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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十八章
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宝玉の杯4

 エテュイエンヌ王国における王家の変は、ダリアスライス王国にも伝わっている。

 王座を巡る権利者間の内紛と目されているが、実態については詳報が届いておらず、現状は


「第二親王が王太子を暗殺、第三親王に証拠を掴まれて告発を受けるも、当該親王にも暗殺計画があり、第二親王の反撃を被って、両者相討ち」


 先方の公式見解に準じる理解にとどまっている。

 宮廷中枢部では、誰も真に受けてはいない。


「いかように考えても、真犯人は別にいるとしか思えんな」


 ダディストリガ・バリアレオンである。

 旧友にして率いる軍の副官を務めるユグナジスと、王城本丸内の軍務詰め所、自分に与えられた執務室で話し込んでいる。


「まるで演劇だ。

 脚本があったかのような淀みない一連の流れ、王位継承権利者が一日違いで相次ぎ失脚。

 出来過ぎだと思わんか、ユグナジス」


「もちろん、誰かの思惑が介在している、そう疑わざるを得ないとも。

 その思惑とは、最近まで寺院入りを噂されておられた御方ではない方のな」


 人払いをして応接間に友人ともども陣取るとき、彼らは対等な友人の間柄になるのだった。

 ダディストリガは深く頷いて同意した。


「なるほど、我がダリアスライスに王太子ご逝去の一報を、いやに詳しく伝えてきたはずだな。

 儀礼として弔問使を差し向けざるを得ない程に。


 今思えば、外国に醜聞が漏洩したという状況証拠を欲したがゆえなのだろう。

 当時は、不敏ながらそこまで気が回らなかった。


 おれはてっきり、北方のジークシルト殿下が御横難(ごおうなん)に遭われ給うたものかと思った」


「あれは、状況が悪かった。

 そういう情報が入って来ていた際と、前後しての一報だったと記憶している」


「そうだったな。

 ジークシルト殿下はすこぶる御健勝におわし、北方における国境戦でも無事に御戦勝をおさめあそばされた。


 我らとしては重畳だ。

 今はまだエルンチェアに、北方の盟主たる立場を死守して貰わねばならん。


 ところで、ユグナジス」


 ダディストリガは、茶杯を手に、口元をゆがめた。


「おぬし、例の茶を試してみたか」

「例の……ああ、例の」


 旧友の口元にも苦笑が浮かんだ。


「それはもう。

 何しろ我が王太子殿下の御推薦だ、謹んで賞味せねばなるまいよ」

「飲み終えたのか」


 率直に、ダディストリガは驚いた。

 エテュイエンヌ土産とかいう、恐ろしいまでに苦みがかった黒い茶を、主だった臣下らは少量ながら手渡されていた。


 是非とも味見して、感想を詳しく述べよと命じられている。

 先日のダディストリガなど、王太子の居間で振舞われ、あまりの珍妙な風味に危うく顔色を変えるところだった。


 謹厳実直で鳴らした男が、口に含んだ茶を主の面前で噴き出すわけにもいかない。

 表立っては何事も無さげに平静を保ち、内心では死に物狂いの努力を払って、めでたく一杯を飲み干した。


 ところがランスフリートは、一杯ではこの茶の魅力は判らない、今少し飲むようにと、下賜してきたのである。


 たまりかねてこの旧友に押し付けたのだったが、何と飲み切ったという。


「どうやって飲んだ」


「どうもこうもない、教えられた通りに飲んだとも。

 ああ、そういえば感想が要るのだったな。

 後で届けさせる」


「届けさせるとは」


「何の事はない、馴染みの代書家に命じて、それらしい事を書かせたのさ。

 おぬしの事だ、殿下へ奏上し奉る文面を如何にするか、さぞかし頭を悩ませていただろうと思ってな。


 懸念は無用、嘘など書かせてはいない。

 おれの感じたところだがな、まあおぬしと大差はあるまいよ。

 率直な意見をもっともらしく、宮廷儀礼に則って用意させた」


 持つべきものは、物わかりの良い優秀な友と言うべきだろう。

 ダディストリガは、真顔で握手を求めていた。


「勲章授与に匹敵する手柄だ」

「大げさな」


 その時、入室の許可を請われた。

 ユグナジスが返事をする。

 王太子付きの伝令が現れた。


「ティエトマール剣将閣下に謹んで申し上げます。

 ランスフリート殿下のお召しにつき、御居間へお越しくださいませ」


「承知、ただちに参る」


 茶杯を卓上に戻し、立ち上がる。

 次の動作を、彼は起こせなかった。


「か、閣下っ」


