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銀色の星と箱入りの少女たち  作者: 時津乃よる
銀色編
1/17

第01景 「始まりの夕景」

 大の字に寝転がって四散した長波長光線に染められた空を見上げる。

 いつも見ている空だから、今更綺麗だなんて思わないし、感傷にも浸っていない。

 ボクはただ、途方に暮れているのだった。


 高度に進んだヒトの文明は、ある時より静かに崩れ始めていた。それはまるでお菓子で作られた大きな城が小さなアリ達によって少しずつ浸食されていくかのように。

 そう、ボクは途方に暮れてお腹も空いているのだった。だから“お菓子で作られた大きな城”だなんて欲望が滲み出た想像をする。

 どんなに科学が進歩しても生きていればお腹は空くし、そのお腹を満たすためには食べなければならない。そして食べるためには働く必要がある。

 生きるためには働かなければならないのだ。


 だからボクは十三で施設を卒業した後は、十五になる今までずっと生きるために働いてきた。

 しかし、その二年続けた職を、今まさに失おうとしていた。衣食住のピンチなのであった。

 自分が使い捨ての消耗品であることは弁えているし、人の役に立ったためしなんてないけれど、見知らぬ土地で遭難してお腹まで空いてくると、この時ばかりは信心深くなくとも、『どうかボクを、お助けください』と、何度も神様のような存在に祈ってしまうのだ。

 紅い空へ向けて伸ばした腕をゆっくり下ろして顔を覆う。

「お腹空いたなぁ……」

 朝食に少量のニュートリションゼリーしか口にしなかったことを悔やんでいる。


「――うちで何かご用意しましょうか?」


 天から降ってきた突然の声に、体を跳ねらせて起き上がった。

「こんな所でお昼寝ですか? ――といっても、もう夕方ですけどね」

 そよ風みたいな声の主は、長く黒い髪を揺れる水面のように輝かせ、整った顔で静かに微笑んでいる。深夜に月明かりで照らされた深い湖のごとく幻想的で美しい女性だった。

 見晴らしの良い高台になっているこの場所には、夜を待ち侘びた虫達の声と、仲間達に帰宅を促す鳥の鳴き声に、一面の木々から枝葉の擦れ合う音が届いてくる。

 それでも尚、彼女の声は柔らかくボクを包み込み、意識の全てを彼女に集中させた。

 女神か天使が存在するならば、彼女のような姿をしているのだろう――だなんて。

「あ、私は夕飯の食材を調達してきた帰りなんですよ」

 彼女の気の抜けたセリフで我に返った。修辞を並べる前にボクはお腹が空いている。

 釣り竿と……あれは確か魚籠という魚を入れるためのアイテムだ。彼女はそれを掲げて少女のようにはにかんでいた。


「えと……ボクの方はなんていうか……スレイプニルが飛行中に故障しちゃって」

「すれいぷにる……?」

「はい。一人乗りサイズの飛行バイクのことです。一応第六世代のT2アクセラを積んでいるのでノーマル時も“羽”なしで飛ぶことはできるんですけど、どういうわけかコアユニットが完全停止してしまったので諦めて機体を捨てることにしたんです。そしたらパージした瞬間に自律自爆が発動しちゃって――」

 彼女は大きな瞳を丸くして目をパチパチとさせた。

「……お怪我はなかったんですか?」

「はい。この制服の装備には脱出装置も兼ねたウィングが収納されてますからね。爆発の衝撃で今の今まで意識がなかったものの、ソフトランディングができたんですよ」

「ほぉぅ……うぃんぐで……そふと……」

「言葉そのまま羽ですね。微弱電流を流すと網の目構造の“ウィング”が広がって、穴の部分に皮膜ができて、羽になった状態で固まるという仕組みのものです」

 彼女は無言で静かに微妙な笑顔をボクに向けた。

 支給品の白い制服には、型落ちながらも搭乗者保護機構が付いており、膝を少し擦りむいた程度で体のダメージは大きくなかった。ちゃんとタイツを穿いていれば膝を擦りむくことすらなかっただろう。


「ところで、ここはなんという所なんでしょうか? ナビまで壊れちゃって……」

「外からいらした方ですよね?」

 外? 外の国ってことだろう。

「ええ、まあ」

「ここは七鈴町しちりんちょうですよ。漢字の“七”と、チリンチリンの“鈴”で七鈴町」

 日本のローカルエリア名を全て記憶しているわけじゃないが、ボクが調査で飛んでいた地域に七鈴町という地名はなかったような気がする。現地人特有の呼び方なのだろう。

 とはいえ、眼下に広がる森のさらに先、マップ表示されたら確実に目に留まるほどの大きな湖は、今回の調査地域に存在しただろうか。月以外のサテライトが絶滅して久しいから、その後に発生した湖がマップデータに反映されてないだけかな。

