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第七の言 真官

「どう、目は?」

 ジェナーが、目を覚ましたノアールを覗き込む。

 ノアール青い瞳が、和やかに笑んだ。

「お前の綺麗な顔がよーく見えるぞ」

 言葉に、思い切りジェナーが顔を顰める。

「ちょっと、機が悪かったかな?」

 ノアールの唇に意地の悪い笑みが上っている。

「さては、あんた、昨日の騒ぎ見てたんだな!」

 ジェナーが、凄まじい剣幕で怒鳴りつけた。

 術司の初歩的な術の一つには、自身の知覚の一部を宙に飛ばして、遙かな地迄も居ながらにして見知る方法がある。

「体はきちんと休ませていただろ。そう怒るな」

「覗き見なんて、趣味が悪い!」

「それは聞き捨てならんな。呼んだのはお前ではないか……」

「なんだよ、それー?」

「気づかなかったか? 眠っていた私を叩き起こしたのは、お前の切羽詰まった悲鳴だったぞ」

 瞬間、ジェナーの顔が朱に染まった。

 言われてみれば、確かにあの時ノアールを心の中で呼んだ記憶がある。

「どうしようか迷ったが、執政官殿が助けに入ったのでな。そのまま成り行きを見るにとどめた。……私が行った方が、良かったかな?」

 口の端の笑いは拭われないままである。

「そこまで頼りにしてくれているとは、思っていなかったが。嬉しい誤算かな、相棒?」

「ノ……ノアールの意地悪!」

 ジェナーは拗ねてそっぽを向いた。

「本当にかわいい奴」

 言葉にますます頬を膨らませる。

 こんなたわいもない会話がとても嬉しい。どうもノアールには、近寄り難い所があるらしく、このジェナーのように、平然と無防備に懐に飛び込んで来た人物はかつて居なかったのだ。

「昨日の残りを手伝ってくれ。そうしたら、私の補佐役から解放してやろう」

 ぐりぐりとノアールの大きな手が、ジェナーの銀色の頭を撫でた。

「分かったよ」

 ジェナーは、椅子に掛けてあったノアールの上着を取って、ベッドに投げて渡した。

 それを宙で受け止め、ノアールがベッドを降りる。最低限度の服を着けたまま眠るのは、騎士としての習い性だろう。それに枕元に置かれていた剣も……。

「俺、本当、あんたと会えて良かったと思うけどさ。……ちょいとばかり、道を踏み外したような気分を拭い切れないって言ったら怒るか?」

「怒る。既に踏み外していたくせに。人に責任を転嫁するな」

 ジェナーは、がっくりと俯いた。

「俺……本当に、あんたが『黒騎士』って信じらんない。どうしてそう口が達者なんだ?」

「相手がお前だからだ」

「…………」

 一瞬の間も置かずに返された言葉に、ただただ、俯くしかないジェナーであった。




   *




 執政官の館の前に、黒いマントに深くフードを被った人物が立つ。

 ゆっくりとその全貌を見透かすように館全体に視線が走り、眉根が寄る。

「変わったな……?」

 呟いて、ゆっくりと被り物を取る。

 その時には、その顔にはもう微塵の疑念も浮かんではいなかった。

 人好きのする穏やかな笑みを浮かべて、門を潜る。

「執政官殿のお加減はいかがかな?」

 出迎えた執事に、穏やかに僧形の青年が尋ねる。

「良くおいで下さった、シン‐フーザー真官殿。こんな早朝から何事です?」

 ベランダから身を乗り出して、レオが訪問者に声をかけた。

「執政官殿……。これは驚きました。今日は随分お加減がよろしいようで、私も嬉しいですよ」

「お気遣い有り難うございます。どうぞ応接間の方へ。すぐに私も参ります」

 弾むような声で、僧形の青年に言うと中に消えた。

 執事が先を歩み、中へ入る。

──何だこの空気は? 先日とは全く正反対だ……。

 観察するように周囲を見回しながら応接間へと向かう。

 その青年の脇を二人の人物が通り過ぎた。ノアールとジェナーの二人である。

 青年の視界が釘付けにされたのは、ノアールの方であった。

「あの……方達は?」

 常に無い驚愕を隠し切れぬ様子で、声が震えている。

 その様子に、訝しげな感じで、執事が答える。

「術剣士『黒騎士』様とそのお連れの吟遊詩人です」

「『黒騎士』?」

「そうでございますよ。噂に違わぬ巧みな術をお使いになります。彼らがお出でになってからこのお屋敷から魔物が一掃されました。ご心痛の種が一つ減ったからでしょうか、旦那様のお加減もすっかり良くなられて嬉しい限りです」

