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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二十一章
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王都は揺れる4

 山頂は深い銀の輝きを宿して、夕闇が迫る空を突くかのように佇立している。

 山城であるブレステリス王家居城の南側に位置する部屋であれば、どの窓からも、偉容を湛えるザーヌ大連峰を臨める。


 クレティティルテ・フローレンは、与えられた一室の窓越しに峻険を見やっていた。

 二十五年振りに帰って来た祖国、久々に目にする懐かしい山の姿。


 部屋の窓枠には、彼女を受け入れ保護する役に、自ら望んで就いた縁者の一人であるキルーツ剣爵が、従妹の為にと腐心して工夫がを凝らしてある。


 北国、それも豪雪地帯では、冬の間は窓に厳重な雪除けを施すものだが、なるべく景色を楽しめるように手をかける事もある。


 分厚い玻璃をはめ込み、窓を二重に作る。

 そのおかげで、降雪がない日には風景が楽しめる。


だが心に癒しようが無い深い傷を負って帰国した貴婦人は、少しも慰められてはいない。

 殊に赤光が満ちる黄昏時の眺めは、彼女に流血の連想を想起させ、時に錯乱寸前まで追い込むのである。


 虚ろな瞳を山へ向けたまま、実に半日以上を過ごしている元エルンチェア第六代王后の様子を、侍女らが遠巻きに見つめている。


 誰も声をかけようとはしない。

 みな怯えの色を濃厚に顕し、クレスティルテの挙動を注意深く観察しているのだった。


「もしクレスティルテさまの御身に何か間違いがあれば、自分達が罰せられる」

「暴れ出したら手を打たねばならない。

 しかしその手段は限定される」


「うかつに声をかけても、それが刺激となってどのような乱心振りが呈されるか、知れたものではない」

「かといって目は離せない」


 ひそひそと、彼女達は噂をし合い、今後の見通しが全くたたない貴婦人の保護について憂えている。

 昨日の夕方にも「御乱心」があった。


「パトリアルスッ。

 誰か、パトリアルスをこれへ連れ参れっ、今すぐにっ」


 窓外を見つめていたクレスティルテが、急に立ち上がって叫んだ。

 運の悪い当番侍女らは、各自が相当に嫌そうな表情を浮かべ、それでも対応しないわけにはいかず


「恐れながら。

 パトリアルス殿下は、我がブレステリスにはおわしませぬ」

「何卒、お静まりを」


 宥めにかかった。

 何かが気に入らなかったらしい。


 クレスティルテは美貌を直視し難いまでに歪め、意味不明な言葉を喚きたて、手当たり次第に物を投げつけた。


 更に、悲鳴をあげてから、床に倒れ伏した。

 侍女二人が急いで助け起こした時。


「あッ」


 一人が苦痛の声を上げた。

 何と、腕に噛みつかれていた。


 これは手に負えないと、もう一人は、急いで加勢を呼んだ。

 結局のところ、女性達が五人がかりで必死に落ち着かせ、騒ぎが鎮まるまで三刻ばかりも要したのだった。


「もうご勘弁願わしく。

 恐れながら、身が持ちません」

「これ以上は相務めかねます」


 屋敷の勤めを辞めたい、暇を請わせて欲しい、等々。

 苦情が続出し、執事も頭を痛めて、やむなく主人に申し出たものだ。

 キルーツ剣爵も、苦渋の表情を浮かべて、勤め人の代表が語る様々な問題を聞いた。


「苦労をかける。

 あれが相手ではのう」

 短く詫びるより仕方がない。


「ご明察を賜わり、幸甚にございます」

「不甲斐ない主人を許してくれ。

 しかし、その方らの苦労を当然と思っているわけではない。

 わたしとしても、何らかの策を講じねばならんと考えている」


「……は」


 執事が、おとなしく頭を下げたものの


「その対策は、いつ頃に講じられるのか」


 不安に思う内心の動きを、顔に出している。

 剣爵はそのように看取したらしく、一つ頷いてから、周囲を見渡した。


 主の居間には、彼と執事しか居ない。

 確認した後、椅子から立ち上がり、後ろに控えていた勤め人代表と向かい合った。


「その方らの忍耐心も無尽蔵ではない、ようよう存じている。

 宜しい。

 特に苦労を強いておるそなたには、進行している計画の一端を明かしておこう」


「おお、閣下。

 それでは、既に策を」


「うむ。

 何しろ厳重に秘匿せねばならぬ、従妹(あれ)に漏れては一大事だと思っていたのでな。

 ただでさえ、事の運びにいささか難儀しておる。


 今、あれに知られたら、一層もつれるのは必定と心得よ。

 事態を早急に決着させたいと願うなら、ゆめ忘れるな」


 強く念押ししてから話を始めた。

 執事は、主人が対策を始めていたのだと知って、大いに安堵し、普段以上に恭しく頭を垂れた。


 沈黙を守ると、大神に誓いを立て、姿勢を改めずに主人の話を拝聴した。

 一通りの説明を受け


「委細、承知致しました。

 確かに、クレスティルテさまは、容易に御首肯あそばされますまいな」


