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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第二部・第十七章
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旗を分かつ者6

「何ですと、殿下」


 有無を言わさず東への転進命令を、直々に放ったアースフルトは、司令役の臣下へすまし顔を作って見せた。


 事実上、軍を預かる責任者は、表情を目まぐるしく変化させている。

 目指す塁は残り五馬歩《5キロ》ばかり進めば到着する。


 にも関わらず、東へ帰ると言うのだ。

 王子の暴挙としか思えない命令に、まず目を白黒させ、次に慌て、狼狽し、意味を掴みかねてぼう然自失の体にもなった。


 その落ち着きのなさに、王子は失笑を禁じ得なかったらしい。

 横に馬首を並べる相手を遠慮なく笑ってから、その決断に至った理由を述べたものだった。

 すなわち


「ブレステリスは裏切った。

 国策か、一部の暴走かは判然としないがね。

 あの連中は、間違いなく、敵対行為を働く算段で塁に向かっている」

「何ですと、殿下」


 俄かには信じかねるといった表情で、そのまま黙り込んだ総司令官を、アースフルトは妙に穏やかな眼つきで見ている。


(察しの悪い。大した出来ではないな)


 といった、あまり性質が良くない値踏みするような視線だった。


「まず第一に、あまりにも小勢だ。

 兵卒は三十人前後といったあたりだろう。


 兵糧や弓矢の補充と称していたが、雑役夫の人数が少ないとは思わなかったかね。ほとんど居なかったと言ってもいいくらいに。


 第二は、その割に、先行してゆく馬車の重量が有りすぎるように見えた。

 いやに轍が深かったのさ。揺れも、大きくなかった。


 本当は、かなりの重量が積まれた輸送馬車だったのではないか、隠した歩兵などのね」


「おお」


 指摘されて、初めて気が付いたといった表情を浮かべる大剣将だった。

 アースフルトは軽く笑って


「第三に、戦場までもう少しというこのあたりで、あの急ぎよう。

 我々と合流し、同道したところで、何程の事が有る。


 たった五馬歩の道のりを焦って届けなければならない程、いたみ易い糧食を運んで来てくれたとでも言うのかね」


「た、確かに……」


「第四に、戦況が我が方に不利だと言い切ったところ。

 我らより後から来た、しかも外国人だ、東の地理に不案内だろうに。


 いつどうやって、その情報を手に入れたのか、不思議に思わないかね。

 検討した結果、我らとの同道を嫌がり、道を急いで行く様子、馬車の様子。


 塁を内部から襲う積もりで居たのではないか、と疑わざるを得ないな」


 相変わらずのすまし顔で、きっぱり言った。

 総司令官は顔色を失い、更に度も失った。


「な、なにゆえ」


 口が上手く回らないらしい。


「なにゆえ、きゃつらを先行させ給うた。

 ここで討ち果たせば、今頃は」


「当方は、一人の損害も出さずに済むのかね」


 彼は目をすがめ、臣下をじっと見た。

 あれが援軍なものか。


 ゼーヴィスと名乗ったブレステリスの青年将校と顔を合わせた時から、アースフルトは強い疑惑を抱いていた。


 加勢と称するには全く足りない人数で、馬車だけは多い。雑役夫らしい人手が見当たらず、指揮官は時間を気にしている様子で、周囲の者も緊張している。


 あれだけ怪しい姿を見ても、無邪気に援軍だと思い込めるのは、いっそ羨ましい気質だとさえ、この温厚を装ったリューングレス第三王子は冷ややかに考えていた。


 総司令官の言い分も、理解は出来るのである。

 人数が違いすぎる。問答無用で討てば、実際のところは損害が出るとは思っていない。

 しかし。


(せっかく手に入った三万の手勢だ。

 浪費したいとは、さらさら思っていないのさ)


