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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二十章
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ゲルトマ峠の攻防3

 気楽そうにしているが、祖父が族長を務めるのにもはや耐えられないところまできている、という事実は、彼の将来に無関係ではない。


 幸いにも、族長(ダータ)は味見の大役を全うし、部族の人々にも朝の椀が配られ始めた。

 家畜からとれる新鮮な生乳で仕立てた煮物は、甘味と滋養に富んでいる。


 一つの大鍋を部族で囲み、立ったまま騒がしく中身をかきこむのが、山岳の緩やかな斜面を中心に暮らす人々の朝だった。


 しかし、今朝は峠から響いてくる「何かの祭り」の騒音が、特にリュコームを惹きつけてやまない。


 ザーヌ大連峰の住みやすい場を選んで、あちらこちらを移動する山岳民族は、普段はあまり峠の付近には近寄らない。


 とりわけ温厚なラズタン族は、大陸支配者との余計な軋轢を避けるため、彼らが信じる山の神のお告げを受ける大事な祭り


神の声を聴く宴(ラチャリチャ)


 で、峠付近に移動するよう、占い結果を受けた場合を除いて、なるべく峠の辺りを避ける。

 近頃は、この場に居を移せという神託を賜ったとして、やむなく集落を形成しているものの、本当に久しぶりの事である。


 リュコームのような若者にとっては、初めて来る場所であり、レオス人の暦改めにまつわる浮かれた雰囲気に接するのも、これまで未経験の事だった。


 彼は、心ここにあらずといった体で朝食を終え、しきりに山の上を見やりながら、祖父の元へと近寄った。


 味見を終えて、もう鍋は見たくないという様子でそっぽを向き、腰を下ろすに頃合いが良さそうな岩に座っていた祖父だったが、口はまだ動いている。

 ダータの側は、独特の、鼻につく辛い匂いがする。


「何だ、リュコーム。

 アデイが欲しいのか」

「いらない」


 腰をまさぐる祖父に、孫は首を振って見せた。

 アデイとは、彼らが愛好する干し草で、山の岩場に自生しているある種の植物を乾燥させ、口に含む。


 噛むと苦みが迸り、やがては歯を黒く染める。

 嗜好品としては癖がかなり強いためか、部族の男衆でも好き嫌いが大きく分かれるものだった。


 愛好家である祖父は、長年の習慣で食後にアデイを噛み続けており、彼の歯はすっかり黒みがかっている。


「ねえ、爺さま。

 山の上でも、レオス人達がラチャリチャを祝ってるって聞いたよ。

 あいつらもそのうち、峠を出ていくのかな」


「あの騒ぎか。

 あれはラチャリチャとは違う。

 あいつらは峠に居座り続けるさ。山の神の民じゃないんだから」


 アデイの味のせいか、レオス人への嫌悪のせいか、祖父は表情を渋くゆがめて答えた。


「放っておけ。

 あいつらが騒ごうが何を祝おうが、ラズタンには関係ない」


「それはそうだろうけどね。

 気になるんだよ」


「おまえはラズタンの男で、次の族長ダータだ。

 山の神の民じゃない連中を気にするより、部族の事を気にしろ。


 さあ、満腹したのなら働け。

 ダータは誰よりも働く男でなければならん」


 祖父に追い払われた。

 周囲は、食後の片づけ、家畜の世話の続き等々、慌ただしくなってきつつある。

 リュコームは、だが


(でもダータは、誰よりも勇ましい男でなければならない、じゃないか)


 族長の条件として挙げられる要素のうち、勇気を奮う事についてを思い起こした。

 誰よりも働く、誰よりも勇ましい、誰よりもよく食べる。


 岩場から落ちて亡くなった父は、危険を顧みず険しい山道を進んだと聞いている。

 部族のために、新たな道を拓こうとしたのだと。


 ならば、自分も部族のために、勇ましく峠の様子を見に行ってもいいはずだ。

 そう思うと、居てもたってもいられなくなり、好奇心に後押しされるまま、朝の仕事が始まるどさくさに紛れて、そっと集落を離れる若い族長の孫だった。


 峠を目指して急勾配を上り、滑る足場に気を使いながら、そろそろと山腹を東へ向かう。

 山の民だけが知り、長年使って来た裏の道へ入るためである。


 整備されているとは言い難いが、この辺りはまだまだ、ザーヌ大連峰全体から見れば、山麓と称してもよい程に、高度は無い。


 従って、山合いの開けた場所や岩地から少し外れると、ちょっとした林と呼んでも良い木立に入る。

 更に、東のタンバー峠と違い、ゲルトマ峠は西寄りで、元から北方側でも降雪は少なかった。


 まして、ラズタンの人々は南方側にいる。

 雪が少なくて歩きやすく、葉は枯れ落ちていても幹はしっかりしている木々に身を隠せる。


 たいそう都合の良い裏道だった。

 どのくらい歩いただろうか。


 夢中になって裏道を登っていたリュコームの目前が、葉が無い幹ばかりだった冬の林から一転した。

 山の斜面を伝い歩く細い道から、正規の峠道に繋がったのだ。


万歳(ジェイル)


