表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

代筆屋として働くまでの日常

戦争孤児の少女•ローズは、そういった子供達を引き取って育て、仕事を与え自立を促すレター協会の会長の元に身を寄せていた

魔法の存在する世界で落ちこぼれのローズは碌に魔法も使えず、郵便局で勤勉に働いている

その業務の中で偶然、手紙の代筆を行なった事から運命が変わり始めた


魔力が生活の一部となっているこの世界で、私は火も水も風も碌に上手く扱えない落ちこぼれだった。


土も金属もまともに錬成できず、魔力の増幅や治癒魔法も使えない。


戦争で早くに両親を亡くした身では、一日一日を生きていくのが精一杯で。


魔法が使えなくても食べていける職に就けたのは、十六歳の頃。


同世代の子達といえば、子供から大人へと変わりゆく束の間のひと時を、お洒落や交流会の作法、果ては色恋沙汰の噂話等で忙しくしている。


磨き上げた魔力と美貌は、満ち足りた己が未来の為…


その傍らで、魔力がなくとも若い内から働ける郵便事業ーレター協会に身を置かせてもらう事になった私は、来る日も来る日も仕事に明け暮れていた。


手紙の仕訳、配達、回収、切手や葉書の在庫管理に販売、そして郵便物の受付…


何でもやった。


やらされたと言われても変わりはない。


けれどどの役割もその大変さと大切さが理解出来たので、楽しかった。


そんなある日の事、村外れの森に住む馴染みの婦人の元を訪ねた際に、転機が訪れる。


彼女は遠方に住む娘夫妻へ定期的に手紙を出しており、その郵送でよく家を訪れていたのだ。



「お茶も出せずにごめんなさいねぇ。うっかり転んでしまって、こんな有り様になってしまったの」


「いえ、お構いなく。お身体の加減はいかがですか?」


「そうねぇ…この体じゃもう長くはないでしょうね…」


「そんな…」


「いいのよ、そんな顔しないでちょうだい。長く生きたからもういいの」


「………」



年季の入った、こぢんまりとした家の中には必要最低限の物しか置かれていない。


いつもはテーブルの上に置かれた花瓶に色とりどりの花が活けられていたが、今はそれも片付けられてしまっていた。


折角だから少しお話を、と中へ招かれたが、痛々しい姿を前にどんな顔をしていいのか悩んでしまう。


小さなベッドに体を横たえた婦人の利き腕には、支えと共に幾重にも包帯が巻かれていた。


聞けば毛布の下の足も同じ状態なのだという。


近所の人の力を借りて辛うじて生活できているが、それもいつまでもつか分からない。


怪我の痛みだけではなく、将来の不安や心細さは静寂に酷く堪えるだろう。



「ねぇ、ローズちゃん…一つお願いを聞いてもらえるかしら?」


「私にできる事なら何でも!」


「ふふふ、ごめんなさいねぇ。年寄りの我儘に付き合わせてしまって」



いえ、と緩く首を横に振り、枕元へ歩んで耳を寄せると婦人は控えめにお願い事を口にした。


それは娘夫婦への手紙の代筆。


断る余地がないその内容に、力強く頷いて引き受けた。



**********



宿舎を抱えた街一番の大きな郵便局へと戻り、上司に代筆の旨を報告したところ、乾いた音が鳴り響く。



「………ぇ」



続いて左頬に痛みが走り、思ってもみないその衝撃に体はよろめいた。



「タダで勝手にそんな安請け合いをするんじゃない!この愚か者が!!」


「………ごめんなさい」


「会長が拾ってくださったご恩を無碍にしよって!恩知らずのドブネズミが!」


倒れ込んだ体に室長の靴底が何度も打ち込まれる。


脇腹が、肩が、背が、心臓が、酷く痛むのに何も出来なかった。



「室長、それぐらいに…」


「カーター会長…!」



カツンと鳴った靴音と低く渋い声に、ヒステリックな室長は慌てて退く。


