第13景 「三人と、一人」
この町に来てから八日目、探索生活五日目。測定器に反応があった。
ここら一帯はラドンが少ないそうなので、それは爆散地周辺を意味する。簡易測定器の性能と、半減期を考慮すればギリギリ見付かったと言える。
場所は地形と風向きから予想した範囲内にあり、残骸が数百メートル四方に散っていたとしても、あのペンダントだけは見つけられる自信があった。
とはいえ、陽が傾いて風も冷たくなってきたから、今日はこれで切り上げようと思う。体力に自信のあるボクながら、なぜか今日はとても疲れた。でもその分、広いお風呂と、ナナミさんの温かいご飯が楽しみである。
とえな商店の前を通り過ぎた先に、長い影を作る三人の姿を見つけた。
真ん中にいるアヤノちゃんがナナミさんとミリアさんの手を握り、三人が横一列に連なる。みんなで買い物に来ていたのだろう。
アヤノちゃんがナナミさんとミリアさんに向かって一所懸命に何かを話す。
ナナミさんは顔を向けてアヤノちゃんのお話をしっかりと聞いている。
ミリアさんは相変わらず適当に聞いてるようで、『ちゃんと聞いてよ!』と言っているのかアヤノちゃんが勢い良く手を引っ張り、ミリアさんがよろける。
ミリアさんは怒って、怒られたアヤノちゃんも怒って、ナナミさんが二人を宥める――と毎日家で見ている光景が道の真ん中でも繰り広げられていた。
相変わらずだなぁと後ろで眺めていたボクは苦笑した。
あの三人はいつどこにいても変わらないんだなぁって。
季節が変わっても、年が変わっても、あの三人はずっと変わらないのだろう。
ボクは小さく笑いながら足を止めた。
そして三人の後ろ姿を眺めていた。
遠くに、眺めていた。
ボクと彼女達の距離は緩やかに少しずつ開いてゆく。
夕暮れの虫の音が頭の奥深くに響いていた。
遠くに、響いていた。
――ミリアさんが足を止め、ゆっくりと後ろを振り向く。
ミリアさんに引っ張られたアヤノちゃんも足を止めて、ボクの方に顔向けた。
「あ、シロちゃーんっ!!」
こちらに気付いたアヤノちゃんが手を大きく振ってボクを呼ぶ。
ナナミさんも体をこちらに向けてボクを待ってくれている。
ボクは止めていた息を吐いたように三人の元へ向かった。
四人で家に帰り、ボクとアヤノちゃんは二人でお風呂に入った。
アヤノちゃんの取り留めのない話を聞きながら、ぬるいお湯に全身を浸し、この数日と、今日一日の疲れを癒やした。
少しだけ紅い紺色の空を仰いで、そこから見える星の数を数えたりもした。
晩ご飯はいつも通り四人だ。ナナミさんが美味しい料理を作ってくれて、アヤノちゃんが失敗しつつもお手伝いをして、ミリアさんが少し遅れて居間に入る。
アヤノちゃんはここでも元気で、それをナナミさんが楽しそうに見ていて、ミリアさんは澄ました顔でたくさん食べる。
寝床に付くとボクは一人になる。
ボクがまだ小さかった頃は、この時間に空想の家族や友人を想像していた。あれは家族や友人を求めていたボクが、寂しさを紛らわせるために作り出したイマジナリーコンパニオンのようなものかもしれない。幼いボクでもそのことはよく分かっていたし、遊びで物語を作っているような感覚だった。
けれど、今この隣の部屋にいるナナミさん、ミリアさん、アヤノちゃんは実在している。そして彼女達はボクを家族か友人のように接してくれる。この数日間は物語の世界のように幸せな日々だった。
――それなのに、どうしてボクは、寂しい気持ちでいっぱいなのだろう。
独りで暮らしていた時よりも心は落ち着かない。
そう感じる心は何処に存在するのか。
ボクは今、何処にいるのか……。
暗い部屋に横たえた身体の中に自問自答が駆け巡り、目を瞑れなくなったボクは部屋を出て水を飲みに行くことにした。
――ボクは部屋を出る前から予感していた。
ああ……、やはり彼女は居たのだ。
今晩は会いたくないなと思っていただけに、彼女がそこに居るような気がしたんだ。
「こんばんは」
ナナミさんの澄んだ声と縁側から入ってくる冷たい風が夜の家を通り抜ける。
「……こんばんは」
ボクの返す言葉は少しだけ重苦しく擦れていた。
「しろがねさんが来るような気がしていました」
月明かりに照らされたナナミさんが優しく微笑む。
ボクはナナミさんが居るような気がしていましたよ。
「喉が渇いちゃって……お水をいただこうかと」
「それならお茶を淹れますよ」
ここまでは“最初の夜”と同じ流れだ。
「……いえ。今日は疲れているので、お水をいただいてからすぐに寝ようと思います」
一呼吸言葉を詰らせて、ナナミさんの誘いを辞退した。
「……そうですか。わかりました」
ナナミさんも少し間を置いてから、寂しそうな笑顔をボクに返した。
台所で冷たい水を飲み、淀んだ感じのする脈拍を正してから、縁側に座るナナミさんに『おやすみなさい』を伝えて自分の部屋に戻った。
障子から入る月明かりが天井を微かに照らす。
わずかに見えるその風景を、ゆっくりと瞼で遮っていく。
