目覚め
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蒸し暑さに、思わずむせ返る。
「・・どうやらこのあたり・・よっぽど合わない奴らばっか・・みたいだな・・」
目の前を歩く少年が、息を荒くしながら呟いた。
鋭い目つきとウェーブかかった短い黒髪。その精悍な横顔に吹き出した汗が頬を流れて顎から落ちる。
目線まである背の高い草と点在する大岩が視界を遮り、閉塞感を醸し出す。延々と続く湿地帯。そこを歩く自身の足が、泥と化したかのように重い。
彼が草をなぎ払う為に使っていた棒切れは、いまや杖と化していた。
少年が、気づかうようにこちらを振り返る。
おぼつかない足取りで後ろを歩いていた少女は、疲労で目眩をおこしながらも、なんとか頭をあげ、僅かな笑顔と「・・・大丈夫」の一言をひねり出した。
・・・暑い・・・
べたべたとまとわりつく空気と、猛烈な熱気。そして形容し難い臭気に追い立てられるように、もうどれだけ歩き続けただろう。
・・ああ・・今回は、あと何日?何週間?まさか、何ヶ月? ・・いつまで耐えれば、目覚める事が出来るんだろう・・
「こっち、おいで」
少年が少女の手を引いて、自分のそばに引き寄せる。彼の肩に頭を預けると、わずかに、暑さが和らぎ、呼吸が楽になった。
「少し・・休もう」
彼らはお互いが身にまとう、わずかな空気を分かち合うかのように、身を寄せ合って立ち止まった。
「・・・あ、こっち」
少女が草むらに顔を向け、指をさす。
「こっち、かも・・」
少年が、少女の指差す方向に顔を寄せ、目を閉じる。かすかに流れてくる、乾いた、清涼な空気。
「うん」
少年が頷いて、少女の手を引く。
2人はずっと、お互いを支えにしてここまで来た。ただ「快適な空気」を求めて彷徨う日々を。
「・・あぁ、君たちのせいかぁ・・」
突然背後から、苛立ちを隠した、愉快そうな声がした。
大岩の影の一つから、全身黒尽くめの男が現れた。この暑さの中、全身を覆う、毛足の長いニットのような衣類をまとっている。額に張り付く様な黒く厚ぼったいの髪も暑苦しい。
「困るんだよねぇ・・」
サディスティックな嗤いを浮かべながら男は言う。男の方からモワリと流れてくる、蒸し暑い空気と濃厚な臭気に、少年と少女は思わず顔をしかめる。
よく見ると、男は黒衣を身につけているわけではなかった。
なにか、黒いモヤの様な物が、全身にびっしりと、纏わりついているのだ。それが、小さな小さな、痩せた人間の集まりであると気付いて、少女は思わず口を抑えた。
「君らみたいのにウロウロされるとねえ、くそ寒ぅい隙間風が吹いてきて、ほんとかなわんのよォ。」
大仰に、困った様な表情を作ってみせる。
「わかる?迷惑なんだよ。せっかく俺たちが作り出した、あったけえ快適空間をよぉ・・・」
「・・わかった。すぐに、ここから離れる。どっちに行けばいい?」
額から吹きだし頬をつたっていく汗も拭わず、少年は緊張した口調で返した。少女を自分の後ろに押しやる。
「なんだよ、リア充かよ!うぜえな!――あ、つうか、ここは、リアルじゃねえか?」
なにが可笑しいのかヒィヒィと笑い出したこの男の目的は、自分たちを早々に追い払うこと―――ではないと、2人はうっすら気付き始める。
「どっちに、立ち去れば、いい・・?」
それでも少年が再度、言い聞かせるように言葉を発した、その時
男はどこか焦点の合わない目をカッと見開き、口角をつり上げた異様な笑顔で
「どっちに行けば、いいのかなぁ――。・・・いっそどこにも、行かせないってのは?どうだ?」
男が後ろ手になにかを握り直す気配がする。
「もう二度と、鉢合わせたくねえからなあ!!くっそウゼェ!!さっぱり消えてもらうのが、気持ちいいだろ!」
言い終わるまえに、男が後ろに隠し持った太いベルトのような凶器を、ムチのようにふるった。
あの黒いモヤの様なものがまとわりついたそれは、驚くほどの距離を瞬時に切り裂いて、少年を襲った。
とっさに少女を押しやり、自身も飛び退いた少年は、さっきまで杖代わりにしていた棒切れを、見えない弓につがえ、放った。節も残る太い枝が、まるで鋭い矢のように、空気を切り裂く様な細い音まで出して、サッと男の頬をかすめる。男の頬から血が流れた
「・・・なに・・・しやがる・・・」
黒い湯気が立ち上るように、男にまとわりついた小さな悪鬼たちが、ざわざわと蠢いた。
そのとき、少女は気付いた。
少年の斜め後ろに、この黒い男と同じ様なモヤをまとった男がいて、その手に持った長い槍のようなものを、大きく振りかぶるのを。
次の瞬間
「あ・・うっ・・・」
弾かれたように後ろに飛ばされた少女が少年の体にぶつかって跳ね返り、水しぶきを上げて彼の足元に崩れ落ちた。
そのスローモーションのような動きを、呆然と目で追いながら、視界の隅に、武器を構え、仰向けに倒れて行く男を認め、少年は理解した。
少女が背後の男に気付くと同時に、彼との間に飛び込んで、男をしとめたこと。
――そして、それがどうやら、相打ち、となったこと。
むしろ少女の方が、反転していく視界を追いながら、なにが起こったのか分からずにいた。
あれ・・おかしいな・・絶対間に合うはずだったのに・・
奪われて行く思考を必死に駆使して考える。しかし、それはどんどん、とりとめのないものになっていく。
こっちの世界の空って、ほんと、不思議な色をしてるなぁ・・・
どれだけそうしていただろう。いきなり、少年の顔が視界を遮った。あーあ。なんて顔してるの。
半開きの口はわなわなと震え、きれいな切れ長の目からは次々に涙が零れて、少女の顔にぽたぽた落ちてくる。
―――きれい・・星屑だ――――
「ア・・アイッ・・・ごめっ・・しっかり・・っ・・!」
あなたこそ、しっかりして。私は大丈夫。だって・・・
「・・ミツ・・わたし」やっと、やっとだ・・「ごめんね・・わたし・・さきに・・」
口からゴボリと生暖かいものが溢れ、言葉が詰まった。腹の中心からも、同じ温度と粘度をもった何かがどろりと溢れ出すのが分かった。
神様・・・いつもお願いしてるのに・・・
私が先は、嫌です。ミツを置いて行くのは嫌です。・・どうか・・
・・・・どうか、ミツルも早く、目覚めさせてあげてください――――。
びくん―――!という、体が跳ね上がるような鋭い落下感と共に、少女はこと切れた。
* * *
びくん!という、体が跳ね上がるような感覚と共に、葵は目を覚ました。
(・・・・夢、か・・・?)