白い手袋を嵌めた大きな手がゆっくりと腕に添えられ、よろよろと立ち上がるのを助けてくれた。


室長は身形に厳しい男だったが、会長が纏うスーツは更に上質なもので皺もない。


自分が着ている、薄いボロ布の黒ワンピースとは天と地ほどの差があった。



「大丈夫かね?」


「はい…ありがとうございます…」



レター協会のトップに君臨する男の突然の登場に目を丸くしたが、多くの皺が刻まれた顔で穏やかな笑みを向けると、ふむ…と考え込む素振りを見せた。


室長は暴力を咎められるのかと、ただでさえ血色の悪い顔で目を泳がせている。



「代筆、か…なかなか良いサービスかもしれんな。早速、申請書を作らせよう。料金設定も決めなければな」


「ぁ、でも…その…」


「あぁ、そのご婦人の事は気にせんで良い。アイデア代として初回は無料にしてあげよう。ただし次回からはしっかり料金をいただくように」


「………」


「おや、ご不満かな?」


「いえ…!分かりました…」



正直なところ、ご婦人に豊富な蓄えがあるとは思えない。


慎ましやかな生活をしているのに、あの怪我があっては殊更…


法外な価格設定がされない事を祈りつつ、頭を垂れるしかない自分の無力さを呪った。


そして通常の業務に加え、代筆という仕事が加わり暫く経った頃、また転機が訪れた。



**********



「今日は風が気持ち良いですよ、セシルさん」


「………」


窓を開けて空気の入れ替えをし、ベッドへと顔を向ける。


虚ろな表情でゆったりとした瞬きを繰り返したのは、初めて手紙の代筆を頼んだ婦人。


あれから、高値がついてしまった代筆手数料にセシル婦人は手紙を書けなくなってしまった。


娘夫婦との唯一の繋がりを断たれ、怪我の治りも遅く、セシル婦人の老いは加速してしまったらしい。


言葉も話せなくなってしまった現状に、そして時折こうして足を運ぶほか何もできない自分の非力さに、胸は締め付けられる。



「セシルさん…お手紙、書きませんか?」


「………」



ほんの僅か、首が横に振られる。


ヘーゼル色の瞳は潤み、目尻からはつぅ…と涙が伝った。



「大丈夫です、代筆料の事は気にしないでください。娘さんもきっと、セシルさんからの手紙を待ってますよ。お孫さんのノラちゃんだって」


「………」



涙で濡れた睫毛が上下し、幾重にも零れ落ちる涙を指先でそっと拭う。


ベッドの端に腰を下ろすと、鞄からレターセットを取り出した。


膝を机代わりに板を敷き、紙と万年筆を用意する。


そして悲しげな色に染まった顔にかかる白髪を優しく耳にかけ、亡き母の形見であるネックレスを取り出した。


大粒のガーネットが煌めくそれは、魔力を宿した希少な魔法石。


普段は魔法など碌に使えないが、縋る気持ちで首から外す。



「セシルさんの気持ちを教えてくださいー…」



冷えたか細いセシル婦人の手を取り、共に握り込むように手を繋ぐと、魔法石が淡い光を放ち始める。


そして額を寄せ、セシル婦人が抱く気持ちに自分の意識をゆっくりと重ね合わせた。



———…



陣痛が始まってもなかなか生まれず、それでも五体満足にこの世に生を受けた赤ん坊を抱き、疲労よりも喜びに包まれた日の事。


初めて掴まり立ちをして、自分の元へ覚束ない足取りで歩いた時の事。


ママと呼んではにかんでくれた事。


甘えん坊でいつも抱っこをせがんでいた事。


作ってあげたワンピースをお気に入りだといって、大泣きして脱ぐのを拒んだ事。


夫の肩車を気に入って何度もせがんでいた事。


次第に甘えられなくなり、ちょっとした口喧嘩が増えた事。


翌日、決まってごめんねと言って綺麗な花を摘んできてくれた事。


あんなに小さかったのに、あっという間に大きくなった事。


大人になるにつれ、勝気な面がちょっと心配だった事。