 そして何よりも目に付くのが、遠くでぼやけてそびえるタワー系の巨大建造物だ。積雲を突き刺してるあたりからして二千メートル級だと推測できる。千を超える建造物は世界を見渡せばいくつもあるが、日本に限って言えば存在しない。ましてや二千を超える建造物は世界にも存在しないし、計画されたものだってスペースエレベーターくらいなものだ。あれがもし“自然現象”だったとしても、ボクはいち早く本部へ連絡する必要があり、いち早く調査へ向かわなければならない。それなのに通信も効かなければ、足となるスレイプニルも失ってしまった。仕事が何も出来ない状態なのだ。


 そしてもう一つ、ボクの大切な――

「えいっ」

 掛け声と共にボクの眉間に指先が伸ばされた。

「な、なにを……?」

 ボクは仰け反っておでこを両手で押さえた。

「ミリアちゃんがね――あ、一緒に住んでいる子なんですけどね、よく難しい顔をするから、こうやって眉毛と眉毛の間をつつくんです。そうすると『やめてください』ってちょっと怒りながらほっぺを真っ赤にするんです。でもなんとなく、肩の力が抜けたように見えるんですよね」

 家族のことを語りながら楽しそうに目を細めている。

「あ、あはは……」

 彼女の突拍子もない行動にボクは苦笑いを返した。

「うふふ」

 思えば、こうして向かい合って他人と会話をしたのは数ヶ月ぶりのことだった。いや、通信でだってこんなに会話はしないぞ。報告に対して指示を聞き、指示に対して返事をするくらいだ。意識をしたら顔を合わせるのが恥ずかしくなってきた。


「うちにいらっしゃいませんか?」

「うち?」

「すぐ近くですよ。あっち」

 鬱蒼とした獣道を指差す。

「大した物はありませんけれど、お腹の虫を大人しくさせることくらいはできますよ」

 ここで最初の問い――うちで何かご用意しましょうか――に繋がった。

「ええっと……」

 生まれて初めての食事のお誘いだ。それもついさっき初めて出会ったばかりの人に。

 何をどうやって答えよう。お腹が空いてるのは確かだし、喜んでお招きに与りたいが、『はい、行きます』ではおかしいし、『是非とも』もなんだか図々しい。一旦遠慮してもう一度誘われた際に奥ゆかしく話を受けるのが日本のワビサビだろうか?

 でも遠慮してそのまま受け取られてしまわれたら、今日の食事は自分で調達しなければならない。サバイバル術は習っているものの、実践したことがなければ、墜落の衝撃で壊れたのか装備も上手く機能しない。ライブラリの検索すら機能しないから、自分の記憶と勘を頼りに適当に虫か木の実を調達し、覚悟を決めて口の中へ放り込むしかない。

 そんなことがボクなんかにできるのだろうか。一瞬だけ想像してみると、都合よく食べられる木の実は見つからず、虫を手にすることも出来ず、お腹の虫を鳴らせて眠れない夜を震えて過ごすイメージしか湧いてこない。ああ、シャワーも浴びられないじゃないか。

「いきましょ♪」

 細い指がボクの手を絡め取り、くいっと軽やかに引っ張られる。返事すらできないボクを彼女は優しくいざなってくれた。



 初めて目にした彼女の姿は何故か大きく深遠な存在に見えたけれど、こうして並んで歩くとボクよりも少しだけ背が低かった。そしてノースリーブの緩いワンピースに覆われた姿でもスタイルの良さが窺える。長い髪と共に豊かなお胸は揺れていた。

律乃りつのナナミっていいます」

 彼女の名だ。次はボクが名乗る番だ。

「ボクはしろがねっていいます。日本語の平仮名でしろがねです」

「素敵なお名前ですね」

 ニッコリ微笑むナナミさんを見て、自分が名乗る前に相手の名前を褒めるプロセスが必要だったことに気が付いた。仕事じゃないんだから相手の言葉にもっと感情的な返事を返さなければならない。

