宝玉の杯1
「それはそれは。
真に持って、結構なお話と存じます」
珍しいと言わねばならない事に、シルマイトはひどく大人しく、父王の話に耳を傾け、聞き終えた後も礼儀正しかった。
居間には、エテュイエンヌ宮廷の誰もが知る、当人までもがよくよく存じている、彼が嫌っている四兄のロベルティートが同席しているにも関わらず。
普段であれば、獰猛な眼つきで兄を睨み殺さんばかりの態度を顕すシルマイトなのだったが、今日のところは随分と人当たりが穏やかだった。
父王は、表だっては警戒している様子を見せずに、こちらも微笑して
「結構と存じてくれるか」
頷いている。
シルマイトはコール茶を含み
「もちろんです。
ようやく、わたしにも順番が回って来たと安堵しております。
ロベルティート兄上の御縁談が調った、いわばおこぼれとでも申しますか。
ともあれ、有難くサナーギュアの姫を頂戴致します」
にこやかとまでは言えないが、少なくとも機嫌の悪い顔はしなかった。
縁談である。
ロベルティートが、先日まで当国を訪問していたランスフリートに
「ここだけの話」
と断りを入れて語った、実弟が妻を娶る旨の話が進んでいる、それが当人に伝えられたのだった。
ロベルティートは、父に近い位置の安楽椅子に腰かけ、温和な表情で茶を飲んでいる。
耳は、別だ。
(弟、初めて聞いたような態度だが、さあどうだろうな)
胸中では疑惑を抱いている。
何かにつけて早耳なこの末弟が、自身にまつわる縁談に限っては何も知らない。
そのような事が、果たしてあり得るだろうか、と。
ランスフリート滞在中、何度か私的に話す機会を持った。
初日に会った際
「サナーギュアからの申し越しにより、弟が先方の姫を娶る手はずになっております。
と申しますのも、当王室男子のうち、既婚は三名、うち二名がラフレシュアから妻を娶っているのです。
先方にしてみれば、南西三国の均衡を保つため、また我が国とのつながりを維持するためにも、当王家との婚姻は重要事項と申せましょう。
従いまして、わたしか弟が、サナーギュアの姫と縁づくように調整が進んでおりました。
此度、貴国よりわたしに縁談を頂き、有難くお受け致します。
残りはシルマイト。よって、末弟が先方の姫を娶る事になります」
「代々のしきたりですか」
「ええ。
ご案内の通り、南西三国は諸外国との交流を極力控えております。
古くからの慣習で、此度のお話が無ければ、ほぼ間違いなくわたしに巡って来た縁談でしょう。
ラフレシュアと違って、サナーギュアは国情は穏やかと称して良い国ですが、論客済々とでも申しましょうか、とにかく議論が好きな国柄です」
「そうですか。
わたしは、というよりも、大陸の諸国は南西三国をあまりよく知らないのです。
貴重なお話と存じます」
「ははは、そうでしょうね。
ダリアスライスにとって、どの程度の重要性を持つかは、わたしには図りかねますが、我らは姻戚となる間柄です。早めに申し上げておこうと思いました」
内輪話を試みた。
ランスフリートはたいそう喜び、有難い情報だとして、何度も礼を述べたものだった。
返礼とばかりに、こちらも大国の内部事情について、僅かながら耳に出来た。
もちろん、当たり障りの無い、知られても問題は無い程度に違いないが、それでも良かった。
将来のダリアスライス国王との間に信頼関係を築き、いざという時には対話の道が開かれる可能性も保有するのは、決して意義の無い事ではない。
ロベルティートの個人的な観察結果として、ランスフリートは、シルマイトをあまり好感しなかったという懸念もある。
表向きは弔問使ではなく、嵐の被災に対する見舞いと表敬が名目だった。
他の二国は取り込み中という事で、見舞いはエテュイエンヌが代表して受けるという理由づけになっている。
とはいえ、実際に王太子が逝去している。
内密に、神殿へ献花が行われた。
花を贈る建前の裏で、幾らかの金子が納められている。
表敬の場で、今は四人兄弟となった王家男子が、国王夫妻と共に使者目通りに臨んだ時だ。
シルマイトは、姿を見せたランスフリートを見た瞬間、大きく体を反らした。
拳が握られ、小刻みに震えたのを、ロベルティートは真横で目撃している。
嫌な予感がして、そっと様子を伺うと、末弟の顔つきは兄を慌てさせる程に剣呑だったものだ。
誰からも美形と賞賛される異国の使者に、過激な感想を持ったとしか思えない。
