王都は揺れる1
暦改めを翌朝に控えたその日。
北方圏は本格的な降雪に見舞われた。
エルンチェアとグライアスの国境線が終息してまもなく、初雪があった。
その後も何度が降っている。
だが、積雪には至っておらず、人々は長い冬の始まりを肌で感じつつ、まだ余裕を持っていた。
ところが、油断の不意を付くようにして、本年の最終日に朝から豪雪が到来した。
昼を過ぎた辺りから、収まるどころか本領を発揮し始め、夕刻に差し掛かろうという現在、外では吹雪が荒れ狂っている。
空に厚く垂れ込めた黒雲と、伸ばした手の先が見えぬ程の雪。
吹雪と同様に、歴史における運命の輪は、複雑に回転して人々を翻弄している。
吹きすさぶ雪の嵐の音を耳にしながら、リューングレス王国の第三王子は
「本気かね、宮廷は。
大真面目に、おれにこの地方をくれてやる、というのかね」
つい今しがたもたらされた、王都からの便りや書類を眺め、苦笑を漏らしていた。
彼は、三万の軍を率いて西国境へ赴いたものの、途中で宗主国たるグライアス王国の敗色濃厚を悟り、気を変えた。
元から乏しかった助っ人の意欲を完全に失い、本土へ帰還したのである。
しかも、都には戻らなかった。
当国領土の南西部、ブレステリス王国との国境に近い位置にある、大陸東側としては多少は肥沃と言える農業地に直行していた。
もちろん、宮廷は困惑し
「アースフルト殿下。
どうぞ都へご帰還あそばされませ」
「国王陛下にあらせられては、まず城へ伺候するようにとの仰せにございますれば」
「参戦に間に合わなんだは、致し方なしとの思し召し。
殿下の御無事を殊の外、お喜びあそばされて、御健勝なるお顔を御覧になられたいと仰せです」
帰参を促す使者を送って来た。
アースフルトは笑って取り合わず
「領地譲渡は出陣の見返りであって、武功を樹てねば無効といった約束ではなかったはず。
賜った領地に腰を据え、統治の準備をせねばならぬ。
ご苦労だが、父上にはアースフルトはかくの如く申していると、遺漏なく伝えるように」
出向いて来た宮廷の役人を十分に労いはしたが、その顔を立てて領土から出るとは決して言わなかった。
出陣を望まれた折、父に交渉して、当国における最大の穀倉地帯を直轄地として割譲させた。
この点も、宮廷では一部を第三親王の領土として認めるという認識だったが、アースフルトは手に入れた三万の軍を展開させ、ほぼ全域を押さえてしまっている。
自分の国の事だから、三万といえども小勢とは称し難いのもよくよく知っている。
そうして
「わたくしが不在の間の情勢、特に外交事情に動きがあれば、連絡されたし」
全くぬけぬけと要求したところ、意外にも。
年の終わりの瀬戸際になって、宮廷は書類を寄こして来たのだった。
外交についての問い合わせに応じるとは、即ち実効支配を認める。その意図が有ると見做されても、やむを得ない。
「宮廷は、だいぶ自暴自棄になっていると見えるな」
いっその事、アースフルトに全ての責任を押し付けて、楽になりたい。
そう思っているのかもしれない。
じっくりと書類を精読した彼は、近習を呼んで
「側近衆を大広間に集めるように」
命令した。
第三親王が拠点とした地方の小都市には、王家の為の別邸といった気が利いた施設は無い。
都市の責任者である市長が住む屋敷に転がり込んで、今や自邸も同然に振る舞っている王子だった。
市長の屋敷は、役所も兼ねている。
アースフルトが重用している側近らは、すぐ招集に応じた。
話を聞いて、全員が主筋と同じ感想を持ったようだ。
「外交にまつわる情報は、厳重に秘密を保つのが宮廷流儀であろうところを、こちらの求めに応じるとは」
「王城においても、いろいろと有りますようで」
「それはそうだろうとも。
何しろ、我がリューングレス唯一にして最大の穀倉地帯を、わたしが抑えているのだから。
少なくとも無視はしかねるだろうね」
王子は皮肉っぽく笑い、周囲も倣った。
彼を中心とした六名の文官、軍人は、いずれも若い。
文官は市長に仕えていた地方役人の若手から、軍人も司令部の主流とはいえない指揮官補佐役から、アースフルトが見込んで取り立てた者達だった。