ちょっと抜けてるところもあるけど…と穏やかそうな人を連れてきた事。


仕事一筋だった夫が初めて寂しそうに泣いた事。


その夫が、孫の顔を見る前に先に逝ってしまった事。


彼と遠くで暮らす事を告げられ、家の中が急に広く静かに感じられた事。


手紙だけが心の拠り所であった事。


余計な心配をかけられない事。


孫の子育てを手伝ってやれなかった事。


三人が幸せに、健やかに暮らしてくれれば他に何もいらないと願っている事。


側で力になってやれなくて申し訳なく思っている事。


こんな自分を気にかけてくれる優しい人がいた事。


穏やかに眠れそうだから、こちらの心配は一切しないでほしい事。


明日が雨でも晴れでも、良い一日になりますように。


そしてそんな日々を重ねていけますようにー…



———…



「………」



握り込んでいた魔法石から徐々に光が弱まり、身体中を流れている思い出達もまた泡のように消えていくのを感じる。


娘の幼少期から遡った記憶を元に、伝えたい事を抜き出して一心不乱に筆を走らせた。


溢れんばかりの愛情と、ひた隠しにしてきた寂しさに触れ、気丈に振る舞ってきたその気高さに視界が滲む。


もう交す事の叶わない言葉を慎重に並べ、揺れ動いてしまう自身の感情をひたすら押し殺し、シエル婦人の気持ちを第一に優先して文字を綴った。


一枚、二枚、三枚と、壁掛け時計が刻む秒針の音すら聞こえぬ程に。


そうしてどれくらいの時間が経過したのか、遺したい想いを全て書き起こし最後にピリオドを打つと、ぐわんと視界が歪んだ。



「っ…」



セシル婦人の隣に倒れ込むようにして状態を寝かせ、全身に鉛のような重さを感じ思わず顔を顰める。


指先一つ動かす事すらままならない。


更に酷い眠気も拍車をかけた。


碌に魔法が使えない自分が唯一できる事。


それが人の記憶を共有するだった。


あまり役に立つ能力ではなく、その後の疲労も凄まじい為、人には言えずにいる。



「セシルさん…」



目を閉じたセシル婦人の顔はとても穏やかなものだった。


まさか…!と思い握っていた指を解き手首へと走らせると、弱々しくも確かに脈打っており、ほっと胸を撫で下ろす。



「もうこんな時間…!」



首だけ動かして見やった時計は、もう夜を告げていた。


何処で油を売っていたのかと、室長に怒られてしまう事を危惧して慌てて帰り支度を整える。


目眩や頭痛も酷く、思うように体が動かない中、必死に手足を動かした。


そしてネックレスを付け直し、セシル婦人の首元まで毛布を引き上げる。



「また来ますね。お休みなさい、セシルさん」



そう残して静かに家を後にした。


そして真っ暗な森の中を、疲れた体に鞭を打ち走り抜ける。


帰社後、運悪く室長に見つかってしまい、執拗な罰を受けてしまった。


何処で何をしていたかなんて、口が裂けても言えない。


それがまた気に食わなかったようで、折檻は日付が変わる時間まで続いた。


全身の痛みと疲労に息をする事すら苦しい身で、どうやって自室へと戻ったのか覚えていない。


無償で代筆を申し出た事や自身の能力を使った事は隠し通せたのだから、それでよしとするべきだろう。


翌日、秘密裏に手紙の郵送手続きを済ませた。


体の至る所に打たれた痕が残り、日の元に晒されそうになると慌てて袖や裾を引っ張り隠す。


眠っても疲れは取れず、体を動かす度に何処かが痛み、顔が歪んだ。


それからというもの、室長は多くの業務を与え、休憩の時間すら取れない程に次から次へと雑務も押し付けてきた。


そして少しでもミスをすれば罵詈雑言を吐かれ、体罰を受ける。


職場の人間は自分が次のターゲットにされる事を恐れ、指摘も手助けもしない。


そんな過酷な環境でも、衣食住が整っているこの居場所から逃げ出そうなんて考えは及ばなかった。


