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一年ボタン

作者: 巣瀬間

 もしも一年、誰にも邪魔されない思い付く限りの煩わしい何かを無視できる自由な時間と場所が手に入ったら貴方は何をしますか?



「お兄さん、ちょっと試してみないかい?」


 大学の帰り道、ちょっとした探検気分で高架下を通ってみれば、影の中で寂し気にポツンと開いている露天、テーブルクロスのかかった台の上にはクイズ番組でみるうような押しボタンが一つと人工的な止まり木で羽を休めている白いオウム。

 声をかけてくれたのは隈が酷いほっそりとした小柄な見た目に藍色の髪を三つ編みに纏めた女性。

 袖が余っている白衣を身に纏っており、怪しげな雰囲気がプンプンと漂っている。


「ホンジツノオススメ! ホンジツノオススメ!」


 その場を立ち去ろうと思ったが、急に高い声で流暢に喋りだし足を止めてしまった。

 立て札に書かれている『一年ボタン』と言う名前。


「何ですかそれ?」

「ふふふ……五億年ボタンって知ってる?」

「一応少しは……ボタンを押すと100万出てきてもらえるけど、一瞬の間に5億年経っててその記憶や経験は消えてるとか。創作ですよ」


 大体は合ってるか? 

 しかし、俺の言葉に対してニンマリと得意顔な笑顔を見せ付けてくる。


「これはソレと似たような性質を持つ。この世界では一瞬でも、異空間で一年間過ごすことができる。ただし記憶や経験は消えない、もちろん年をとったりもしない」

「……精神と時の部屋みたいなもんか?」

「今の子にはその方が伝わりやすいんだねぇ。イメージは合ってるよ。年をとらないってことは肉体に変化は無いってことでもある。だから頭を鍛えるための場と考えて」

「一瞬で一年……もしかしなくてもテスト勉強とかもできるってことか?」


 学期末考査が近い、もしもガッツリ勉強することができれば泣き言を言わなくて済む?

 理想的な空間に移動できるって訳か! でも、たった一つのテストで一年も? いや、そんなちんけな使い方で終わるようなものじゃないんじゃないか?


「当然、その異空間には様々な設備が用意してある。国立国会図書館並の蔵書が保管されてるよ」

「なら早速──」


 やはり辞める理由なんてどこにあるのだろうか? テストの勉強だけじゃない、あらゆる資格の勉強ができるというわけだ。年を取らずにそこまでのことができるなら得でしかない。

 手を伸ばして押そうとした瞬間に彼女の手が俺の指を掴んで阻止する。


「おっと待った待った! もしかして無償でできたり、お金がもらえると思っていないかい? 世の中そんなに甘くはないよ。当然対価がある」

「対価……? 寿命とか魂とかそういう……」


 わかってないな~みたいな顔をしながら指を振ってチッチッチと否定してくる。さらには「ワカッテナイ! ワカッテナイ!」とオウムも援護射撃をしてくる。


「折角一年分の経験値が瞬間的に手に入れられるのに寿命は無意味。アタシが欲しいのはお金、それも苦労して手に入れたお金が良い! そういった金銭には人の想いが宿るからねぇ! 学生の君だったら15万円と言ったところだね。当然、君自身が稼いだお金でないと意味が無いよ?」

「15!? 俺の通帳半分近くじゃないか!?」


 コンビニアルバイトでコツコツ溜めたお金だ。それが一気に? 


「近くに郵便局もある、卸して持ってくるだけの時間は待つよ。嫌だったらそのまま帰りなさんさアタシが与えるのは選択だけ。押すも押さないもアンタの自由」


 そもそもこれは本物なのか? この人の怪しげな雰囲気に納得しかけていたけど、そんな魔法みたいなことがありえるのか? 金だけ持ってトンズラかます方がまだ説得力がある。


「いいね、その目。悩んでいる良~い顔だぁ。選択肢を与えた甲斐がある世の中疑うことを忘れちゃいけない」


 もしもこれが10円、100円だったら俺は迷わず押していた。

 さっき無遠慮に押そうと思ったのだって話の種のお遊び気分──

 たとえ失敗したとしてもクソったれ! で終っていた。ただ、15万、この金は友達と遊んだり、困った時の為だったり将来の備えとして貯めたお金。再びこれだけ貯めようと思ったら……でも、もしも一瞬でそれだけの時間を得ることができたらどうなる?

