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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二十章
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ゲルトマ峠の攻防5

 真横から腕が伸びてきた。

 手に杯を持った平民階級の男が、したたかに酔った体で顔を笑い崩し


「ジェイル」


 祝杯をあけろ、と要請したのだった。

 南国中を旅しているカムオにとっては、特に驚く事ではなく、ジェイルと笑い返して果実酒に満たされた杯を受け取った。


 イローペの民は、暦改めを知識として知っているだけで、心から祝う風習はもっていない。

 交易商人としては、愛想よく街の住人に付き合っておいたほうが得なので、自分達の慣わしではないと、すげなく断ったりはしないのだ。


 カムオが連れている部族の若い男達、十五人にも、彼らが立ち止まったのを機会としたように、祝い酒が振舞われ始めた。


 みな単純に喜んで酒杯を手に取り、ぐいぐい煽っている。

 草原の遊牧民は揃いも揃って酒に目がなく、威勢良く煽るので、街の男達も飲ませ甲斐を感じるのかもしれない。

 干したと思ったら、またすぐ新しい杯をせっせと差し出している。


「おい、その辺にしておけよ」


 付き合いで一杯飲んだカムオだったが、若い連中は勢いづいてがぶ飲みしている。

 これから城へ行くはずが、たらふく酒を飲んで酔った彼らを従えて前を進む気には、さすがになれなかった。


「まったく」

「どうしたね、イローペ。

 何か用でもあったのかい」


 今頃になって、酒を勧めた男が訊いた。

 街の中心街をやや離れた、屋台も少なめになっている場所に、何の用も無く来るわけは無い。

 そう言いたいところを、世慣れた族長は飲み込んだらしく、苦笑いして頷いたにとどめた。


「城へ行く積もりだったのさ」

「城へだって。

 王城へ、イローペが何しに」


「野暮用さ」

「野暮用ねえ」


 栗色の髪の中年男は、盛んに首を捻った。


「通してくれりゃいいが、城は誰でも気軽に近寄れる場所じゃない。

 おれ達なんか、たちまち近衛兵が飛んできて追い返される。


 それで済めば儲けもの、下手をしたら牢獄行き、最悪はその場でばっさりだ。

 市民でその扱いだ、おまえさん達イローペだったら……」


 心配そうに表情を曇らせる。


「悪い事は言わない、ここで王室下賜の祝い酒を飲んでいな。

 今日はめでたい暦替わりだ、王室は気前良く『振る舞い』をたんと下されている。


 飲むだけ飲んで、どこか宿屋にでも泊まって、明日は好きなところへ行く方が、あんた達の身の為ってもんだよ」


「心配ありがとうよ、ポルトール。

 まあ、この様子じゃなあ」


 部下を見渡しながら、カムオは翻意を考えた。

 城へ行くという族長の意向は、綺麗さっぱり忘れ去られているらしい。


 若い連中は、目の前に際限無く突き出される振る舞いの酒にすっかり夢中で、がぶがぶ音を立てて飲んでいる。


「今日は止めにしておいた方が、良さそうではあるな」

「今日はじゃなくて、明日以降も止めにしておきなさい」


 街の男が訳知り顔をつくって


「レオスさまは気難しい。

 暦改めでご機嫌麗しいとはいえ、いつ何が起こって急に気が変わるか、知れたものじゃないよ。

 それでなくても、この頃は妙にぴりぴりしてるんだ」


「ぴりぴりしているだと。

 城がか」


「城の事なんか、おれ達みたいな下々には判らんよ。

 ただ、街を巡回する王都守備隊の人数が、だいぶ増えている」


「そりゃあ、祭をやっているからだろう。

 どこの街でも、祝祭日の前後は守備隊が大勢、駆り出されるものさね」


「いや。

 それがそうでもないのさ」


 何かを憚るように周囲を見渡して、耳打ちするかのような小声になる街の男だった。


「何かこう、普段と違っているんだよ。

 どう言えばいいかね。

 他国者を探しているという雰囲気でねえ」


「他国者。

 そりゃあ穏やかじゃない」

「そうだろう。

 特に、ダリアスライス国籍らしい者を見かけたら通報するようにと、何度もお達しが出ているのさ」

「ダリアスライス」


 カムオは、ぴくりと太い眉を動かした。

 今、その問題の国における王子の直筆紹介状が懐にある事実が、危険に直結する予感を呼んでいた。


 無理に城へ行くのは好ましくない。

 イローペの族長は、即座に判断した。


「こいつぁまずいな」


 ごく小声で、彼は呟いた。

 つまらない詮索をされた上に身柄の拘束を受けたら、草原に残してきた部族一同は指導者を失う。


 彼自身と、連れて来た若者達に至っては、失うものは、最悪は命である。

 振る舞い酒に足止めされたのは幸運だった、と彼は思い、どうかしたのかと訝しがる街の男へは、愛想良く笑って見せた。


「あんたの言う通りだな、ポルトール。

 なに、大した用じゃないのさ。


