第十一の言 旅立ち
「兄上?」
茫然としてジェナーが聞き返した。
「私は残ると言ったのだ……」
静かに、ソル‐ヴォーグが反芻する。
「何故です!? 兄上なら良くお分かりの筈です!! 二大大陸が、この度の戦でどれ程傷ついたのか!
……その戦によって、人々の数は確かに減少しました。けれど、またその戦によって、更に大地は疲弊してしまいました。
未大陸に人々を移す必要は、戦の前よりも深刻です!」
青くなって叫ぶジェナーに、ソル‐ヴォーグが苦笑する。
「……お馬鹿さん。私が、残ると言っただけだよ。
そなたらが、旅立つことを止めるつもりはない」
言われた言葉に、ジェナーが困惑する。
「確かに、移民は必要なことであろう……。
そのために、進んで多くの人々が集っている。
己らの犯した罪を償う意味も含めて、人々は喜んで苦難を越えるべく、そなたらの呼び掛けに答えている。
若き力は、新しき地へ……。それは当然のこと」
静かに微笑んで、ソル‐ヴォーグが続ける。
「だが、答えたくとも答えられない者が居るのもまた事実。その者達を、私は護らねばならぬ。
戦の終結と共に、間違った道を歩んだ王達は、その犯した禁忌の故に、王位を追われた。
これからの国の再建には、王の力が必要だというのに……。
そして国を治めるだけの資格と力を有する王族の数は、少ない」
その言葉の意味を悟って、ジェナーの瞳から涙が零れた。
「誰かが残らねばならぬ。……残るべきは、老いた者。
若いそなたらは、新たな大地で、新たな国を築け」
静かに語られる言葉は、真実の王足る者の言葉で……。
ジェナーは語るべき言葉を、見つけることが出来ない。
「兄……上……」
急に突き付けられた別れに、ジェナーはただ涙することしか出来なかった。
「……ラ‐ヴィータ。泣くな。お前は一人ではないのだから。
それに、そなたには頼みたいことがある」
真剣な瞳で請われて、ジェナーの顔が引き締まる。
「何でしょう? 兄上のためなら、何でもいたします」
相も変わらぬ真摯さに、ソル‐ヴォーグの口許に苦笑が登る。
「……私の子を、育てて欲しい」
言われた言葉に、大きくジェナーの瞳が開かれる。
「はぁ……?」
頓狂な声に、ソル‐ヴォーグは気付いた。
「ああ……。お前には未だ知らせていなかったな。
忙しい最中で、要らぬ気遣いをさせたくなかったから」
背後を振り向いたソル‐ヴォーグが、離れた所に立っていた妻を呼ぶ。
仲の良い兄妹の別れの邪魔をしたくないと気を配っていた義姉が、呼ばれて近付いて来る。
その義姉の腕の中に抱かれた、幼子の姿。
「息子の、ヴィ‐タ‐ノル‐シィール‐ソーンだ」
鈍い銀色の髪。蒼銀の瞳の幼子が、にっこり……と、ジェナーを見て笑っていた。
ジェナーの顔に、驚愕と歓喜の色が広がってゆく。
「兄上もお人が悪いっ!! どうして、このように大切なことを話して下さらなかった!!」
咎めるように叫ぶジェナーは、甥っ子を嬉々として抱き上げた。
「可愛い御子……。髪と瞳は兄上そっくり。口許は義姉上様に似ていますね」
あやしながら、ジェナーが呟く。
心底からの喜びを示す妹の姿を、兄夫婦は安心したように見つめていた。
「……預かってくれるか?」
その言葉に、ジェナーは改めて気付いた。
請われた事の重大さを……。
「この子を手放されるおつもりか!?」
静かに二人が頷く。その瞳の奥にある、強い決意。
「かの地では、苦労することが目に見えていると言うのに?」
確認のための問いにも、それは揺るがず。
「ヴィ‐タには、築く者になって欲しい。
それに、かの地へ渡れる王族は少なかろう……。同行出来ない私達に変わって、この子に我等の意志を託したい。
共に……、連れていってやって欲しい」
