断じてない。


 まだ話し合いの途中であり、ダリアスライスの意向を検討するといった程度の取り決めでしかない話が、いつのまにか、売国奴と呼ばれるような事態になっていた。


「裸馬の刑に加えて、王都を追放する」


 典礼卿の一存で断行するには、重すぎる処遇だった。

 父が承知しているとは到底思われない。


 だとしたら、誰の手回しによるものか。

 ロベルティートには、考えるまでもなかった。


(シルマイトッ。

 おまえか。おまえの差配かっ)


 大胆不敵といった程度では言い表せない、とんでもない荒業だった。

 末弟にそのような権限など、あるわけは無い。


 無いにも関わらず、あの獰猛な細身の第五王子は、既成事実を作って先手を打つ挙に出たのだ。

 シルマイトは、大人しい表情で兄の王位継承権授与を祝いつつ、その裏ではこのような事態を引き起こすべく、着々と準備を整えていたのか。


 他には考えられなかった。

 恐らく弟は、自分が次の王として指名される可能性は無いと見極め、そこから逆算して兄の早期冊立がなされるであろうと、予測していたに違いなかった。


 だからこそ、祝いの場でも平然としていられたのだ。

 ロベルティートはそれに思い当たった。だが、時は既に遅かった。


 何よりも意外で、未だに信じられないのは、レイゼネアが弟に(くみ)した事実だった。

 かなり無遠慮にシルマイトを嫌い、気をつけて欲しいと自分へ警告すらしてきたあの妹が、なぜ豹変を遂げたのだろう。


 このところ体調がすぐれないと聞いており、配慮して面談もしなかった。

 その消息が知れなかった旬日間に、何が起こったものか。


 ロベルティートに知りようはなく、また知ったところで事態が好転するわけもない。

 ただひたすら驚き、妹の急変に戸惑い、そして嘆く。


 それ以外に彼が出来る事は、一つも無いのだった。

 やがて、衣服をほぼ剥ぎ取られ、下帯一枚という凄惨な恰好にさせられ、裸馬に乗せられた。

 一行は街の中心を離れて行く。


(おれは、祖国を追放されるのか。

 おぞましい冤罪を着せられたまま、汚名を返上する機会もないまま。


 シルマイト。

 父上をも差し置いて、こんな真似が出来るようになっていたのか、おまえというやつは)


 弟の底が知れない恐ろしさ、それに比べて己の見通しの、何と甘かった事か。

 都市と外を隔てる正門が近づいて来る。

 まもなく、馬からも下ろされて、このなりで王都から放逐されるのだろう。


(父上。母上。フラウディルテ。

 レイゼネア。

 なぜだ。なぜなんだ、レイゼネアッ)


 王太子から不義の名誉無き罪人へ。

 たった一晩で凄まじいまでの逆転を遂げたロベルティートは、着衣も無く裸足で、街を去らねばならなかった。

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