「あれもそうだが、先方もな。

 伝わる奇行乱行の数々に、すっかり恐れをなしておるようだ。


 が、近日中には必ず先方を説得する。

 苦労をかけるのには重ねて詫びる。


 そなたら一同の忠義には、必ず厚く報いると、我がキルーツ剣爵家の名誉にかけて約束する。

 それを励みに、今少しだけ、従妹の乱心に目を瞑って貰いたい」


「かしこまりました」


 執事は心底から安心したといった面持ちで、もう一度、深々と頭を下げると、持ち場へ戻って行った。

 一方で、屋敷の主人は、少しも安心してはいなかった。


 深く吐息を漏らし、再び安楽椅子に腰を据える。

 リコマンジェ産の蝋燭が、彼の周囲だけを照らしている。

 ほの暗い居間に一人、椅子のひじ掛けに腕を預けて沈思の姿勢になった。



 ザーヌ大連峰の銀嶺は、ロギーマ剣爵家からも臨む事が出来る。

 もっとも夏に限っての話で、冬の今は窓が閉ざされており、風景どころか室内を伺うにも、蝋燭無しでは難儀する有り様である。


 ゼーヴィス・グランレオンとしては、部屋がどうなってあれ、さして留意に値する問題とは思えなかった。


 蝋燭の光も、特に欲しいとは感じない。

 光があったところで、誰の顔を見るわけでもないのだから。


 現在、当家には、国境戦から戻った若い武人が、両親と共に住んでいる。

 かつて生涯の伴侶として迎えた妻も、愛する一人息子も、居ない。


「二人とも息災か。

 コーリィ。つまらぬ流感など、引きこんではおらぬか」


 寝台に休む際、ゼーヴィスは決まって天井を見つめ、一人ごちる。

 自ら発した声に驚かされる程、時には独白が大きく響きもする。


 顔を見る事も無く別れた妻子に、かくも未練が深いか。

 微苦笑が漏れるのも度々だった。


 当宮廷の意向ではない、エルンチェア合力を目的とした国境戦への参戦、ジークシルトとの面談を経て、今月の頭に帰国した。


 収穫はあった。

 が、宮廷の命令を無視した事実は、やはり軽くはなかった。


 かろうじて入牢だけは免れたが、屋敷に閉じ込められ、厳しい謹慎の処分が下っている。

 もちろん、本格的な処断は後日に改めて下命されるだろう。


 それでも良いと覚悟して、ジークシルトの誘いも断り、帰国したのだったが、いざ予想通りになってみると、やはり胸に堪える。

 夜になると、様々な思いが去来して


「いっそ、死んで詫びようか」


 暗い誘惑に屈してしまいかねない事もある。

 だが、その度に気力を奮い起こして、踏み留まっている。


(そうはいかん。

 ここで自決したところで何になる。


 誰の為にもならないばかりか、一層の害を為すだけだ。

 おれは、死んではならんのだ)


 少なくとも、エルンチェアが


「ブレステリスに戦の責任を負わせない」


 明言するまでは。

 彼自身の記憶に拠れば、王太子ジークシルトは、当方に対して若干の思うところはあるものの、基本的には寛容な姿勢を見せていた。


「気が変わったら、いつなりと我がエルンチェアに来い」


 塁を退去する寸前まで、そう言ってくれていた。

 思い出すと、半月程も足止めされ、彼らと過ごした日々が、忘れかけていた充実感も呼び起こす。


 ダオカルヤン・レオダルト・ヴェルゼワースと称する青年が、深く印象に残っている。

 本人の談話によれば、王太子の修学仕だったという。妙に陽気で人懐こく、ゼーヴィスにも何かと気を配ってくれた大柄の青年だった。


「ロギーマどのは駒とりがお好きかな。

 それがし、貴君はなかなかの手練と見ておりますが」


 古くから知っている間柄であるかのように話しかけて来、ゼーヴィスが


「さまで強いとは申せませぬが、嫌いではございません」


 答えた途端、ひどく少年めいた朗らかな笑顔になった。


「では是非とも一局、お手合わせを」


 彼なりに無聊を慰める積もりなのか、熱心に誘ってくる。

 強引だなと、苦笑しつつ応じたところ、存外の駒とり強者だった。


 先方も同感したと見えて、次第に本気らしい様子に態度が改まり、終いには双方とも時間を忘れて没頭したものだ。


 ついにはジークシルトとも対戦するに至った。

 ダオカルヤンは


「我が殿下におかれては、駒とりも上手におわす。

 もう一つ言えば、殿下は常に本気の勝負を好まれるゆえ、貴君も全力を尽くされたい。


 なぁに、殿下を負かしても、首を刎ねられたりはしませんよ。

 現にわたしが、こうして生きている」


 にこにこ笑いながら耳打ちしてきた。

 この頃には、彼らは親友も同然に打ち解けていたものだ。

 退去の日、ジークシルトは笑って


「長らく引き留めて済まなんだな。

 貴君があまりにも駒とり上手ゆえ、つい手放すのが惜しくなった。


 詫びとして、書状を遣わす。

 道中、無事に渡れ」


 立派な装丁を施した書類をよこしてきた。

 中身は、ぜーヴィスは知らない。手を付けずに宮廷へ届けてある。

 何が書かれているのか。

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