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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十八章
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宝玉の杯6

 夕暮れを間近に控えて、城下町はまことに騒々しい。

 一日の仕事を終えた人々が足早に帰宅の道を行き、店仕舞いする商人の手代らが、品物を店内へ


 運び込む、あるいは投げ売りを始める時間帯である。

 時刻は東刻の四課(午後三時)で、日持ちしない食べ物は購入にあたって狙い時とみられる。

 若い男が、盛んに店の手代とやりあっている。


「もう少し、盛りを良くしてくれてもいいだろう」

「何を言ってやがる、図々しい。

 さっき、干し肉を半かけらも余分に入れてやったじゃないか」


 粗末な素焼きの器には、煮汁(ダイジェ)がよそわれている。

 大ぶりに切られた野菜に混じって、干し肉の欠片がちらちら浮いているのが、交渉の理由らしい。


 具の量が多い少ないをめぐる言い争いは、出来合いを店先で売る商売には付き物と見えて、手代もあしらいには慣れたものだ。


「気に入らなきゃ、よそで買うんだな。

 さあさあ、そこの旦那さん、器をこっちに寄越しておくんなさい」


 手代は容赦が無い。

 随分と強気な商いぶりだったが、これは南西地方の気風で、嵐の被災時には一致団結する代わりに、普段はたいそう大きく出る。

 客もどっと沸いて


「よお、あんたいい気風だな」


 いささか無責任に煽りの声をあげている。

 店の主が笑いながら、若い手代の肩を叩いた。


「こいつは、もうすぐ所帯を持つんだよ。

 お城勤めの可愛い子を養うんだ、そりゃあ値切りに負けちゃいられない」

「へへ」


 若者は照れくさそうに鼻の頭をかいて、客を更に沸かせた。


「めでたい話を聞いたもんだ。

 いいとも、少しくらい肉が少なくたって、ほんの御祝儀代わりってなものだ」


「なら、こっちは煮切りをもらおうか」

「で、どんな娘だい」


「お姫様付きの侍女だよ」


 店主が、なぜか自分の事のように威張って答えた。


「気が利いて、優しくて、可愛らしいんだ。

 おれは小さい頃から知っているんだが、とてもいい子でなあ、今じゃお姫様のお気に入りだっていう話だ」


「そりゃ凄いじゃないか。

 羨ましい話もあったもんだよ」

「まったくだ、あやかりたいもんだね」


 夕暮れの城下町、その一角では商売もそっちのけの祝福騒ぎに包まれていた。



「侍女の名はパニタと申します。

 年齢は十六歳で、王城に上がってから三年。

 早くからレイゼネア姫のお気に召しており、絶えず御側に仕えているとの事でございます」


 執事の報告に、シルマイトは満足そうな笑みを浮かべた。


「まずはその侍女を手なずける事だな」

「暦が改まれば、城を下がる旨、既に典礼庁へ届け出がなされております」


「理由は」

「婚姻と聞いております」

「ふん」


 彼にとっては、少しも斟酌に値しない理由だった。


「たかが下賤の身の妻に収まるのと、卑しくも王家の血を引く高貴の男に目をかけられるのと。

 比べものになると思うか」


 王子の言葉に直接の返答はせず、執事は黙って頭を下げた。

 その意について、察しを付けているかつての傅役である。


 レオス民族の出ではない、いわゆる平民階級の民族は、栄達に限界がある。

 どの国でも、富裕層の名士、顔役、あるいは武勲を樹てた下級兵士らに対しては、実利が伴わない名誉を持って報いるのが通例だった。


 一時金なり記念品の下賜、勲章の叙勲、最も華やかな誉れといえば、当人一代に限っての爵位授与であろう。


 市民向けには富爵、兵士には武爵が、それぞれに用意されている。

 女性も同じで、この大陸で通称される「麗妃」の称号を身に帯びて側室に迎えられる事は、僅かな例外を除いて通常は無い。


 あくまで愛妾の地位に留まる。

 その代わり、男性と違って生活の安泰、つまりそれなりの贅沢が約束されるのだった。


 遠からず結婚が決まっているという平民出の侍女が、王子たる自分に見向きもしないであろうなどとは、シルマイトは塵芥ほども思っておらず、よしんばそうだったとしても。


「手段など、いくらでもある。

 若い娘の篭絡をしくじったなど、かつて一度も無い」


 不気味な自信を口元に湛えて、彼は執事に視線で


「行け」


 と命じた。