 講義が終わって課題やバイト、俺は優秀な人間じゃないのはわかってる、スキマ時間を効率的に使うことはできない。


「払います……少し待っていてください」


 もしもにかけてみたくなった。

 押したら宝くじが当たりますよってボタンがそこにある。

 こんなにも一万円の束を見るのは初めてだ。俺が働いてきた証がこれなんだ。


「さぁ、持ってきたぞ」


 女は逃げずに待っていた。待っていましたといわんばかりの笑みを浮かべていて、恐怖すら感じる。


「ボタンの下に投入口がある。入れてちょうだい」


 まとめて通るのかな? と興味本位に15枚の万札を触れさせると吸い込まれるように札が引き寄せられて、詰まってグシャりと歪んでも関係なく獣の食事の如く吸い尽くされた。


「汝は資格を得た──押すがいい」


 女の目が得体の知れない悪魔のような笑みを浮かべ、俺は引き返せないところまで踏み込んでしまったのかと鳥肌が立つ。

 ここまで来たら退けない。ゴクリと唾を飲み、覚悟を決めてそのボタンを押した瞬間、目の前が真っ白になって──


「ここは?」


 高架下の薄暗い場所から一変、まるで真昼のショッピングモールのように明るい場所へ移動していた。なにより目の前に広がる光景もショッピングモールと似ていて多くの店──いや部屋? が並んでいる。

 ただかざりっけは何にも無い。機能性重視の空間。そして、人の声も何も聞こえない静かな場所、この世界には俺しかいない。そんな確信があった。


「本当に別空間に移動したのか?」


 頬をつねってみると痛みはある。夢というわけじゃないみたいだ。

 近くに立て札が置いてありそれを読んでみるとこう書いてあった。


~~

 この空間で8760時間経過すると強制的に排出されます。効率的に満足のいくように使いましょう。

 やることが無くなったと思ったら扉から出ることも可能です。ただしお金が返ってくることはありません。

 あなたの今の体は抜け出した魂のようなものです、ケガをしなければ睡眠の必要もありません、お腹が減ることもありません。

 ここでの物体は持ち帰ることができません、自動的に回収されます。

 困ったことがあれば適当に徘徊しているロボットに聞きましょう、あなたのお手伝いをしてくれます

~~


「なるほどな」


 痛みがあったのはこれが空想では無いという証拠なのか? それとも五感を残して置くのがこの空間で勉強するのに必要でもあるからか? 

 とにかく焦らずにまずは歩き回ってみることにした。いや、先に行くべき場所は決まっている。

 勉強のために必要な図書館だ。

 隣に置かれている地図を見るとまっすぐ歩いた先、ここからでも見える城のような建物。それが図書館らしい。

 図書館に到着する間にスポーツ、芸術、料理、と大雑把に分類された部屋を通りすぎたり。ゴミの無い床を掃除する球体と流線型を組み合わせた簡単作画ロボットとすれ違ったりと、童話の世界の住人になったのかと錯覚する。

 目的地の超巨大な図書館に入ると──


「なんだこれ……!?」


 大量の本が保管されていた。天井を支える柱のように首を真上に上げる必要があるほど高い本棚。棚のでっぱりをボルダリングみたいに上らなければ上の本が取れない高さ。

 世界中の書物を集めたと言っても納得するレベルの圧倒的な量。

 今見えている範囲だけでも七階建ての本屋以上に書物が詰まっているだろう。


「失礼します、ワタシは本を取ってくるロボットデス。こちらのタッチパネルを使えば望む本を望むだけ持ってきます」

「あ、ああ……助かる──」


 見た目は普通にパッドだ……軽く弄るとタイトル検索はもちろんジャンル別に検索もできる。

 流石にここから好きな本を探そうと思ったらそれだけで半年以上は消費しかねない。サービスがバッチリでなによりだ。

 まずは考査に関係ありそうな資料をリストアップしてもらった。どうやら集め終わるまで少し時間がかかるようだ。魔法みたいにパッパッっと瞬間移動させるシステムはどうやら無いらしい。

