第11景 「つまらない放送」
七鈴町に来て、三日目の朝だった。
朝食をいただいてから今日は何をしようかと考えていると、
「シロちゃん、今日はテレビの日なんだよ」
アヤノちゃんが嬉しそうに言った。
今の時代もローカルエリア放送は健在だが、衛星代わりの浮遊型中継器はアーズや軍事目的の使用に限られているため、電波塔からの電波が届かない山間部などは、有線ケーブルを引かない限り難視聴となっている。七鈴町のような地形も同様だろう。
「お茶菓子を用意するわね」
この家には、居間に一台だけ古めかしく立体的なモニタが置かれている。
「七鈴町に住む者の義務なのよ。これから始まるクダラナイ番組を観ることがね」
しかめ面をしてあぐらをかいてるミリアさんが教えてくれた。
「この町にも放送電波は届くんですか?」
「外からの電波は一部を除いて届かないわ。だから七鈴塔にある“テレビ七鈴”一局のみ」
完全なご町内番組のようだ。その番組内でご町内告知でもするのだろうか。
ナナミさんがお茶とお茶菓子を持ってくると“テレビ”の電源が付けられた。
「………………正確に映ってないみたいですけど、これでいいんですか?」
ザーという音と、砂嵐のような映像が表示されているだけだ。
「真面目ちゃんの運送屋と比べると、果てしなく時間にアバウトなのよね」
ミリアさんは煎餅という硬い菓子を手にとって言った。
アヤノちゃんの取り留めのない話を聞きながらみんなが一通りお茶のおかわりをした頃に、『しちりんチャンネル』という手書きのフリップが表示された。
「はじまったっ!」
質の悪いマイクを通したような篭もった音質のBGMが流れ、素人工作レベルの安っぽいスタジオの中で、ミリアさんにも劣らぬ露出の高い衣装を纏った女性が現れる。
『七鈴町のみなさん、おはようございますッ! 司会の七鈴陽花です! イェイ!』
アヤノちゃんは目を輝かせ、ナナミさんは微笑み、ミリアさんはジト目をしている。
「綺麗な方ですね。ちょっと変わった方みたいですけど」
黒髪の妖艶な女性がダブルピースしているのである。
「この人が七鈴町の統治者……というか管理人みたいなもん」
皆が言っていた陽花様か。お堅い人かと思っていたけど、むしろその真逆だった。
「陽花さま面白い人だからアヤノは好きだよ」
「ワタシは苦手だわ。上から目線で横柄なくせにベタベタしてくるし」
あなたが言うのですかと突っ込みたくなるところだが、ミリアさんにここまで言わせるとは相当なお方なのだろう。
「陽花の方はミリアちゃんのことが大好きみたいだけどねぇ」
リリットさん含め皆が陽花様と呼ぶのに対して、ナナミさんだけは陽花と呼び捨てる。
「陽花様とナナミさんは昔からのお知り合いだったりします?」
「はい。私は元々陽花と一緒に塔の上で暮らしていたんです。でも塔の生活に飽きちゃって、私だけ地上に降りてきてしまいました」
陽花様はナナミさんと同じような神様としての存在なのかな?