 行かなきゃ行かないで、別に困るわけでもない。

 それじゃあ、ゆっくり酒でも飲んで、祭を見物するか」


「ああ、それがいい。

 そうする事だ」


 酔いの回った赤ら顔をしきりに撫でながら、彼はうんうんと何度も頷いた。


「ほれ、そっちでも振る舞いを配っている。

 クエラもマイプもある、たんと飲み食いするがいい。


 王室下賜の品は、遠慮なく腹につめこむのが礼儀だ。

 王家に功徳を積ませてやってくれ」


「おう。そりゃあ心得ているところだ」


 族長が許したとあって、若者達はひしめく屋台の間に設けられた配給所へと、我先に走り寄って行った。

 宮廷から差し向けられた、治安維持を任務とする下級兵士、振る舞い酒と肴を配る役人、僧侶等、王室下賜品を配給する係が忙しく働いている。


 酒樽から果実酒を汲み上げては杯を満たす係など、朝からひっきりなしに従事しているのだろう、へとへとになった様子で、腕の動きがひどく鈍い。

 そこへもってきて、新たに酒豪どもが殺到して来たのを見、悲鳴を上げそうな顔になった。


 王室から酒肴が下賜される「振る舞い」は、祭にはつきものの行事で、市民の数少ない楽しみの一つだった。

 消費される程に、王家が神に対して徳を積んだとされ、手厚い加護が受けられると信じられている。

 各国の王家は気前良く酒肴の品を供出し、誰かれの区別無く振る舞いを受けるよう奨励するのである。


 カムオは絶えず南国を旅していて、冬になると南西三国のどこかに暖を求める。

 その度に、立ち寄った街で相伴にあずかってきた。


 この時ばかりは、宮廷役人も大陸先住民を蕃族と卑しむのを慎み、鷹揚に杯を与えてくれる。

 下賜品は果実酒とクエラ、マイプと決まっていて、同じ品に飽いた者が屋台へ流れる。


 露店を出す者は、売上のうちの幾何(いくばく)かを宮廷に納める決まりで、王室が市民へ善行を施した証に加えられる。


 南方圏の暦改めによく見られる傾向である。

 イローペ達も果実酒にたちまち飽き、族長へ


「バズ。

 北方名物の強酒(こわざけ)を売っている屋台がありますよ」

「おれは塩漬け肉の串焼き(マイプ)より、干魚の塩漬け(コルマイ)が食いたい」


 わがままを言い始めた。

 カムオは少し考えて、懐の紹介状がやや注意を引くものの、話を聞いた直後にあたふたと祝いの場を逃げ出すのも不自然だと思い返した。


 ゆっくり腰を落ちつけて祭を楽しみ、頃合を見計らって街から出て行く方が、王都守備隊の目に止まりにくいに違いない。


「おお。

 好きなように楽しんで来い。


 ただし、草原に仲間を置いて来ているのを忘れるなよ。

 適当なところで帰るからな。

 飲みすぎて腰を抜かしたりしたら、置いて行くぞ」


 彼は物分かりよく部下を解放した。



 カムオが訪問を取りやめた王城の内部は、街の騒擾ぶりとは正反対だった。

 早朝の恒例である諸神礼賛の儀には、暦改めの特別な式次第が追加されている。


 当年は「神の目こぼし」と呼ばれる閏年であり、つとに入念だった。

 儀式の後は、朝から祝宴が催される。


 一日中、城の大広間で王族と主だった貴族らが飲食し、出し物を眺め、舞踊をたしなみ、等々。

 気楽に楽しむのだった。

 だが


「レイゼネアは、どうしたんだ」


 ロベルティート・ダリアレオンは、この日も姿を見せない妹の身を案じていた。

 ある日の夕食会に欠席して以降、レイゼネア・エミューネをほとんど見かけないでいる。

 末妹のフラウディルテに聞いてみても


「姉さま、お風邪なんですって。

 遊んで下さないの」


 姉に会っていないと不満顔をされるだけで、事情ははっきりしない。

 さすがに、暦改めの祝宴には顔を出すだろうと思っていたのだが、今のところはまだ会場に居ない。


(そんなに体調不良が続いているなら、典礼庁が放っておくわけは無いんだがな)


 不思議だと思う。

 今日も姿が無いのなら、さすがに父を通じて様子を伺うしかないだろう。


 そう思っていたら、その父王と目が合った。

 ごく軽く頷きかけられた時、父の表情が俄に改まったのを、ロベルティートは見た。


 王は近習に命じて、周囲に人を集めさせた。

 やがて、弟も含んだ、位の高い宮廷人達が彼を囲んだ。


「めでたく暦も改まった折である。

 この良き日に、予は(おのれ)の今後について考えるところを、諸君に明かそうと思う」


 演説が始まった。


「予はいささか、王座に長く居すぎたと思う。

 よって、ここに退位の意思を表明し、更には次期王位継承者を指名する。


 我が第四子、ロベルティート・ダリアレオン。

 宮廷秩序に則り、最も年長者たる王子を、次の玉座につかしめるものとする」


 名が呼ばれ、ややあって拍手が起きた。

 一人が率先して手を叩いたのがきっかけだが、その人物とは


「兄上。

 祝着至極に存じます」


 シルマイト・レオンドール。

 その人だったのだ。

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