 その間は観光がてら別の場所も詳しく見ることにしてみた。

 野球場、バッティングセンター、テニスコート、バスケットコート、武道場、美術室他にも色々、腹は減らなくても立派な料理場にあらゆる食材も置いてある。

 運動や芸術まで好きなこともできるということだ。

 対戦相手が必要な種目は簡単ロボットが相手になってくれるらしい。

 ただ、話の内容からして筋肉が鍛えられるわけでもない、ここで崇高な作品を作っても持ち帰れない。

 あくまで頭脳を鍛えるための場所だということだ。そこまで意味があるのかはわからないが

 ──そこからの日々は有意義でもあり苦痛でもあった。

 全て自分の決断で勉強をしなければならない。課題は完璧に理解した、ここには大学の教授が出している教科書も置いてあった。全科目の内容を把握できた、今の俺なら全ての単位も取ることができるだろう。外国語を除いて──

 気分転換にスポーツもやってみた、ケガをしないということでもあるが、やはり痛みはある。無視して投げ続けてもケガにはならない。負荷という形で身体に現れるのか良くない動きを知らせるためなのだろうか?

 絵を描いてみれば自分の美的センスの無さに呆れてくるが、ここには評価する他人がいないから気楽なもんだ。どんな下手糞な絵を描いても問題ない。技術書はベッドに出来るぐらい存在している。

 少しずつ納得できるような絵ができていく。

 さらに楽器も全て置いてある、名前も知らない楽器があるから全てとは言い難いが綺麗に飾られており、好きなように弾く事もできる。どれだけ下手な演奏をしても誰かに文句を言われるわけでもない、おたまじゃくしを理解できない人間でもパイプオルガン弾く事がゆるされる。

 興味を持ったことに何でもチャレンジしていい空間なんだここは!


「……俺は何がしたいんだ?」


 楽観的ではいられない。

 残り時間が4000を切った頃、何故だかどうしようもない不安に包まれていく。

 俺は何がしたいのか、何になりたいのか。そのイメージがハッキリと決まっていない。自由な時間、何でも勉強できる。それでも、どれに手を伸ばせば良いのかわからない。

 俺の心の真ん中にはでかくて硬い意志が無い。プロ野球を目指す奴がここに来たらあらゆる戦術や変化球、効率的な動かし方とかを必死に勉強し実践し続けるだろう。

 芸術家であったらな例え持って帰ることができなくても、場所や材料を考えずに作り続けられる技術を得る。

 ダンサーなら古今東西の振り付けやら新しい技を学び実践するだろう。

 けど、俺には何がある?

 今は大学二年生、そもそもの話──俺は「この分野を学びたい!」から今の大学の学部を選んだわけじゃない。

 「ここなら俺のやりたいことが見つかるかも」って言うお客様気分で世の中の流れに何も考えずに乗っかって入れる大学に入っただけ。

 今やっているアルバイトだって将来その業種に就きたいからじゃない。金のためだ、社会に出ることになったとしても奴隷になりたくない。

 思えば高校も、中学も、自分の本気の意志で選べたものは無い──!

 勉強した後のイメージが何もない。

 得た知識で何をすればいいのかわかっていない。何ができるのかもわからない。モヤついた何かしか見えてこない。だからモチベーションが上がらなかった。

 俺は与えられてはいたのかもしれない、でも。その与えられたものをどう扱っていいのかを学んでいない。最高級の包丁を渡されても、それを鉛筆削りに使ったりアクセサリーにしていたのが俺なんだ。

 半分以上の時間を重ねて俺は何を得た?

 様々なことを中途半端に知識を得ただけじゃないか?

 こんなんじゃダメだ……外に出たって15万を無駄に使っただけになる! 俺のやりたいことなりたいものはなんだった?