「あーっ! アヤノもあの子見たよーっ!」
冒頭のニュースコーナーから動物コーナーに変わっていた。
『みなさんご覧ください! ハギスドリの赤ちゃんが生まれました! かわいいですね~』
姿形だけで生物の善し悪しを決めるのは良くないことだが、ハギスドリという生物は、毛のふさふさしたアヒルに、ひょろ長い足と、人間の目を取って付けたような、下手な工作物のように映った。
「ボクは初めて見たんですけど、強烈な印象を受ける生物ですね……」
「あれはどうせ陽花様の創作生物だわ。実在の生物や、どこぞの架空生物からパクってる割りに、何かこうバランスが悪いのよねぇ。変な毒でも持っていそうだしアヤノは触っちゃダメだからね」
注意を受けたアヤノちゃんはテレビの中のハギスドリに夢中で聞こえていないようだ。
「もしかして、この町にいる生き物って陽花様が作ったんですか?」
「んー……、元からいたのと、世界中から集めてきたのと、絶滅種を再生させたのと、架空生物を具現化したものと、陽花様のオリジナルと、まあ色々だわね。陽花様オリジナルのやつは大体あんな感じの変なのばっか」
「陽花はミリアちゃんと違って絵が得意じゃなかったからね」
遺伝子工学には絵の才が関係するのか。
「まさか、F型新種の発生源が陽花様だった、なんてことは……?」
「陽花様が生まれる前から存在していたものが大半だから、それはないと思うわ。陽花様がF型新種を作ったとしたら、もっとまとまりのない生物になっていたはずだもの」
F型新種の発生原因は諸説あるものの、陽花様が原因ではないというミリアさんの説は、テレビに映るハギスドリの悪い意味での破壊力抜群の“笑顔”を見て納得した。あれ、笑うんだな……。
『続いてはお天気コーナーです。お天気のおねーさーんっ』
「お天気のおねーさ――んっ!」
テレビの中の陽花様と一緒にアヤノちゃんもお天気のお姉さんを呼んだ。
『気象断定士の七戸辺マツリでございます。本日もよろしくお願いいたします』
新しい女の子が出てきた。やや幼い感じもするが、軽い陽花様と対を為すようにお堅い人のように見える。というか、気象断定士ってなんだ……?
「この子は陽花の従者でマツリちゃんです。真面目で良い子なんですよ」
「ちなみに、気象コントロールしてるのは七鈴塔の陽花様だから、予報ではなく断定なのよ」
だから気象予報士ではなくて気象断定士なのか。
『超高性能お天気レーダーによりますと、今日明日は晴れ、午前中が雨になる日を挟み、三日間晴れ、陽が落ちてから雨になる日を挟み、また三日間晴れとなります。以上、お天気のコーナーでした。そして陽花様。私の足下ばかりを映さぬようお願いいたします』
無理矢理着せられたような短いスカートからは白く綺麗な足が伸びている。カメラはその足をなめ回すようにアップして次のコーナーに切り替わる。そしてまた陽花様が映った。
「まさかこれ、二人でやってる番組なんでしょうか?」
「そうよ。陽花様の暇つぶしみたいなものだわ。さっきのお天気コーナーなんて、陽花様趣味の、マツリのファッションコーナーだわね」
あの真面目そうな子は陽花様の着せ替え人形になっているのだろう。
番組は町人のインタビュー録画に替わり、カメラマン兼レポーターのマツリさんに、畑を耕す女の子が作物の出来を答えていた。
『続いては今日のお便りっ。イェイ! えー、七鈴町北東区にお住まいのペンネーム“あやのん”さんからのお手紙です。いつもありがとー』
「わ、これってアヤノちゃんのお手紙かな?」
「そうだよー」
番組でお手紙が読まれようとしているのに、アヤノちゃんは落ち着いた様子だ。
「そもそも手紙送ってる人がアヤノくらいしかいないんじゃないの?」
ミリアさんいわく、実質アヤノちゃんコーナーのようだった。
