王都は揺れる2
日が昇れば、年も改まる。
諸神降臨より三八四年、閏の一年が始まる。
もっとも、北方圏の年始は、例年と変わらず雪だった。
どの王国でも、暦改めの儀式に出席する貴族達は、悪天候に備えて前日から王城に詰める。
とはいえ、西側は東に比べると降雪がかなり少ない。
山沿いであるヴァルバラス王国は、それでも多少は積雪があるが、北西沿岸側に領土を持つリコマンジェ王国は
「本当に北方圏か」
と、当国を訪れた他国外交官を一様に驚かせる。
足首まで雪に埋まれば、大雪だと騒ぎになるのだった。
新年を迎える儀式を控えた今朝、リコマンジェは領土が全く静まり返っている。
当宮廷も、新年祝賀を、それはそれは質素に催していた。
いや、当事者の観点では
「新年らしく、豪勢に調えた」
たいそう真面目なのである。
が、大陸全土に共通するしきたりとして、常駐を許されている他国の外交官らは、陪食に臨んで
「……」
どう反応してよいやら、それぞれに頭を悩ませる食卓だった。
「いやいや。
なかなか、この干し肉は珍味と称するべきですな」
「干し魚もいろいろと趣向を凝らしておられる。
実に珍しい」
「ほほう、果物も干してあるのですか。
ふむ、甘みが強くて、良いものです」
とか何とか、礼儀を遵守しているが、だいたいは目を白黒させているのだった。
なるほど、常は王家を中心とした朝食会が開かれる大広間の卓上には、これでもかとばかりに料理が盛り付けられている。
ただし、ほぼ九割が、干し肉や干し魚、あるいは干した果物。
水気のある品目といえば、煮汁くらいものだ。
新任の外交官は、大抵が仰天する。
「リコマンジェは、やはり噂通りの国柄と見えますな」
こっそりと、横の同僚に耳打ちする者もいる。
「確かに、かつて冬の食べ物と申せば干物と、相場が決まっておりましたが」
「今の世であれば、多少は精肉の流通もありましょうにな。
昔ながらの方式以外は認めないとのお話、あながち大げさでもなさそうな」
「我が国であれば、鳥の足を塩焼きにするのが、祝いの席の定番ですが。
どうやらリコマンジェは、何事も昔の通りが宜しいようで」
苦笑交じりの論評も、ひっそり聞こえる。
しかし、当宮廷の一同は、すまし顔で硬い干し肉をかじっているのだった。
ある程度まで祝賀会が進めば、王族が円卓を回る。
これも旧帝国時代からのしきたりで、新年の祝いでは、王が直々に杯を与えて、臣下や付き合いのある周辺諸国を労うのである。
近頃の北方国家群では、南方から取り寄せた果実酒を配ったり、強酒に独自の風味をつけたりして、目先を変える演出が流行しているが、リコマンジェ宮廷にそのような新規を求めるのは間違っている。
実に百三十年を超える長きに渡り、一度たりとも銘柄が変わった事は無かった。
「陛下にあらせられては、果実酒を嗜みあそばされる事は」
外交官の一人が訊いた。
王の返答は
「無い。
当国では昔から、行事の際はアモレ地方産の強酒を用いるべしと定まっておる」
にべもない。
この王国においては、新しいものを求める事は、何か重大な罪であるかのように考えられているのだろうか。
外交官にそう思わせる程、王の返答に迷いはなかった。
酒杯の差し下されは粛々と進行し、王がその席を後にすると、若者が一人残った。
王家連枝の一人で、継承権は無いという。
「エルンチェア王国の外交官どのとお見受けします。
わたしは、ザムトリガ・レオカイドと申しまして、王爵号を有しております者。
当代の我が王太子は、又従兄弟にあたります」
「これはこれは、ご丁寧に。
本年も何卒よしなに」
「こちらこそ。
伝え聞くところによれば、貴国の王太子ジークシルト殿下は、まもなくご成婚あそばされるとの由。
真におめでたく存じます」
「我が王太子への寿ぎ、ありがたく存じます」
「珍しくも、ブレステリスの姫ではないそうな。
ヴァルバラスの王爵御令嬢と聞き及びます。
確か、ヴェリスティルテ姫とおっしゃる」
「ええ。
御聡明におわす姫御前と、名高くあらせられる。
我が王太子妃として、この上も無い御良縁で、臣下一同も慶びに堪えません」
「全く、ご憧憬の限り。
我がリコマンジェも、後れをとってはいられません」
ザムトリガと名乗った王家の若い連枝は、静かに微笑んだ。
エルンチェア外交官も笑顔を見せて
「ほほう。
すると、貴国王家におかれても、御縁談がございますかな」
「当方は、いつも通りですね。
