第六の言 副知事
ヒュッと、ジェナーの剣が空を走った。
奇妙な悲鳴が起こる。足下に、崩れ落ちる魔物の屍。
ノアールが、小さく呟くと同時に、青白い炎に、屍が包まれる。
「次、行くぞ」
ノアールの声がかかる。
「あ~い……」
ほてほてとジェナーが後に続く。
館の北端の部屋に通じる、廊下の曲がり角で立ち止まる。
ノアールの掌が、何も無い宙を撫で上げる。
一つ頷くと、ジェナーがそこから後ろに下がる。
ノアールが、呪型を結ぶ。
ジェナーの体に緊張が走る。
空間に陽炎が立ち昇り、収縮を繰り返す。今度は中々に堅固である。
ノアールがさらに力を込めて光系の印呪を呟き、指で補助用の呪型を結ぶ。
そして──
空間が一気に裂けた。
数匹の魔物が、耐えかねて飛び出して来る。
それを、待ち構えていたジェナーが切り倒す。
背後で、ノアールが間を置かずに潔系の印呪を用いて空間を潔める。
ついで、封系の印呪で歪みを矯正する。
「疲れたよォ、ノアール。腹も減ったよォ」
ノアールの後ろを、ジェナーが溜め息吐きつつ付いて行く。
「俺は、吟遊詩人だぞー。なんでこんな事までさせるんだよォ」
「少しくらい手伝ってくれても良いだろ? こいつが済めば、昨夜みたいに安眠妨害されずに済むぞ」
ノアールが無表情に答える。
刻は昼食時。
昨晩遅く、魔物騒ぎで叩き起こされ、そのまま朝に雪崩込んだ。
そして、ノアールの力場調査に付き合わされている。
力場の歪みに隠れている魔物退治を手伝わされているのだ。
「だからって、朝飯も食わせず、こんなに働かせるなんて……」
メソメソ、メソメソとジェナーが呟く。
「お前、本当に食い意地がはっているな。一食、二食抜かした所で死にはせんぞ」
「そりゃ、普通ならね。でも、今は目の前に飯があんだぜ。お預けなんて胃がもたねェよ。俺の胃は空きっ腹に忠実なんだ」
力説するジェナーに、ついにノアールが降参した。
「分かった、分かった。昼食をとってからにしよう。その分幾らか遣り直す羽目になるぞ。構わんか?」
「腹さえ一杯なら、文句は言わん。飯喰えるのに、腹が減ってると不機嫌になんだよ。俺は、あんたと本気で喧嘩なんかしたくねェ。命幾つあっても足りねェもん」
足取りも軽く、食堂に向かう。
「全く、胃袋に正直な奴だ」
「ほっとけ! どうせ俺は、食べることと歌うことに無常の喜びを感じられる、脳天気人間だよ」
「お手軽で良いな」
「ほんと、自分でもそう思う」
きっぱりとジェナーが答える。
げんなりとするノアールを、ジェナーが思いきり笑い飛ばした。
*
「なぜこの館、力場の歪み多いんだろうな」
ノアールが呟く。
「……あんたでも分からない事を、俺に聞くなよ。それに、食っている時くらい仕事の事は忘れろ。飯、不味くないか? 消化にも良くないぞ。飯は楽しく食う物だ!」
言行一致しているジェナーは、それは美味しそうに料理を征服していた。
「楽しんでいるよ、十分。謎解きは、楽しい仕事だ。難解になれば成る程な」
「……変わってんな。俺は、単純に越したこと無いと思うんだがな。この館の内情も良く分からんし、頭痛いぜ」
「何が分からない?」
「三年前の事。執政官殿が、体を壊す遠因になったらしい事件。皆上手いこと話題を逸らしちまう。やたら突っ込んで聞くと、追い出されそうでな」
「無難な判断だ」
「知ってるのか?」
「噂だけだ。本当の所は分かってない」
興味津々の視線を受けて、ノアールが苦笑する。
「後でな。ここじゃまずい」
返事に満足したようにジェナーは食事を再開した。
「『西都の妖姫』の事は知っているか?」
「ん。この西の都の知事の愛娘だ。嬌名は耳に入ってる。幾つか歌も知ってるが、俺は嫌いだから人に売ったこと無いよ。一目見たら忘れられなくなる、その妖艶さに惑わされて、仲違いした親子、兄弟。十年来の親友を裏切った男。陰謀渦巻き、暗い噂の絶えない姫だ。確か、どこかに幽閉されたとか聞いた。……三年前だ!」
