第12景 「一人旅」
思えば、就寝時以外では久々の一人だったりする。欄干のない橋の上から足をぶらぶらと下げて、冷涼な音と空気を運ぶ水流を眺めながらにそう思った。
ボクが運送屋のリリットさんに注文した品は、放射線測定器の材料である。簡易的な測定器はラジオのような音声受信機さえあれば簡単に自作できるものだ。
自爆したスレイプニルのエンジンユニット――T2アクセラは基本的には核廃棄物を排出しない。しかし、稼働時に自爆してしまうと処理途中の放射性物質が漏れてしまう。人に大きな影響を与える量ではないものの、自作の簡易測定器でも検出できる量はあるので、それを頼りに爆散地を探し当てようってわけだ。
「ぅ……ぁ……こ、こん……にち、わ……」
背後から、川の流れる音に霞んだ小さな声が聞こえた。
振り向いて見上げた先には、細くて折れそうな女の子が胸に手を当てて立っている。目と髪、衣装を含めて水のように青く透き通り、冷涼な印象を抱かせる人だった。
「こんにちは」とボクもまた同じ言葉を返すものの、彼女はやや怯えている。
「も、もしかして………………はぅ……ふぅ…………」
彼女は呼吸を乱し、涼しげなこの通りでも汗粒を浮かべて固まっている。
「あの……大丈夫ですか?」
「は、はいっっ」
深呼吸をしている。本当に大丈夫だろうか。
「き、昨日の放送で……あの、陽花様の放送……で……新しい人が……って……」
「ああ。多分それ、ボクのことだと思います」
陽花様の放送を見た彼女がわざわざ挨拶をしてくれたわけか。
「それじゃあ……やっぱり……お尻を……撫でないと……あの……言ってたから……」
確かに昨日の放送では『尻の一撫で二撫でしてやれ』と言っていた。
「いや、それはしなくていいですよ。陽花様の冗談でしょうからね」
すると彼女は固まって、透き通った瞳には涙が浮かんでくる。
「えええっ、どうして泣いてるんですか!?」
「だって……あの……どうしたらいいか……わからなくて……。陽花様が……言ってたのに……。新しい人の……お尻を……って……」
彼女は言い終えると、ぽろりと涙を零した。
他の人が通りかかったらボクが泣かせてるように思われてしまう。ボクは、彼女の要求というよりは、陽花様の冗談を真に受ける必要があるみたいだ。
「ぅぅ……わかりましたよ。少しだけなら触ってもいいです」
ボクは立ち上がり、彼女の方に質素なお尻を向けた。
「ひっく……よろしいの……ですか……?」
「どうぞ、ご自由に」
もうヤケだった。
「し、失礼……します……」
木の葉が触れるようなソフトなタッチでボクのお尻は一撫でされた。
「ありがとう……ござい、ました……」
怯えながら涙目に礼を言われる。
なんだこれ? ボクは女の子に泣かれながらお尻を撫でられてるぞ?
可笑しな行為に見えるものの、彼女なりに陽花様の言い付けを守って、新しい住人とされたボクと親睦を深めようとしてくれたのかもしれない。
「あのぅ、あなたはこの町に来てから長いんですか?」
「三十年……くらい……です……」
この答えで彼女が人間ではないことが確認できた。オドオドした女の子であるが、眼光が人間と比べて深く感じられる。
「ボクは事故のような形でこの町にやってきたんですよ。今日で四日目になります」
「私も……同じ……。飛行機が……墜落して……。あの、事故で……飛行機が……」
七鈴町の住人がどのように集まってきたのか考えていなかった。ボクみたいに事故で辿り着いた例もあるわけか。
「ご無事で良かったですね」
「みんな……死んじゃって……。全員……その、事故で……」
「ぅ……すみませんでした。無事だなどと言ってしまって」
スレイプニルのような一人乗りを想像したが、普通は飛行機と言えば複数人が乗る商船か客船だよな……。
「気に……しない、で……」
彼女は大きく首を横に振った。
「私……それで助かって……あの、人間に捕まって……飛行機に、乗ってました……。水妖の力……が……私の力……で……それが……目的の……人間が…………」
彼女は顔を真っ赤にさせて口ごもった。
ボクが首を傾げると、彼女は橋の真ん中に立って片腕をぐるりと回した。
すると、橋の上に水のアーチが生まれ、さらにその飛沫が小さな虹を産んだ。
「わぁ……すごい! 魚も宙を泳いでる!」
「これが、あの……私の……水妖の……力、です……」
頬を染めた彼女が初めて笑顔を見せてくれた。
「私は……ウンディーネっていう……水妖の……あれで……。あの、町の治水とかを……お仕事で……陽花様から、任されて……ます。名前は……フェリース・フォンテイン……です。みんな……フェリとかって……呼んだりして……」
水妖の力を持ったウンディーネのフェリさんか。
「ボクはしろがねと申します。ナナミさんのお家でお世話になっています」
「ナナミさんは……良く、私に……お茶をごちそうして……くれます」
「フェリさんは茶房“りつの”の常連の方でしたか」
「よく……たまに……行きます……。お話をしたり……して……」
フェリさんはボク以上に人見知りをするタイプのようだから、今度またナナミさん達がいるところでゆっくりとお話しをしよう。
「ボクはこれから町の探索に出掛けなければならないので、お店にいらしたときは、またボクのお相手をしてください。ウンディーネの方のお話には興味がありますし」
「はい……。いっぱい、話します……」
フェリさんは胸の前で拳を作って意気込んでくれた。
お尻を撫でた事といい、まっすぐ過ぎるほど真面目な人なのだろう。
「それではまた後日――」
「――あのぅっ!」
すぐに呼び止められた。
「なんでしょう?」
「耳を……貸して、ください……」
周囲に誰も居ないところで内緒話か?
