ゲルトマ峠の攻防4
控えめに見ても、二十名を下らない物騒な剣士達が殺到して来、リュコームは反射的に目を瞑った。
その時。
「待たれよ」
制止の声が割って入って来た。
ラズタンの若者が、閉じた目を開いて顔を上げると、金髪の男性が
「見たところ、その者は武器らしきものを携行しておらず、年端もゆかぬ少年と思われる。
貴官、このめでたい日に、子供を斬ると仰るか」
山岳民族には意味が判らない言葉で、同じ髪の色の男に語りかけていた。
落ちついた濃いめの茶色で染められた服、上から皮革製の立派な装いも着用している。
年齢も、怒っている赤と黒の服を着た男よりは、年かさだと思われた。
「暦替わり早々、流血は不吉と申すもの。
素手丸腰の上、単身の子供だ。
大方、迷い込んだだけだろうて。
追い払うだけで宜しかろう」
どういう理屈なのか、黒い髪の剣士達も全員が動きを止めて、男の話を聞いている。
(この男、レオス人の族長なのかな)
リュコームにはそう見えるのも、無理はないだろう。
何を言っているのかは理解出来なかったが、茶色い服の男は怒っていない。それは判った。
このダータみたいな穏やかそうな男なら、自分を帰らせてくれるかもしれない。
リュコームは、期待を込めて金髪の男を見つめた。
だが
「我が軍のやりように、余計な口出しはご無用になされたい」
赤と黒の男は、一層に腹立たしげな声を出していた。
表情も、声の調子に呼応しているかのようだ。
彼は、目の敵にしている山岳の民をそっちのけにして体を勢い良く反転させ
「それがし、ヴェールト軍人にありますれば、ヴァルバラス軍に籍を置かれる貴官のお指図を受ける謂れは無い、と心得る次第」
鼻息も荒く反抗した。
ヴァルバラスの士官も腹を立てたらしい。
柔和な様子が一転、眉を寄せて不快感を表したが
「余計な口出しとは、お言葉が過ぎますな。
それがしは、吉日に流血を避けるは世の習いであろう、と申したまでの事。
決して指図したわけではなく」
「それが要らざる干渉なのであります。
吉日であろうがなかろうが、こと峠の安全に関わる事件たれば、相応に対処するのが我らの任務。
それとも、我がヴェールト守備隊と違い、貴軍はただ峠で所在なげに立っているだけがお役めですか。
何ともお気楽で、宜しうございますな」
「慮外ッ」
かっと逆上するはめに陥った。
「何たる無礼。
貴官、我がヴァルバラス軍を愚弄なさるご所存か」
「何を仰せあるか。
貴官こそ、何のゆえあって我らにあれこれと差し出口を叩かれる。
カプルスどもは峠の安全を脅かす盗賊にござろう。
それを見逃せなど、正気の沙汰とは思い難し」
「斬ればよいというものではない。
その子供にしても、今は単身ながら、近くに仲間が居ないとは言い切れますまい。
斬った途端に敵襲を呼び込んだら何とするか」
「弱腰は貴軍のご方針か。
貴軍ならそれでも宜しかろうが、我が軍に押し付けられるのは願い下げというもの。
我らが領土を、当守備隊が守ってどこに不都合がありましょうや」
「ほほう。領土とな。」
あっというまに、両軍は険悪な雰囲気に包まれた。
「ゲルトマ峠一帯は、全てがヴェールト王国の領土と仰るか。
我がヴァルバラスの領土ではない、と。
何という驕りであろうか。
これがヴェールト王国のお考えとは恐れ入ったり。
たかが峠守備隊の一指揮官ばらが、峠の全てを我が領土などと放言して憚らぬとは。
御本国では、さぞかし驚愕に値する妄言の類が平然と語られているのでしょうな。
おお恐ろしい」
「貴官っ。
我が王国を侮辱なさるご所存かッ。
聞き捨てならん」
「黙るがいいっ。
当方が遜るを良い事に、際限なく増長しおってからにッ」
互いに、怒りが沸点を極めた。
もはやラズタン族の若者は、紛糾状態の当事者ではなくなった。
ヴェールト、ヴァルバラスの両軍が、今にも相手に斬りかからんといった興奮を露わに対峙しており、その場の全員が、契機となったリュコームには、一片の関心も払っていなかったのである。
おろおろと成り行きを見守る彼の目前で、二人のレオス人は、いよいよ感情を沸騰させた。
激しく相手を罵り始めたのだ。
集まってきた兵士達も、経緯をよく理解せぬままに上官の剣呑な様相に影響され、相対する異国の軍隊に厳しい視線を投げる。
こじれた感情が修復不可能な亀裂を生じさせ、そこから憎悪を吹き上げさせるまでに要した時間は、ごく短いものだった。