親としての愛情と、王としての責務。悩んだ末に、出したであろう結論であることは明白で……。
「……分かりました兄上、義姉上様。ヴィ‐タは、私が責任を持ってお預かりいたします。どうか御安心下さい」
決意したジェナーの言葉に、二人は穏やかに頷いた。
心の内の寂しさは隠せなかったが、我が子も分かってくれるであろう。
この地に留まる以上に、己を必要とする人々の間で育つことにより。
そして、ジェナーから教わるであろう。どれ程、自分達が愛を注いでいたかを。
また、離れていても、注がれる愛情に変わりは無いことを。
*
二人は、再び二大大陸と未大陸とを繋ぐ洞窟の中に居た。
その通路の封鎖のために……。
邪な欲望をもって、未大陸へ渡ってこようとする王位を追われた王達や王族達から……未大陸の人々を、世界を守るために、新たに王位に就いた者たちは申し出た。
未大陸に渡った多くの国の者たち。
その者たちの間に未だ存在する、民族間の隔たりからくる不調和を、助長する者が入ることを恐れて……。
時至る迄、二つの世界の間の行き来を禁止することを。
考えあぐねた末、ノアールはそれを受け入れた。
確かに、かの地での苦労は目に見えている。
その苦労に、民の間に不満の声が募ることもあろう。
それに、もし乗じられたら……。
ノアールの決断は、そのままジェナーの決断である。
全ての意志決定は、ノアールのものであるが故に……。
反論することもなく、ジェナーはそれに従って、行動を共にした。
要所、要所に、時至る時に外れるように封印の壁を築いてゆく。
中々に困難な作業であったが、ノアールは不平不満の一つも零さなかった。
傍らに、ジェナーが従っていたから。
「…………これで、最後だ」
ノアールの言葉に、ジェナーが頷く。
「……本当にいいのか? この壁を築けば、どれほど巧みな翔系の身移しの術を司どっても、向こうへは戻れぬぞ」
確認するような問いに、ジェナーが笑う。
「何故、俺に聞く?
兄上達とは、いくら距離を隔てようとも互いを思っていることに変わりはない。
それに……」
ジェナーが少し言い澱む。けれど、その言葉は続いた。
「俺の居る場所は、あんたの傍だよ」
極上の微笑み付きで言われて、ノアールが嬉しそうに笑う。
そして、施される最後の術……。
ジェナーの瞳に写し出される、二大大陸から漏れていた波動が消える様……。
けれど、その瞳に後悔は無かった。
「さようならは、言いません兄上、義姉上様。
ジェナーの想いの一部はずっとお側にありますから……」
そう言って、にっこりとノアールに向かって笑う。
「さあ、行こうノアール。皆が待っている」
促されて、ノアールが後に従う。
「ジェナー……」
躊躇いがちに掛けられた声に、ジェナーが振り向く。
「何? ノアール?」
極上の笑顔は変わらず。ノアールは少し安心する。
戻れなくなったことを、本当に後悔してはいないらしい……。
「ずっと……私の傍に居てくれるか?」
少し赤くなりながら、それでもノアールは問うた。
「当たり前じゃないか! 言っただろ、俺の居る場所はあんたの傍だって。
俺は、あんたの補佐役だし……。一生ものの、道連れだろ?」
当然の如く返された返事は、だが……、ノアールの問うた意味を外していて。
ノアールは、前より赤くなって再度言い直す羽目に陥いる。
「そ……そうでは無くて……」
言い澱むノアールに、訝しげなジェナーの顔が近付く。
「強引なあんたにしては珍しいな? はっきりしろよ、らしくない!」
きっぱりと言い切られて、ノアールも開き直った。
本当に、言い澱むなど自分らしくない。
ジェナーが、自分を必要としていることは明白ではないか! と、自分を励ます。
「私が聞いているのは、“道連れ”ではなくて、“連れ合い”の話だ!
