王都は揺れる3
「何だと」
あまりの予想外に、王爵ザムトリガとエルンチェア外交官は、声を合わせて同じ事を言い、同じように立ち上がった。
伝令は顔を青ざめさせている。
王爵が、先に立ち直った。
「その一報、間違いないか」
「は。
宮廷直属の早馬による緊急報告です。
詳細は不明ながら、間違いはございません」
「宮廷付きの早馬か」
軽々しく出動する役目ではない。
直ちに動いたという事は、相応の信ぴょう性があるとしか考えられなかった。
恐らく、初報は手鏡や狼煙による暗号通信だろう。
具体的な内容が判明するには、今少しの時間が必要と思われる。
しかし、最初の一報だけで、重大さは嫌という程に伝わった。
よりにもよって盟友のヴァルバラスが、南方における薪の最大産出国と武力紛争を起こすとは。
「俄かには信じ難いが、宮廷付きの早馬が駆け込んできたとなれば、聞き流すわけにはいかんな。
その話、我が陛下には」
「僚友が奏上し奉っております」
「承知した。
ご苦労だった」
ザムトリガは伝令を下がらせ、エルンチェアの外交官を振り返った。
彼も、言葉が出ないらしい。驚いている。
「外交官どの。
お聞きの通りです、我らは直ちに対応策を協議せねばなりません。
そちらも、お役目がございましょう。
先刻のお話は、また改めて」
「さ、左様でございますな」
しからば、わたくしも御前を下がらせて頂きます」
挨拶を終えるのも、もどかしいと言いたい様子で、彼は転がるように部屋を出ていった。
ザムトリガは少し考える表情を作り、その場に留まった。
もちろん、当事国たるヴァルバラスにも、報告は届いている。
王都に走った衝撃は、リコマンジェを遥かに凌いでいただろう。
「そ、そんなばかな事が」
ヴェリスティルテ姫の父などは、一報を耳にして、椅子にへたり込んだ程だった。
これから一人娘をエルンチェアへ輿入れさせるというのに。
よりにもよって、南方圏のヴェールトと事を構えるとは。
「詳細は不明。
ゲルトマ峠で何が起きているのか、切っ掛けは何だったのか、全く分かっておりません」
「まさか、我が方に非があるのではなかろうな」
「何ともご返答致しかねます。
流血を伴う武力紛争の勃発としか、連絡が来ておりません」
伝令は、上役の詰問に困った顔をするだけだった。
無理もない。
たった今しがた、緊急の速報として飛び込んできたばかりなのだ。
詳細が判明するのは、いくら早くとも今夜半、もしくは明朝といったところだろう。
ヴァルバラス王城でも盛大に執り行われていた、新年の祝賀会は、慌ただしく閉会された。
十三諸王国時代が始まって以来の騒動に、都は不穏な空気が張り詰め、揺らいでいる。
現在、当宮廷が抱えた問題は二つ。
一つは、言うまでもなくヴェールト対策である。
どのように和解するか。
ゲルトマ峠の紛争を樹として、南方圏全体を相手取り、戦乱へ突入する意思など毛頭ない。
何としても、穏便に事を終わらせるのが望ましい。
今一つは、北方圏、具体的にはエルンチェア対策である。
現在は北方の東グライアスと、国境の局地戦とはいえ、戦争状態にある。
彼らは、東だけを敵だとは思っていないだろう。
俯瞰してみれば、南方の薪にまつわる利権争いであって、長らく大規模な商取引を行ってきたヴェールトの態度に、何らかの不快感を持っていると推察される。
彼らが、この紛争について、単純な感想を抱くとはどうにも考えずらい。
「我が娘は、いったいどうなるのだ」
成婚を目前にしている彼にすれば、国の命運もさる事ながら、個人的には鍾愛するヴェリスティルテの将来も大いに気にかかる。
信じ難く思い、出来れば誤報であって欲しいと願いつつ、家路についた彼は、その一人娘と向かい合った時
「大変な事件が起きたようだよ、ヴェリスティルテ」
今度は躊躇わずに口を開いた。
以前、南方のツェノラが当国に接触してきて
「南北経済同盟」
結盟を勧誘してきた事がある。
その時は、女の子に話す内容ではないと逡巡したが、結局は相談相手が思いつかず、しぶしぶながら打ち明けた。
話を聞いたヴェリスティルテは
「ツェノラの真意について、別の見解を要すると思われませんか」
「彼らが本当に言いたい事は、別にあるという気がしてならないのです」
看破してのけたのだった。
要は、経済同盟そのものは目的ではなく、ツェノラはヴェールトに対して、圧力をかけたいのだと。
「理由はどうあれ、ツェノラが北と組んだ事実があれば、南方圏は座視しませんわ。
つまりは、ダリアスライスが動きます。
彼らは、自分達が握っている塩の集中輸入にまつわる既得権を、やすやすと手放そうとは思わないでしょうから。
