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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

暴食之王

作者: 風張 稔

 かつて厄龍と呼ばれる永久(とわ)を生きる龍が存在した。

 その龍は、世界の始まりと共に産まれた特異な存在とされる。

 龍は気まぐれに、人類が長い年月をかけて積み上げた叡智を潰し、文化を荒らした。

 そんな龍を打ち倒す英雄を、人々は求めた。

 そして千年前、突如として人類にとっての希望、英雄が誕生する。


 龍は一人の英雄の手によって殺された。抵抗虚しく殺された。

 だが、龍は死と同時に四人の子を産んだ。

 子らは、己が思うまま龍の亡き世界を歩み続ける。

 今回はその内の一人、『暴食之王』と恐れられる男の物語――。




…………………………………




「我は……、また……」


 死体が積み重なり、血と肉の臭いで充満する死屍累々とした大地に一人の男が横たわっていた。

 男の心臓は抉られ、左半身のほとんどが欠如している。


「我は……、また、死……、ぬ、のか」


 そんな状態でも息があるのは、龍の子だからとでも言うべきか。

 男の周りにはどす黒い血溜まりができている。しかし、男の身体から血も流れ出ることはない。

 もう既に、身体を巡る血は枯れ果てていた。


「はぁ……、はぁ……」


 男の耳が僅かな音を捉えた。


「――ドラ!」


 何度も聞いたことのある、心地よい女の声。

 心臓はとうに無くなっているはずなのに、何故だか胸が熱くなる。そんな声だ。

 天を見つめていた男が音のする方へ眼を動かすと、煌びやかな銀髪を儚げに揺らし、真紅の眼から大粒の涙を零しながら、こちらへ駆けてくる少女の姿があった。


「アリシア……」


 少女の名前はアリシア。

 エルフと呼ばれる種族の中でも希有な存在、ハイエルフだ。

 エルフは長い耳と華奢な躯が特徴的で、何百年もの時を生きることが出来る種族。

 ハイエルフがエルフと違う点は久遠の時を生きることにある。


「――アリ、シア。すま、な、……い」


 男は掠れ始めた視界にアリシアを映し出すと、感覚の失われた右手を震わせながら上げる。

 右手はアリシアの顔まで届くと、その瞳に溜まった涙を拭き取った。


「泣くで……、ない」


 アリシアは唇を噛みながら嗚咽を漏らすばかりで、何も言わない。

 命の灯火が消えかけている男を見つめ、静かに言葉を待っている。


「我……、は」


 男の意識はどんどん遠のいてゆく。

 アリシアを安心させるため、男なりに考えた拙い言葉で、ただ一言喋りたいだけなのに、それすらもままならない。


「不滅の身なり。……だよね」

「…………」

「大丈夫。大丈夫よ。必ず、また探しだしてみせるから。何度だって、いつだって、私が傍にいてあげるから」


 アリシアは優しく耳元で囁く。


「だから今は、――おやすみなさい」


 甘く脳に溶けるような囁きの後、男は眠るように絶命した。




…………………………………




 雨が静かに降る暗い森の中、一つの生命が宿る。

 深い沼の中からそれは這い上がってきた。


「ここは、どこだ」


 這い上がってきた何かは声を出すと、己が意思を持ち、喋れる存在だと知る。

 そして、泥だらけの自分の体を見て、2足で立ち、手があり、五本の指があることを知る。


 ――そうか。この体は人間に似ている。


 この知識はどこからくるものか。それは不明だが、何故か分かるのだ。まるで何者かに脳内へ予めインプットされているようで、そのことに不快感を覚えた。

 そして――、


「ふむ。……我は男か」


 自分の性器を見て、そう呟いたのだった。




 男は近くにあった岩の上で座禅を組んでいる。

 それは一旦頭の中を整理するため。

 男は混乱していた。

 なぜなら、男は産まれたばかり。それなのに、ないはずの“記憶”が僅かにあるからだ。

 その内容がどれもこれも死ぬ間際の記憶ばかり。


(どういうことだ?)