フェリさんはボクを見上げて待っている。
「えぇっと……」
「耳……を……」」
ボクは疑問を抱きつつも少し屈んで右耳を向けた。
ちゅっ。
「えっ?」
ほっぺたに柔らかいモノが触れてボクはそのまま固まった。
「どきどき……しました……」
ゆっくりと顔を向けると、フェリさんは上目遣いに頬を染めていた。
「って、ええええ――――ッッ!? なんですか、今の……?」
フェリさんはビクッと体を跳ねて、またさっきの怯えた表情になってしまった。
「わ、別れ際に……こう、すると……また、逢えるって……、初めて会った人に……こうするって……ミリア……さんが……」
今度はあの人の仕業か。陽花様の話と同じく、ミリアさんに言われたことをそのまま信じてしまったのだろう。まるで昨日のボクのようじゃないか。
「私……また、逢いたいと……思って……。間違って……ましたか?」
フェリさんの瞳は再び涙で溢れる。
「いえっ! あって、ますっ! すごく、たくさん、あってますっ!」
ある意味は。蠱惑的な意味で。
「よかった……」
最後にもう一度、破壊的に愛らしい笑顔をもらい、ボクはウンディーネのフェリさんと別れ、ペンダント探索を再開した。
七鈴町は人口が少なく緑の深い閉鎖された町だ。
だが不思議なことに、無人のジャングルのように無造作な植物の繁茂はなく、人の歩く道があり、最低限の流通が機能している。
水妖の力を持つフェリさんと別れた後、また一人の女性と出会った。その人はいわゆるかまいたちの力を持つ。ボクはそれを聞いて、彼女から説明を受ける前に彼女の仕事を予測することが出来た。彼女は七鈴町にいる植木屋の一人なのだ。
要するにこの町は、少数精鋭の力で成り立っている。そして誰もが生きるための、生活するための仕事をしていた。
ボクやフェリさんのように事故でこの町にやってきた人もいれば、アヤノちゃんのように流れ着いた人、ミリアさんのように密入町?した人、さらには手紙で招待されてやってきた人もいるそうだ。でも多くは元からここに住んでいた住人らしい。
ボクは五~六メートルある大岩の上に登り、ナナミさんが作ってくれたお弁当を開いた。白いご飯に茶色い何かが振り掛けられ、山菜を煮た物と、魚を煮た物が入っていた。一口食べるといつものナナミさんの味がして、家にいるような気持ちになりホッとする。
出掛ける前に、アヤノちゃんが自分も付いていくと駄々をこねていた。ボクの気持ちを察してくれたナナミさんがアヤノちゃんを宥めてくれて、ボクはアヤノちゃんにお土産を持って帰ることを約束した。強そうな虫がいいと言われたが、強そうな虫って何だろう。
強そうな虫は知らないが、一昨日のような強そうな動物と遭遇することはなかった。それはミリアさんがくれたイヤリングのおかげである。単純に動物除けというものではなく、敵性対象が近寄り難くなる効果があるらしい。装備がうまく機能しない現在では、とても頼もしいアクセサリだ。
……今のボクは、アーズの代わりに、あの家族に守られてるなぁと実感する。