ジェナーが思い出せた事を喜んで叫ぶ。
「馬鹿、前!」
青くなったノアールが飛び出す。
「ノアール!」
ジェナーが真っ青になって悲鳴をあげた。
自分を庇って頭から毒を浴びたノアールが、目元を押さえてよろめく。
それでも飛び出してきた魔物の急所に寸分の狂いもなく剣を振るう。
叩き切られて足下に倒れ落ちる、腐犬。口から吐く毒液で相手を弱らせ、止めを刺してくる、凶暴な魔物である。
ジェナーは同時に飛び出して来た他の三匹を目にも止まらぬ速さで切り伏せて、ノアールに駆け寄る。
「離れていろ」
ノアールは、ジェナーを下げさせ微塵も揺るがぬ様子で、呪型を結ぶ。
歪んでいた力場が、次第に整えられてゆく。
歪みによって引き起こされる、異常な振動がゆっくりと薄らいで、やがて止まった。
「大丈夫か、ノアール! ごめん、俺──」
「注意を逸らすような事を言ってすまん」
「何であんたが謝るんだよ! 悪いのは、こんな時に、注意怠った俺なのに!」
目元を押さえるノアールを連れて、部屋へと向かう。
「ごめん。目だろ? 大丈夫か?」
「心配は要らん。明日の朝には元に戻る。使う術の力場の影響で、私の体質は正の方向に向かうようになっているから、毒などの負方向の力は容易に中和出来るんだ。大丈夫だから」
安心させるように、ノアールがジェナーの頭を、ぽんぽん、と叩く。
「あんたが……術司で良かった。毒なんて、普通の人間なら、一生目が見えなくなってる」
「お前が、そうならなくて良かったよ」
労るようにノアールの掌が、今にも泣き出しそうなジェナーの頭を、軽く抱きしめる。
「ごめんよ。俺、あんたの目の代わりするから」
「気にするな、と言った筈だ。視力など無くても見る事は出来る。腐犬も切って見せただろう? 不自由はしない」
「でも……。俺に何か出来ないか? 何か欲しい物は?」
「そうだな。後幾つか、歪みが残っている筈だから、それに魔除け代わりに、これを振り掛けてきてくれないか? 明日まで、歪みの矯正は出来ないからな」
腰に下げた小さな皮袋から、小瓶を取り出す。
「何だい?」
「燐光花から採った香料だ。お前も、御世話になっただろう」
蓋をずらしてみせる。広がった匂いに、ジェナーが頷いた。
「あんたのマントと同じ匂いだ。清水みたいに清々しくて、甘酸っぱい良い匂いだな」
ジェナーが瓶を受け取る。
「場所は──」
「分かるよ。見えるから」
ジェナーの言葉に少し驚き、次いで納得する。ジェナーの瞳は、精霊さえ映し出すのだ。磁場や力場の歪みが見えても不思議はない。
「頼む。せめて夜の間の魔物騒ぎは避けたい。夜中に起こされるのは、大して不自由しないとは言え、歓迎したくはないからな」
「分かった。こいつ掛けるだけで良いのか?」
「燐光花は、魔物除けには最高の物だよ。執政官殿が体を壊してあるからな。夜ぐらい静かに休んでもらわないと」
「ノアールって、本当優しいんだな。昨日、あんな凄い目付きで睨んできた相手を」
「ちょっとした誤解があっただけだ。執政官殿は、良いお方だよ。自分の非をお認めになれる、度量の広いお方だ」
ノアールが優しい顔つきで笑う。
「あんたが、そう言うのなら確かだな。俺も安心して歌えるよ。じゃ、ちょっと行って来るね。ノアール、ゆっくり休んでろよ。もう、油断したりしないから」
「分かった。それが終わったらさっきの続き話してやるよ」
「明日でいい。昨日寝てないんだから、寝てろよ。夕食出来たら運んでやる」
ジェナーは、ノアールを無理やりベットの中に押し込む。
「まだ、昼だぞ。警備役が寝てなど──」
「俺が! あんたの分まで働く! 外で稼ぐの明日からにするよ。今日は、あんたの代わりに警備役する。……俺の腕は知ってんだろ。流れの騎士風情には引けは取らん」
「本当に強情な奴だな」
