宝玉の杯2
その小さな紙の包みが発見されたのは、翌日の午後だった。
封書が添えられて、王宮警備兵詰め所の扉に挟められていた。
「鉱毒だと」
書簡を一読した警備の隊長は顔色を変えた。
「王太子殿下の御命を奪いし鉱毒内封のこと」
短い文面ではあったが、重大な内容が明記されている。
大陸で鉱毒と言えば、劇性の猛毒であり、薬物合成によって作り出される。
当国の次期国王を死なせた薬物と称する小包の中身は、直ちに薬師の手へ渡った。
反応を確かめた彼いわく
「紛れもなく鉱毒ですな。
殿下の御命を縮めまいらせた薬品と同一かは判定しかねますが、毒に間違いありません」
宮廷は大騒ぎとなった。
奇怪な文書は、他にも出回っている。
王家の第三王子に、差出人不明の密書が届いたのだ。
「ほほう、これは」
告発文だったのである。
「つまり、兄上が御手にかけられたと。
この書面によれば、王太子殿下の朝餉に毒が混ぜられた、お手配は兄上がなされたとあります。
御当人に事の次第を聞かねばなりますまい」
嬉々として文書を披露し、宮廷警備兵の出動を求めた彼は、無実を叫びながら連行されてゆく次兄の後ろ姿を嬉しそうに眺めたものである。
周囲の者が盛んに
「殿下、これは好機ですぞ。
是非とも告発すべきです。
我らも喜んでお手伝い致します」
扇動した様子が伺える。
根が軽薄な第三王子は、特に疑問を抱かなかった。
いつもの面白がりを大いに発揮して、あまり好きではなかった次兄を逮捕させたのだ。
「これでおれに日の目が当たる」
王座を狙う野心が無いわけではなかった。
当国の王子達で、王座に全く興味を示さないのは、ロベルティートだけで、後は程度の差こそあれ、己れこそ次期国王なりの自負を持つ者ばかりだった。
実のところ、第三王子は長兄暗殺を考えていたのである。
側近は日ごろから何くれとなく
「殿下こそが次の王に最もふさわしい御方におわす」
「恐れながら、王太子殿下におかれては、御幼少のみぎりより利発とは無縁におわし、次兄殿下は、御尊大なお人柄のゆえに宮廷人の受けが今一つ。
弟君方に至られては、何を御考えかまるで見当がつかず、掴みどころの無い御方と、信じ難い傍若無人。
その点、殿下は明朗にして御快活、御寛大に我らへ物事をお任せ給う。
我ら臣下一同、大変にお仕えし甲斐がございます」
主人を持ち上げては、良い気分に浸らせていた。
全く、他愛もない程に、世辞追従を受け容れていたのだった。
三兄は、喜び勇んで次兄を弾劾する会議を開き、入れ知恵された通りに糾弾を展開した。
不意を突かれた方は
「な、何を言う。わたしは知らん、知らんと言ったら……知らんのだ」
しどろもどろで、なかなか狼狽から立ち直れず、弁解に手こずった。
弾劾者の方は、彼とは思えない上出来ぶりで、さまざまな証拠を押さえており、しかも被疑者に弁護人の同伴を許さなかった。
「そんなばかな話があるか」
「何か御考え違いをなされている模様。
本会議は裁判に非ず。
従って、弁護人同伴の必要はございませんな」
にやにやしつつ、厳しい通告を出す。
次兄を愕然とさせる事に、重用する側近が証人として会議場に姿を見せた。
「殿下は、王太子殿下暗殺を計画しておいででした。
ダリアスライスにおいて、先に処断されたバースエルム兄弟と密約を交わしていたのです」
「き、きさま……」
「確と相違ございません」
無表情で、だめおしの一言を放つ側近を、次兄は絶望した表情で見やった。
ダリアスライスから、表敬と称した弔問使が訪れた一件と重ね合わせ、第三王子は真上の兄が真犯人であると結論付けたのである。
しかも、紛れもない事実だった。
夕方には、次兄は親王号を返還し、寺院預かりという立場に追いやられる羽目に陥ったのだった。
「このままで済むと思うなよ」