 の喝采は、大陸共通語に明るくない山の住人でも、今や発音を聞き取る事が出来る。

 意味はともかく


「ははあ。

 ジェイルと叫んでいるんだな」


 単語は判った。

 歌も明瞭に聞こえる。

 耳を澄ますと、歌に交じって、いかにも陽気な笑い声や、手を打つ拍子も。


(何だ。

 やっぱり、ラチャリチャじゃないか)


 面白くなってきて、リュコームは歩みを速めた。

 峠道は、ラズタン族が用いる道とはまるきり印象が違っていた。


 もちろん、王都や近郊都市のような石畳で整備された路面ではないが、人や馬車の往来で踏み固められ、雑草も生えておらず、石の散乱も見当たらない。


 峠付近の警備兵駐屯所が設けられている一面などは、十分に手入れが行き届いている。

 木の柵に囲まれ、そこそこ頑丈そうな造りの門がある。


 今は開放されており、つまらなそうな顔をしている兵士が数人ばかり、その周辺をうろうろ歩き回る姿も見られた。


 旗も立てられている。

 布地の左右は鮮やかな赤、中央は黒。


 黄色い糸で右上がりに傾いた半円が縫い取られている。

 リュコームには何を表しているのかも、そもそも旗の何たるかも理解できなかったが、それは南方圏の一国家ヴェールト王国が掲げる国旗、通称を「半月旗」という。


 ざわつく空気と、楽し気な騒ぎ声は、その門の向こうから漏れているようだった。

 もっと近づいてみたい、よく見てみたい。


 初めて目にする、彼にとっての異民族の姿は、若者特有の好奇心を刺激して余りあった。

 しかし。

 リュコームの姿に対して、先方が抱いた印象は、全く違うものだった。



 黒い髪を長く伸ばし、木の皮をよりあわせた丈夫な結い糸を使って、後ろで束ねる。

 毛皮で出来た袖なしの短丈な上衣(チュルタイ)を着、下には幅広な裁付(ズボン)を履く。

 足を覆うのは毛皮で出来た冬向けの靴。


 ラズタン族の、ごく普通な若者らしい装いをしている、まだ少年期を脱していないような男子が峠道を登って来た。

 警備兵は、単身で現れた若い先住民族を見るや、顔色を変えた。


「おおっ、カプルス人ッ。

 生蕃だ、生蕃が現れたぞっ」


 敵愾心を剥き出しに怒鳴る。

 たちどころに、周りの兵士らも殺気立ち、次々とこちらを振り向いて、一様に怒りの表情を作る。


「あれ。

 どうしたんだろう。

 何を怒っているんだろう」


 訳が分からず、あっけにとられて棒立ちになるリュコームだった。

 ヴェールトの峠守備兵らは、あっというまに抜刀し、こちらへ走り寄って来た。


「おのれ生蕃めがっ。

 よくものこのこと現れおって」


 比較的年かさで、下級兵士のうちでは位も高いと思われる兵士がわめいた。

 リュコームは、自分と同じ黒い髪の男が、なぜこうも大声で叫ぶのか。


 全く心当たりが無く、ただあ然とするばかりだった。

 何しろ、トライア人兵士の言う


「生蕃」


 が、どういった意味なのか、それさえ分からない。

 ただ口調と非友好的すぎる態度から、あまり良い意味ではないらしい、とは薄々感づいたが、峠の守備隊にすれば、生蕃とは盗賊の類語、いやほぼ同義語なのであるとまでは、見当のつけようが無かった。


 のんきそうな先住民族の態度は、だが集まった兵士一同には、ひどく不敵に見えた。

 山の盗賊は、発見されれば即時捕縛、斬首の刑に処される。


 それと承知の上で、詰め所に姿を見せたのか。

 だとすれば、これ程の侮辱は無い。


 酒が入っている勢いも手伝って、すっかり頭に血を上らせている面々だった。

 刀が一斉に自分へ向けられたと知った時、リュコームは


「殺される」


 あ然といった体から立ち直った。

 何という理不尽だろうか。


 悪事を働く意志など毛頭ないし、それ以前に様子を伺おうとすら、まだしていない。

 ただ騒がしい、浮かれた様子に気を引かれて、興味本位に近づいただけなのに。


 斬られる。

 不愉快な直感が、ラズタン族の若者を捉えていた。


「何で。

 どうして」


 興奮している異民族には届かないであろう、部族の言葉で自問自答しつつ、リュコームは棒立ちになった。


 次のダータだというのに、ここで死ななければならない。

 恐怖と連れ立って訪れた不吉な予感は


「斬れッ、汚らわしい生蕃。

 一歩たりとも峠に入れるなッ」


 的中の様相を呈した。

 兵士らが、殺意を隠しもしないで門から飛び出して来たのだった。


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