「ほっとけ! あんたも十分強情だ。そんな体で警備に付こう何て、常軌を逸してる! 戻って来た時起きててみろ、一服盛るからな」
荒々しい声。だが、それが心配からきている事がノアールには分かった。口許に、微笑がのぼる。
──今一つ感情表現の下手な奴だ。
それを知ってか知らずか、ジェナーから、恥じらいの波動が伝わってくる。
「かわいい奴」
つい口が動く。
「な、何だよ、それーっ!」
「気にするな。早い所、頼む。いつ魔物が飛び出して来るか分からんからな」
「……ん。行ってくる」
足音もなく、ジェナーが部屋を出て行く気配だけが伝わってくる。
「猫みたいな奴」
身のこなしといい、気性といい。くるくると変わる。人なつっこく近付いて来るかと思えば、触れると身を固くして身構える。かといって放っておくと、知らぬ内にすぐ傍で見つめている。何を言うでも無く、じっ……と。
決して近すぎず、かと言って離れすぎてもいない。心地好い接し方。
「……あいつを、道連れにして正解だったかな」
ノアールは、優しい微笑みを浮かべた。
*
「ジェナー!」
最後の歪みに、香料を振り掛けている所に、昨夜の女官達が、声をかけて来る。
「やあ、どうしたの? 随分騒がしいみたいだけど?」
「今夜、副知事様がいらっしゃるそうなの。旦那様のお見舞いだそうよ」
口調に、ジェナーが眉を寄せる。
「嫌いな人か?」
「大っ嫌い! 厚顔無恥の見本みたいな奴よ。お見舞いなんて口ばかり。旦那様が、体壊されて政務に携われないのを良い事に、好き放題やってる奴だもの」
「でも、きちんと仕事こなしてるんだろ? でなきゃ、知事殿が罷免してる筈だ」
「駄目駄目。最近の知事様、言っては何だけど魂抜かれたみたいなんだもの。全部副知事任せにして、王宮に閉じ籠もりっぱなし」
「旦那様も酷く心を痛めてあるわ」
「国王陛下が良く黙っているな」
「同じ王族だもの。それに、辛ろうじて最低限度の陳情謁見とかの仕事はしてらっしゃるから」
「王族って羨ましいわ。黙っていても、私達の何倍も長生き出来て、その上、私達が一生懸命働いて日々の糧を得てるって言うのに、ほんのちょっとした仕事するだけで良いんだもの」
女官が愚痴る。
「それは違うよ。王族にはもっと大切な仕事があるんだよ」
「なーに?」
「このレ‐ラームの主要都市に、魔の影響が少ないのは王族の持つ、強い光波動の御陰なんだよ。そりゃあ今は、この都はそれが少々狂っているようだけど、それでも王族に連なる知事様が居て下さってるからこれ位で済んでいる筈だ。もっと気をしっかり持って生活して下されば、その波動ももっと強くなって都の魔物も減るのだろうけど」
ジェナーの言葉に、女官達が感心する。
「へぇー。ジェナーって物知り」
「そりゃあね、俺も沢山の国を渡って来たから」
「……男の人っていいわよねぇ。いろんな冒険が出来るんだもの。私達女が、ちょっと人と外れたことすると、平凡な幸せって言うの味わえなくなるもの」
「そーよねぇ。男の人は、自分に一番相応しい相手見つけるために、何処まででも行けるんだもの。女はどう足掻いても、そこらへんので間に合わせる他無いわ」
「『そこらへんの』って……。きついなぁ。男にとって女の人ってのは、最後の休み場だろ。結局そこに行き着くしか無いんだよ。愛する人の帰りを迎えられる女の人っていいと思うよ。俺は、好きだな。そんな女の人」
「本当?」
「嘘はつかないよ。その人が待っててくれるだけで、男って安心して何処にでも漂っていけるものさ」
「「……じゃ、私待ってる。ジェナー」」
両方から腕を掴まれる。ジェナーを挟んで女官達の間に火花が散った。
けぶる金の髪を風になぶらせて、執政官レオが、窓下の騒ぎを見つめている。
綺麗な柳眉が、解かれぬ疑問に寄せられている。病身ゆえの覇気の無さのためか、どこか気だるげで、艶めかしい。