「されば、殿下。
書類にございます件のうち、優先度の高い案件を処理致したく」
若い文官が願い出て、裁可が得られた。
「明日は暦改めだがね、諸君には悪いが、ゆるりと骨休めは難しいかもしれない。
今のうちに謝っておこう」
「何を仰せあそばされますか。
我らはみな、祖国を救い給うべくお志をお立てあそばした殿下に対し奉り、ご心服申し上げおります。
骨休めは事が成ってのち、改めて」
若い側近衆の士気は、随分と高い。
もっとも、南方と違って雪が降る北方では、真冬の行事である暦改めに祭の側面は見出しにくい。
どちらかといえば、春の雪解け時期に
「雪下ろしの大祭」
を盛大に執り行うのが通例だった。
厳かに神々を敬い、かつての統一帝国時代を偲んで、静粛に身を慎むのが北方における新年の過ごし方であり、若手が
「娯楽もろくに無い田舎町で、退屈を持て余すくらいなら、むしろ仕事に没頭したい」
そう考えても無理はない事情もある。
アースフルトは、もちろん察しているのだろうが、しれっとして腹心達を称賛した。
「うん、殊勝だね。
助かるよ。
外交、特に西側対策だけは、待ったは利かない。
現状では、ブレステリスの裏切りで、宗主国様も我ら属国に構うどころではないだろうが、そのうち何を言い出すものやら。
エルンチェアは、戦場直前で軍を返した当方に、面と向かって文句は言いにくいだろうね。
内心は面白くないだろうけれども、グライアスに付かなかった点を高く評価せざるを得ない立場だ。
宗主国としては、我らを通じて、なるべく有利に国境戦の後始末をしたいと考えるに違いないさ。
たとえ軍人あがりの御当代陛下が、いかように思し召しておわそうともね」
「おお」
「殿下、さてはお心当たりが」
他の一人が目ざとい様子で問う。
アースフルトも、微笑しつつ頷いて自信を見せた。
「なかなか、興味深い便りが届いてね」
宮廷からの書類に混じって、私的な手紙も来ているという。
それも、グライアスから。
幾つかの打ち合わせを終えて、側近衆を解散させた第三親王は、特に目をかけると決めた、いかにも秀才風の若者だけを残した。
レオス人ではあるが、民族の出自からすれば、地方の役所で事務官を務めるような立場ではないはずだった。
何があったものか、興味を感じて
「王都に戻る意思は無いのかね。
何かの罪を得て流刑に処されたというなら、話は別だけれども、わたしが調べた限り、そういう事は無さそうだ。
してみると、進んでの志願という事になるが。
勤務態度も悪くない。
いや、悪くないどころか、なかなかの働きぶりじゃないかね。
ガニュメア人やリヴィデ人にやらせれば良さそうな事務仕事でも、手を抜かず、自ら真摯に向き合うとは。
好感せざるを得ないな」
個別に面談の場を用意した。
若者は恥ずかしそうに畏まり
「王都と距離を置くのは、父の意向でございます」
申し訳ないという表情で答えた。
アースフルトには、さすがに存外だった。
「父御の。
それは異な事を聞くものだ。
宮廷に身を置くのが当然と心得るレオスの民が、都から遠ざかりたがるとは。
なんぞ、仔細があるのではないかね」
訳を聞き出すと、実に興味深い経緯だった。
当人の真面目な仕事ぶりもさる事ながら、その経歴を無碍に扱うのはあまりにも惜しい。
王子はそう思い、若手の彼を自陣営でも上席次に置いた。
計算は、どうやら正解にたどり着いていたと見える。
「グライアスの内情について、面白い話が到着したものだね。
その方のお陰だ」
「勿体ない仰せにございます」
「勿体ないも何も、事実じゃないかね。
その方が居るのと居ないのとでは、話の進み方が左右程も差があったに違いないとも。
せっかく、グライアス宮廷にも亀裂が見えてきた事だ。
好機到来として、有効に活用させて貰おうじゃないかね。
その方の血縁者が示してくれた祖国への愛に、わたしも精いっぱい応じたいと思う。
さて。
一つばかり聞きたい事があるのだがね」
「はい、殿下。
何なりと」
「わたしは、ツェノラと改めて組むのも良しと考えている。
どう思うかね。
忌憚の無いところを聞かせて欲しい」