「成る程。執政官殿のお顔の色が良いのはそのせいですか。本当に良い騎士を雇われましたな」

「ええ。街で偶然に術をお使いになったのを目撃しまして……。これは、と思ってすぐにお声をかけました。快くお引き受け下さって、本当に助かりました」

「それは良かった。私も一日も早く執政官殿には、復帰していただきたいですからね」

「フーザー真官。御心配痛み入ります。このまま行けば元通りの体調を取り戻すのも夢ではありません」

 応接間の前で待っていたレオが、シンに答える。

「『黒騎士』は一体何をされたのです?」

「おや? もうお聞きか?」

「執事殿から」

 シンが、傍らの執事に、にこりと笑いかける。それはそれは穏やかで、人を魅了する笑み。

「お喋りだな、お前は」

 咎める口調でありながらも、レオの喜びは隠し得なかった。

「まあ、良い。フーザー真官、朝食はまだなのでしょう? 御一緒しませんか?

 何か見繕って来ておくれ」

 二人は、応接間の中へと入った。

「ノアールは、この館の力場の矯正を行ってくれたのですよ。それも長期間に及ぶ強力な封をもってね」

「それはまた、桁外れな力ですな」

「私も驚きました。七大の印呪を使いこなす術司、その上並外れた騎士でもあるのですからね」

「そのような術司は、未だかつて聞いた試しがありません。伝説の放浪(さすらい)人は別として……」

 完全にシンの無表情が崩れた。

 レオが、可笑しそうに笑う。

「君のそんな驚いた顔は初めて見たよ。君でもそんな顔をすることがあるのだね」

「私も人間ですよ、レオ」

「『西都の(むらさき)真官』も人間ですか、シン?」

「からかわないでください、レオ」

 困り顔のシンに、ようやくレオが真顔で話かける。

「鉄壁の迷宮の(つかさ)よ……。用件は?」

「副知事と……、また揉めましたね、レオ?」

「もう耳に入ったか?」

「人にどれだけ心配をかければ気がすむのです? 副知事は、貴方の追い落としを決意した様子ですよ」

「そうですか……。シンの情報網は的確ですからね。真実でしょう」

「何をのんびりと──」

「私は『西都の金獅子』。そして、その友は『西都の紫真官』。二人が並び立って、それに敵う者がおりますかな?」

「……完全に復活しましたね。本当に貴方は自信に溢れていて手が付けられません。分かりました、協力します。でも、決して無理はいけませんよ」

「承知してます、親友殿」




   *




「フード被ったり脱いだり……。何をしているんだお前? まだ、終わって無いんだから気を抜くな」

 咎めるノアールの口調に、ジェナーがふくれる。

「あの客人だ」

「は?」

「あの真官らしい客人! 『言織(ことお)り』だってバレてる相手だよ!」

「間違いないのか?」

「間違えるか! 俺は、一度見た人間は決して忘れないぞ。聞くこと見ること、全てがこのホシの歴史だ。俺は、一言一句忘れる訳にはいかない! 俺には、そうする義務と責任があるんだ」

──ホ……シ?

「ジェナー?」

 訝しげなノアールの瞳にぶつかり、ようやく正気にかえる。

「ごめん。興奮しすぎた。

 ただ、俺は……、ある人をずっと探してるんだ。その人に伝え無ければならない、全ての『(こと)』を……。だから、それ以外の者に『言織(ことお)り』だと知られると、やっかいなことになる」

「私は? 例外にしてくれるのか?」

「あんた……、興味あるのか?」

「ない。私に必要なのは、お前だ。『言織り』じゃない。言った筈だ。言いたく無いことは言わなくて良い、と。聞かぬ、と」

「あんたが、そんな人だってことは良く分かってる。だから、例外」

 にっこりとジェナーが笑う。

「そうか」

 ノアールが、満足気に笑う。

「『言織り』としての俺の仕事は、その人次第で終わる。そうしたら、本当に吟遊詩人になるんだ。このままあんたの気が変わらねば、あんた専属の吟遊詩人(バード)になることになるな」