ツェノラの真の狙いは、ダリアスライスを背後につけて、ヴェールトに逆圧をかける事だと思います」
確かに、その通りだった。
折しも南方圏では、その南の経済における盟主たるダリアスライスで、第一親王ランスフリート・エルデレオンの麗妃が毒殺されたという。
その犯人は、ヴェールトにつながる者との疑惑あり。
そういった趣旨の告発があった。
国王が署名した親書が、既に大陸全土へ発送されており、ヴァルバラスにも届いている。
しかも、追いかけてツェノラ王も声明を発表した。
いわく
「かかる事態は前代未聞。
有り得べからざる蛮行であり、真に持って遺憾である。
今後ヴェールト王国との交流を希望する諸王国の要請は、幣国のよく容れざるところと心得られたい。
幣国は信義と平和を愛する。
ヴェールト王国が如き不実野蛮に対しては、ユピテア教における神々の名の元に、一切の応援を拒絶するものである」
当事者も顔負けする相当な勢いだった。
ダリアスライスですら
「疑惑」
と言っているのにも関わらず、強硬な姿勢でヴェールトを非難したものだ。
これは余程、ツェノラは日ごろからヴェールトに対して言いたい事があったらしいと、誰でも容易に推測がつくだろう。
むろん、ただ鬱憤晴らしがしたかった訳ではあるまい。
ダリアスライスとの間に、何らかの密約が成立していると見るべきだった。
この件からしても、ヴェリスティルテの洞察が正鵠を射たものだと、少なくとも父は理解に及んでいる。
他にも彼女は助言を惜しまなかった。
エルンチェア対グライアスの国境戦争が開戦された同時期、ヴァルバラスは謎の軍事行動を起こしている。
それも、彼女の耳打ちが父を通じて宮廷に奏上された結果だった。
だからこそ、今回は躊躇しなかったのだ。
父の居間で峠の事件を耳にした瞬間、ヴェリスティルテは、さすがに目を瞠った。
「御国の守備隊が、南方と」
「どういう経緯だったのかは、まだ判明しておらんのだ。
状況も不明だ。
小競り合い程度で済んでいれば良いのだがな。
流血を伴うという話が、気にかかってならんよ」
「はい、お父さま。
ところで。
両守備隊は、以前から反目しておりましたの」
「いいや。
普段から不仲だったという話は、聞いた事が無い。
いったい、何があったものか」
「わたくしにも、想像はつきませんわ」
いかに卓越した洞察力を父に認められていても、情報が少なすぎるのでは、力量を発揮しようがない。
さすがの才女も眉をひそめた。
「今は、詳細が伝わるのを待つ以外には無いと存じます」
「さもあろう。
わたしも、それしか思いつかん」
「祝賀会の最中に入った緊急の連絡でございましょう。
それなら、他国にもある程度は知られておりますわね」
「うむ……エルンチェアの外交官が同席していたからな」
「隠すわけにも、ゆきませんわね。
お父さま。
わたくしから、一つお願いがございます」
眉を開いたヴェリスティルテは、真顔になっていた。
当家の令嬢にあてがわれた私室には、肖像画が安置されている。
レオス民族の婚姻では、まずは婚約が交わされ、その際に互いの肖像画を贈り合う。
当人同士は顔も知らないというのが、この時代の常だった。
そのため、なるべく写実的に描いた胸像と、全身像を贈ると決められている。
西の王太子の肖像画も、慣例に従い届けられていた。
「この御方の妻になるのですって、わたしが」
披露された日、ヴェリスティルテは侍女達に、他人事のような口調で報告したものだ。
まことに、半ば他人事のような心境で、今日まで過ごしてきた。
が。
もう覚悟を決めなければならない。
父との対話を終えて、私室に引き取った彼女は、壁に無理やり架けた幅広な絵画を改めて眺めた。
全身像は、身分が髙い者であるほど等身大に描くのが主流である。
ジークシルト・レオダインはかなりの長身らしく、全身像はとんでもない一幅となっている。
図案そのものは、何とも愛想の無い、甚だ無難なものだった。
画布の中央で、正装に身を包んだ青年が佇立している。ただそれだけである。
姿勢に形をつけてもおらず、背後も小ざっぱりと称するのも恥ずかしくなるような、暗い色調の青一色で、面白みは全く無い。
肖像画も似たり寄ったり、左斜めから見た顔を写実的に描いてあるが、その表情ときたら、かろうじて剣呑ではない。
いかにも気難しげな、硬い厳しい面差しなのだった。
もっとも、美貌は確かに美貌であり、絵を見た時のヴェリスティルテは
「あら、きれい。
殿方には惜しいわ」
感心した様子で、じっくりと鑑賞した。
最終的には
「でも、笑顔が似合わないのでは、女人としては損ね」
とも語ったが。
この青年に、嫁ぐのだ。
手順を繰り上げ、半ば押しかけ女房を演じる形で。