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1-1.暗殺依頼

 砂漠の都の夜は寒い。煌々と灯のついた一件の酒場では、その寒さを吹き飛ばすような盛り上がりを見せていた。

 近所から楽器だけもって駆けつけてきたような連中が、思い思いにギイギイと楽器を奏でる。

「おおっと、俺の出番だな~! 景気のいい曲を頼むよ~! きょーだいっ!」

 三白眼が妙に印象的な、少し情けない感じの顔つきの男が陽気に手を上げた。これでも、黙っていればそれなりに整った顔をしているのに、惜しい事に彼の身辺を包む雰囲気がそれをぶち壊しにしているといってもよかった。

 曲は下手なりに盛り上がり、やがて男は酒場のど真ん中で机を回りに避けさせると、そこに陣取って手を叩き始めた。

「さあ! 拍手拍手!」

 半ば拍手を強制しながら、くるくると巻き毛がかった黒髪の男が陽気に叫んだ。

 陽気な音楽がかかる中、片手に酒のはいった杯を振りかざし、それを口に流し込む。弦楽器に甲高い笛の音。人々の拍手に気をよくしながら、男は酒場の真ん中でステップを踏み始める。サンダル履きの足が、軽やかに床を踏む。普段ドジで転んでばかりの男だが、踊るときだけは見事な足捌きを見せる。着ている鮮やかな青い服と、水色がかったところどころ破れたマントが、やけに綺麗に宙を舞う。普段とはまるで違う顔をのぞかせながら。

「兄貴~! かっこいい!」

 それを見ていた者たちが、ヒューと口笛を吹いた。

「あにきすてきー!」

 まだ寝ていなかった子どもが歓声を上げる。それにもれなく手を振ってやりながら、男は足を高く上げて踊る。途中、酒を口の中に流し込み、唇からもれた酒を手の甲で無造作にぬぐう。

「シャー兄貴にかんぱーい!」

 大男が声高らかに叫んだ。おおっと酒場の中がざわめく。

「乾杯!」

 何にせよ、その男は人気者ではあった。

 しかし、彼がどこから来た何者なのかを知るものはほとんどいない。けれど、そんなことはどうでもいいのだ。彼がこの酒場にいる限り、酒場の中では幸せな時間が流れていく。彼がいるだけで幸せに過ごせる。

 謎多きその男の名は、シャー=ルギィズという。



 シャーが酒場で熱狂の渦の中、楽しそうに踊っているとき、ちょうどその酒場の前に、顔に覆面をした女がたたずんでいた。

「ここね、シャーの居場所って言うのは」

 女はそうつぶやき、酒場の扉を開けた。

 一気に酒と料理とそして、妙な音楽とその熱狂振りが、風と一緒になって女の前を通り過ぎていった。

「兄貴兄貴!」

 無責任に盛り上げられる音楽に野次の声。女がいぶかしそうに中に入り、真ん中で踊る男を見ると、どうもきいていた印象と違ったような気がして少し不安になる。

「ちょっと、ごめんなさい」

 近くの男に声をかける。

「あの方の名前を教えていただけます?」

 丁寧に尋ねられて男は些かかしこまってしまったのか、水を差されたにも関わらず、慌てて丁寧に答えた。

「あ、あの人、は、シャー兄貴、いや、シャー=ルギィズっていう、名前なんだぜ、ですよ」

 女の上品そうな雰囲気に、使いなれない敬語を無理して使って男が応える。

「いやぁ、今ではすっかりこの酒場の主みたいなもんですよ」

 別の横の初老の男が口を挟んだ。

「シャーが来てから、実にここは明るくなりましてね」

 自慢げにいう男の言葉をきいているのか、いないのか、女は細い眉を少ししかめた。

「やっぱり、あいつが、シャー……」

 彼女に視線を浴びせられている事に気づく事もなく、シャーは踊っている。曲はいよいよ終盤に差し掛かっていた。

 シャーは、軽くとんぼ返りを決めると、そのままくるりと回り、曲の終わりにお辞儀をする。

「兄貴! すげーぜ!」

「最高だぜ!」

 周りから喝采を浴びて、シャーはにっこり満足そうに微笑んだ。そして、大声で一言。

「さて! その最高のシャー兄貴に、もういっぱい酒をおごってくれるって人手を挙げて!」

 いきなり場がしーんとする。

「……あ、あれぇ。オレの目が悪いのかな? おかしいな、一人も居ないように思うけどなっ!」

 不意に、一人、目深にショールをかぶった女が前に出た。シャーは、珍しい状況に一瞬、きょとんとしたようである。

「……あ、あの……」

 女性に酒をおごってもらえるなどということは、初めての事かもしれないぐらい珍しい事だった。

「一杯、おごらせていただけますか?」

 だが、この言葉を聞くと、女性よりも、むしろ酒が飲める事に喜んで、シャーは顔をほころばせた。

「はいはい! もちろん、もちろん! おごってやってください!」

 揉み手までしながら、シャーは調子よく彼女のそばに寄っていった。女は黙って、壁際の席まで歩いていく。

 彼女の前に立ちふさがっていた観衆達は、彼女とシャーが通るたびに道を空ける。

「あ、兄貴が……」

 呆然と大男が呟く。

「……兄貴が女からおごられるなんて、なんて不可思議な」

 そんな不思議な状況を弟分たちがぽかんとして見送る中、兄貴はなれない様子で女と一緒に端っこの席についた。まだ、周りがじーっと自分達を見ているのを見て、シャーは、手をさっさと振って追い払おうとする。

「もう! 見世物じゃないんだぞ! 気を利かせろ、お前達!」

 その言葉でしぶしぶ、または、我に返ったように観衆はそれぞれの居場所に散っていく。また例によってギイギイにぎやかだが、技術的に問題のある音楽が奏でられ、次の踊り手が踊りだしている。