孤児である自分の身元を引き取ってくれた会長からの恩もあり、代筆役として必要とされている嬉しさもあったからだ。



「………」



この日も遅くまで叱責を受け、疲労と眠気でくたくたになった体を冷たく固いベッドへ投げ出す。


少し埃っぽい毛布に顔を埋めると、じんわり目尻が濡れた。



「…アラン…」



恩義を抱いていても、不当だと感じない訳ではない。


心細いし、つらいし、虚しいし、心も体も痛くて仕方がない。


そんな時、幼馴染の名前を呼んでしまう。


今は戦地で過酷な戦いを強いられているだろうその彼とは、もう長いこと文を交わしていない。


遠征が決まったと聞いた時、それは覚悟していた事でもある。


互いに想いを寄せ合っていたが、恋人かと問われれば少し曖昧な関係性だった。


自身は孤児であり、秀でた才もない。


対し幼馴染のアランは小さい頃から活発で頭も良く、社交的で優しい性格から皆に慕われていた。


きっと身分を憐れんで気にかけてくれていたのだろう。


その気遣いを思い違いしてしまわぬよう、自制していた。


彼の無事を祈らない日はない。


たとて愛や恋といった情がなくとも、手紙を介して繋がっていられた事が何より嬉しくて文字を綴った。


日頃の疲れも苦しみも、手紙を書いている間は忘れられた。


返事を待ち侘びる日はもどかしかったが、届いた手紙を読むと幸せな気持ちで満ち足りた。


そのささやかな希望すら失くした今、生きている実感などまるで感じられない。



「アラン…何処にいるの…?」



せめて無事である旨の返事が欲しい。


しかしそれを望む資格など自分にはない。


堂々巡りの悩みは胸に重い鉛玉を落とし込むようだった。



「………」



このまま眠ってしまいそうだと、無理矢理体を起こして着替えをすべく服に手をかけたその時、ノック音が木霊する。


こんな時間に一体誰だろうと小首を傾げ、恐る恐るドアを開いた瞬間、驚きを露わにした。



「会長…!どうされたんですか?」


「夜分遅くにすまないね。実は折り入って君に頼みがあるんだ」


「…何でしょう?」


「代筆業務の一環として、遺言書作成の補佐を担ってもらいたい」


「え………そんな、無理ですよ!だって遺言書は本人のものでなければ認められない筈ー」


「あぁ、そうだ。しかし公証人と親族側の証人によって作成された公正証書遺言であれば公的に認められる」


「…でも…私…そんな大役は…」


「安心したまえ。君一人にその役目を押し付けたりせんよ。公証人は別に用意してある。君は彼と共に各地を回って遺言書をしたためるだけでいい。他の手紙の代筆業務と合わせて、な」


「…そんな…」


「詳しい事はまた明日、本人を交えて話そう。その格好では示しがつかんからな。明日はこれを着てくるように」


「はい…」


「何やら悪魔と呼ばれる男らしいが…まぁ取って喰われたりはせんだろ」


「え」



押し付けられた小箱は見かけの割に軽く、話の内容から中身は街着の服や靴なのだろうと予測できた。


しかしあまりに突然の出来事と不安な言葉に頭がついていかず、馬鹿みたいに口を開けたり閉じたりを繰り返す。


雇われの身とあって拒否権などはなからなく、文句一つ言えない事は理解している。


じゃあ、と言いたい事だけ言ってさっさと踵を返してしまった会長の足音が遠退いていくのを耳に、呆けたまま扉を閉めた。


私の生活はいつになったら安定し、私の心はいつになったら穏やかになるのだろうー…



   続

遺言書の代筆も併せて行うように命じられたローズ

しかし公証人がいなければ公的に認められない事を熟知した上で、会長は公証人を紹介し各地を回れと言い放った

出掛け用の服を用意され、顔を合わせる事になった公証人とは一体どんな人物なのかー…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