大丈夫。ボクは独りでもやっていけるのだから――
意識を布団に沈めようとしたところ、襖の向こうから小さな声が掛けられる。
『しろがねさん。中に入っても宜しいですか?』
ナナミさんだ。どうしよう。寝たふりをするべきか。
ボクが返事をするよりも前に襖が開いた。
「……起きていますか?」
布団に横たえているボクはナナミさんと反対の方向に顔を向けていた。廊下から流れる冷たい空気を静かに吸い込んで言葉を返さないでいた。
「一緒に寝ませんか?」
「わぁッ!?」
薄く目を開いていたボクを『ぬぅっ』とナナミさんが覗き込んだ。近付いてきた感覚が全くなかったからかなり大袈裟に驚いてしまった。
「うふふ。やっぱり起きてた」
小さく正座をしたナナミさんが悪戯っぽく微笑んでいる。
「ぅ……。あの、ボクに何かご用でしょうか?」
「一緒に寝ましょう」
もう一度繰り返してハッキリと言われる。
「……それは何故でしょう?」
頭が働かず、率直な問いを返してしまう。
「たまにはいいじゃないですか。アヤノもミリアちゃんの部屋に行ってしまったんですよ」
たまにどころか、ここに来てからボクは一人でしか寝ていない。
失礼のないように断るには、なんと答えれば良いのだろう。考えて、考えて、考えたあげく、
「ボク、すごく寝相が悪くって。壮絶に、一回転しちゃうくらいに……」と答えた。
「アヤノはもっと酷いから大丈夫ですよ。二回転でも三回転でもしてください」
ナナミさんは言いながらボクの布団の上に膝を付いた。
「でもボクの体の方がアヤノちゃんよりも大きいし、力もあると思うので、その……」
「もう少し奥へ移動していただけますか?」
「あ、はい」
そして半ば強引にナナミさんがボクの布団で寝ることになった。
――布団の上に並んで『おやすみなさい』を言ってから数分間なにも会話はない。
暗い部屋の中は、空気まで止まっているかのようだった。
横を向くと仰向けで目を瞑るナナミさんがいる。もう眠っているのだろうか。
「……まだ起きてますよ」
こちらに顔を向けたナナミさんと目が合った。
「静かだったから眠っているのかと思って……。あの、どうしてボクの所へ来たんですか?」
ナナミさんは天井に顔を向けて再び目を瞑った。
「しろがねさんから見た七鈴町ってどんなところですか?」
目を瞑ったままのナナミさんが穏やかな表情で問う。
「え……えっと……観測が足りてないので正確な答えは出せないと思いますが……自然に囲まれた町なのに、調和というか、調整がされているというか……」
植物からの侵食がされておらず、草木が多いながらも、町の体をなして人が住めるようになっているのだ。
「ふふっ、しろがねさんらしいお答えですね」
ナナミさんはこちらを向いて笑っていた。
「うう、すみません……」
ボクはまた間違ったのだ。
「でもしろねがさんの言うとおりで、ここは閉じた世界で、とても強い管理がされているんです」
良かった、ボクの答えは合っていたのだ。
「管理とは、管理人の陽花様による管理ですか?」
「陽花よりも、もっともっと大元の部分の……アレです」
「あれ……?」
「私の説明能力を越えてしまいました……」
名称が用意されていない概念の話なのだろうか。
ナナミさんは上を向いて静かに目を閉じる。
「私ね、七鈴町は外から見えない鳥籠みたいだなって思うんです」
強い管理がされた閉じた世界――鳥籠の鳥から見ればそうなるだろう。
「それじゃあ、ナナミさんは鳥籠の中の鳥、というわけですか」
「私というか……私を含めて、ここに住んでる人達全員で、一羽の鳥ですね」
ボクはすぐに自分の間違いに気が付いた。
ここの住民はそれぞれが役割を持っている。ゆえに、住人達が七鈴町を維持するためのシステムであり、鳥籠の一部であり、ナナミさんを守護するための、陽花様を頂点としたパーツだと思っていた。
けれどナナミさんの解釈では、七鈴町だけが鳥籠で、住人はナナミさんを含めて主体であり、一羽の鳥と喩える。ではどうして“一羽”なのか……。
「ナナミさん、その鳥の目的ってなんなのでしょう?」
「鳥ですから、籠の外に出て、空を羽ばたくことが目的です。鳥籠の中で育っているのが、カナリアなのか火の鳥なのかは分かりませんけどね。でも、皆が目指すところは一つになります」
ナナミさんは顔をこちらに向けて小さく笑った。
危険を知らせて死ぬだけの鳥と、癒しをもたらす鳥という意味だとしたら、最初の夜にナナミさんが話してくれた『世界を壊す』という話とは正反対だ。
「だから、私としろがねさんも一つなんですよ。ということで早く寝ましょう。私……夜更かしが苦手で……はふ……」
ナナミさんは温かい手でボクの冷たくなった手を強く握り、穏やかな表情で目を瞑った。
「でもボクは……」
「しろがねさんは……大丈夫…………」
握られた手の力が抜け、ナナミさんは一瞬で眠りについた。
ボクの何に対して大丈夫と言っているのか分からないが――ボクは明日、この家を出ることを決めていた。