私の妻になってくれる気はあるか? と、聞いているんだ」
真剣なノアールの青い瞳が、ジェナーの蒼銀の瞳を射抜く。
「……何? 何だって? 何を言ってるのさ? 俺が、あんたの何になるって?」
脅えたように、ジェナーが聞き返す。
その態度に、ノアールの内に何かの警戒信号が鳴った。
だが、それを無視してのけた。
自分には、ジェナーが必要なのだ。そして、ジェナーにも……。
連れ添って何が悪い?
「私の妻に……だ」
静かに返った返事に、ジェナーが泣きそうな顔で横に首を振り、後ずさる。
「ジェナー?」
意外な反応に、ノアールが訝し気な色を浮かべて近付こうと足を踏み出す。
ジェナーは、酷く脅えたように飛びすさった。
ノアールから逃げるように……。
「ジェナーっ!!」
苛立ったノアールが、強引にその腕を捉える。
「駄目だよ、ノアールっ!! 言ったじゃないかっ!!」
なお暴れるジェナーを、強く抱き込む。
「何を!?」
「言ったじゃないかっ!! 俺は飽くまでもあんたの補佐をするための存在だって! 俺には、このレ‐ラームの未来を決定するだけの権利は無いって!」
「もう、……『補佐する者』は必要ない! 人々は無事に新たな道を歩み始めた! 自分を殺す必要は……もう、無い!! 己の幸福を考えろ!」
ノアールの言葉に、ジェナーが大きく首を横に振る。
「違う……っ!! そうじゃ無いんだっ、ノアール!」
否定される、ノアールの想い。
でも、それは、拒否されているのとは異なる感触で……。ノアールは更に問うた。
「私にも、分かるように言ってくれ。でないと、理解出来ない!」
「俺は……、俺は、この世界の、このホシの人間じゃ無いんだっ!!」
「ジェ……ナー?」
語られた言葉の意味を把握しかねて、ノアールが聞き返す。
「俺は……、確かにフォン・ノエラの王家に生まれた。けれど、それは、この世界の気を乱すことなくこの世界に入るために『望みし者』がその手段を選んだだけ……。
フォン・ノエラ王家の血を引いてなどいない。それどころか、レ‐ラームの者でもないんだっ!!
異世界で持っていたこの特異な体質を望まれて、俺はその体のまま、此処へ移された。
真の意味での補佐役なんだっ!! あんたのためにだけ望まれた、『補佐する者』なんだ!!
だからこそ、フォン・ノエラの王と后は俺を疎んじた! 親たる者、自分の本当の子であるか否かなど、一目で分かるから……」
苦しげに語られる、ジェナーの真の素性。
「前の世界でだって……、俺は何処の素性の者とも知れぬ生まれだった!
……だから、どれ程望んだって、あんたの……あんたの妻になる資格なんか無いっ!!」
「知らない……、そんなこと私は知らないっ!!」
ノアールの想いは、ジェナーの不用意に漏らした言葉で、他の全ての言葉を無視してのけた。
「ノアールっ!!」
悲鳴のようなジェナーの声。抗う体。
「お前に、私の妻になる気があるのなら、他の何も関係ない!」
強引に、ノアールの唇が、ジェナーのそれに重ねられる。
驚きと共に、ジェナーの抵抗が止む。
「愛している……私のジェナー」
そして、ゆっくりと、ジェナーの腕は、ノアールの背に回された。
「ノアール……、ノアール……。俺も……俺も、愛してる」
「でも……ノアール。どうしよう?」
薄く頬を染めたジェナーが、困惑の色を浮かべてノアールを見上げる。
そんなジェナーを優しく胸に抱きながら、ノアールが優しく問う。
「何を?」
「……その……。その、あの……」
「はっきり言えよ」
促されて、やけくその表情で、一気にジェナーが叫ぶ。
「俺、あんたの妻になったって、子供は作れないぞっ!! レ‐ラームに、俺の血を残す訳にはいかない!!