誰が聞いても悔し紛れの捨て台詞としか思えない言葉を吐き捨てて、次兄は会議場から連れ出されていった。
貴族が寺院に幽閉されるとは、すなわち、刑罰の受刑を前提とした処置である。
事の重大さからして、自決を強要されるに相違なく、次の王位は三兄の手中に収まると、衆目の一致するところだった。
が。
捨て台詞だったはずの一言は、翌日には勝者の喉元へ、刃のように突き付けられた。
「第三王子にも、王太子殿下暗殺の目論見有り」
彼の周囲を固めて、絶えず阿っていた者達が、一斉に告発してのけた。
口を揃えて、三兄にも罪科有り、証拠はこの通り。書類の束が典礼庁に差し出されたのだ。
勝利の美酒に酔っていた彼は、まだ酒も抜けない翌朝早くには、寺院送りの馬車に押し込められた。
「ざまを見ろ」
顔を青ざめさせ、両脇を衛士に抱えられて、引きずられるように自室から出て行く哀れな姿を見送ったのは、嘲笑を浮かべた末弟だった。
一連の失脚劇が発生から終結までに要した時間は、僅か五日間である。
旬日の半分で、王位継承権の第二位、第三位が、地位から転落した。
さしあたりは無関係だったロベルティートは、末弟の恐るべき梟雄ぶりを目の当たりにして
「何てやつだ」
血の気が引く思いを味わっている。
これはもしかすると、暗殺の真犯人、その更に背後にいるのは――。
「だが、証拠が無い」
少なくとも、ロベルティートの目につくようなものは、一切無いのだ。
意外な奸智と言うべきだろう。
「獰猛」と称され、言動の全てが荒々しく、何かと言えば短気を発する末弟は、今にして思えば演技をしていたのかもしれない。
粗暴な印象を故意に振りまき、その裏で広範囲に渡って手をまわし、機会を伺っていたのだろうか。
恐らく、とロベルティートは思う。
恐らくシルマイトは、相当の日数をかけて兄達の側近を囲い込み、着々と下準備をしていた。
ダリアスライス使節団を招くようにも手配して、故長兄の弔いをさせたのも、外国に暗殺計画が知られていたとの演出の一環だったのではないか。
脇を十分に固め、状況証拠を作り出し、兄達を自決に追い込む。
そういう狙いを持って行動していた。
「そうとしか思えないのでございます」
唯一、胸襟を開ける父に意見を耳打ちすると
「予も、そなたの考えに賛成だ」
頷きが返って来た。
今や、王の寛ぐ場であるべき居間すらも、信用が置けなくなっている。
二人はやむなく、宮殿の裏手にある丘へ散歩に出かけ、海を眺めながらの密談を交わしていた。
それでさえ危険に思える。
出来るだけ侍従団を遠ざけ、肩が触れ合う程に近づいて、小声による会話を余儀なくされている。
「シルマイトが、ああも変貌を遂げるとは、予も思っておらなんだ」
「ユピテア大神ですら、思いもよらなかったでしょう。
わたしも衝撃でした。
人とは、あんなに残虐な変わり方をするのだとは」
「それが、権力というものだ」
父は遠い目をして、水平線を見ている。
「ロベルティートよ。
そなたには、とんだ重荷を背負わせるものだ。
寺院入りを諦めさせ、そなたがかねてより進言していた、王太子に養子をとらせるとの考えも、すでに実行は叶わぬ。
後は、そなたに望みを託すより手が無い。
許してくれ」
「お気になさいますな、父上。
弟は、そもそもにしてわたしを嫌っております。というよりも、憎んでいる節が見受けられます。
わたしの考えでは、弟が一番殺したい相手は、他ならぬこのわたしでしょう。
寺院に逃げても何をしても、弟は必ず手を伸ばしてくると思います。
なれば、逃げるよりも受けて立つ方が、まだしも生き残る可能性は高いと思召されませ」
ロベルティートは、丸くなった父の背中を傷ましげに横目で見やりつつ、半ば自分を鼓舞するかのような口調で言った。
(おれは、あいつと戦うのか。
……勝てるかな)
胸の鼓動が早くなるのを、今や王位継承権第一位に繰り上がった青年は覚えた。