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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十九章
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遠き東に日は落ちて1

 風に混じりこむ夜の匂いは刻々と深くなってゆく。

 日は西の地平線に姿を隠し始めており、世界は黄昏時の赤銅色に染まっている。


 窓にはめこまれた玻璃を通って差し込んでくる夕日の光を、秀麗な横顔に受けながら、ジークシルトは窓際に佇んでいた。


 客を待っている。

 もっとも、正しくは、相手の立場は彼とは対等なものではない。


「王太子殿下に対し奉り、謹んで言上仕る」


 占領した敵軍の塁(基地)内、司令官専用の執務室に、若い剣士が現れた。

 腹心の幼馴染ダオカルヤンではなく、旗本隊に身を置く青年である。

 名をチェルマ―という、王太子に近侍する武官の中では最も年少な十九歳だった。


「御引見を賜る捕虜を召し連れましてございます」

「大儀」


 あっさりと労いつつ、振り返る。

 視界には、下級兵士五名に身辺を固められた、美しい女性がいた。


 その装いは、しかし、貴婦人のものではなかった。

 敵であるグライアス軍の将校が袖を通す軍服で、腰に武具こそ無かったものの、いかにも軍人然としている。

 終息まもない国境戦争において、王太子と渡り合った女流剣士にして傭兵師団の長、マクダレアである。


「兵ども、下がれ。

 チェルマー、その方も廊下で待機せよ」


 ジークシルトの命令に、童顔の青年剣士は驚いた顔を作った。

 が、特に反論はしなかった。静かに頭を下げ、配下を率いて執務室を出て行ったものだ。


 残されたマクダレアも、露骨に訝しがっていた。

 そもそも、彼女の上位者である司令官を差し置いて、このような部屋に呼ばれること自体が異例であると言うべきなのだ。


 敵軍捕虜の引見順序は、何をさておき将軍が筆頭となるのが通常であろうに、これは一体どうした事なのか。


(普通ではない、といえば)


 マクダレアは王太子から視線を外し、礼儀正しく会釈しながら、自らの服装を確認した。

 上位の軍人とはいえ、傭兵部隊を率いる身分、宮廷においても彼女の生家は盾爵であって、珠・冠・剣・盾・杖の五位階からすれば、下から数えた方が早い。

 どの角度から考えても、王太子と単独で面談が叶う立場ではないのである。


(軍服の着用を許されるとは)


 信じられなかった。

 さすがに武器の携行は許可されなかったが、身繕いは認められた。


 捕虜は、軍服の上着を脱がされて、灰色の一枚衣を頭から被せられる。

 首にも投降者の身分を証だてる縄を緩くかけられ、髪もうなじの位置で束ねられるのが、大陸における共通の慣例なのだ。


 それが、軍人の身分を損なわない配慮が伺える。

 後ろ髪も束ねられておらず、櫛をあてる事すらも許されたのだった。


 当惑せざるを得ない。

 ジークシルトは、委細構った風ではなく、先程までゼーヴィスが腰かけていた応接の座席を目で示し


「ヴォルフローシュ剣将。

 貴君に席を与える」


 自分も座りつつ、相対する椅子へ腰を下ろすよう勧めて来た。

 またもや、マクダレアは息を飲んだ。


 彼は、捕虜に向かって、自分と対峙するよう促しているのである。

 これでは引見というよりも、会見ではないか。


 王太子の意向が奈辺にあるのか、読めない。

 東の女流剣士は、細い眉をひそめて、彼女にとっての敵手である王太子が何を考えているのかと、探るような視線をなげ返した。


 が、疑問を口に出そうとはせず、端正に武人の礼を施してから、椅子に腰を下ろした。


「御無礼仕る、殿下」


「楽にせよ。

 わたしは、さしあたり貴君を囚人として遇する積もりはない。


 ただ個人的に、尋ねたい点があり、足労願った。

 要は、わたしのわがままに貴君をつきあわせるのだ、堂々としているがよかろう」


 ジークシルトは硬かった表情をやや和ませて言った。

 マクダレアは目を伏せ、依然として無表情である。

 特に返答はせず、その個人的な問いとやらを待つ姿勢をとっている。


「問いとは何の事は無い。

 貴君はなぜ戦場へ来たのか」


 下問はすぐに発せられた。

 さまで意外な内容ではなかった。


「申すまでもなく、それがしはグライアス王国軍に籍を置く武人にございます。

 主君の下命を承れば、謹んで御意を奉じるが武人の道と心得る次第」


「それだけか」

「他に何がござりましょうや、殿下」


「わたしが聞きたいのは、そのような紋切り型の回答ではない。

 ふむ、問い方が悪かったようだな。


 では言い直そうか。

 貴君は何をもって女人が住まうにふさわしい場を選ばず、あえて武人たる立場を選んだのか。


 わたしが知りたいのはそれだ。

 グライアス国王どのも、さしたる理由も無しに女人を武官に任じようなどとは、お考えになられまい。


 恐らくは、貴君が自らかくありたいと願ったゆえであろう。

 なぜ、そのように願ったのか」


「……」


「立ち入った事を尋ねている。

 判っている、許せ。


 どうあっても回答を拒むのであれば、やむをえまい。もう問わぬ。

 その上で、いま一度訊く。

 なぜだ」


 普段のジークシルトを知る者であれば、これ程の熱意をもって一個人の事情へ深い関心を寄せる、彼の態度に目を剥いたであろう。


 彼自身でさえ、実は


(おれは、何でこのような問いかけをしているのだ。

 この女が戦場に来る理由などを知って、どうなるというのだ。


 益体も無い。

 重々承知でありながら、おれは)