 むしろ人心掌握に努めるべきだ。そう判断している。


「わたしは、自軍の兵士を大切に思っている。

 出来る事なら、一人も死なせたくはない。かすり傷さえも負わせずに、帰らせてやりたいと思っているのだよ。

 考えてもみたまえ」


 周りの護衛兵士らが、自分達を大事だと語り始めた第三王子を、驚きと敬いをもって仰いでいる。

 アースフルトはその視線を計算に入れながら


「こんなところであたら兵員を傷つけ、死なせて何になる。

 ただでさえ、無謀な戦だというのに。


 我らがどれほど献身しようと、我が尊ぶべき宗主国は、顧みもしない。

 いつもの事ではないかね」


 演説を続けた。

 心の中では、荒れた森林地帯を悼み、再生を思い描いている。



 当国の薪産出能力は、とうの昔に限界を超えた。

 森の資源は莫大に消費され、自然の回復は言うに及ばず、植林も追いついていない。


森の消失による影響は、極めて大きかった。

 山間部に土砂崩れを頻発させ、河川の氾濫を呼び、農作物の収穫をも激減させたのだ。


 森が守っていた大地は、樹木を失う事によって肥料の供給が止まり、確実に痩せていく。

それでなくとも東の土地柄は南北問わず肥沃さに遠い。


 森林地帯の寡少化は、単に材木資源が枯渇するばかりでなく、周辺を開墾し、農業を営んでいた人々をも窮乏に追い込んだ。


 その荒廃は、農民達に畑の維持を断念させ、都会への避難に繋がっている。

 都市部に流入した新しい住民が、昔からの都市生活者と反りが合わず、至るところで小競り合いを起こしている。


 誰も作物を作らなければ、需要ばかりが膨れ上がり、少ない供給を巡って対立も起きる。

 王都すらも免れない深刻な民情不安定が、当国をじわじわ蝕んでいるのが、現状だったのである。



(とにかく森を復活させなくてはならない。

 これ以上の環境破壊は、この国の滅亡を呼び込むだろう。

 森に手を付けてはならないのだ)


 アースフルトは固く信じている。

 信じてはいるが、薪が無くては冬を越せない事実から目をそらす事も出来かねた。


 南方圏からの輸入に依存せず、森の資源を守りながら、必要な燃料を手に入れる。

 難題である。


(そうとも。難題だ。

 あのグライアス王……血気盛んな軍人上がりに、なせる芸当ではないさ。


 大体、この土壇場でブレステリスに裏切りを許すような詰めの甘さでは、先など無いじゃないかね。

 もし可能な人物がいるとすれば)


 このアースフルト・グロスレオン。自らを措いて他には無い。

 その程度の自負は十分に持ち合わせていた。


(今は足固めの時期だな。

 この三万の軍を、おれの忠実な手兵にしたてあげてみせる。


 機会を待つに如くはない。

 兵士の人望を、おれに集めるのが得策だ。

 グライアスが国境でどうなろうとも、おれの知った事ではないのさ)


 宗主国の道連れは御免蒙る。

 その乾いた思考が、国境で戦い、援軍到着を待ちわびる軍人達を冷徹に見放させたのだった。


「諸君。

 我らは生きて帰ろう。


 何が起きようとも、リューングレスは生き延びる。

 我らには我らの旗が有る。


 曙光旗しょこうきを見よ。

 夜明けと日の光を模した図案は、生きる希望を描いたものだ。


 我らは我らの旗を仰ぐべきだ。そして、旗に背いてはならない。

 そうは思わないかね」


 応という声があがり、たちまち周囲が巻き込まれていった。


 グライアスとは仰ぐ旗が違うのだ、との王子の演説は、急に進軍先が変更になり、不安を抱いていた従軍兵士や雑役夫の隅々にまで広がり、一定の安堵を得るよすがとなった。


 ざわついていた雰囲気はやがて収まり、秩序が戻って来た。

 戦場を目前にしながら東へ戻る事への後ろめたさを取り除き、兵士の心を自分へ向かせるように。


 アースフルトは手応えを感じていた。


(旗を分かつ。

 いいじゃないか。


 何も、降伏だけが旗を割る理由とは限らない。

 自らの意思で分かつ事もある。

 おれが、その手始めになろうじゃないか)


 夕暮れを背に、彼は軍勢を指揮して元来た道を戻り始めた。

 行き先は、だが


「ただし、王都には戻らない。

 今帰っても宜しくない。


 生きるためだ。

 わたしの意向に従い、国境を越えたら、南へ進路をとるように」


 出発時とは違っていた。

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