退去
「義父上、いつ旅立たれるおつもりですか?」
「ああ……。近い内にとは、思っているんだ」
「義母上も、一二五歳を越えられました。もう、時間がないのでは?」
「そうなんだよ……」
「私も、一〇〇歳。即位して、もう二〇年を過ぎましたよ。義母上にとっては、それでもまだ、子供のままなのでしょうか?」
「私は、もう、お前を一人前だと思っているよ、ヴィ‐タ? ジェナーも、そう思っているはずだ」
「義父上……。それならば、なお。義母上を、これ以上、王族の責務で縛りたくはありません」
「そうなんだが……。ジェナーほど、王族の務めを重く思っている者はおらぬから、心配が尽きないようでな」
「しかし、義母上は、王の血を引いてはいないと常々おっしゃっているではないですか! それでは、もう長くても三〇年ほどしか残されていません!」
「わかっている。私も、最後の時くらい、あいつを自由にしてやりたい。共に、自由に生きたい。そんな思い出でも作っておかねば、残された時を生きる私自身が辛い」
レ‐ラームの民の寿命は、約一六〇年。長命な者でも、一八〇年が限度。ジェナーに、急速な老いが始まるのは、目前だ。
ジェナーを喪った後、三〇〇から四〇〇年を生きることになるだろう自分にとっては、思い出を作る時間は、切実なものだ。
「義父上! ならば、なお、義母上を──」
バタン!
王の私室の扉が、思いきり開かれる。
ノアールとヴィ‐タの顔がそちらを向く。
幼い少年が、満面の笑みで飛び込んでくる。
「ちちうえ! あ、おじいさまも!」
「ソル‐ビィー、入室の際のノックはどうした?」
ヴィ‐タが、飛び込んで来た少年を抱きかかえながらも、注意を忘れない。
「ごめんなさい、ちちうえ」
「ちゃんと返事が返ってから入室しなさい。次に忘れたら、お仕置きですよ?」
しょげかえる息子と、きっちり目線を合わせてヴィ‐タが注意を終える。
「それで、どうしたんだい?」
「あのね、あのね、おばあさまから、剣をいただいたんです!」
少年が、握りしめて持ってきた短剣を、その父に見せる。
「ああ……。ジェナーが、自分の身は、自分で守れるようになれ、と判断したんだな」
ノアールが、笑う。
幼い頃、同じように、ジェナーから短剣を贈られたことのあるヴィ‐タも、優しく笑む。
「ソル‐ヴィー、それはとても名誉なことなんですよ。おばあさまから剣をいただくということは、王族として認められたということです」
「ぼく、ちちうえのおてつだい、できるの?」
「ええ、そうです。民を護る、王が一族として、これからがんばっていくのですよ」
「はい! 民をまもることこそが、王のだいいちのやくめです!」
頬を真っ赤にして、瞳をキラキラさせて、ソル‐ビィーが、こくこくと頷く。
「えらいぞ、ソル‐ヴィー」
ノアールが、優しくソル‐ヴィーの頭を撫でる。
その時であった。
ずんっつ!!