「日本の方なんですか?」

「ナナミさんも綺麗で素敵な名前です」

 セリフが被ってるじゃないか。しっかりと相手を見て話さないからこうなってしまう。

 両手で頭を抱えたいところだが片方の手はナナミさんに握られたままだ。

「ありがとうございます」

 ナナミさんは笑顔を向けて返事をしてくれる。

「あ、えと……国籍はドイツなんですが、日本寄りの遺伝子ジーンなのかな?」

「まあ」

「髪の毛はこんな色ですけどね」

 ナナミさんの長く艶やかな黒髪と違い、肩の上で切ったボクの髪は白くてパサパサだ。

「お名前と同じでとっても綺麗な白銀色しろがねいろですね」

「綺麗だなんてそんな……。名前はちゃんとしたものを持っていなかったので、自分で考えて付けたんですよ。日本が好きなので日本の映画とか本を参考にして」

「なるほどぉ」

 無骨な名前だとはよく言われるが、褒められたのは初めてなのでとても嬉しい。

 この気持ちをちゃんと会話で返せたら良いのだけど、名前を褒められるのも髪を褒められるのも初めてのことで、スムーズな応答ができていないと実感している。生身の人間との会話って難しいな……。


「どうしたんですか?」

「なにがですか?」

「また難しい顔をしているから。もう一度『えい』ってつつきましょうか?」

 片方はボクの手を握り、もう片方は釣り竿と魚籠を持っているのでナナミさんの両腕は塞がっている。それ故か、舌を小さくペロリと出していた。――まさか、舌で突こうというのか!?

「いえっ、それには及びません。いつも一人でいることが多いせいか、色々と考えてしまうクセがありまして……」

「そうなんですか。私なんて普段何も考えてないですよ。お夕飯何にしようかなーとか、お客さんこないかなーとかそのくらいです」

「その方がいいですよ。ボクなんて考えて考えてただ迷っているだけですし。不安を掻き消そうと際限なしに情報を浴びてますけど、それで満たされることはありませんから」

「何事もほどほどになんでしょうねー」

「そうかもしれませんね」



 夕暮れ時の獣道はまさに獣のためにあるような道だった。幾重もの虫の声が耳を圧迫し、一歩二歩進む度に植物の手が肌を掠める。これが薄暗い中での事象になると存外に不気味なのである。

 ナナミさんはこちらを振り向いて笑顔を見せると、ボクの手を少し強く握った。

「足下に気を付けてくださいね」

「あ、はい」

 不安な気持ちを気取られたような気がする。

 仕事柄、森に足を踏み入れることは多々あった。だが、いつもなら常時データリンクしているし、装備による獣除けも武器も機能する。人類の叡智と技術に守られていない状態で森に入るのは初めてのことなのだ。

「……釣りをしながらね、何故か今日だけは色々と考えちゃったんです。こんな私でもね」

 前を向いたままのナナミさんはポソリと呟いた。

「どんなことを考えていたんですか?」

「ええとね……このまま静かに暮らしてちゃいけないのかなとか。今を守ることはいけないのかなとか」

 苦みの帯びた言葉にも聞こえるが、幸せが続くと不安になると聞いたことがある。


「あとは、『世界を壊す』って何をすればいいんだろうなぁとか」


「………………え?」

 この短い時間で築かれた“優しくて綺麗でかわいいナナミさん像”を別次元に転化させようとする言葉を耳にした。

「ナナミさん、それはどのような意味なんでしょう?」

「あらすみません。もちろん良い意味で、ですよ」

「ああ、良い意味で、ですか。なるほど……」

 顔を合わせて笑顔を交わす。

 話を合わせて納得した風を装うが、良い意味で世界を壊すとはなんだろう。自分の退屈で閉じた世界を壊して、新しい自分に生まれ変わるとかそういった意味だろうか。

 果てしなく壮大なブランケットにふわりと包まれた感覚になり、ボクのカラダはどこまでも小さくなっていくような気持ちになった。

「――川の流れとお魚の泳ぐ姿を眺めながらそんなことを考えていて、無意識のうちにあそこに――さっきまでしろがねさんが寝ていた崖のところに、立ち寄っていたんです」

 一瞬だけ遠くへ行っていた意識が、ナナミさんの言葉によって呼び戻される。

「ボクは……ナナミさんが来てくれてホッとしました。途方に暮れて、神頼みをしていたところだったので」

「うふふ。それじゃあ私は、しろがねさんに呼ばれてやってきた神様なんですかね」

 得意げにおどける様子もかわいらしかった。

 でも確かに、ボクの手を引く彼女は救いの手を差し伸べてくれた女神様そのもので、その女神が住まう家とは、どのような幻想郷なのかと胸が躍り始めていた。

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