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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二章
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富国、南方に在りて4

 身分の低い務め人が履く布製の靴では、かつこつと甲高い音は鳴らない。

 これは、軍靴のはじき出す音ではないのか。


(ダディストリガのやつかな)


 見当がついた。

 一つ違いの従兄弟という間柄ではあったが、彼に対する気分は肉親だの敬うべき年上だのという堅苦しいものではなく、友人に近い。


 先方も、従弟の周囲に年齢相応の若者が居ない点を哀れんでいるのか、自分を兄として扱えと要求した事は無かった。


 ランスフリートは、まずい事になったとは露ほども思わず、朝もやが漂う東屋の四方へのんびりと視線をやった。

 果たして。謹厳実直な従兄の顔が、乳白色の霧の中から湧き上がった。

 目が合った。


「散歩か」

「ばか者」


 ダディストリガは、従弟の冗談に一喝で報いた。

 いかめしい武人の装いで佇立している。


 剣将という、一個師団を率いる立場にある者だけが着用を許される、白地に胸に黄金の飛び立つ鷹を意匠化した図案を縫い取った、荘厳にして美々しい軍服を身につけて、左肩からは、王国を象徴する鮮紅色で染め上げた典礼用のたすき。


 この姿の従兄と並んだら、見栄えの点でかなり劣らざるを得ない。

 もちろんランスフリートの装いも、それ自体は立派なものである。


 元々、国境視察行から帰還した挨拶奏上の為に登城したのだ。

 純白の上下に、黄金で縁取った鮮紅色の袖無しを着、同色の縁取りがついた白い上衣を長々と引くという、大礼装姿をしている。


 だが、今は見る影もない。

 襟元は乱れ、全身に土埃を被っており、涼やかな白装は鈍い灰色がかって見える。膝も擦り切れ、左側など破れていた。


 上衣に至っては足元に放り出されている。

 敷物代わりにしたり恋人の体をくるんだりと酷使したので、よれて汚れて、足跡までついている有様である。


 その見苦しいだらしない姿が、ダディストリガの昨夜来の怒りに、だめおしの一撃を加えたと見える。

 従兄は、日頃あまり表情を変えない男だが、この時ばかりは白皙の肌を朱ばしらせ、目をいからせていた。


「何をやっておるか、たわけがっ」


 即座に怒声がとんだ。びん、と張った声が、もやの湿り気に淀んだ空気を泡立てた。

 ランスフリートはいささかならず面食らった。


 自分に対してこれ程の怒気が発せられたのを見たのは、生まれて初めてだったのである。しかも、怒鳴ってきたのは友人のように思っている相手だ。


「随分、腹を立てているようだな」

「立てずにおれるか。

 何だ、その醜態は」


 言うが早いか豪腕を伸ばし、座っている若者の襟首を掴んだ。

 武人の彼は、従弟など足元にも及ばぬ強力の男である。あっというまに、若い放蕩者は引きずり上げられた。


「止めてくれ。苦しいよ」

「黙れ」


 従弟の襟を掴んだまま、罪人を引っ立てて行くといった体で歩き出す。

 ランスフリートは閉口した。


「待ってくれ。こんな事をされなくても、ひとりで歩ける。

 どこへ行く積もりか知らないが、ついて行くから手を放してくれ」

「無用だ」


 懇願は、あえなく一蹴された。

 ダディストリガは、石畳を踏み割る勢いでずんずんと歩いて行く。


 昨日の夕方急いだ道を、ランスフリートは、尋常でない恰好で逆進するはめに陥った。

 花を愛でるために造られている庭園は、故意に複雑な小径で編まれている。迷路のような道は一つ分岐点を


 間違うと、思った位置とはかけ離れた場所に着いてしまう。

 そのややこしい道程を、だが、彼らはよく心得ている。


 従兄は東に向かっている。

 この道が繋がるのは、一つしかない。


「城へ行くのか」

「黙っていろ」


「そのくらい、教えてくれてもいいだろう。

 さっき、南刻の一課の鐘が鳴った。すぐ帰って服装を整えないと、礼賛の儀に間に合わなくなってしまう」

「帰ったところで間に合わん」


 ダディストリガは前方を見据えたまま言った。

 もっともだった。


 王城と貴族が住む上級街は、馬車に揺られて半々刻ばかりの距離がある。

 位階の高い貴族の住居は、通例に従い城門付近に下賜されている。とはいえ、服装を改めて道を往復する余裕は無い。

 従兄の思惑は、すぐ予想がついた。


(ははあ。城の衣装所で服を借りる積もりだな。

 父上の昔のお衣装なら、おれの体にも合うかもしれん)


