再会
「入室したら、跪いて、頭を垂れて、待つ」
「我が君からの言葉で、顔を上げる」
ウォルター、ルード、の順で代わる代わる言い含める。
「あと、絶対に、逃げだしたりしないで欲しいです!」
最後は、二人揃って言い渡す。
「?? さすがに、ここまで来て、逃げたりしないぞ?」
不思議そうに、聞き返されて、胸をなでおろす。
捕捉するまで半年も、隠遁してみせた相手だ。逃げられたら、すぐに再捕捉は、絶対無理だろう。
「では、行きます」
一の君の執務室の扉をノックする。
「入れ」
応えに、三人で入室する。
「なんだ? 今、忙しいんだが?」
一の君は、書類から目も上げてもくれない。
ウォルターに促されて、執務机の前、跪く。
顔を伏せると、背の半ばまである銀の髪が、さらりと落ちて、床につく。
「我が君に、贈り物を届けにきました」
「親衛隊、影隊、秘匿隊一同からです」
「もったいぶって、何を──」
視線が、上がる。
跪く者の姿に、視線が走る。
からん……。
一の君の手から、ペンが落ちた。
紅い瞳が、大きく見開かれる。
「そんな……。まさか……。これは、……夢か──」
椅子から立ち上がり、机をまわり、屈みこむ。
「顔を……上げてくれ」
かける言葉が、小さく震えていた。
言葉に従い、ゆっくりと顔が上向けられる。
そして、目にする、姿。
半ばまでが黒く染まった白髪。
黒の縦襟の腿の中程迄を覆う前併せの衣。黒金の鋲が打たれている帯布。漆黒のトラウザーズ。
「……え? 髪……黒? なんで黒い、服? え……えぇ?」
目にしている姿が信じられないのか、蒼銀の瞳が、大きく見開かれる。
「ジェナー! ……お前が、居たなんて! ここに、お前が居たなんて!!」
かかえるように、その身を抱きしめられる。
「ま……さか、……ノアール?」
「ああ、私だ! ジェナー! 会いたかった!! だが、もう一度お前に会えるなんて、思ってもいなかった──」
愛おしいという思いが溢れて、額に、瞳に、頬に、鼻に、降るように、口づけが落とされる。
「嘘……。本当に、本物?」
「あぁ、ジェナー……!」
「本当に、……本物の、ノアール?」
「あぁ、そうだ。あの時ほどの力は持ってないし、身体は、この界のものだから、別物になるが……。私は、私だぞ? こんな私は、イヤか?」
「いやじゃない! ノアール! あぁ……夢なら、覚めないで……!!」
「夢なんかじゃない! 私のジェナー──」
二人の唇が、合わせられる。
その事態に、目の前で繰り広げられる再会劇についていけなかった、ウォルターとルードが、ようやく再起動する。
「我が君? これは、いったい?」
恐る恐るかけたウォルターの声に、きつい色を浮かべた紅い瞳が向けられる。
「もう、お前ら邪魔! 出ていろ!」
一の君の腕が、払うように振られる。
二人の身体が、ぶん! と、執務室の扉まで飛ばされる。
しっ! しっ! と追いやるような仕種と、冷えた色味を増した紅い瞳に、慌てて執務室の外へとまろび出る。
執務室のソファに、二人並んで座る。その間も、互いに触れ合い、その存在を確かめ合う。
「お前を急に取り上げられて、大変だった。漆黒の国は、フォン・ノエラからの移民が一番多かったから、姫巫女を失って、一気に国力が落ちた。……それなのに、ヴィ‐タとウルリーケは、一年も使い物にならなくなって、私が代行する羽目になった。二人とも、お前が大好きだったから。……立て直すのに、三〇年はかかったな」
もう離さないと言うように、さらにその身体を強くかき抱く。
「ごめん。“望みし者”に、終わったって判断されたみたいで、別れの時間も許されないまま、ここに戻された」
抱きしめてくるその腕を、なだめるように優しく叩く。
「ああ、わかっていたよ。……去ったことに、お前に責がないことなんて、……最初から知っていたさ。……それでも、五二三年は長かった」
肩口に、その頭を擦り付けるように埋めてくる。
「そんなに、長生きしたんだ……」
「ああ……六四八歳、……長かったよ。最期は、……ヴィ‐タとウルリーケと、ソル‐ヴィーとその妻のゼーラと、……その子ラーラに、看取られた。……私は、最後まで王族であったよ。お前が、そうであることを、望んでいたから……」
「うん……ありがとう」
毛先から半ばまでが黒く染まったその頭を、抱き返してやると、さらに甘えるように、強く頭を寄せてくる。
「……もう……置いて、いかないでくれ……」
「うん……。大丈夫、傍に居るから」