『えーとなになに。“うちの家族のお話です。いつも夜中にごそごそと一人でやっています。うるさくてよく眠れません。どうすればミリアちゃんにやめてもらえるでしょうか?”』
「って、あんたッ! ワタシのことは書くなと何度も言ってるでしょッ!」
冷静なミリアさんがお茶を吹き出してアヤノちゃんを叱りつけた。
「ミリアちゃんのはなしーじゃなくて、ちゃんと家族のはなしーってぼかして書いたもん」
「全然全くボケてないわッ! 最後におもいっきりミリアって言ってるじゃないのよ! しかもなんなのよこれ、誤解されるような書き方じゃない!?」
「誤解って?」
アヤノちゃんの無垢な瞳に答えられる者など誰もいないのだ。
「……あーもうっ、今度こそ本当にワタシの部屋で寝るの禁止だからね」
「禁止の禁止だもん」
全く応えていないアヤノちゃんに、頭の耳を立てて怒るミリアさん。ナナミさんは苦笑いで撒き散らされたお茶を拭っていた。
『そうですねぇ……。ミリアさんもまだ若い女の子ですし、昂ぶる感情と若い体を持て余す夜が多分にあるのだと思います。良いんじゃないでしょうかねぇ。あやのんさんもミリアさんの自慰――いえ、性こ――いえ、行為っ、全く正常な普通の行為!を理解してあげてくださいっ!』
「ああああァッッッ!!!! なんなのよこのゴミ番組はーッ!!!!」
陽花様の追撃に、ミリアさんの激情が空気を震わせ、家をもガタガタと揺らした。
「まあまあ、ミリアちゃん落ち着いて」
ナナミさんがミリアさんの頭を撫でると家の震えが止まって、嬉しそうにテレビを見つめるアヤノちゃんの周囲がパチパチと帯電していた。ミリアさんの溢れる魔力をナナミさんとアヤノちゃんのアンチマジックが消化しているのだろう。
そして番組は妙なアオリを残してCMに移った。
とえな商店のCMに出てきたトエナさんは、昨日と同じく極限丁寧で落ち着いた声を送ってくれる。めちゃくちゃになったお茶の間に安寧秩序を取り戻してくれるようだ。
CMが明けると湯船に浸かる裸の陽花様が現れた。
『今日の陽花の部屋は……みなさんお待ちかねのお風呂マッサージ講座です♪ 疲れた体もお風呂の中でリフレッシュしましょ♪』
「何度お風呂マッサージ講座やるのかしらね。誰もお待ちかねしてないし」
ミリアさんはくだらないものでも見るような目をテレビの画面に向けるが、画面に映る艶やかな肌と豊かな膨らみは、絡まる細く長い指と湯の雫により一層官能的になっていた。
「このコーナーはお色気シーンといったところですかね?」
「色情狂なスポーツ回もあるわよ。アヤノが真似するからやめてくれないかしら」
アヤノちゃんの少しエッチなお風呂サービスは陽花様が原因だったのだ。
「でもお色気シーンはどこの国のテレビ番組でも定番ですからね」
「女しかいない七鈴町でこんなの需要ないわよ。陽花様ったら何考えてんのかしら」
「あ、やっぱり、この町には男性がいないんですね。道理で女性しか見ないわけだ」
大異変以降はY染色体の欠損例が著しく増え、生物的に完全な男性と呼べる割合は三人に一人程度になってしまった。
「七鈴町は文字通り閉じた世界なんですよ」
ナナミさんがボクの顔を覗き込んで言った。
「それはつまり、これ以上の多様性を求めない隔離された世界になっている、ということですか?」
「…………あぅ、ごめんなさい。ミリアちゃんを真似て難しいことを言ってみましたが、実はあまり詳しくありませんでした……。でもでも少し合ってるよね?」
と、ナナミさんは自信が無さそうにミリアさんに訊ねる。
「間違ってないですけど、なんの説明にもなっていないというか」
ミリアさんのフォロー無きフォローに、ナナミさんはしょんぼりとうな垂れる。
「陽花様が説明してくれないから推測の域を出ないけれど、ここはコントロールされている町なのよ。だから、コントロールしやすいように女だけになってるのかもね」