三兄が、にやにやしながらロベルティートの横腹を肘でつつき
「シルマイトのやつ、いつも通りだな」
いかにも面白がっている口調で、こっそり言った。
王家末弟は嫉妬深い。これも、公然の秘密扱いになっている。
軽口にうっかり応じるわけにもいかず、ロベルティートはあえて無視した。
三兄は、一人で面白がっている。
次兄の方は、我関せずで、ランスフリートを黙って見ており、その姿勢は過剰なまでに胸を張ったものだった。
尊大と軽薄、獰猛が、言葉の通りにそれぞれの態度から滲んでおり、ロベルティートはどうしたものやらと内心で溜め息をつく思いだった。
その後も、上の兄二人はともかく、末弟は異国の使者を何かといえば睨んでおり、相当に強い対抗心を燃やしている様が明らかで、終いにはレイゼネアにまで
「シルマイト兄上は、ランスフリートさまがお嫌いなのかしら。
あんなに嫌な態度をおとりあそばして、どうするお積りなの」
苦言を呈された程である。
末弟の意向が奈辺にあるかは、ロベルティートには読めなかったが、相手も同感に違いないとは推測出来た。
ランスフリートは、最後まで、シルマイトについて何も言わなかったのだ。
(悪口以外が思いつかなかったのなら、黙るしかないな。
つまり、我が慈しむべき弟は、見事にランスフリートどのから嫌われたわけだ)
こうなってみると、やはり早めにサナーギュアの件を話しておいて良かったと思う。
それにしても。
いかに慣例であれ、国家の事情であれ、あの末弟と縁組む姫は、大変に気の毒だ。
ロベルティートは、顔も名前も良く知らない盟友国の女性に同情を抱いた。
居間では、父と弟の対話が続いている。
「発表はしばらく待ってもらう」
「御意のままに」
「ただし、内々ではあるが、婚約の象徴を取り交わす運びだ。
肖像画を用意しておくように。
後は、典礼庁と相談して、贈り物だな」
「かしこまりましてございます。
おお、そうだ。
兄上にお尋ね申し上げたい」
急に話題の矛先を向けられて、ロベルティートは驚いた。
少し、顔に出てしまったかもしれない。
もっとも、弟は気に留めた風も無く
「兄上も、婚約の象徴をご用意なさっておられるかと存じます。
お手配の御品は、何を選ばれましたか。
参考にさせて頂きたい」
「ああ、それか。
うん、まだ典礼庁と打ち合わせしているところだよ。
相場としては、髪飾りか首飾りらしいんだが、何せ女性に物を贈った経験が無くてね」
「左様でございますか、失礼致しました」
終始この調子で、いつものような皮肉がましい言葉は一言も出てこなかった。
彼が席を立ち、居間から姿を消したと同時に、残った親子は似たような仕草で似たような息をついた。
「やれやれ。
いつもああならよいものを。
今日に限っては、随分と大人しかった」
「はい、父上。
わたしも意外に思っておりました。
あれの事ですから、てっきり既に承知のものかと」
「予もそう思っていたがな。
嵐の前触れではあるまいな」
真顔で言う父に、笑いを堪え損なった。
しかし。
父の予想は、ある意味で正鵠を射ていた。
全く、嵐の前触れだったのである。
「ふん、ばかどもが」
自室に戻ったシルマイトは、あっというまに豹変を遂げた。
いや、正確には日常の姿に戻ったのである。
「このおれを誰だと思っている。縁談を知らんはずがあるまいが」
彼は、独り言を怒鳴っているわけではなく、身辺には腹心が控えていた。
兄にとっての「爺」にあたる、昔ながらの傅役で、今は執事を務める老齢のレオス人だった。
ひどく無口で、シルマイトとは雑談や茶飲み話の類がほとんど成立しない。
せいぜい、命令を受ける時に
「かしこまりました」
と応じるだけの人物で、若主人も彼を人らしく遇した事は無かった。
「ああ、腹立たしい。
仕方ないとはいえ、あの気色悪い紳士面にへりくだらねばならんのは、腸が煮える思いだ。
おい、酒だ」
「かしこまりました」
ぼそりと返事をし、室内に据えてある棚から、果実酒の入った小甕を取り出す執事だった。
やがて酒杯が恭しく差し出され、シルマイトは受け取りながら鋭く笑った。
「おい。
宝玉の杯を知っているか」
「はい。存じております」
「いずれ、あのばかどもに馳走してやる。
ロベルティートの野郎は一番最後だ。とびきりの苦杯を飲ませてやるぞ。
おれの宝玉の杯、味見役はもう決まっているのだ」