「……お前に、また、会えたから……。もう、……会えなかった……時には、戻れない……」
「うん……、そうだね。もう、会ってしまった」
「……また、……妻にと、……望んでも、いいだろうか?」
「それは……」
苦しいほどに抱きしめてきていた腕から、少しずつ力が抜けていく。
「……今度は……いいか? ……子供……作っても……」
「っ……」
「……ずっと、……一緒……だ。……も……ぅ……二度……と──」
すぅ……。
睦言のような言葉に紛れる、穏やかな寝息。
力無く肩口にもたれる頭から零れ落ちる、半ばまでが黒く染まった白い髪を、梳く。
『より強い力をつけるため、常に身体に聖力を留めるようにする訓練を続けると、身体が黒く染まるんだ。一番染まりやすいのが髪で……毛先から染まっていくんだ。ジ・ダラルで修行して、髪がすべて染まるのに、十五年かかった』
かつて、ノアールが話してくれた。
「たった二年半で、半分も染まるなんて……がんばったんですね」
重みを預けてくる身体を起こして、ソファの背にそっともたれさせる。
別れの時間を、と、望んだ時、『そんなもの……要らないよ』と、すげなく退けられた。
その理由が、ようやくわかった。
──こんなに、近くにいたなんて……。
薄い隈を刻む目元を、柔らかになぞる。
「本当に、……どれだけがんばっていたんですか、……一の君?」
筋肉がきっちりとついて、二回りは大きくなった身体は、自分では、もう抱えられそうにない。
「一の君を、こんなになるまでほっておくなんて……。ちょっと、お灸をすえないといけないかな?」
*
執務室の扉を、そっと開けて、外に出る。
そこには、親衛隊一同がたむろっていた。
外に出てきたのに、一斉に、視線が集まる。
背後に、『心配!!』と、大きな文字が書かれているようだ。
「あの……。聞いても、よろしいだろうか?」
ウォルターが、先ほど執務室に入る前とは比べ物にならない低姿勢で、訊ねてくる。
「……なにを?」
「我が君と、貴方の関係は、……その、どういったものなのだろうか?」
「そんなもの、お前の方が、良く知っているだろう?」
「え?」
咎めるように言うと、ウォルターの口から、驚いたような声が零れた。
「そんなくだらないことより、どうして、一の君を、あんなに疲れるまで働かせている!? 侍従や侍女を持てない一の君を支えるのは、親衛隊の任務の一つだろう!? 怠慢だぞ!」
「なぜ、そんなことを知っている?」
「私が、知らないわけ、ないだろうが?」
「『辺境の吟遊詩人』殿が? 我が君の何を、知っていると?」
ウォルターの、声が、一転して冷えたものになる。
「『辺境の吟遊詩人』? なんだ、それは?」
眉根を寄せて訊き返す。
「貴方のことですよ! だから、迎えに行って、我が君に会っていただいた!」
「何を、言っている? お前たち……私とわかってて、迎えにきたんじゃないのか?」
「貴方が、『辺境の吟遊詩人』だから、迎えに行ったんですが?」
「……ちょっと、待て? どこか、話しが、噛み合っていないぞ?」
「どこがだ?」
「お前たち……本当に、わかってて、迎えに来たんじゃないんだな?」
ウォルターのようすに、本気で、自分の言っていることが通じていないことを理解した。
大きな、ため息を吐く。
「怠慢にも、……ほどがあるぞ」
額に落ちかかる髪を、ぐい! と、乱暴に後頭部に向けて撫でつける。
目元を手のひらで隠し、声を整える。
──今の私なら、ヴォイスチェンジャー無しでも、同じ声が出せる。
「整列っつ!!」
厳しい声が一喝する。
全員が、ぎょっとしたように、背を強張らせた。
「え!?」
「この声!?」
一斉に、視線が集まる。
そこに、撫でつけられた銀の髪。目元を隠した顔を視認する。
その姿は──
「この、バカ者どもが!! そこに一列に並べっつ!!」
命令に、考えるより先に、身体が動いていた。
全員が、背筋を正し、一糸乱れぬ立ち姿で、一列に並ぶ。
「ウォルター!! ルード!!」
二人の頬を、張る。
「私だとわかっていなかったと言うことは、素性の知れぬ者を、あんな簡単な身体検査だけで、一の君に近づけたと言うことだな!?」
「も……申し訳──」
「謝ってすむことかっつ!! 私が、暗殺者だったら、どうなっていたと思っているっつ!?」
怒髪天をついて怒鳴っているのに、なぜだか、見下ろしてくる二人の瞳が、みるみる潤んでいった。
「隊長……だ」
「本当に、隊長だ……」
「お前たち、叱責されて──」
どん!