大きな負荷が、身体にかかった。
「……!!」
ソル‐ヴィーは、無言のまま意識を手放した。ヴィ‐タの腕の中で、ぐんなりと身体が力を失う。
「は……ぅ!」
ヴィ‐タは、抱き上げていたソル‐ヴィーを落とさぬようにと、強く抱きしめて上体を折った。
「ぐぅ!」
ノアールは、思わず膝をつく。
「……義父上、これ、は?」
「力の強い……王の誰かが、逝ったぞ」
そう、この感覚は、一〇〇年前、二大陸で起こった戦で、王族としての資格を失った者が大量に出た時にもあった。
だが、その時をして、これ程の負荷がかかったことは、なかった。
「陛下!! ご無事ですか!?」
宰相のレオが、先ほどソル‐ヴィーが開け放っていた扉から、飛び込んでくる。
「大丈夫です。レオ……、あなたは、大丈夫ですか?」
「私は、王の血が薄いので、負荷が少ないです! 陛下がたは?」
「ソル‐ヴィーは、幼い故、限度を超えたようだ。ヴィ‐タは、……耐えられるな?」
ノアールの問いに、ヴィ‐タが、脂汗を流しながらも、答える。
「私は、王です」
ノアールが、その答えに満足気に頷く。
顔色も青く、苦しげなヴィ‐タの姿に、レオがヴィ‐タを支えつつ、その腕から、ソル‐ヴィーを受取る。
共に飛び込んできた近衛隊の一人に、レオは、そのソル‐ヴィーを渡した。
自分では、幼いその身体でも、支え続けることが出来ないと判断したためだ。
「殿下を、寝室にお連れしなさい」
レオの命に、近衛隊の一隊が、ソル‐ヴィーを連れ出す。
「一刻もすれば、身体が負荷に馴染む。それまでの辛抱だ」
ヴィ‐タに声をかけつつ、ノアールがレオと残る近衛隊に指示を出す。
「至急、すべての王族の安否確認を」
「承りました」
レオが、術司の招集を命じながら、私室から下がる。
「義父上、大丈夫ですか?」
未大陸で一番の王族としての責務を負うノアールに降りかかる負荷は、自分の比ではないだろうこと知っているヴィ‐タが、問う。
「心配するな、少しだるい程度だ」
ヴィ‐タを安心させるような、深い笑み。
そんなハズはない! そう、口をついて出そうになる言葉を拳を握りしめて堪える。
──義父上も義母上も、我慢が過ぎる!!
宰相のレオから、二人の過去について聞きだしているヴィ‐タは、歯がゆくてたまらない。
二人ともに、一度は王位を捨てた王族であることを知っている。
それなのに、その身に享けた役目があまりにも大きくて重くて、未大陸にて新たに興された、この漆黒の国の、初代王と王妃に祭り上げられてしまったのを知っている。
望んだ王位でもないのに、過ぎるほど民を愛し、同じく渡りきた王族たちを統べ、困難な治世を良くこなし、……そして、自分を育成してきたのを知っている。
どれほどの愛情と、次代の王としての教育を注がれたかわからない。
本当の父母に託されたからでは、ないよ。次代の王だからでは、ないよ。
ヴィ‐タを愛しているよ。ただただ、そなただから、愛しているんだよ。
物心つく前から降るように愛情を注がれて、どうして実子ではないからなどと言って、歪むことができるだろう?
それなのに、自分が未熟なばかりに、二人を開放してやれない。
「くっ……」
自分の不甲斐なさに、涙が滲む。
「どうした、ヴィ‐タ? それほど、辛いか?」
労わるようにノアールの手が伸びてきて、ヴィ‐タの背を優しく撫でる。
自分の方がよほど辛いだろうに、ヴィ‐タのことを先に案じる。
「大丈夫です。義父上や義母上に比べたら、私など──」
「私など、と言うものではない。……おまえは、変な所でジェナーに似たな。自己卑下など、王がするものではないぞ」
「……義母上に、似ておりますか?」
喜色を浮かべるヴィ‐タに、ノアールの眉根が寄る。
「だから、そこは似るな、と言っているんだが?」
「ふふ……。気を付けます」
「お前の、ジェナー大好き! な、ところは、昔から変わらんな。ウルリーケに嫌な顔をされぬか?」
ため息を吐きながら、呆れたようにヴィ‐タに問う。