あんたには、後を継ぐ者が必要なのに……。
だから……、俺は正妻にはなれないぞ! あんたには、血を残す義務があるんだから、ちゃんとレ‐ラームの女性を──」
続こうとする言葉を、ノアールの唇が塞ぐ。
「ん……。ノ……アールっ!! ふざけるなよ! 俺は真剣な──」
「私だって真剣だ。私に、お前以外の者を妻に迎える気はない!」
きっぱりと、ノアールが言い切る。
「それに、……後継者ならば、既にいるだろうがっ!!」
驚きに見開かれるジェナーの瞳。
「後継者がいるって……どこに?」
己で勧めておきながら、妬いているのは明白で……。
──可愛い奴……。
ノアールが愛しげに、ジェナーの体を引き寄せ抱き込む。
「馬鹿……。ヴィ‐タのことだ。何も、私の血を引く必要はないだろ。私の心を引き継いでくれれば、それでいい……」
「ノ……ノアール……」
ジェナーの瞳が潤む。
「お前が居ればそれでいい。私は、お前だけを愛している」
再度、重ねられる唇……。
伝わってくる、偽りの無いノアールの深い想い。
ジェナーは全てを忘れて、そのままノアールに縋った。
それは、生まれて初めて、心から味わう穏やかな幸福であった。
*
その昔……、我等が王の始祖──
南の果てなる険しき高山を越え
遥か果てにあると言う、伝説の古き二大陸より
この地へ来る
……………………リュ────ンン ……
吟遊詩人の琴が鳴る。
一人は漆黒の髪、空の青の瞳、日に焼けた白き肌……。
そは、王たる者なり
一人は銀色の髪、蒼銀の瞳、日に透ける白き肌……。
そは、后たる者なり
互いを知らず、二人は育つ、二つの国で
互いを知らず、二人は旅立つ、二つの国を
それぞれを求めて二人は旅立つ
それぞれの使命を抱いて二人は旅立つ
一人は遠い……遠い古の『さすらい人』の再来として
一人は、その者を補佐する者として
やがて、二人は出会う朝露含む森の中──
長き石畳の街道で……
やがて、二人は出会う──
互いを掛け替えのない道連れとして……
待ち受ける困難に
引き裂かれてなお互いを求め
度重なる困難を
その大いなる力をもって乗り越える
一人は、類稀なる術司として……なお剣士として
一人は、類稀なる乙女として……なお今言織りして
そして二人は導く、レ‐ラームの民を……
そして二人は導く、新たな地へと……
人々は、醜き戦を乗り越えて
二人の後に従った……
深き愛情示してくれた
その命をかけて救ってくれた
二人の者に従った……
そして、我等はこの地へ来る……
新たなる大地へと、我等は来る……
そしてこの地へ渡りし時に、二人は深い契りを交わす
互いをこそ、唯一の者として
やがて、その後継たる者、類稀なる資質を示さん
二人の血は継がなれど、二人の心を継いだ故……
そが、我等が至上の王たる者なり
そが、我等が愛する王の祖なり
讃えあれ我等が王なる始祖の出会いを──
讃えあれ我等が国を作りし者を……
…………静かな、静かな、余韻を残して吟遊詩人の歌が終わる。
それは伝説……。
遥かな時を超えて伝わり来た、一つの伝説。
今となっては、幻の如き、
遠い遠い……、昔の日の物語。
けれど、人々はその国をもって知る。
それは、まごうことなき真実の伝説であると。
それは、新たなる『さすらい人』の伝説であると。
比翼連理
本編終了です。
後は、エピローグ……。やっぱり、時空を越えた出会いは、成就しないとだめだろ。ということで書いてます。