 それも一度や二度じゃない。何十回も、様々な状況で死んでいる。

 どの記憶にも、最期は同じ少女が必ず傍にいる。

 だが、朧気でその顔は、表情ははっきり視えない。


 もう一つ。

 もう一つだけ記憶がある。

 否、どちらかというと、それは知識に近い。

 記憶から確立された知識。

 知識から導き出される二つの答え。


「……探さねば」


 男は立ち上がる。

 そして、暗い森を抜け出すべく歩き出した。




 全裸で森の中を彷徨い続けて丸一日が経った。

 崖から転げ落ちて、川を泳ぎ下って、夕暮れ時の雨も止んだ頃、遂に街明かりが見えてきた。


「ふむ。人が営んでいるようだな」


 男は街へと足を進めた。

 歩き続けると、男は街道に出た。

 街道は馬車二台が並んで通れるほど広い。


「中々よく出来た道だ。あの街は栄えているのだな」


 自然に出た言葉。

 一体何とこの道を比較し判断したのか、そんな疑問が男の頭を過ぎるが、記憶には靄がかかっており、考えることをやめた。

 道の真ん中を歩きながら周囲の景色を見ていると、正面から一台の馬車がやってきた。

 馬車の近くには4人の人間がいる。

 女が一人、男が三人。全員鎧のようなものを着込んでおり、腰には剣をさしている。

 騎士のようだ。


「どれ、初めて出会う人間だ。軽く挨拶でもしてやろう」


 男は首の骨を鳴らすと突如走り出し、馬車の横を歩く一人の眠そうに目を擦る男騎士の腹部を蹴り飛ばした。


「……いっでぇ!てめぇ何しやがる!鎧が凹んじまったじゃねーか!」

「我の知識にある人間の挨拶だ。こんなことで凹むほど脆い鎧ならば、買い替えた方がよいのではないか?」

「……てんめぇ」


 男はそう言うと馬車を見る。

 中々に豪華な装飾が施されており、馬車内にいる人物が高貴な身分であることが伺える。


「なんの騒ぎ――、キャー!!」


 鈴のような心地よい声と共に、馬車から一人の少女が出てきた。

 年齢はおそらく十四か、十五といったところ。

 艶やかな金色のカールした髪と、晴天の青空のように澄んだ蒼い瞳。

 フリルを多用した豪奢な赤いドレスを身に纏い、底の高いヒールを履いている。


 可憐さと妖艶さを絶妙に兼ね備えた完璧な容貌。成長したら全ての男を虜にする絶世の美女となるだろうことは容易に想像ができる。

 そんな少女が男を見るや否や手で顔を隠すも、指の隙間からチラリと男の“アレ”を覗き見て茹でダコのように顔を赤らめている。

 男は少女を見て眉をひそめる。


「なんだ貴様。珍奇な格好だな」

「…………ッ!貴方にだけは言われたくないわ!この、変態!」


 馬車の中に戻るつもりで、少女が一歩後ずさる。


 俺が変態だと?