女だらけの世界、働き蜂(雌)と働き蟻(雌)が思い浮かんだ。
七鈴町の女王蜂は、見た目と振る舞いから陽花様のようにも思えるが、前に聞いたミリアさんの説明からするに、ナナミさんが真の女王蜂となる。表の女王蜂の陽花様が町を運営し、真の女王蜂であるナナミさんが町に守られつつ目的を遂行する。その目的は世界を壊すこと? 事実壊れつつある世界だが、その元凶がこの七鈴町にあったりして。
テレビの中では陽花様が自分の大きなお胸を鷲掴みにし、腰を上げて足の付け根の辺りまでを湯面から出している。それをアヤノちゃんは熱心に観ていた。
『陽花様。あまり動かれますと陽花様のはしたない部位がお茶の間に流れてしまいます』
『はしたないとは失礼ね。芸術的な脚線美をギリギリのラインまで見せているんじゃない』
カメラマンのマツリさんの冷静的確なツッコミに対し、陽花様はお風呂マッサージの意味を忘れて返答する。
「シロ、知ってる?」
ミリアさんは頬杖を付いて画面に気だるい目を向けたままボクに問う。
「このくっだらない放送、受信料を取るのよ。受けたくもない電波を一方的に垂れ流して、さらにはお金を取るってほとんど嫌がらせよね」
「アヤノはいつも楽しみにしてるよ。毎日やってほしいくらい」
「冗談はよしてよ。こんなの毎日やられたらテレビが何台あっても足りなくなるわ」
さっきのような暴走ミリアさんがテレビを壊してしまうってことだ。
「毎日はちょっとあれだけれど、陽花の様子も見たいし、たまにはいいかなぁ」
ナナミさん的には離れて暮らす姉妹の心境か。
番組は、裸の陽花様がマツリさんを無理矢理お風呂に引っ張り込もうとしたところ、あまりのしつこさにマツリさんが激怒し、『しばらくお待ちください』に切り替わって数分間中断。
そして濡れ髪のままバスローブを着た陽花様が再び現れた。
『えー……残念ながら、本日もマツリの裸はおあずけとなりました』
『陽花様。それは未来永劫おあずけですので絶対的に諦めてください』
マツリさんの冷たい言葉が響いている。この流れも毎度のことらしい。
『最後に真面目なニュースを伝えて、本日の放送を終えようと思います』
陽花様も凛とした真面目な表情になっていた。
『三日前のことになりますが、いつぞやのスペースシップ落下事件よりも異常な飛来物が確認されました。正しく言えば、確認の取れない飛来物によりシステムにエラーが発生しました』
「もしかしなくてもボクのことでしょうか……?」
ミリアさんの方を見るがミリアさんは首を傾げるだけだった。
『これにより我が町は予期せぬ客人を迎えることになりましたが、我々は二度と帰ることの出来ない彼女を、新しい仲間として歓迎しようではありませんか。もし見慣れぬ彼女を町で見掛けたときは、挨拶代わりに尻を一撫で二撫でしてあげましょう!』
『陽花様。せめて最初と最後の礼儀だけは弁えていただけますようお願い申し上げます』
『それじゃ、また来週も見てね~♪ ばいば~い♪』
――放送が終了した。
「あら。帰れないってお墨付きもらっちゃったわね。陽花様の所へ行く手間が省けて良かったじゃないの。あんなセクハラばかりしてくるところ行くもんじゃないし」
ご愁傷様と皮肉で言ってきそうな顔でミリアさんがこちらを見る。
「どういうことでしょう……? なんでボクは帰れないんですか?」
「陽花がしろがねさんを帰さないと決めたんでしょうね」
「シロちゃんにはアヤノの部屋をあげるよ。全然使ってないし」
「だからってワタシの部屋に入り浸らないでよね。アヤノがいると製薬できないんだから」
三人はごく自然にボクを受け入れてくれる……のだが。まずい。このままではレコーダーの仕事がクビになってしまう。
「それよりも七鈴塔のシステムですら確認の取れない物って、あなた何を持ち込んだの?」
「飛来物って言ってましたし、スレイプニルのことですかね?」