 相変わらずの気楽な調子で得心した。

 祖父に合わせる顔が無いとは、少しも考えない。年長者の権威を意に介していないのである。


 レオス人の教養を躾られて育ったはずだが、生来の気性の故か、愛する尼僧の影響なのか、従兄とは明らかに異なる感覚を持っている。


 その従兄の方は、自分が引きずっている相手の屈託ない様子には、何の注意も払わず道を急いでいる。

 蛇行する小径を、駆け足すれすれの早足で通り抜け、城の本丸まで後は一直線に続いている木立の中の道まで辿り着くと、一層足を早めた。


 徒歩で移動するには、何といっても城の敷地内である。広すぎる。

 努力は正しく報われた。


 彼らは、着替えの時間を確保しつつ城の本丸へ到着出来た。

 さすがに、従兄の手は襟元から離された。


 正面大扉を守る衛士二名が、伴も連れずに現れた貴人達姿を見て驚いたように目を瞠り、視線を交わし合った。


「国王御子息さま、御登城であるッ。

 脇扉、開けッ」


 浮足立ちかけた下級の兵士へ、ダディストリガは叱声を飛ばした。

 直ちに扉が開いた。


「さすがだな」

「お褒めを頂く程の事ではございませぬ。

 お急ぎなされよ、ランスフリートどの」


 口調こそ尊ぶように聞こえるが、実のところは叱責とあまり変わらない。意味は、黙って進めである。

 ようやく衣装所に着いた時、残り時間はおよそ半刻だった。

 ダディストリガは、折よく王の礼拝用衣装を用意していた数名の係から、一人を選んで呼びつけた。


「御免。手間をかけるが、ランスフリートどののお衣装を整えてもらいたい」

「は。これは、閣下。あのう」


 予告無く現れた二人の姿を目にして、服飾係は狼狽した。彼の相役達も、何事かと目をそばだたせている。

 しどもどと口ごもり、困惑している年配の彼にも、ダディストリガは喝を浴びせた。


「何をしておるか。

 陛下のお着古しでも構わぬ、ランスフリートどののお衣装を召し替えて差し上げよ。

 時が惜しい。急げ」

「しかし、陛下の御許しが……」


「わたしが、ティエトマール家の責任において善処する。その方は気にかけずともよい。

 聞こえなんだか」

「は、ただいま」


 そうまで言われれば、躊躇の理由は無い。服飾係は、転がるようにして隣室の衣装庫へ駆けこんで行った。

 ランスフリートは笑いを堪えかねた。


「余計な仕事を増やされたな、あの者も」

「誰のせいか」


 ダディストリガは、にこりともせずに応じた。


「あの者だけではない。おれの手も焼かせてくれおって。

 少しは反省しろ」

「いや、来てくれて助かったよ。この姿で神殿へ行くのは気が引ける」


 全く反省の弁になっていない事を、ランスフリートはてんとした口調で言ってのけた。ダディストリガは深く吐息した。


 苦言を呈したいのはやまやまながら、今はそれどころではない。

 彼は


「後程、よくよく申し聞かせる。

 とにかく急げ」


 精一杯の小声で耳打ちしてきた。

 説教の予感がこみあがって来て、ランスフリートも溜め息をついた。



「ほほう。

 これはまた、古ぼけた礼装を持ち出してきたものだな」


 息子の姿を見て、国王は笑ったものである。

 係が見つけてきた間に合わせの衣装は、実に十年は経ている、かつての王の拝礼服だった。


 現在の流行と違い、襟が大げさな程広く、袖口も一旦絞られてからぐっと膨らむように作られていて、今どきの感覚からすれば少々野暮ったい。


 それでも、あのぼろぼろになった大礼装よりはましであるとして、やむなく時代遅れの服を纏い、教会儀礼に駆けつけたのだった。


 勝手に借用致しましたとの言葉に、父親は鷹揚に頷いた。


「欲しいなら、持ち帰るがよい」


 謝罪無用、の意である。これで済んでしまった。

 しかし、全てが済んだわけではなかった。


 式次第終了の直後、彼は再び従兄に捕まって、教会の一室に連れ込まれた。

 礼拝堂からだいぶ離れ、奥まった場所に設けられている貴族向けの休憩室で、普段はあまり使われない。


 呼ばなければ誰も来ないとあって、公にしかねる説教話をするには、打ってつけの部屋であろう。

 ランスフリートは思い切り渋面を作って椅子に腰を下ろした。

 徹夜の影響もあって、機嫌良くはなれないでいる。


「しょうがない。

 どうせ、おれがどんなに嫌だと言っても、話すんだろう。


 聞くだけは聞くから、なるべく早く済ませてくれ。

 おれも眠いし、そちらも多忙に違いない」


「……ツェノラ王国の様子が、どうもおかしい」


 ダディストリガは、しかし、全く別の話を切り出してきた。

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