 男はその言葉を呑み込んで自分の身体を見ると、目を閉じて悩む素振りを見せた。

 そして導き出した答えは、ここにいる全ての者を混乱に陥れた。


「……どこが?」


 全員の頭上に「?」が浮かび上がる。


「と、とにかく!服を着ろ!……というかそんな格好で街へ入ろうとしていたのか!?一瞬で獄送りだぞ!」

「獄?なんだそれは。馬鹿馬鹿しい。捕えられる前に、街ごと喰らい尽くしてやる」

「なぁーに物騒なこと言っちゃってんの!?ただ服着ればいいだけだろ!服着ろよ!持ってないなら俺のやつやるから早く着ろよ!」

「――断る」


 男は方目を閉じて顎をさすりながら再考するも、出てきた答えは変わらない。

 騎士達は皆、驚愕を通り越して呆れたのだった。


「ちょっとあんた、ここにはレディが二人もいるのよ?なのにそんな汚物ぶら下げて、恥を知りなさい」


 赤い髪の女騎士が鋭い眼光と、鋭い言葉を飛ばす。

 呑み込まれるような美しい翠眼を持っていながらも小動物を一切惹き付けない虎の如く、その顔は凛々しくも鋭い。

 男は小さく「……汚物」と呟くと胸を張り、腰に手を当てた。


 その姿勢はまるで“汚物”と蔑まれたモノを誇張しているかのようで、自然と女騎士の視線がそちらへ移る。


「これの、どこが“汚物”だ。説明頂けるか?赤髪の麗しき戦乙女よ」

「う、麗し、麗しきって、あんた。もうっ」


 女騎士は顔を真っ赤にしてしゃがみ込んでしまった。

 男騎士らは目の前で繰り広げられている状況に理解が追いつかない。ただ、戦力が一つ潰れたということだけは理解し、男を警戒して抜剣した。


「早く服を着ろ。じゃないとちょん切るぞ」

「何をちょん切るのかは理解し兼ねるが我の答えは変わらん。どうしても着て欲しいのであれば、せめて月が出るまで待って欲しいものだ。それよりも何故抜剣したのだ?我に相手してほしいのか?よかろう。全力でかかってくるがいい。なーに、手加減はする」


