第一章: 旅館再建への一歩 2
「さて、次にご紹介するのは、こちらの料理長です」
霞が静をさらに旅館の奥へと案内すると、そこには広々とした厨房があった。厨房の中は驚くほど活気があり、まるで戦場のような雰囲気だった。鍋や食器が音を立て、包丁がリズミカルにまな板を叩く。そんな中、力強い足音が響き、現れたのは屈強な男だった。
「何だ?また誰か来たのか?」
現れた男の体格はまるで戦士のようで、長いエプロンをまといながらも、鍛え上げられた腕と広い肩幅が印象的だった。彼は手に持った包丁を軽々と振り回しながら、静にじろりと厳しい視線を向けた。
「こちらが、この旅館の料理長、グリゴルです」
霞が説明すると、グリゴルは静を一瞥し、眉をひそめた。
「……あんたが新しい主人か?年寄りじゃねぇか。まあ、料理に口出ししなければ文句はないがな」
「年寄り……?」
その言葉に静は少し驚いた表情を見せた。自分は転生して若返っているはずだ。それなのに、なぜ「年寄り」と言われるのか。だが今は、そこに疑問を挟む余裕はなかった。彼女は微笑みを浮かべ、穏やかに返事をした。
「はじめまして、田中静です。料理には口出ししないわ。ただ、美味しい料理が食べられれば、それで十分よ」
その言葉に、グリゴルは驚いたように目を細めた。だが彼女が料理には干渉しないと知ると、彼の表情は少し柔らかくなったように見えた。
「……ふん。まあ、それならいい。俺の料理に口を出す奴は許さねぇが、あんたが余計なことを言わねぇなら文句はない」
そう言うと、グリゴルは大きな鍋をかき混ぜ始めた。強烈な香りが辺りに漂い、静の鼻をくすぐった。その匂いは、ただ美味しそうというだけではなく、この世界特有のスパイスや食材が使われていることを感じさせる独特のものだった。
「美味しそうな匂いね……一体どんな料理なの?」
静が興味を抱きながら尋ねると、グリゴルは少し不機嫌そうに鍋をかき混ぜたまま答えた。
「この世界の珍しい材料を使ったスープだ。客に出す前に味見でもしてみるか?」
「ええ、是非お願いするわ」
静は少し驚いたが、グリゴルの料理に対する自信を垣間見た瞬間でもあった。彼は鍋からスープをすくい上げ、小さな器に注いで静に差し出した。そのスープは濃厚で、独特の色合いがあり、これまで見たことのないような料理だった。
「どうせ素人には分からねぇだろうがな」
グリゴルはそう言ったが、静は器を受け取り、スープを一口すくって口に運んだ。口に入れた瞬間、彼女の舌に豊かな風味が広がった。最初に感じたのは、深いコクと香ばしさ。だが、それだけではなく、次第にこの世界特有のスパイスのような風味がじわじわと広がり、静の味覚を魅了した。
「……これは!」
静は驚きの声を上げた。見た目からは想像できなかった複雑な味わいと、豊かな食材の使い方に感動を覚えた。これまでの人生で多くの料理を味わってきた彼女だが、これほどまでに印象的な料理には出会ったことがなかった。
「すごいわ。こんなに深い味わいのスープは、初めてよ」
「ふん、あんたが分かるとは思わなかったが……まあ、そりゃそうだろう。俺の料理は、どこの店でも真似できねぇ。ここに来た客にしか味わえねぇんだ」
グリゴルは少し誇らしげに言い放った。彼の言葉は自信に満ちていたが、その自信に裏打ちされた実力があることを、静は確信した。これなら、月影館の料理を再び目玉にすることができるかもしれない。
「これなら、お客様もきっと満足するわ。グリゴルさん、あなたの料理をもっと多くの人に知ってもらいましょう。旅館を再建するために、あなたの力が必要よ」
静がそう言うと、グリゴルは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにその表情を引き締めた。
「……まあ、あんたがそう言うなら協力してやるが、料理の質は落とさねぇからな」
グリゴルはそう言うと、再び鍋に向かい始めた。その背中には、職人としての誇りが感じられた。静は彼の後ろ姿を見ながら、再建に向けて少しずつ道が開けてきたことを感じた。
だが、その一方で彼女の心の奥底には、まだ「年寄り」と呼ばれることへの疑問が残っていた。若返った自分が、なぜこんなに自然に「お婆ちゃん」として扱われるのか。もしかすると、それは自分自身が「お婆ちゃんでありたい」と思っているからなのではないか――静はその答えをまだ見つけられずにいた。