「お前のような道連れがいると退屈しないからな。そうなるだろう」

「ん」

 ノアールの返事に満足しながらジェナーは頷いた。

「よし、次に行こう。終わったら、外で思いっきり歌を歌ってこい。私の吟遊詩人殿」

「よーし、はりきって行こう!」

 残る力場の歪みの矯正に、元気良くジェナーが進んだ。

 その後を、静かな笑顔を浮かべてノアールが歩んだ。




   *




「ほ……う。レオの後ろに、例の男が?」

 副知事マーダー‐オーキィが、手の中の杯をもてあそびながら、呟く。

「自国の正統なる後継者を見忘れるとお思いか?」

 向かいの席についた男が問う。

「抜け目の無いそなたの事だ。間違いはあるまいな。一石二鳥といくか?」

「そうですね。あくまでもエル・クォードに楯突くおつもりのようですから」

 男の口許に、冷やかな氷の如き笑みが刻まれる。

「こちらも、それ相応の扱いをするまで」

「相変わらず怖い男だ。目的のためには手段を選ばぬ」

「この世界……、勝てば正義です」

「確かにな。良かろう、私にも『黒騎士』は邪魔な存在だ。あの銀の鳥……」

 うっとりとマーダーの視線が宙を漂う。

「必ず手に入れてみせよう。レオの首の前で歌わせてやろうぞ……」

 自己陶酔の域に達している副知事を見て、男の唇に他からは見てとれない程の笑みがのぼった。

「で、如何なされます?」

「それはそなたに任せる。必要な物は、何なりと申せ。この私に揃えられぬものなど有りはせぬのだからな」

「ありがたく、使わせていただきます」

「うむ。良い成果を期待しておるぞ」

「はい」

 男は、優雅な動作で一つ礼をとると、その場を辞した。

 暗い廊下をサラサラと衣擦れの音を立てながら男が歩む。

 差し込む、満月まで余す所二日の明るい月の光が、男の容貌を照らし出した。

 冷たく、人を寄せ付けぬ底冷えのする笑み。薄く形の良い唇にそれが刻まれている。

 喉が、低く小さく笑いを漏らしていく。

「相も変わらず愚かな男……。うまうまと人の策に乗って来る! 目先のことしか見えぬなど、無知蒙眛の極み。

 ククッ……。笑いが止まらぬとはこの事。エル・マリカも愚かな国よ、獅子身中の虫をぬくぬくと育てさせてくれるのだから」

 フッとその瞳が和む。

「事も大詰め、これで私も国ヘ戻れると言うもの。それも──」

 一際高い笑いが漏れる。

「エル・マリカの一の砦を崩すに止まらず、あの方の首級(しるし)まであげる機会に恵まれるとは、冥利につきる」




   *




「お前、最近ずっと不機嫌だな? どうしたんだ?」

「あいつ……、何でこの所入り浸りなんだ?」

「あいつ?」

「シン‐フーザー真官だ」

「なんだ?」

 常は、人好きのする表情しか浮かべぬ、怜悧で、酷く感情の冷たそうな顔立ちが、本当にそれを反映している。眉が寄せられ、目尻がきつく上がり、口許にも不機嫌を漂わせる。

「あいつ嫌いだ! 話しているとイライラする!」

 声まで、荒くなっていた。

「な……んだ? 正体を知られているからか? 向こうはお前を男だと信じ込んでいるし、大丈夫なんだろう?」

 訝しげなノアールに、ジェナーの鋭い返事が返る。

「そんなんじゃない! あいつ、あの副知事と同じ匂いがする!」

「穏やかな感じの良い人だろう? 何処があの副知事に似ている? それに、執政官殿の体調の回復の様子と、政界への復帰の準備の手伝いに来てあるんだぞ。滅多なことを口にするな。第一、西都の双璧の一人で、執政官殿の親友だぞ。何を嫌う?」