「そんなバイクは大したもんじゃないわ。確認が取れたから墜落したわけだし」
そんなミリアさんの疑問は大した問題ではなく、これからの身の振り方をどうするかが一番の大きな問題だ。
頭を悩ませていたところ、縁側の外から突風が吹き込んだ。
「あ、リリちゃんだ!」
リリットさんの愛竜であるシドくんが庭に降り立った。揚力と着地音からして、あの大きさの割りにはずいぶんと軽いドラゴンのようだ。
「こんにちはー」
リリットさんはゴーグルを外して高い声で挨拶をした。
「いらっしゃい、リリちゃん。今お茶を淹れるから待っててね」
「いえ、今日はホントすぐに帰りますのでお構いなく。まだ仕事も残ってるし」
「そお?」
ふと、ナナミさんの家が喫茶店であることを思い出した。ボクが来てからはまだ客らしい客を見ていないけれど、のぼりと暖簾とお品書きはちゃんと存在する。
「ほら、しろがねくんが昨日言ってた品物、持ってきたわよ」
リリットさんから昨日ボクが注文したラジオその他を渡された。
「お、おおお……」
仕事が早いと思うのと同時に、リリットさんから名前を呼ばれたことが嬉しかった。
「今さっきまで普通に使えてたから大丈夫なはずよ。家でホコリ被ってた型落ちのやつだけどね。新人歓迎祝いってわけじゃないけどプレゼントするわ」
「ありがとうございますっ! ……って、新人というのはなんですか?」
「新しく七鈴町の住人になったんでしょ? あたしもラジオで陽花様の番組を聞いてたからね。まあ、これからもよろしく? ふふっ」
小柄なリリットさんに屈託のない笑顔で見上げられる。かわいい人である。
ボクはサッと辺りを見渡した。
アヤノちゃんはシドくんと遊んでいる。嫌がるシドくんに無理矢理おせんべいを食べさせようとしていた。
それを見たナナミさんはアヤノちゃんの元へ行き、やんわりと注意する。
縁側で足を組んで座るミリアさんは、ボクのことを監督のような厳しい目で見つめる。
「……どうしたの? 用が済んだからあたしはこれで帰るわよ」
リリットさんが小首を傾げてかわいい。
「リ、リリット……さん」
目の前の小さな両肩に手を置いた。
「え? なんなの、この手」
肩に置かれたボクの手を見て、少し体を強ばらせるリリットさん。
「あの、あれです……」
「あれ?」
ボクは自分の胸にリリットさんの小さな体を引き寄せた。
「ひゃッ!?」
リリットさんのかわいく跳ねる声を受けてから、耳元でこう囁いた。
「ありがとうございます、リリットさん。あなたをボクのモノにしたいです……」
そしてリリットさんの長く綺麗な耳を甘く噛む。
付いた唾液を舐め取ってからそっと体を引くと、リリットさんの白い顔がみるみるうちに赤くなっていった。
「ぎ……ギヤァァァ――――――――――――――ッッッッ!!!!」
それはまるで音響兵器のようであり、大自然の唸りのようであり、超新星爆発のようであり、七鈴町全体に響き渡ったんじゃないかと思った。
「な、な、な、なにすんのよ――ッ!! あんたァ――――ッッ!!」
顔から耳までを真っ赤にさせて、大きな涙を浮かべるリリットさんが、地面の上にペタリと座り込んでボクのことを凶悪犯か何かのように睨み付ける。
「す、すみませんっ! あの、だって、お代の振込が今すぐにできなくて……、エルフにはこうするのが最上級の礼儀だと、昨日ミリアさんが教えてくれて……」
縁側に座るミリア監督が『早くヤレ』と無言で言っていたのだ。
しかしミリアさんは今、顔を伏せて思い切り笑っている。
「あんなヤツの言うことを真に受けるんじゃないわよ! ヘンタイッ! アホ――ッッ!!」
小さな手で長い耳を覆うが全然隠しきれていない。
「うぅ……ごめんなさい……。ボクはこういうのに全然慣れてなくて、だからその……」
「うるさいうるさいッッ!! もぉかえるッッ!!!」