「あの吟遊詩人の若者も……、何処かで見たような気がするのだがな。思い出せん。私の記憶力も落ちたものだ」
視線の先、二人の女官を扱い兼ねて、オロオロとジェナーが行ったり来たりしている。
そのまま注視していると、フイッと歩みを止めたジェナーが、上を見上げる。
そして、視線の先にレオの姿を見出し驚愕する。
「執政官殿! すみません、うるさかったんでしょう」
ワタワタと女官達を止める。女官達も驚きに声を失う。
「す…すみません旦那様。仕事中に話込んでしまって」
真っ青になって涙ぐむ二人を庇って、ジェナーが前に出る。
「悪いの俺です。二人を叱らないでやって下さい。俺が、話かけたから……。すみません」
謝りつつ、二人を促して仕事に戻らせる。
「ノアールはどうしました? 朝からずっと一緒に仕事をしていた様子でしたが……」
穏やかな物言いに、ジェナーが恐縮して返事を返す。
「申し訳ありません。俺の不注意のせいで、怪我させてしまったんです。俺が彼の代わりに警備役しますから、ノアールを首にしないで下さいね! 俺、何でもしますから!」
必死のジェナーに、レオが苦笑する。
「よほどノアールの事が大事なのですね」
「当たり前です。道連れですから。それに、彼ほど信頼出来る人間いないと思います!」
拳を握りしめて力説するジェナーの姿に、思わず微笑を誘われる。
「私も、彼が気に入ってますよ。首になどしませんから安心なさい。貴方も心配せず、外に出ていらっしゃい。警備役は他にも居ますからね。大丈夫」
「あ…ありがとうございます」
驚きを隠せない様子で、ジェナーが答える。
「でも、今日一日はノアールに付いていたいので」
「それが良いでしょうね。……そうそう、今日は副知事殿がお見えになるのですよ。夕食の後数曲歌っては頂けませんか?」
「喜んで! 俺はその約束で、ここに置いて貰ってるんですから」
「ありがとう。楽しみにしていますよ。それから、ノアールが力場を矯正して下さったお陰か、今日は随分気分が良いのです。その事、伝えておいて下さい」
「はい、執政官殿」
ジェナーは深く頭を下げて、その場を辞した。
レオはその後ろ姿を見送って呟いた。
「恐ろしく勘の鋭い青年だ。完全に気配は殺していた筈なのに……。ノエル王子が、傍に置くのも頷ける」
もう一度だけその姿を見つめて、レオは窓を閉めた。
頭を掻き掻き、ジェナーは部屋に向かった。
「何か……疑われてんなァ、俺。大丈夫かなァ」
ぶつぶつと呟きながら、歩を進める。
が、突然視界に被さる異様な歪みに、その足が止まる。
ビぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ──ンんんんんんんんんんんんんんん!
晶琴が、甲高い音を発して震える。
「何だ? どうした、“ジェナー”?」
音が強まると共に、施していた偽装が解けていく。
「ば……馬鹿っ!! こんな所で──」
ジェナーは、手近に有った扉を開けて中に飛び込む。
……そこで、ジェナーの体が凍りついた。
壁一面を埋める大きな肖像画。そこに描かれた美しい乙女の姿は──
「これ、あの時の娘じゃないか……」
晶琴との共鳴で引き込まれた不気味な洞窟の中で出会った、愛らしい乙女の肖像画が、そこに飾ってあったのだ。
呆然と呟くジェナーの前で、視界に被さる歪みが息づくように広がってゆく。
大元は、この絵であるようだ。
この部屋全体が歪みの酷さは、異界への接点を開きかねないほどである。
「力場の歪みは、この子に関係あるのか?」
考える間にも広がってゆく歪みに、苦くジェナーは舌打ちした。
せっかく矯正した力場が元に戻っては、ノアールの苦労が水泡に帰す。
「しゃーない。“ジェナー”この部屋に結界張れ! 外に騒ぎが漏れると困る」
答えるように、晶琴が唸りによる無音の結界を張る。
「この絵……、封じる! “ジェナー”、出来るか?」