 好きなことはある。でもそれを作れる人間になりたいかといえば「否」──ゲームをやるのと作るのは違う。ラーメンを食べるのと作り経営していくのは違う。

 自分は何に向いているのかがわからない。何かを認められたことも褒められたこともない。自分の向かっている道が正しいのかもわからない。だが逆に注意されることはある。

 このままの調子でこの空間を出て、大学を卒業したとしても。俺は何にもなれない。

 下手すれば悪事に加担してそれが褒められてもっと悪の道に進んでしまう可能性もある。今、こうして想像できていても存在が認められるならやってしまいそうだ。

 「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」とは良く言ったものだ。どれだけ多方面に手を伸ばしても、心と体は真ん中で止まっているこの空虚さは呪い。

 自尊心が育まれることがないままに俺は大人になろうとしている。

 ──でも……やろう、この空っぽで飢えている心は変えられない。

 分不相応の願いでそれが認められるかはわからない。それは前提として足掻き続けるしかない。心の中の譲れない一番でかい信念にするために──

 才能があまりにも無いから諦めていた道でも。

 ここならきっとなれる。

 残り時間全てを注ぎ込んででもなってやる……!



 それを意識してガムシャラに挑んだら、時間の流れる速度が変わった気がした。

 望む道具が全てある、自分に合ったものを選び考えつつひたすらに続けていった。ケガも疲労もしないこの空間。

 一分一秒も惜しいと思って一歩一歩、目だけが肥えた未熟な自分を恥ながらも進めていく。

 下手糞とかしょうもない無いなんてのは覆す。素直に生きるために重ねろ! 知識も技術もこの時間で追いつけ追い越せ! ずっとその道に進みたかったのに、見て見ぬ振りして亀になりきっていた。


「おかえり~」

「ただいま……でいいのか」


 時計を見ると13時33分。多分あってるはずだ。

 手には何も残っていない。ただ記憶ははっきりと残っている。


「もしも身についてなかったら返金──あれ?」


 その場にはもういない。

 急いで俺は家に帰り、身に着けた技術が発揮されるのか試してみた──



 時は流れて、一月──

 この時になるとアタシは必ずあの場所近くで店を開く。

 凄まじい欲望と同時に極限に追い込まれている人間の不安と焦りを大量に見ることができる。

 求めているのは後者、勝って当然みたいな人間に手を貸したってつまらない、空虚な弱者がトリックスターに変貌するのがみたい。

 一冊のマンガを読みながら縁に引き寄せられる獲物を待ち続ける。


「ふふ、あの人がまさかマンガ家になるなんてねぇ。世の中わからないものだ」

「ワカラナイ!」


 あのボタンを押した者は大きく変化する。変わらない人間は価値がわからずすぐに出てきたガキンチョ位だ、流石に100円ちょっとじゃダメだった。

 ──かかった。


「大丈夫……! 大丈夫、きっと合格できる」


 分不相応な願いや欲望、自分が望んでいない将来で押しつぶされそうな少女。

 この日こそが狙い目、入れ食いなんだ。

 「大学入学共通テスト」

 人生がかかっている子は一体どれくらいいるんだろうね?


「そこのお嬢さん。ちょっと話を聞いてかない」

「な、なんです!? 今急いで──」

「オマチヲ! オマチヲ!」


 オウムの「ロード」がちょっと鳴けば人は足を止める。

 さて、あまり時間をかけるのも悪いからね。


「もしも今の不安を全部消し去る方法があるとしたらどうする?」

「え?」

「わかりやすく言えば精神と時の部屋。一秒足らずで一年の自由な時間を与えるよ、共通テストを完璧に突破してみないかい?」

「え?」


 都合の良い提案に心が揺れている、よほど追い詰められているのか表情から縋りたい想いが漏れ出している。


「価格は今用意できる全財産、交通費だけは簡便してあげるよ。それを失ったら意味が無いからね」

「……」


 アタシが与えられるのは選択肢を見せるだけ。

 この子の態度は迷っているように見えても頭の中ではもう決まっている。

 サイフを取り出した瞬間に思わず笑みがこぼれてしまった。

供養としての作品

アイデアだけは2022年にはあった模様

中途半端に展開を醸し続けてずっと頭の隅に残り続けるぐらいならとまとめました

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