突進してきた相手を受け止めそこねた。
たたらを踏んだ所で、覆いかぶさるように抱きつぶされる。
「た゛い゛ち゛ょ゛~!! お゛か゛え゛り゛な゛さ゛い゛~~!!」
涙でベロベロになった顔が、見下ろしてきていた。
「……カイ、か?」
見違えるように大きくなった姿に、目を見張る。
「は゛い゛~~。た゛い゛ち゛ょ゛~!! た゛い゛ち゛ょ゛~う゛~~!!」
ぎゅむぎゅむと容赦ない力で抱きしめてくるのに、苦しくて、バン! バン! と、その背を叩く。
「誰……か──」
──こいつを、剥がせ!!
と、叫ぼうとした所で、さらに、抱きしめてくる人数が増えていた。
「隊長だ~~~っつ!!」
そんな多人数の雄叫びとともに、もみくちゃにされた。
「はぁ……はぁ……この、バカ者、どもっつ!!」
肩で息をしながら、足元に悶絶して転がる、かつての部下たちを睥睨する。
ただ一人立っている人物に、きろり、と目線を向ける。
「……レイラ、お前は、正気か?」
「隊長……。ちょっと、無理かも……」
頬を真っ赤にして、ぼろぼろと涙を流す姿。
大きくため息を吐く。ゆるく両手を広げるようにする。
そうしてやってようやく伸びてきた手が、抱きついてくる。
「だって、隊長が、……私たちを捨てたりするから……」
「? お前たちを捨てたつもりなどないんだが?」
「お帰りなさい……! もう、どこにも行かないで……っ!!」
すがりついて、嗚咽をこらえる姿に、とんとん! と、ゆるく、その背を叩く。
「まったく、何なんだよ、この狂乱ぶりは……」
「隊長が、悪いんです。二年以上も、私たちを放り出すから!」
「悪かったよ。あの時は、フォルーレン卿や、大公家からの圧力から、一の君を護ることしか考えられなかったんだ」
「大丈夫です。我が君が、フォルーレン大公派を下すための証拠固めを、終えてあります」
「……そうか。やはり、王になる決意をされていたか」
予想通りの報告が出てきて、口許が笑み崩れる。
「他には?」
「ん~~。今、心配なのは……」
「なんだ?」
「我が君が、王位に就くにあたり、まだ後ろ盾が弱いこと」
「ああ、それなら、大丈夫だ」
「はい?」
「王城に上がっている辺境領主八家のご令嬢方にお願いして、『白百合の会』というのを作ってもらっていたんだ。フォルーレン大公家から横やりで、中央から飛ばされた方々も加えるとおっしゃっていたから、今頃は、一の君の後ろ盾には十分な勢力を取り込んでいらっしゃるだろう。お願いして、そろそろ表に出てもらおう」
「はいぃ!?」
──この人は、今、さらりと、何を言ったの?
レイラの理解の範疇を越える内容に、目を剥く。
王家に匹敵する軍や、術司を抱えている故に、国境周辺に居を構えて護りを固めている辺境領主たち。その、全八家を取り込み済み? いったい、いつから!? どうやって!?
「隊長……まさか、影や牙や秘匿以外にも、……何か、組織されていたり、しますか?」
「『白百合の会』? だって、親衛隊とは別物だよ? 女性方の協力で、政治方面をカバーするように動いてもらっていただけだなんだが?」
「ぅわ……嘘!」
──だけ、って言う!? だめだ、この人! ……自分がどれだけ有能かわかってない!
前々から疑ってはいたけれど、これは、いわゆる、天才ってヤツだ。だから、自分の思考が、一般人の思考から逸脱していることに気づけない。そして、それだからこそ、自覚なく、際限なく、先手を打ててるんだ。
「他には? もうない?」
レイラの懊悩に気づくこともなく、話が続けられる。
「近衛隊に関するの情報が、もっと欲しくて……」
しわり、と、眉根が寄せられた。
「え? あの? 隊長? 何か、心当たりが?」
「女官長に作っていただいている『あざみの会』で集めてもらっている情報ならなんとかなるかも……」
「……『あざみの会』?」
「ああ、うん。今では、王宮女官長をされているリン殿に、昔作ってもらってた」
──もう、やだ……。隊長! 素敵すぎっつ!!
再会です。
でも、いろいろ、わかってない。
もう少し、お付き合いいただけますと、嬉しく思います。