 そう言った直後、男は鎧の凹んだ男騎士の顔面を殴る。

 拳はみるみる顔面に沈んでいき、男騎士は首どころか体ごと捻り曲がりながら吹っ飛んだ。


「ふむ。鎧だけでなく、鎧の主も脆いときたか」

「貴様、よくもファクターを……!」


 もう一人、激情を瞳に宿した小柄の茶髪男騎士が上段で斬りかかってきた。

 当たりどころが悪ければ即死するであろう一振りを、男は腕を無造作に繰り出して受け止める。直後、金属と金属がぶつかり合うような有り得ない音が響いた。


「はっ!?」

「戦闘中に足を止めるのは二流。いや、三流だ」

「ぶほっ!」


 男の放った鋭い前蹴りが、茶髪男騎士の顎を打ち抜く。

 茶髪男騎士の足は地面を離れて、宙を一回転。そして顔面から地面に突っ込んだ。

 それから茶髪男騎士は足をピクピク動かすだけで復活する気配はない。


「まだやるか?」

「もちろん。姫様、馬車の中で待機を」

「わ、わかったわ」


 最後の一人は白髪の老人騎士だ。

 先程までの若い騎士らと纏う雰囲気がまるで違う。

 幾度も死線を潜り抜けた者のみが身に纏う独特なオーラを、その老人騎士は纏っていた。


「息の根を止める前に聞いておきましょう。名はなんと?」

「……名、か」


 男はその言葉を口の中で転がしながら考える。

 自分の名を男は知らない。

 僅かに残る記憶は、サイレント映画そのもので音が存在しない。だから自分の名が分からないのだ。


「そうだな、“ナナシ”とでも名乗っておこう」

「名無し、ですか?それは名乗ったとは言わないのでは?」


 老人騎士から発せられる圧が強くなる。

 ナナシと名乗った男は、老人騎士の実力を確かめたいという衝動に駆られ、老人騎士からの問いに、あえて回答ではなく挑発を選んだ。


「……黙れ老骨。我の気分次第でいつでも、どこでも、その首が飛ぶことを理解せよ」


 ナナシの蛇の目を連想させる黄色い瞳が鋭く細められるのを見て、老人騎士は剣を握る力をより一層強めた。


「我が名乗ったのだ。お主も名乗るのが礼儀であろう」

「……これは失礼。私の名はライゼルと申します。冥土の土産に覚えておくと良いでしょう」

「ほう。ライゼルよ、お主に我が負けると?」

「貴方も強者なら、実力差くらい分かるはず」


 ライゼルが強ばった表情でそう言うと、ナナシは顔を上げて大声で笑った。


「――フフフ。フハハ!ハハハハハ!!気に入った!気に入ったぞ!我を少しでも満足させることができたら、褒美をやろう」


 一人大笑いする姿を見て、ライゼルは眉間にシワを寄せる。

 態度に腹が立ったからではない。何故このタイミングで大笑いするのか、疑問でならなかったからだ。ライゼルの眼には、ナナシという男が狂人にしか見えなかった。


 ナナシは全裸だ。

 何か秘策があるとしても、物を隠す場所などない。唯一あるとしたら口内だが、ナナシの喋り方や大笑いして大きく開かれた口を覗いても、何かあるとは思えなかった。


「ナナシよ。貴方という人物が私には分からない。目的はなんだ?何故我らの前に姿を現した」


 老人騎士は、平静を装い、感情の波は表に出さずに問うた。

 全く意図の掴めないこの男に、ライゼルは一種の恐怖を覚えていた。


 それは、長らく感じることのなかった感情。久方ぶりに覚える恐怖。

 ライゼルは強くなりすぎたがゆえに、心の揺れは歳を重ねるごとに薄れていった。

 だが、目の前の男が、そんなライゼルの心をほんの僅かに揺さぶった。

 恐怖は恐怖でも、胸の高鳴りを覚える、快楽にも似た恐怖である。


「我の目的か?大きく二つある。まぁ、大したことではない、はずだ」


 顎に手を当て考えるその表情は、自分でもよく分かっていないようだった。

 ライゼルは、“はず”という単語に違和感を覚えた。

 普通の人間であれば、己の目標が定まっていたとして、“はず”という表現はまず使わない。

 その表現を使うということは、『誰かに定められた』ということを意味するからだ。


「一つ、それは人探し。だが誰を探しているのか、我には分からぬ」

「は、はぁ」

「二つ、これも人探しだ。これまた誰を探しているのか分からぬ。だが、会ったら必ず殺す」

「誰かも分からないのに、ですか?」

「そうだが?」