「私のマザコンよりも、リィの、王妃さま、素敵!! の推し愛の方がはるかにレベルが上です。……私が、リィの愛を勝ち取るための一番の障壁が義母上だったんですから」
どこの世界に、母親と、妻の愛の奪い合いをせねばならぬ不毛な夫が居るだろうか? 勝ったから、いいようなものだけれど。
ウルリーケに、妻問いの是を得た時には、どれほど安堵したことか。
「……そういえば、義母上、来ませんね?」
これだけ城内が騒がしくなってれば、いつもならとっくに、ヴィ‐タを心配して駆けつけているハズだ。
「そういえば、そうだな」
ノアールが、ジェナーとの私室に目を向ける。
「義父上?」
「変だな。今日は、新たな言を織るから、部屋に籠ると言っていたのに──」
その時、ヴィ‐タの私室の扉が、叩かれる。
「誰?」
「レオです。陛下、入室の許可をいただけますか?」
「許す」
静かに入室したレオが、ヴィ‐タに軽く頭を下げて、報告する。
「安否確認完了しました。皆さま、ご無事でした」
「……では、この負荷は?」
訝しげに、ヴィ‐タが呟く。
「もしもですが、……二大陸の方で、また何か起こったのでは? 王族が集団で斃れたなどで、こちらに負荷が伝播したとは?」
「いや、それはないだろう。二大陸と未大陸は、ハーン・キリエの封で、完全に分かたれているから──」
ノアールが、ふと不安になる。
──ジェナーは、……なぜ、来ない?
『私は、さすらい人の再来を補佐する者。そのためだけに、……レ‐ラームを救うためだけに、この界に生まれたんだ』
かつて、寂しそうにそう告げたジェナー。
今、漆黒の国を興し、ヴィ‐タを育て王位を譲った、さらに、その後継のソル‐ヴィーまでも育った。
──まさか……。
ノアールが立ち上がる。
「義父上?」
よろめきながら、部屋の扉に向かう。
「義父上!? 無理をしないでください!!」
後を追おうと立ち上がろうとしたヴィ‐タだが、断念して、レオに目をやる。
「先王陛下、どちらに?」
レオが、ノアールを支える。
「部屋へ連れていってくれ」
ひどく焦ったようなノアールのようすに、レオが訝しむ。
──まさか!
バン!
ジェナーとの私室の扉を開く。
「ジェナー!!」
呼んでも、静まり返ったままの室内。
よろり……と、室内に足を踏み入れる。
さして広くはない室内を見渡す。
窓際に、こちらを背にして窓を向いて置かれた椅子に、“ジェナー”が置いてある。
ジェナーが、片時も離さないはずの晶琴。
──まさかっ!!
椅子に、辿り着く。
今日着ていたジェナーの服が一式、抜け殻のように、椅子から床にかけて散らばっていた。
「“ジェナー”、ジェナーは、……どこだ?」
震える声で訊ねる。
だが、いつもなら返ってくる音が、返ってこない。
ぞっ……とするほどの喪失感。
この、王が逝った感覚は、ジェナーが……去ったからだ。
ジェナーも、また、どこかで王の血を引いていたのだろう。それも、とても濃い血を。
「あぁ……っ!!」
全身から力が抜けて、膝をつく。
──いつか……いつか、失うのではないかと感じていた。そう、手に入れたその瞬間から、いつか、この時が来るのではないかと、恐れていた。
「限られた時間だと……そう、知っていたのに……っ!!」
もっと、愛していると告げておくべきだった。
もっと、抱きしめておけば良かった。
もっと、大切にしたかった。
「……ジェナーっつ!!」
*
『ありがとう』
ふいに、頭の中に、響いた声。
あの日の声が、聞えた。
「っ!? 待って……、待ってください!!」
身体が、淡い光で包まれる。
「待って! せめて、せめて……別れを──っ!!」
光が、閃光となる。
『そんなもの……要らないよ』
光の中、意識が霞んだ。
『ありがとう』
考えてみれば、暴走は、この子から始まっていたのかと……。
この、困った子供が、義母上への愛を叫ばせろ!
……まだまだ暴走が続いています。
次話では、元の世界に戻されてからの話になります。