互いに謝罪を要求するうち、たまりかねたらしいヴァルバラスの弓兵が、矢を射掛けたのである。
さすがに特定の相手を狙ったものではなく、矢は明らかに威嚇の意味であって、見当違いな方向へ飛んでいった。
しかし、ヴェールト軍にとっては先方が矢を射て来た、その事実自体が重要であった。
「おのれぇっ」
ヴェールト軍士官は、既に抜いていた剣を、ヴァルバラスの壮年軍人へ向けた。
刀身は相手の皮鎧の肩当てにぶつかり、隙間から刃が食い込んだ。
動脈に損傷を受けたものか。
大量の鮮血が、尋常でない勢いで飛び散る。
斬撃の不意打ちを浴びた彼は、苦痛の声を上げながらよろめき、倒れ込んだ。
ヴァルバラス陣営から、怒りに満ちたどよめきが湧く。
「血迷ったか、ヴェールトッ」
「先に手を出したは此方であろうがっ」
その言い合いが、言葉による争いの最後だった。
次の瞬間には、白刃が乱舞する斬り合いが始まっていた。
目の前が突然に戦場と化し、驚きのあまり身動きがとれなかったリュコームだったが、やがて
(戻らなきゃ。
こんなところに居ちゃいけない)
大慌てで身を翻した。
暦改めの日、ゲルトマ峠は流血と怒号に満たされた。
新年を寿ぐ朗らかな声が、王都に溢れている。
都ばかりか、エテュイエンヌ王国の全土が、暦改めと称される年の初めの祭に沸いているのだ。
嵐の被害からは未だ立ち直りきってはいないものの、それはそれとして、年の替わりは祝うべきもので、市民は王室から振舞われた酒に酔い、陽気な歌声をあげて騒いでいる。
カムオ率いる遊牧民イローペの隊商は、賑やかに祝日を楽しんでいる人々の間をすり抜けるようにして進んでいた。
「よくまあ、こんな状態で騒げるもんだ」
御している馬車の上で笑う族長だった。
王都の目抜き通りでは、臨時の屋台がひしめいている。
嵐に叩きのめされながらも、商魂たくましく、祝いの日に焼肉や酒、甘いものを売ろうと物資をかき集めてきた商人が大勢いると見える。
さすが、伊達に嵐慣れはしていないといったところか。
カムオは、復興途上にある崩れた街並と、相反する明るい市民を見比べて
「失敗したな。
何か商売ものでも持ってくりゃ良かった」
残念そうに言った。
あちこちで、南国らしい朗らかな騒ぎが巻き起こっている。
果実酒の飲み比べに興じる男衆、ここぞとばかりに菓子をねだる子供、若い娘の腰を抱き、音楽に合わせて危なっかしい足取りて踊っているほろ酔いの青年。
みな、ジェイルジェイルと景気良く叫んでいる。
その様子を横目で眺めていた部族の若い男が
「生乳なら、二樽も有るじゃないですか」
族長に進言したが、首を横に振られた。
「そりゃだめだ。
ドゥマ・ロベルティートへの贈り物だからな」
「ねえ、バズ。
本当にその王子に会うんですか」
カムオはそうだと、軽く答えた。
懐には、ランスフリートと知己を得た際に渡された紹介状がある。
「会ってみろ、と勧められたんでな。
会ってみるさ」
「でもねえ。相手はレオス人でしょう。
俺達イローペに、そんなに気安く会ってくれますかね」
「そんなの行ってみなきゃ判らん。
ただ、俺はあのドゥマ・ランスフリートを信じる。
あいつはいいやつだ、嘘はつかないだろうよ。
この手紙さえ持ってりゃ、ドゥマ・ロベルティートは会ってくれる。
あいつはそう言ってたぞ」
「会ってどうするんですか、バズ。
何かいい事があるんですかね」
「おまえはうるさい」
族長は部下の青年を睨みつけて黙らせた。
しずしずと手綱をとりつつ、目抜き通りを南下してゆく。
カムオは、特に何かを期待しているわけではなかった。
ランスフリートに
「機会があれば、王家居城を訪ねて、ロベルティートに会ってみるがいい」
そう言われたので、そのようにしている。
他意は無い。興味を感じたので、気分に沿って動いている。それだけである。
カプルス人にせよイローペ人にせよ、政治には一切の関わりを持たず、そもそも国家への帰属意識すら持ち合わせていない民族であるだけに、行動の動機もひどく単純明快なものだった。
見たいから見る、会いたいから会う。
彼らには、それだけで十分なのだ。
都市に住む人々であれば、自分の行動が支配者階級にどう見做されるか、多少なりとも心得ており、殊に王家居城へなど、うかうか近寄ったりはしないのだが、カムオはそういった警戒心にはまるで無縁だった。
やがて、丘の上に建つ南国風の平城が見えてきた。
「あれだな。王家の城ってやつは」
「おい。
そこのイローペ」