 冬を目前にして、いよいよ晩秋も終わりにさしかかった。

 本日からは、暦は秋季三月に入る。


 大陸における暦は、原則として十二か月、全ての月は三十日間と定められている。

 更に、月を十日間で一括りにし、三つの節に分ける。


 宗教を取り仕切る役所たる神務庁は、別の側面として学問もその責任範囲に収めており、ガロア式の暦法計算も彼らの任務だった。


 幸いと言っていいだろう。

 大陸が統一されていた旧帝国時代に成立した天文観測法に基づく計算式は、現在も有効に活用されている。


 十三諸王国の各神務庁は、全土に共通する計算式に基づいて毎年の暦を策定し、文書を取り交わして誤差の修正を行う。


 年間単位の大規模な事業であって、さすがの南西三国も、鎖国方針を理由に不参加というわけにはいかなかった。


「とうとう朔日か。

 もう一年も終わりなんだな」


 ロベルティートは感慨深げに、食堂へ至る廊下の角を見やった。

 木彫りの三角錐が据えられており、天頂部分には鍬を形どった装飾が置かれている。


 豊穣の神であるランダイリス神の象徴で、秋を意味する。

 鍬の先頭には、赤く塗装された丸い飾り掛が三つ吊るされており、秋季三月の意とされている。


 日付は三角錐の中央に大きく数字の板がはめ込まれて、毎日変わる。

 人々は、この置物を見て期日を確認する次第である。


 小振りな同様の品は、王子の私室にもあるが、大型の暦となれば、人目を引く所定の場所にしかない。

 意匠に若干の違いはあれ、どの国の宮廷にもあるものだ。


 年が明ければ、彼は南国の中央から妻を迎える。

 そのうえで、時期王位継承者の指名を受けるであろう。


 父王は、内意を耳打ちしてくれている。

 率直に言って


「それは危険です。

 父上の御身に何が起きるか。

 シルマイトが逆上し、恐れ多くも玉体を害し奉らんと図る可能性が考えられます」


 賛成は出来かねた。

 あまりにも、冒険行為だとしか思えなかったのだ。

 しかし、父はゆったりと首を振った。


「それならそれでもよい。

 予も一国の主だ、暗殺に対する心構えはとうに拵えておるよ。


 なに、そう老人扱いするものではない。

 無為に年を重ねたわけではないのだ」


「でもござりましょうが、やはり危険です。

 今一度の御熟考を」


「ロベルティート。

 我々には、選択の余地も時間も無いのだ。


 危ないから、命に関わるから、などと贅沢を申しておれば、それこそあれの好きなようにされかねん。

 現に、そなた以外の者達は……」


 王はいったん言葉を切り、ややうつむいて、何かを思い出すような表情を作った。

 宝玉の杯をとらせる。


 美名を冠してはいても、つまるところは毒酒による自裁の命令である。

 次兄と三兄は末弟の策略に乗せられて責任だけを押し付けられ、相打ちの運命に陥ったのだった。


 父王にとって唯一の希望である第四子だけは、何としても命を救わねばならない。

 そして、無事に王位を譲らねばならない。


 考え抜いて、王は決心に至った。

 他の実子達を助命しない、彼らと引き換えにロベルティートを王座へ導く、と。

 であれば、父としても命を惜しむわけにはいかないのだ。


「あれの思い通りには、断じてさせん。

 あれには隙を見せてはならんのだよ」


 そう言い切った父は、末弟の手にかけられる覚悟を、胸に宿しているに違いなかった。

 南西三国、エテュイエンヌ王国における王位継承の局面が大きく変わるまで、残りは一月しかない。


 ロベルティートも、今となっては父に重ねて翻意を促す心境にはなれず、むしろ寄せられた期待の大きさを潔く受け止めるべき時期なのだと考え直していた。


 三角錐が示す時節を視界に収めるたび、息苦しくなってくる。

 だが。

 怯む事は出来なかった。


(我が王家には、もうおれしか残っていないのだから)


 平然として


「杯を二つ所望したい」


 実兄達の、事実上の処刑道具を妹に選ぶよう言いつけた、シルマイトの顔を思い出すと、あの弟と戦うのかと気持ちが沈みそうになる。


(おれはだめだな、肝心な時にからきしじゃないか。

 こんな顔でレイゼネアに会ったら、心配させてしまう)


 気を取り直し、食堂に入った。

 夕食の場に――ところが。


「何だ、おれが一番乗りなのか」


 最近は必ず先に来ているはずの、妹の姿を、ロベルティートは見つける事が出来なかった。

 どういうわけか、レイゼネアは居なかった。

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