 ナナシの顔は至って当然のことを言うかの如く、微塵も不安を滲ませない。むしろ自信に溢れている。

 ライゼルの頭の中は混乱で一杯だった。

 人を探しているが、誰を探しているのかは自分でも分からない。

 これほど意味の分からないことがこの世にはあるのか。

 六十年以上生きたライゼルだが、ここまで乱脈で支離滅裂な己の軸を持つ人間に初めて出会った。


「さて、ライゼルとやら。お喋りもそろそろ終わりだ。我を殺すくらいの勢いで、全力でかかってくるが良い」

「……後悔しますよ?」

「人間風情が。傲慢な態度を取るでない。身の程を弁えよ」

「――ハッ!」


 ライゼルは、剣を構えるとその場で振り下ろす。

 すると、風の刃がナナシに向かって伸びていった。


 風の刃は、ナナシに迫りながらも分裂し数を増していく。

 最後には八つに分裂して、それぞれが不規則にナナシの胴体目掛けて飛んで行った。

 だが、その全てをまるで舞踊でもしているかのような華麗な足さばきと、余裕の表情で躱していく。


「こんなものか?」

「今のはほんの準備運動です。次は本気でいきますよ――!!」


 そう言うと、またしても同じように剣をその場で振り下ろした。


「同じ手が何度も通用するなどと――」


 呆れの混じった余裕の表情で口を開いたナナシだったが、剣を振り下ろしたライゼルが姿勢を低くし、その後何度も剣を横へ、縦へ振り始めるのを見て表情を引き締めた。


 迫ってくる風の刃の数は先程の倍以上。刃一つ一つの速度も一回目とは比較にならないくらい上がっている。

 それでもナナシは躱す、躱す。躱し続ける。


 だが、一本躱すごとにライゼルが剣を振るうので風の刃の数は増えるばかり。次第に二本、三本と同時に躱さなくてはいけなくなり、ナナシは確実に追い詰められてゆく。


 風の刃が頬を掠り、腹を掠り、腕を掠り、小さな傷が徐々に、着実に増えていった。


「――仕方あるまい」


 ナナシは小さく呟くと、これまでとは一変。

 突如躱すことを止め、堂々とライゼルに正対し、右手を真っ直ぐライゼルへと向けた。


「喰らえ」


 次の瞬間、風の刃が全て消滅する。否、一瞬のうちに喰われたのだ。――ナナシの右手によって。


「……ぐっ!力、が」

「すまんが、お主の魔力も風の刃のついでに喰らってやった。人間風情が我に少し本気を出させるとは、大儀である」


 ナナシは淡々と事実を述べる。

 そしてゆっくりとライゼルの元へ足を進める。

 一歩足を進めるごとにナナシの身体中の傷口が塞がり、傷跡が無くなる光景を見て、ライゼルは大きく目を見開いた。


「我にこの力を使わせるとは、な。見事であったぞ、人間。約束通り、褒美をやろう。何か一つ、願いを叶えてやる。なんでも言うが良い」

「願いを、叶える……?なん、でも?」

「そうだ」


 普通なら戯言と吐き捨てる眉唾のような話は身も心も萎れきったライゼルの耳に甘美な蜜のように、ドロっと甘ったるく入り込んだ。

 死神に命を捧げてでも叶えたい願いが、ライゼルにはある。


 この男は嘘は言わない。長年の生で培った感覚が、そう言っている。

 目の前の男は、只者では無い。


 気がつくとライゼルは涙をボロボロと流し、顔のシワを更に増やしてみっともないという自覚を持ちながらも、蹲り地面に顔を擦り付けて懇願した。


「どうか、どうか姫様を!……姫様を悪魔からお救い下さい!」

「――よかろう。その願い、我が喰らい尽くしてやる」


 ナナシはライゼルの横を通り過ぎて、馬車の前で立ち止まる。


「何をするつもり?」


 いつの間にやら復活していた女騎士が、剣先をナナシに向けて鋭い口調で問いかける。

 ナナシはチラリと横目だけで女騎士を見ると鼻を鳴らした。


「先程の会話を聞いていたはずだが?それともなんだ?ここで引き留めて我に相手して欲しいのか?」

「なななな、何を言っているのかしら?!」

「ふんっ」


 顔を再び真っ赤にして煙を上げる女騎士から目を逸らすとナナシは再び歩き出す。

 そして、馬車の扉の前で止まると、強引にその扉を開けた。


「ふぇ?……キャー!なんできたのよ!」


 馬車の中には一人の少女が、高級感漂うソファの上に座っていた。

 少女はナナシのアレを見てしまい、慌ててそっぽを向く。


