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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十九章
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遠き東に日は落ちて6

 今、親王邸に主は居ない。

 パトリアルス・レオナイトは既に退去し、王城からも姿を消していた。


 新たな居住の地は、王都からおよそ二十馬歩ばかりも北に離れた、海を背にする湖のほとりである。

 幾つかある王族の為の静養地、あるいは隠居屋敷のうち、北海沿岸に近い位置の一邸が与えられている。


「閣下、申し上げます」


 居間に座り込んでいた彼に、屋敷の勤め人が近寄って来た。

 新しく付けられた世話役であり、旧知の者ではない。

 声をかけられて、何とか顔を上げた彼に、壮年のレオス人男性は


「東国境において開戦されておりました、対グライアスとの戦闘が集結し、我がエルンチェア軍が勝利をおさめたとの報が届いております」


 極めて淡々とした口調で報告した。

 パトリアルスも無表情で、軽く頷いた。


「大儀。

 陛下に対し奉り、ご戦勝のお祝いを手配しておくように」

「かしこまりました」


 ひどく実際的な会話は、すぐに終わった。

 幼い頃から付き従ってくれていた傅役、よく見知った小姓達であれば、ともかくも勝利を喜び、分かち合う心境にもなれたに違いない。


 だが、湖畔の侘しい田舎町にひっそりと建つ屋敷には、知人が誰一人として居なかった。

 彼の身の回りには、王都から派遣された役人か、俄かに集められた王宮勤めの経験も無い土地の若者しか居ないのである。


 父を陛下と敬称せねばならず、兄も今となっては兄上とは呼べない。

 自らも、閣下と呼びかけられる。


 兄の無事と戦勝を嬉しく思う気持ちはあっても、表現は遠慮しなければならないもどかしさが、パトリアルスを打ちのめしていた。


(おめでとう存じます。

 しかしながら、誠に申し訳なくも存じております。

 兄上に、直にお目にかかって寿(ことほ)たいのですが……この身の上では)


 心の中に思い描いたジークシルトへ語りかける、それが精いっぱいだった。

 恐らく、兄はまだ自分の王都放逐を知らないだろう、とパトリアルスは思う。


 出征に同行しなかった事からして、不思議と言うべき事態である。

 父の差配だとは、兄も察しているに違いないが、詳しい経緯までは耳にしていないはずだった。


 あの日。

 第二謁見室に呼び出された当時の顛末が、生々しく脳裏に蘇ってくる。


「パトリアルス。

 もはや予は、そなたを許しおく事あたわぬ。


 重ね重ねの失態に、弁解の余地は無い。

 そなたは、我がシングヴェール王家に相応しからず。

 当家を脱せよ」


 父の言葉を思い出すたび、身が竦み、同時に恥ずかしくなる。

 何も考えずに日々を送ったと、返す返す、我が身の不明を呪いたくなる。


自分を愛してくれる母、兄。

 二人から絶えず贈られてくる愛情を、さも当然のように身に受け、その心地良さだけを享受した迂闊さ。


 暖かい春の陽光だけしか知らず、冬の猛吹雪にさらされる苦痛を思いもしなかった幼稚さ。

 幾ら悔いても、過去に戻る術は無い。


(父上の御怒りは重々ごもっともだ。

 わたしは、兄上を真に敬愛しているとは到底言えない。

 思い切って、父上にわたしの至らなさついて教えを乞い奉るべきだった)


 怒声を浴びても屈さず、なりふり構わぬ体で食い下がっていれば、父ももっと早く、真意を明らかにしてくれたかもしれない。

 それを、逃げてしまった。


 父という猛吹雪から遠ざかり、居心地の良い場を与えてくれる母へすがり、庇ってくれる兄の背に隠れてしまった。

 何という勇気の無さだったのだろう。

この勇気に欠けたのが、現在の体たらくを呼んだのだ。


 そう思い、パトリアルスは胸がやけるような痛みに襲われた。

この痛みは、自分だけのものではない。

母は、誰よりも苦しむだろう。


 謁見室で見た、あの哀れな姿が思い出された。

バロートが去ってからまもなく、彼ら母子にも離別の時が訪れた。

侍従が近づいて来て、パトリアルスに退出を促した。

 