ジェナーの問いを、肯定するように澄んだ音が響く。
「じゃあ、やるぞっ!」
言葉と共に、晶琴の胴から七つの羽毛状の切片が浮き上がり、掛けられていた絵画を縁取るように吸い付く。
再度、晶琴が唸りをあげる。それを合図に、ジェナーが弦を掻き鳴らす。不思議な音階を辿り、紡がれてゆく和音。自らの音に共鳴しながら、重奏さながらに音が降り積もるように重ねられていく。
それに加えて、晶琴と七つの切片が互いに寸分のずれもなく共鳴する音を出し合い、それが歪みとぶつかって空間を大きく軋ませる。
晶琴が苦しげな音を発して、ジェナーの腕の中で震える。
「も……う、少し。頑張れ!」
そう言うジェナーの顔も真っ青である。晶琴と言織りは一心同体。“ジェナー”が受ける苦痛は、そのままジェナーのものとなる。
「俺は……こんな所で死ぬ訳にはいかないんだっ!!」
強烈なジェナーの気が加わると同時に、晶琴の共鳴が力場の歪みを制圧する。
そうして、不意に加えられていた圧迫感が掻き消える。
へたん……。
思い切り、ジェナーはその場に座り込んだ。晶琴の七つの切片は役目を終えたとばかりに、宙に溶けて還った。
見上げる肖像画は、儚げな微笑をたたえてジェナーを見下ろしている。
「やっと……終わった。……全く、あんた一体何者だよー!」
恨めしげに、その乙女を睨む。
「『アルフィ……リ‐ア……デル』?」
描かれる文字を辿り、ジェナーが驚愕する。
「これが、噂の『西都の妖姫』?」
呟く言葉に、律儀に晶琴の音が調和する。
「……う……そぉ! こんな可愛い娘が!?」
自らの力を疑うような言葉に、憤慨したように“ジェナー”ががなり立てるように、鳴った。
「あー、分かった、分かった! 疑って悪かった! とにかく部屋へ戻ろう。あんまり時間喰うと、ノアールが心配する!」
絵の人物への追求もそこそこに、ジェナーは部屋へと急いだ。
が、途中、館お抱えの薬師の所に寄るのを忘れない。
お目当ての物を手に入れると、上機嫌で部屋へ戻る。
そして再度、呟いた。
「信じらんねェ。本とに素直に寝てやがる。そりゃ……、『寝てろ』とは言ってたけど、絶対起きてると思って、眠り草貰ってきたのに……。無駄になっちまった」
黄金色の靄に包まれて、ノアールが寝具の中で静かな寝息を立てている。
枕元に屈み込み、肘を付いてその寝顔を見つめる。顔立ちの美しさもさることながら、そう言うことに頓着しないジェナーは、別の方に気を魅かれていた。
「綺麗だなァ。こんな混じりけ無しの金色の波動に浸る術司、初めて見た」
普通人には見えない、その金色の靄に触れてみる。その温かい波動に、口許が綻んだ。
術司とは、自然界に存在する様々な力場、磁場、波動を操作できる人間達を指す。そのような特殊な操作を行うが故、彼らは自然とその身に普通人とは異なる聖力を纏うことになるのだ。
ジェナーの瞳は、それを映す事ができた。様々な術司を見てきたが、その力が大きければ大きい程、その身に纏う聖力の波動は、混じりけの無い色を放っていた。色は様々であるが、陽光を写したような綺麗な黄金色にお目にかかったのはこれが最初だった。
「あんたって、本当に凄い人なんだね……」
嬉しげな、楽しげな明るい笑みが、ジェナーの口許を飾った。
*
「どうだ? 我が館へ来ぬか? 優遇するぞ」
若い自信に溢れた、だが、その傲慢さを隠そうともせぬ声に、歌っていたジェナーの注意が向く。
冷やかな視線が、その相手 この西の都の副知事を見つめた。
琥珀の肌、栗色の髪、緑の瞳。典型的なエル・マリカの王族の青年が、片膝立てて舐めるようにジェナーを見つめていた。
薄い袷の着物を重ね着し、一番上の羽織は、片袖を脱ぎ、腰の緑石の帯布で止めている。
高く結い上げられた髪を一方の肩に流し、二つに分けた前髪の間から覗く秀でた額、瞳にはひどく豪胆な強い光を湛えていた。