「服を脱げ。お前の身に宿る悪魔を喰らいにきた」

「服を……?嫌よそんなの!それもこんな場所で!」

「ならば場所を変えればいいのだな?」

「そ、そういう訳じゃ……」

「であれば早く脱げ」


 ナナシは脅しの意味を兼ねて馬車を蹴ると、ガタンと音を立てて揺れた。


「……ひっ!」


 少女は、騎士達がやられる姿を見ていた為、もしかしたら自分も?と想像してしまう。


 ここで脱がなければ同じ目に逢う。

 ナナシと関わった時間は短いものではあるが、この男の独特な性格の片鱗を覗いた少女は充分にそのことを理解していた。


「分かったわ。でも、絶対にこっち見るんじゃないわよ!あと、見せるんじゃないわよ!何かで隠してちょうだい!」

「ふむ。その程度の要望で脱いでくれるのであれば、致し方あるまい。服を着よう。ちょうど月も出た。それも満月、僥倖よ」


 少女は、ナナシの言うことのほとんどを理解できなかったが、とりあえず服は着るということだけは理解した。

 一安心し、息を吐く。だが、勝負はこれからだ。何せ少女は出会ったばかりの男の前で脱がなければならないからだ。


「……どこまで脱げばいいのよ」

「無論、全部だ」

「ぜぜぜ、全部!?」

「当たり前だろう?でなければ悪魔紋がどこにあるのか分からないではないか」


 少女はナナシがこれからやろうとしていることをやっと理解した。


 だが、信じられなかった。何故なら、悪魔紋という少女の身体を蝕む悪魔によって幼い頃刻まれた忌々しい紋章は、どんな手段を使っても消すことができなかったからだ。

 それでも、やれることは全て試してきた少女だ。今回も、僅かな希望だろうが、やらないという選択肢は少女にはない。

 半信半疑で少女はドレスを脱ぎ始める。


 見るな見せるな、と言われたナナシは忠実に従い、馬車に背を向けて夜闇を照らす満月を見上げていた。


「……これだけあれば足りるだろう」


 ポツリと呟くと、ナナシは気だるげに右腕を顔前まで上げ、さっと振り下ろした。

 すると、何も無い目の前の空間からどこからともなく黒いローブと黒い下着が顕れる。

 ナナシはそれらを拾い、着始めた。


「ふむ、しっくりくる。まぁ、全裸よりかは多少動きづらいが」

「……脱いだわよ」


 馬車から下着姿の少女が目を伏せながら降りてくる。

 ナナシは「ほう」と意味ありげに呟いた。

 その目は、少女の下腹部を注視している。


「そういえば名を聞いていなかったな」

「今更かしら?私の名前はフレデリカよ」

「我の名は……。ライゼルとの会話で聞いていたか?」

「ええ、ナナシさんでしょ?」

「そうだ。して、フレデリカよ。腹の下にある“それ”が悪魔紋で間違いないな?」


 フレデリカの下腹部にある紫色の複雑な紋章。

 それを指差しながらナナシは改めて確認をとる。


「そうよ。どんな方法を使っても消し去ることは叶わなかったわ。このままだと私は数年後には死ぬ。それと同時に悪魔が完全復活してこの世界で暴れ回るわ」


 フレデリカは悲しげにそう言うが、その目はまだ諦めていなかった。

 ナナシは瞠目して思わず舌を巻く。


「いい目だ。……気に入った。我が必ず悪魔とやらから救ってみせよう」


 ナナシがフレデリカの下腹部に手をかざすと、淡く悪魔紋が光りだす。


「んっ……」

「もう少しだ。耐えろ」


 フレデリカは玉のような汗を流し、苦しげな表情をするも小さく唸るだけで耐えていた。

 悪魔紋はみるみる光を増し、フレデリカそのものを呑み込んだ。

 ナナシは堪らず目を細めた。


 光が収まると、そこには倒れたフレデリカと、その近くにもう一人の人物が。否、人ではない。


「君か。僕を半端な状態で目覚めさせたのは」


 凶悪な顔面の額には黒く長い角が生えており、放つオーラはまるで棘のような鋭さを持っている。


「そうだ。悪魔よ、本来の姿に戻ることを進める。そのような半端な姿では我に遊ばれるだけで終わるぞ」

「……起きて早々腹の立つことを言われるなんてなぁ。まぁ、いいさ。僕は売られた喧嘩は買う主義だからね。だが、姿を変えるのは労力がいる。だからちょーっと時間がかかるんだよねぇ。でも勿論待っててくれるんだよね?君から誘ってきたんだから、それくらいの責任は持つべきだと思わない?」