 同時に女官達も続々と入って来、うずくまったクレスティルテを助け起こした。

その瞬間。


 母は悲鳴のような叫び声をあげて、女官らの手を激しくふりほどき、息子へ走り寄ろうとしたのである。

 王后ともあろう貴婦人の行動を阻んだのは、女官ではなかった。

 壁際に整列していた十余名にのぼる近衛兵士が一斉に駆け付けて、二人の間に立ちふさがった。


「離しやれ、無礼者。

 離さぬかッ」


 腕をとられた母が怒りに満たされた叱声を放ったが、兵士は怯んだ様子も見せずに、引きずり戻した。

 たちまち女官が母に近づき、何やら言いながら、扉の方へ体を向けさせようとし、パトリアルスの目前でもみ合いになった。


「パトリアルスッ。

 パトリアルスパトリアルス――パトリアルスッ」


 絶叫が(ほとばし)った。

 が、呪文のように息子の名を連呼する母を、兵士達は容赦無く取り囲み、女官に先導させて、退室にかかった。


 叫び声が遠のき、やがて途絶えた。

その後、母はどこへ連れ去られたものか。

 パトリアルスには判らない。


 母の嘆きがいかばかりか。思いつめて死のうとしてはいまいか。

 気に掛ける以上は不可能だった。


そして、兄。

おまえを愛しく思う、とはにかみつつ言ってくれた兄は、自分が父の怒りに触れて勘当された事実を知った時、どれほどの衝撃を受けるのだろうか。


 それこそ、なりふり構わず自分を助けようとしてくれていたのだと、今であればよく判る。

 判るだけに、何も出来ない自分が情けなかった。


(本当に、不甲斐ない。

 サラディーネ。貴女にも悲しい思いをさせてしまっただろう。

 わたしの事は一刻も早く忘れて、貴族の姫らしい幸せに巡り合えると良いのだが)


 もちろん、親密になった剣爵家令嬢に手紙を出すなど、もっての他だとは嫌というほど承知している。

 受け取る事も、自粛するべきだと考えている。


 身を慎み、いつになるかは見当もつかないが、父に寛恕を請う機会が与えられるまでは、孤独に耐えなければならない。


(わたしが負わねばならない責任であって、罰なのだから)


 パトリアルスは、夕暮れが近づいている窓の外を、玻璃越しに見やった。

 唇を噛みつつ。



「これで良かろうな、ジークシルト。

 そなたの望みだ、文句は言わせぬぞ」


 用意された文書を読み下し、署名したバロートは、執務室で冷たい微笑を浮かべていた。

 片腕であるツァリース大剣将は、ジークシルトとともに東国境へ赴いており、別に重用する文官を傍らに置いている。


 典礼庁を統括するガニュメア人の典礼卿である。

 宮廷内部の情報管理を一手に引き受ける組織の長は、何事も心得て王に仕えている。


 決して若くはないが、民族の特徴として、若く見える。

 王と同年ながら、十歳近い年齢差があるかのような典礼卿へ視線をやり


「きゃつらについては、年内に捕縛の用意を怠るなよ」


 短く命じた。

 卿は静かに頭を下げた。


「かしこまりました。

 アローマ内務卿を筆頭に、親王派の一味は必ず年内に決着させます。


 王后陛下のお身柄については、ブレステリスとの間で協議を致しますが、こちらは恐らく年を超えるかと思われます」


「それはよい。

 どうせ、あれは人質としての役にもたたぬわ。


 ブレステリスめ、何があったかは知らぬが、急に我が方へついたからな。

 クレルティルテの身柄を抑えてあるなら、多少の時間を猶予するに異論はない。


 ただ、死なれてはちと厄介だ。

 殺さぬよう、見張りは厳重にせよ」


「かしこまりました。

 陛下にあらせられては、ユピテア寺院のしかるべき御一室にて、御身をお預かり申し上げております。

 神務卿とも十分に話し合い、御身に害が及ばぬよう、取り計らっております」


「うむ。任せる。

 後は――パトリアルスか」


 バロートの表情から微笑が消えた。


「こちらについても、処断の手はずは整った。

 この文書を執行するよう、手配しておけ」


 先程の書類を典礼卿に差し出す。

 恭しく受け取り、書かれている文章を読んで、典礼庁の長官は顔色を変えた。


「これは。

 王太子殿下に」

「そうだ、ジークシルトだ。

 あれにも、責任無しとは言えぬゆえな。


 弟の身を案じるにも程というものがある。

 毒酒の一件、予に隠し立てた罪を雪がせるべきであろう。

 国境戦における勝利では、埋め合わせは効かんな」


 必死の隠蔽も空しく、父に秘密が露呈してしまっていた。

 ジークシルトが恐れた


「今度こそ、パトリアルスの致命傷になる」


 その案件が。

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