リリットさんは涙ながらにも軽やかに、静穏なシドくんの背中に飛び乗ると、最後にもう一つ、『ばか――――ッッ!!』と大きな声で叫んでから去っていった。
「リリちゃんどうしたんだろ?」
アヤノちゃんは小さくなっていくリリットさんとシドくんをぽけーと見送る。
「またミリアちゃんにいじわるでもされたのかしら?」
ナナミさんも頬に手を当ててぽやんと見送る。
「ミリアさんひどいじゃないですかッ!」
「なにがよ?」
ボクの真剣な抗議の声をミリアさんは悪びれもせずに疑問で返す。
「ウソ教えないでください!」
「ウソじゃないわよ。だってあの子、涙を浮かべて喜んでいたじゃない」
「あれはどう見ても涙を浮かべて怒っていましたッ!」
「違う違う。アレの場合、ああ見えて喜んでいるのよ」
「ええぇ……そんな馬鹿な……」
ボクは他人の感情を読むことはそれほど上手くないが、あのリリットさんが喜んでいたなどと読み違えるほど不器用ではない。けれど、ミリアさんがこうも自信ありげに『喜んでいた』と言うと、自分の判断の方に自信が持てなくなってしまう。
「昨日教えたように、あの子って寂しがり屋さんなのよね。それでいて素直じゃないから、いつも強がりばかり言っちゃうの。そんな子と仲良くなるにはどうしたらいいと思う?」
ミリアさんが人差し指を立てて訊いた。
「どうって……こちらが先に素直になる……とかですか?」
「ぶっぶー。はずれー。正解は、相手が逃げるよりも速く、壁を破壊する勢いで強引に、一気に心の距離を詰めるのよ。こちらが門戸を開いたところであの子は近寄ってこないわ」
ボクはすごく納得させられそうになっていた。
「ミリアさんの理屈はある意味正しいのかもしれませんけれど、実際リリットさんはものすごく怒っていたし、本当に嫌だったんじゃないかなぁ……」
「エルフに危険察知能力があるって話はしたわよね?」
町の外と中を安全に行き来するために必要な能力だそうな。
「もし、さっきのあなたの行為がリリットにとって害となったり、本当に嫌だと思うモノだとしたら、あの子は事前に察知して回避することができたわ。でもそれをしなかった。ということは、あの子は嫌がっていない。むしろ喜んでいたと考えるべきね」
最後の飛躍はおかしい気もするが、エルフの能力を鑑みるとボクが思ってるほど怒っていなかったのだろうか……。
顔を上げるとボクらの会話を見守っていたナナミさんと目が合う。
「えと、事情は良く知りませんが、リリちゃんは良い子ですし、そんなに怒っていないと思いますよ。それにリリちゃんはミリアちゃんのことが大好きですからねー」
「アヤノもミリアちゃんのこと大好きだよ。ミリアちゃんはいじわるだけどね」
「あら、いい子ね。最後の一言は余計だけどね」
「リリットさんが良い人なのは分かりますが、憤怒以外の何物でもなかったような……」
ボクに限っての感覚のズレなのだろうか。
「まあ、運送屋との付き合い方はあんな感じでいいのよ。なんだかんだ言いながらもきっちりと品物は届けてくれるしね」
「でもさっきの様子だと流石に印象悪く思われてしまった気がするんですけど……」
「ないない。むしろあそこまで狼狽えた様子からして、結構脈があるんじゃないかしらね」
「脈ってどういう意味ですか……」
「あの子はあれで乙女チックなお話が大好きなのよ。もしあなたが男の子みたいになりたいのなら、ああいった、かわいー女の子と恋をするのは良いことだと思うわ。あなたが男役を買って出てあげなさい」
「なんですかそれは……」
いやらしい笑みを浮かべるミリアさんを見ると、臆病なボクと真面目なリリットさんを使って遊んでるようにしか思えなかった。
ともあれ、リリットさんからプレゼントされた道具により、当面の目標が改めて確認できた。ボクはボクの大切なモノを探しに行こう。