 補佐役も血相を変えて叫んだ。

 ダディストリガは、立っていられなかったのだ。


 長身を床に沈め、片膝をついて、上体を前にのめらせている。

 手のひらは右胸に当てられ、漏れてくる呼吸は荒い。


 ランスフリート誘拐未遂事件の折に負った刺し傷が、痛んでいるのは誰の目にも明らかだった。


 ユグナジスは上官に駆け寄り、手を差し伸べかけたが、素人の手出しより必要な事があると思い直したと見えて、おろおろと浮き足だっている伝令の少年を睨みつけ


「何をしている。

 医師だ、今すぐ医師をこれへ呼べ」


 厳しい口調で命じた。

 伝令も我に返ったらしく


「は、はいっ」


 倉皇と踵を返した。

 が、走り出す寸前に


「待て」


 鋭く呼び止められた。

 ユグナジスの視線が動いた。

 上向きになっている。


「ダディ、いや閣下」

「医師など無用だ。

 この場に病人などおらぬ」


 屈み込んでいたはずのダディストリガが、姿勢を正していたのである。


 顔色は悪い。

 青ざめ、額には汗が浮いている。


 痛みを堪えているのだろう、口元から頬にかけて引きつり、唇は歪んでいる。

 それでも、だが彼は背筋を伸ばして佇立した。


「伝令、ぼんやりするな。

 殿下の御居間に参上仕る。

 復命し、言上致せ」


「閣下。

 お言葉ながら、そのご様子では、ご無理は禁物と思われます。

 ご安静が先決かと」


 ユグナジスが制止した。

 ダディストリガは呼吸を整え


「わたしは心身共に健康。

 そうだな」


 反駁を許さない口調で主張した。

 沈黙した補佐役を見つめ


「健康。

 そうだな」


 繰り返した。

 こうなっては、休養の勧めは到底聞き入れられない。

 ユグナジスはよく理解している。


「……はい」


 全く不本意らしく、頷いた。

 上官は端正な姿勢を保って、執務室の扉を目指した。


 残された旧友は


「ダディストリガ。

 そんな事では、おぬし、あたら寿命を縮めるぞ」


 視界から姿を消した上官に向けて、小さく独りごちた。



 王太子の私室に設えられているのは、応接間を兼ねた居間、寝室の他には書斎である。

 従兄を待つ間、ランスフリートは一人で書類を読んでいた。


 ティプテの葬儀が終わり、棺は歴代王族が永の眠りについている城敷地内の霊園へ運ばれた。

 故郷に帰る事も、亡母と共に安らぐ事も、今や麗妃の称号を追贈された彼女には許されない。

 更に言うなら、当分は生者の都合に付き合わされる。


(済まない、ティプテ。

 全く、おれという男は君にとってはとんだ疫病神だな。

 おれは死んだ後、君の側には行けないかもしれない)


 大陸の死生観として語られるところの、善人は死後に神の国へ迎えられ、罪人は罰を受けるべく闇の国へ放逐される。

 自分の行く先は、神の国ではないと、ランスフリートは真面目に覚悟しているのだった。


 読み終えた書類に、もう一度目を通す。

 亡き恋人を偲ぶよすがは、王都には無く、あの親切な遊牧民カムオが贈る事になっていた髪飾りだけが心当たりである。

 その後の問い合わせで、イローぺ一行は街の教会へ供物を運んだのは確認済みだった。


 だが、肝心の形見がなかなか届かない。

 しびれを切らせて執事に催促させた結果、本日の朝に件の教会から手紙が届いたのだ。


 差出人は、パウル・パウラスなる司祭であり、書面には


「髪飾りは無事に見つかった。

 納めておく箱が無いため、急ぎ作らせている。

 暫時の猶予を願う」


 旨が記されていた。

 箱など不要だと言いたかったが、彼らにしてみれば、麗妃ともあろう高貴の婦人が遺した形見を、飾り箱も用意しないで献上する事もしかねるのだろう。

 思い直して、届くのを待つ事にした。


 大陸では、手紙は貴人が直に認めるものではない。

 承知したというだけの短文でも、いちいち人を介さねばやりとりも満足に出来ないのだった。

 仕方なく、後で執事に命じて、代書家を連れてこさせ、返事を書かせると決める。


(カムオに託した『あれ』は、ロベルティートどのの手元に届くだろうか)


 国家間の書簡となれば、面倒はいや増す。

 遊牧民を頼るのも如何なものかと思わなくはないが、代案が無かった。

 どうにかして、知己を得た隣国の王子と個人的な対話の道を開いておきたい。

 ランスフリートは祈る思いだった。


 ダディストリガが来たとの報告があった。

 居間に通されていると聞き、彼は書類を机に置いて席を立った。

 ティプテの死にまつわる、今後の戦略について、聞かなければならない事がある。

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