 シャーの下にも、酒が一杯運ばれ、彼は目を細めて酒の到来を喜んだ。

「ありがとうね、おねえさん。いやあ、助かったよ」

「あなたに話があるわ」

 そう言って、向かいに座った女は、ショールを脱いだ。少し赤っぽい感じの髪の毛が、広がる。目が大きく、少し意志の強い感じの顔つきだが、なかなかの美人である。年は十七、八位に見えた。

「あたしは、ラティーナといいます」

「あ、ラティーナちゃん。……うん、綺麗な名前だねぇ」

 上の空でききながら、わくわくとシャーは酒を飲む。

「あなたに頼みたい事があるの。シャー」

「うんうん、オレにできる事なら手伝ってあげるよ」

 適当に応えていたシャーは、ふと前に影を感じて顔を上げた。そして、ぎくりとして固まる。目の前にラティーナの顔があったのだ。そっとラティーナが顔を近づけてくるので、シャーは思わず慌てた。

「あ、あの~、も、もしや、オレに一目惚れしてしまったとかいう、凄まじくうらやましく、しかも、ものすごくありえない状況だったりしないよね?」

 なれない事だった。

 シャーは基本的に女の子にはもてない。これだけがんばって踊っても、酒場の女の子がちやほやしてこないように、彼が一文無しのどうしようもないやつというのは知られきっていた。

 今まで、どんなに仕掛けても成功しなかった事が、ここで成功しようとしているのかもしれない。オレも二枚目の仲間入りだとばかり、シャーは妙な夢に胸を高鳴らせつつも、シャーはいささか慌てていた。

 ラティーナは、構わず彼の耳元まで顔を寄せる。どきどきしているシャーの耳に、そっと、しかし不穏な事がささやかれた。

「お金は出します。あなたほどの、組織と力のある男ならできるはず。殺してほしい男がいるんです」

「え? ぶ、物騒な事言うねえ」

 シャーは、思わずあっけに取られた。だが、彼の耳に更に恐ろしい事が告げられる。

「あなたはここの暗黒世界の首領だとききました」

「いや、それはその……」

 シャーが慌てて何か言おうとしたが、次に彼に好きな酒を放り出させるぐらいの衝撃をもつ言葉が、更に彼女から発せられた。

「単刀直入にいいますが、貴方に、この国の王”シャルル=ダ・フール”を暗殺して欲しい」

「シャルル=ダ・フール!!」

 シャーは思わず、小声ながら叫んでひっくり返り、後頭部を強打する。酒を思わず放り出してしまい、もったいなくも液体が床にしみこんでいく。彼の近くに居た何人かの男が、何事かと回りに近寄ってきた。

(冗談じゃないよ!)

 心の中で呟きながら、シャーはすっかりこぼれてしまった酒をもったいなく思い、そして、打った頭の痛さに顔をしかめる。

「ねえ、できるんでしょう? シャー。あなたには、それだけの力があるはずよ」

 ラティーナは小声で彼にだけ聞こえるように、言いながら彼を引き起こすために手を差し伸べる。

「あ~……あの、……つまり、それは……」

 シャーは、思わずあっけに取られ、しばらく後頭部を撫でながら彼女をぼんやりと見上げていた。そして、ようやくばつが悪そうに言った。

「ごめんね、おねえちゃん。……それ、オレじゃなくて、レンク=シャーっていうこの地区のやくざの大親分の事なんだわ。オレは、そんな力はなかったりしたりして……」

「はぁ?」

「あの、アティクくん。説明してあげて」

 シャーは、近くに居た大男に指示して、ようやく起き上がった。目をぱちくりさせるラティーナに、気の毒そうにシャーの舎弟らしき大男が耳打ちする。

「……あの、この街にはシャーって名前の男が二人居るんだよ……。正確には、シャー=ルギィズっていう名前の……。ルギィズって姓は、そんなに珍しくない姓だからね」

「なっ!」

 ラティーナは呆然として、目の前の三白眼のぼけっとした男を眺めるしかなかった。

「じ、じゃあ、人違いをしたってこと?」

「時々いるんだよな……」

 痩せた男が横でラティーナの肩を叩いた。

「兄貴とあのシャー=レンク=ルギィズを間違える奴。気にする事はないぜ、ねえちゃん」

「……ど、どういうことよ!」

 ラティーナは、シャーに食ってかかった。

「つまり、あんたは何なの!」

「なんだっていわれても」

 シャーは首をかしげる。

「しがないただの貧しいお兄さんですが」

「意味がわからないわよ! 説明して!」

 要領を得ないシャーの答えに怒るラティーナにそっと大男がささやいた。

「この人は、通称カタスレニアのシャーっていって、同じシャーでもあっちのシャーとは全然違う、……ダメな……ダメな、人なんだよ」

 ダメなということを少しためらっているのは口調からわかったが、二度も言うことないだろう。横のやせた青年が、気の毒そうにラティーナに言う。

「……つまり、その、……何を依頼したのか知らないけど、シャー兄貴は、やくざでもないし、ただの酒飲みなだけで、何の力も無いから、…………無理だと思うんだけどな……。ほら、よくごろつきにカツアゲされてるし。親切だけど、できる事には激しく限界が……」

「あ、ひどいな、カッチェラ。何の力も無いからは言いすぎじゃないの? カツアゲされたのは本当だけど」

「ええ、またですか! それで、やけに今日はたかるんですか?」

 シャーとその弟分たちの気の抜けた会話を聞きながら、ラティーナは、思わず腰を抜かすようにぺたんと座り込んだ。


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