「それが、一番信じられない! なんで、あんな奴が執政官殿の親友なんだ?」

「……一体、何をそんなに嫌っているんだ? 人付き合い大好きのお前らしくもない」

「ほっとけ! 俺は自分の感覚に正直なんだ。あいつ大嫌いだ!」

 あまりの剣幕に、ノアールが呆れ返る。

「余程波長が合わんのだな」

「アア! あの副知事以上だ!」

「……それはまた、凄い嫌いようだな」

「俺は、欲の塊は嫌いだ。どんなものにしろ、度を越した欲望は醜い。他を顧みることを忘れるからな!」

「お前とて、生きる事には執着しているではないか」

 ノアールが苦笑する。

「俺は、定めた者のためならば、死など厭わん」

「そういう者が居るとも思えん。やったことも無いことを口にするのは、無責任と言うものだぞ」

「馬鹿にするな! 俺には、ちゃんと居る! 過去の一人のためにここに生まれ、現在の一人のために国を捨て、未来の一人のために旅を続けているんだ!」

 きっぱりと言い切られて、ノアールが愕然とする。

 根が軽く、誰とも気軽に付き合うジェナーであった。が、その反面誰に対しても同じ心配りをする。つまりは……、誰にも本気では無いと言うこと。

 そのジェナーが、自分にだけは特別懐いているように思えていた。

 そう、自分は特別であると……。そう思っていた。

「今……も、居るのか?」

「兄だよ……。一番最初に俺を愛してくれた大切な人だ。兄上のためなら、国を出る事など何とも無かった」

 今まで浮かべていた苛烈な表情とは、打って変わった、優しい顔。はにかんだ、薄い綺麗な笑み。

 会って間もないが、それでも他の人間には見せない顔を幾つも見せてくれていた。

 だが、こんな幸せそうな顔は……。

「どうした?」

 自分を凝視したまま黙り込んでしまったノアールを、下から覗き込む。

「気分悪い」

「エーッ! 大丈夫か? これから真殿の調査に行くんだろ? どこがどうあるんだ? 熱は?」

 オロオロと青くなったジェナーが、ノアールの額に手をやる。

 小さな白い手が触れる。

「良かった、熱は無いみたいだな。でも、体調悪いのなら今日は止めよう。いくら執政官殿でも、あんたが無理してまで、異常を調べることなんて望んではいないよ。危険すぎる」

「ちがう。体は何ともない!」

 額に触れるジェナーの手を乱暴に払いのける。

「……じゃ、どーゆう事だよ? 俺をからかったのか? 悪い冗談だぞ! いくらあんただって、怒るからな!」

 本気で怒るジェナー。邪心のない心配が、自分に注がれていることは確かだ。

 ノアールは、ぼそぼそと答えた。

「お前に、そんなに思ってもらえるとは、兄上殿も幸せ者だと考えていたら──」

 珍しくノアールが、子供のように拗ねた表情を見せた。

「なんか、こう……ムカムカと」

 自分でも分からぬ心情を、どうにかこうにか言葉にしたような返事に、ジェナーが首を傾げる。

 数瞬……。ジェナーの口許が、引き吊るように歪んだ。

 そして盛大な笑い声が、室に谺した。

「何だよ、あんた妬いてんのか?」

「や……妬くって、何をだ?」

「か……かわいー! そーゆうのをガキの独占欲って言うんだよ!」

 ジェナーが腹を抱えて、ベッドの上で転げ回る。

「ジェナー!」

 首まで朱に染めてノアールが咎める。

 必死に笑いを堪えてジェナーが口を開く。

「心配するなって! あんたは、俺にとっては特別な人だから。定めた者とは違うけどさ、一生ものの道連れだろ? 持ちつ持たれつ、仲良くいこうや。俺、きっと、あんたの奥さんや子供達とも仲良く出来ると思うよ。何たってあんたの選んだ女性に、子供だ。良い()だろうな。ウクク……。相好の崩れきったお父さんしてる『黒騎士』ってのも──」

 その場面を想像したらしく、ジェナーが再度爆笑する。

 いつもとは異なるパターンに、ノアールは頭を抱えて俯いた。

 そんな、人の気も知らず、ジェナーは息もつけぬ程笑っていた。

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