「元よりそのつもりだ。安心せよ」


 悪魔はニヤリと嗤うとその身の内に眠る魔力を一気に醒まし、体内で循環させ始めた。


 徐々に悪魔の体が大きく、禍々しくなってゆく。

 肥大した手の、指の先から黒く長い爪が伸び、背中からは漆黒の翼が生える。左が短く、右が長い翼だ。

 足の先から生える鉤爪は地面を深く捕え、鋭利さを物語っていた。


「ほう。それが本来のお前か」

「どうだい?怖気づいた?絶望した?この姿はあんまり好きじゃないだよぉ。なぜって?それは美しくないから。そうだろう?翼は確かに絶美だけど、それ以外はまるでダメ。ダメダメのダメ。美しさがない。正直この姿でいる自分に吐き気がするよ。だから、――さっさと殺して、終わらせるね?」


 次の瞬間、悪魔がナナシの目の前から消えた。


 そして、一瞬の内にナナシの正面へ。

 右腕を振るい、ナナシを殺さんとばかりに爪が迫ってゆく。


「――愚かだ」


 爪の先がナナシの額に触れた瞬間、悪魔の肩から先全てが消えた。


「ぐ、ぐわぁぁあぁぁぁあ!!な、なんだ!何が起きて。こんな、有り得ない!有り得ない有り得ない有り得ないぃ!!」


 無くなった肩口からは黒い靄が出ている。

 悪魔の眼には何が起きたのか、全て見えていた。


「お前は!いや、貴方様は――」

「まだ喋れる余裕があるか。ならば、これならどうだ」


 ナナシはそう言うと両手を高く掲げた。

 空間が揺らぐ。


召喚サモン《ベルゼビュート》」


 次の瞬間、空間が大きく裂ける。

 そして、その奥からは悪魔よりも遥かに禍々しい無数の黒い手が裂け目から出てきた。


「む、むりだ。あんなの勝てっこない」


 悪魔は肩口を押さえながら、一歩、もう一歩と後ずさる。

 無数の黒い手の中央から、顔が現れる。

 ソレと悪魔は、目が合った。


「うわ、うわぁぁぁ!!」


 悪魔は足を返すと、脇目も振らず我武者羅に走り出した。


 逃げるという判断は速かった。だが、時空が避けたその瞬間に逃げ出していれば、もっと違う結末が待っていたかもしれない。


「暴食之王が命ずる。――喰らえ」


 返事とばかりに宙に漂う謎の手は悪魔へと伸びる。

 そのスピードは悪魔が走るよりも速い。どこまでも伸びる手は遂に悪魔を捕らえた。


「やめろやめろやめろぉ!やめてくれぇぇえ!!」


 悪魔は肩口など最早気にせず前へ手を足を伸ばしたが、悪魔を捕らえる手の数は増すばかり。

 悪魔は吸い込まれるようにして、黒い手の中央へと引っ張られた。


「ぼぐはぁ!こんなどごろで死ぬわげに!いがな――」


 ブチッという音と共に悪魔は喰われた。

 ナナシが手を叩くと、ベルゼビュートは空間の奥へ還る。


「案外あっけないものだ。終わったぞ、フレデリカよ。手を貸すか?」


 いつの間にやら目を覚ましていたフレデリカは口をパクパクさせて立ち上がれないでいた。


「い、いいいわよ。それよりも、……ありがと」


 ナナシはフレデリカを一瞥するとライゼルへ顔を向ける。

 ライゼルは大きく目を見開きながら、大粒の涙をボロボロと流していた。


「これでそなたの願いを叶えた。我はこれで失礼する」

「……い、いつかまた、お会いしましょう!この御恩は到底返せるものではありませんが、一生を掛けてでも返せるだけ返します」

「礼などいらぬ。我はやりたいように、やりたいことをしたまで。それでは達者でな」


 ナナシは踵を返すと、手を挙げてそのまま街へ向かうべく去っていった。

 ライゼルは小さくなる背中を見て思う。


「一体彼は何者だったのでしょうか」

最後まで読んでくださりありがとうございます。


続きを書くか不明ですが、構想はあります。

ですが、現在他に執筆中の作品(連載予定)があるため暫く続きを書くことはないかもしれません。

今年中には執筆中の作品も、この場をお借りして投稿しようと考えておりますので、ご愛読いただけると幸いです。


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