 知りたくて堪らない。

 理由付けしようにも、当人にも判然としなかった。


 とにかく知りたいという、身も蓋もあったものではない単純な好奇心を、どうにも抑え難いのだった。

 マクダレアの方はといえば、実ははこちらも、我ながら意外と思いつつ逡巡していた。


(殿下は何を御考えにおわすのか。

 わたしの事情を知り給うて、何をどうあそばされる御所存か。

 判らない)


 彼女の気質をもってすれば


「御下問は御無用に願い上げ奉ります」


 と、にべもなく撥ねつけるのが妥当であろう問いの内容だった。

 だったのだが、どういうわけか、迷っている。


 答えたいという気分が、どこからともなく沸いてきており、彼女もなぜ問いに応じたいと思うのか、新たに戸惑っているのだった。


 長い時間、マクダレアは沈黙を保っていた。

 ジークシルトも口を閉ざし続けた。


 しばらくの間、どうとも形容しかねる不思議な静寂が、この敵同士にあたる一組の男女を覆った。

 複雑に入り組んだ心情の迷路を先に抜けたのは、マクダレアだった。

 彼女は思いきったように、伏せていた目を真正面の美貌へ向け


「兄の為でございます」


 まことに簡潔に、だがはっきりと、自らの経緯を詳らかにした。

 ほう、とジークシルトは率直に感嘆の声をあげた。


「兄の為か」

「御意にございます」


 マクダレアは小さく頷いた。


「それがしには兄の他に家族は無く、その唯一の肉親である兄も現在は胸の病を患って、自邸にて身を養っております。


 我が大陸において、胸の病と申せば不治の難病。

 それがしも、兄自身も、さして長生きは能わぬであろうとは、既に覚悟してございます」



 両親を早くに亡くして以降、マクダレアは兄と二人、ささやかな遺産に頼る慎ましい生活を送っていた。

 静かな日々が、だがある時を境に一変した。


 胸痛病(きょうつうびょう)と呼ばれる、ガロア大陸では昔から死病として恐れられている難病を、兄が発症したのだ。


 なかなか起床して来ない兄の様子を見に行ったマクダレアは、寝台から上半身を床に落とし、大量に喀血している瀕死の姿を目撃した。


 当時、マクダレアは僅か十五歳だった。

 周囲に頼れる者がほとんど居ない彼女にとっては、遠縁にあたる母方の伯父だけが心当たりだった。

 相談を受けた年長者は


「耳寄りな話」


 を持ち込んできた。


「どうだ、麗妃にならんか」


伯父の目論見は、命の美貌に目をつけて、当時の王太子に側室として仕えさせる事だった。

 その時代、グライアス宮廷では、次期国王の座を巡る暗闘が展開しており、幾つかの派閥が入り乱れて権力闘争に明け暮れていた。


 叔父の見るところ、最有力候補は


「王太子殿下を差し置いて、他の連枝方が王座を襲いあそばすはずが無い」


 ごく順当だった。

 宮廷の常識がそのまま現実化するものと踏んだ彼が、栄達の為に姪を差し出したいと考えるのも、貴族社会の常識というべき順当な流れだったであろう。


「殿下は高貴の御方にして、御寛大におわす。

 麗妃としてお仕え申し上げれば、その兄を見捨て給うなどまず考えられん」


「伯父上。

 一晩だけ考える時間をください」


「考える時間など不要だろうに。

 当家存続の危機と言ってもよい、重大岐路だぞ」


「よく承知しております。

 ただ一晩だけでも、時間が欲しいのです」


 マクダレアは決して即答しなかった。

 伯父も、要は心の準備をしたいのだろうと考えたらしく、明日の朝まで返答を待つと答えた。


 もちろん、形式的なものだった。彼としては。

 その晩、兄は再びの喀血に見舞われ、一時は人事不省に陥った。


 ユピテア教会への逃避を考えていたマクダレアは、せいせいと苦し気な息をつき、ほぼ無意識でありながら


「マーナ、どこ……そこは寒い、もっと暖かい場所へ……こちらにおいで」


 うわごとで妹の愛称を呼ぶ病人の枕元に駆け付けた瞬間、瀕死の兄を見放せないという使命感を胸に宿した。


 翌朝、かろうじて危機を脱した兄が寝息を立て始めたのを見届けると、伯父の待つ居間へ足を運んだ。

 そして、次のように返事をしたのだった。

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