ヴァルバラスの然るべき御家柄におわす若君の御許へ、当方から姫が輿入れ致します」
「そういえば、貴国はヴァルバラスの王家とは縁が御深くあらせられる」
慎重に受け答えしている。
リコマンジェは、地理上の関係から、南隣国にあたるヴァルバラスとだけ濃密に付き合っている。
この場で縁談があると言っているのは、当国は、エルンチェアともそれなりの縁が出来るとの意と見てよい。
頬張った干し肉をの始末に苦心しつつも、エルンチェア外交官は、ザムトリガという名の連枝が、暗に
「今後の流れについて、少し話し合おう」
そのように申し出ているとの見当をつけた。
新規を好まない国風とはいえ、ヴァルバラスを通じて、エルンチェアと関りを持たざるを得ないのであれば、新年の祝賀会や酒の如く、頑強に
「当国では昔から云々」
とは言ってもいられないのだろう。
ザムトリガも、エルンチェア外交官が暗黙裡に当方の意を察し、応じてきたと見てとった。
外交における会話の基本は、先方に言質をとられない。
なおかつ、当方は先方の真意を一刻も早く探り当て、より自国有利に話し合いを進める。
この二点である。
察しが悪いようでは、外交官は務まらない。
王爵ザムトリガは、リコマンジェの外交卿に近い立場か、もしくは将来その立場に立つ人物なのかもしれなかった。
新年祝賀会は、特に終わりの時間は設けられていない。
大体の目安として、日暮れ前には皆が席を立つが、どの宮廷でも、外交辞令または何らかの下話をする場として認識されているためか、会場は客の出入りが激しい。
ザムトリガとエルンチェア外交官は、部屋を変えていた。
大広間の脇にある休憩室と称する、個別面談の場に移った。
干し物ばかりが食卓に供される宴会に、外交官は少々うんざりしていたので、独特の匂いが無い部屋に通された瞬間、実は安堵していた。
ザムトリガは茶と、みずみずしい菓子を用意してくれた。
「喉が渇かれたのでは」
「これはありがとう存じます、王爵閣下」
「どうも、我が宮廷は、元来の有り様に固執するきらいがあっていけない。
我らはともかく、客人にまで強要するのは如何なものかと思います」
「いやいや。
珍しい美味ばかりで、堪能させて頂きました」
鳥の足の塩焼きがどうのこうのと不満を漏らした事は、けろりと無かった事にしたらしい。
ザムトリガも特に何も言わなかった。
茶を口にして
「今季は、ゼキノ果の出来が宜しいようです。
今年の夏以降に出回る蝋は、質が良いと思われます」
「それは重畳」
「ナルカヴァの木も、良い蝋が取れる果実の成り。
まあ、豊作と申せましょう。
我らも安堵しております」
まずは、リコマンジェ最大の特産物である、蝋について話を切り出した。
北方圏の西側は、よく肥えた土地と適度な雨、そして冷涼な気温が安定した土地柄だった。
このような条件下であれば、ゼキノ果やナルカヴァ果と呼ばれる、蝋を産出する果実がよく実る。
しかも、海沿いで大型の海獣狩猟が盛んだった。
巻貝につく虫が分泌する成分も、低温加工で容易に蝋化する。
果実からとれるものは木蝋、海獣や巻貝からとれるものは海蝋と呼び分け、前者の方が高級とされているのだった。
リコマンジェにとっては、貴重な外貨獲得の切り札である。
エルンチェアも、ある程度は自産するが、気候の影響から現れる品質の差は如何ともし難く、市場を経由して当国産の高級蝋を買い求める事がままあった。
隣国同士でありながら、正式な国交を開いておらず、外交官の常駐を互いに認める以上の関係ではないため、割高な商品を買わざるを得ないのが、現在における北の雄国だった。
外交官は、じっと聞き耳を立てている。
蝋の話を切り出した意味について考える。
商談は外商庁の管轄につき、踏み込んだ話は出来ない。
が、その用意があるとの意向を汲んで、関係者に伝える事なら可能だ。
先方には、商談に先んじての下話をする意思がある。
彼はそう見た。
返答する、その寸前だった。
「申し上げます」
廊下から、慌てた様子の声がかかった。
ザムトリガは面談相手に目礼してから卓上に据えられた呼び鈴を振った。
入室を許された、宮廷付きの伝令が、急ぎ近寄って来る。
そして。
「ただいま、緊急の一報が届きました。
ゲルトマ峠にて変事発生。
南方のヴェールト軍、北方のヴァルバラス軍が武力衝突、刃傷沙汰に及んだとの由」
極めて重大な情報がもたらされた。