「そなたのような、美しい鳥を飼うてみたいと、常々思うておったのだ」
琴を奏でる手を休めず、ジェナーが返答する。
「ありがたいお言葉ですが、私には連れがおります。今、怪我で伏せおりますので、私が看ねばなりません。そのような次第ですので、その件、御容赦願います」
「気にするな。そなたの望みであれば、そやつの面倒もみてやろうほどに」
食い下がる青年に、内心毒づきながら、ジェナーは重ねて言った。
「副知事様……。私は、吟遊詩人です。副知事様のような、荒ぶる魂をお持ちの方をお慰めする術は持ち合わせておりません。……どうぞ、御容赦を」
「嘘を申すな。そのように美しい顔をしていて、術を知らぬとはようゆうた。荒くれ共が、放っておいた筈はあるまい。ん? 坊や?」
馴れ馴れしく体に手を回され、ジェナーの体が凍りつき、手が止まる。
抱き寄せようとする腕を逃れるように、ジェナーが勢い良く立ち上がる。
副知事の腹の見え透いた言に、とうとう堪忍袋の緒が切れた。
「お戯れもそれぐらいになさい、マーダー殿」
罵詈雑言を吐こうとしたジェナーの気勢を制したのは、執政官のレオであった。
「その若者は、私が雇った吟遊詩人です。この都に逗留する間、私が保護をするとの約を取り付けています。それに、嫌がる者を強引に手元に置いて如何なさる? 醜悪の極みですよ」
過激な言葉に、ジェナーの方が色を失った。
常々穏やかな態度で接していた人物だけに、このような物言いが出来るとは予想だにしていなかった。
今は、その全身に恐ろしい程の威圧感まで纏っている。口許には、副知事・マーダー‐オーキィの薄っぺらな迫力など足元にも及ばない、凄艶で不敵な笑みが刻まれていた。
「それに、彼に手を出すのは懸命ではないですよ。彼の連れは誰だと思います?」
マーダーの態度が怯んだのを見てとって、レオの表情が幾分穏やかさを取り戻す。
「あの『黒騎士』ですよ。迂闊に手を出せば、不慮の事故で命を落とすやも知れません」
レオが、朗らかな笑い声を放った。
ばつの悪い雰囲気に耐えかね、マーダーが立ち上る。
「レオ。あまり良い気にならぬ事だ。そなたの権勢も随分と弱っておろう。その細い体と同じ程にな。『西都の金獅子』とまで呼ばれた身が哀れよの。せいぜいその弱った体を厭うてやれ」
吐き捨て、荒々しい態度でマーダーは、館を出た。
レオは、その言葉に露ほどの反応も示さず、その姿を見送る。
「申し訳ありません、執政官殿。俺のせいで不味いことになったみたいですね」
心配げなジェナーを余所に、レオは穏やかな微笑みを浮かべていた。
「良い薬ですよ。自分の力を誇るに弱者を用うは、褒められた方法では有りません。私の力も未だ捨てた物ではありませんから、心配は無用。……私の方こそ、嫌な思いをさせてしまい、申し訳ないと思っています」
反対に謝られて、ジェナーが飛び上がる。
「とんでもない。あれくらい! 執政官殿の方こそ、要らぬ気遣いはご無用に!」
レオの瞳が、憂わしげにジェナーを見つめていた。
「それでも、気を付けて下さい。マーダー殿は、ひどく執念深い所があります。この場は退きましたが、二度目は保証出来ません。私が居合わせるかどうかも分かりませんから。……くれぐれも──」
「大丈夫です。どうしようもない時には、それなりの対処をします」
明るく答えるにジェナーに不信な目が向く。
ジェナーは、それに答えて先を続けた。
「流れ者には、一定の地は必要ありませんから、尻尾巻いて逃げます。俺には、守るべき面目も、誇りもないですからね。命を守るためなら、逃げることの妨げになる物などありません」
そう答えて、ジェナーは再度座り直して琴を爪弾いた。
「験なおしに一曲歌いましょう。何かお望みは?」
りっこりと笑って問うジェナーに、部屋の中の暗さが一気に吹き飛んだ。
同席していた客人の一人に請われて、ジェナーはエル・マリカの民謡を歌った。
 