目覚めて、最初に感じたのは、汗でぐっしょりと湿った肌着の不快感だった。
心臓が、まだ、バクバクと音を立てている。まるで全力で走ってきたみたいに、息が粗い。握りしめた掌には、どうやら自分がつけた爪の後がある。思わず自分の肩を抱いた。
外は快晴。窓から差し込む光にも勢いがある。
葵は、ベッドの上にゆっくりと起き上がると、まだ荒い呼吸を落ち着けながら、自分の部屋を眺めた。
本棚と、ベッド。遮光の方のカーテンを閉め忘れたので、既に部屋は光に満ちていた。
僕の部屋だ・・よな。と当たり前のことを心で呟いてみる。
そろそろとベッドから出ようとするとき、部屋のドアが勢い良く開けられた。
「起きてる!?起きてるなら、早く洗面所使っちゃってよ!あ、今日こそ髪、セットしていきなよね!」
妹の弥生が、言うだけ言って、またパタンと閉める。
はい・・。つか、お兄ちゃん、おはよう・・とかは?
ふわふわとした不思議な感覚がまだ抜けないまま、洗面台に向かう。
たっぷりの水で、ばしゃばしゃと顔を洗い、清潔なタオルでわしわしと拭き、鏡の前の自分の顔をしげしげと眺める。
切れ長一重瞼の、眠そうな顔。いつもより心なし腫れぼったい。
僕の顔だ・・よな。と当たり前のことを再び確認する。
薄れても消えない、漠然とした違和感に、思わず自身の頬を触る。
ただの夢見の悪さで済ませるには、あまりにリアルな感覚が、まだ残っていた。
——あの、泣いてたの、僕・・だった?
身を焦がすような、猛烈に哀しくて切ない気持ち・・葵が未だ、味わった事のないような・・その残痕が、まだ生々しく心に残っている。
目の端が白くカサついているのは、おそらく、涙の跡だ。
なんなんだ、これ・・?
「ねー、髪、セットしないんなら、どいてもらっていいですかー?」
小学生の妹にプレッシャーをかけられて、葵は素直にダイニングに移動した。
おはよう!と朝の連ドラから目を離さずにパンケーキ4枚をうら返し、かつドアが開くと同時に挨拶を投げてよこすメカ的に器用な母親と
「おう・・どうしたアオ、寝不足か?」と新聞ごしに葵の顔を見るなり、あわてて新聞をたたむ、やや過保護な父。
僕の、父さんと母さん、だ・・。なぜか、葵は鼻の奥につんとくる感覚を覚えてあわてた。
「目、真っ赤だぞ?おい。」
「やだ、あんた、まだベッドにスマホ持ち込んでるんじゃないでしょうね?」
器用な母は、やはり連ドラから目を離す事なく、会話に混ざってくる。
「持ってってないよ。ていうか、そこで充電してるし」
涙腺への言われなき刺激をごまかすように、ちょっとぶっきらぼうに返答した。
「なんだ・・父さんでよければ、話し聞くぞ」
友だち親子を目指す父親の前のめりは、思春期の息子の口を重くさせる。
「・・別に、なんでもないよ・・」
それよりも、何かが焼けるいいにおいがする。葵は、常になく、胃が締め付けられるような猛烈な空腹感を感じていることに気付いた。
「葵、今日こそは玉子、ちゃんと食べてってよ?パパは両面焼きね。」
目は連ドラを追いつつ、口は会話しつつ、手は目玉焼きを割と絶妙なタイミングでひっくり返すという神業を見せた母が、朝食の皿を葵の前に置いた。
「はい、これアオの分。残さないのよ?」
やっば・・・!!・・・美味そう・・・!!
いただきま・・と父が言い終わるか終わらないかのうちに、葵は朝食の皿に飛びつくようにして、ベーコンエッグとパンケーキを貪り、一瞬にして平らげた。
日頃その小食ぶりを懸念していた息子の、尋常ではない勢いに、父がフォークを取り落とし、母もついにドラマから目を離した。
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