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第十の言 終戦

「ジェナー……?」

 空になった寝台。

「ジェナーっ!! また、私を置いて行くのかっ!?」

 哀しみに打ちのめされて、ノアールが絶叫する。

 と、背後の天幕の布が持ち上げられる。

「呼んだ?」

 一つの声が答える。

 ノアールは、その声に体中を緊張させた。

 信じられぬと言う思いと共に、ゆっくりと背後を振り向く。

 そして、ノアールは、爆笑した。

 ……ノアールの目前で、大きな疑問符を飛ばしてジェナーが立っていた。

「何だよ?」

 余りに笑い続けるノアールに、ジェナーは機嫌を損ねて目元をきつくした。

「お……お前、お前って奴は──」

 息も絶え絶えに、ノアールが口を開く。

 けれど、その言葉は最後まで語られることなく笑いの内に紛れる。

「何が、おかしいっ!!」

 ジェナーがとうとう本気で腹を立てて、座り込むノアールににじり寄る。

「ハハ……。全っ然、変わってないな」

 ようようにしてそう告げたノアールの声は、それでも笑いを収めきれない。

「何が?」

 心底分からぬと言いたげに、ジェナーが問う。

 呆れ果てたノアールが、ジェナーの腕の中に収まっている物を指差す。

「? これが、どうした?」

 指差された、鍋ごと失敬してきたシチューを見つめる。残る腕には、しっかりと匙が握られている。

 ジェナーにしては、覚醒と同時に襲い来た空腹に忠実に従っただけなのだ。

 天幕の外から流れてくる、シチューの匂いに誘われて、ふらふらとそちらへ向かった。

 その直後にノアールは、飛び込んだ訳である。

 ジェナーがまたも姿を消したのかと、絶望の淵に立たされて……。

 なのに、そのジェナーときたら……。

「お前……。本当に食い意地がはっているんだな」

 呆れて語るノアールの声は、揺れていた。

 俯くノアールの様子がおかしい……。

「どうした?」

 心配したジェナーが、鍋を放り出してノアールの前に屈み込む。

「ノアール……?」

 泣き笑い……。

 本当にそれであった。

 喜びに輝く笑顔……。

 けれど、その青い瞳からは止める術も知らぬかのように涙が溢れ落ちて行く。

「な、泣くなよ、ノアール! 男が泣くなんて、みっともないぞっ!!」

 怒ったように叫ぶジェナーの内にある、心配は歴然としたもので……。

 目の前に、以前と全く変わらぬジェナーの姿がある。

 求めて……、求めて……。狂うのではないかと言う程に求めて……。

 そして、今やっと自分の元へと帰ってきたジェナーの存在。

「ハハ……。これは許される涙だよ……」

 そう言って伸びてきたノアールの腕が、ジェナーを抱き締める。

「お帰り……、私のジェナー」

 ジェナーと別れて半年が経過していた。

 眠り続けた、愛する女性の帰還である。

 その喜びの涙を、一体誰が責めることが出来るであろう。

「ただいま……、ノアール。会いたかったよ。俺……、ずっと、ずっとあんたを呼んでいたよ。他の誰でもない、あんただけを待ってた……。ノアール……。ノアール──」

 二人は、強く互いを抱いた。相手の存在を確かめるように、互いの温もりを確かめるように……。




   *




「──それじゃ、俺にもどうしようもない」

 今の、レ‐ラームの状況について教えられ、ジェナーが絶句する。

 レ‐ラームを上げての戦……。

 これだけそうそうたる者達が集っておいて、その民の心に触れることが出来ないでいるという現実。

 透見(すかしみ)と、(こと)を織ることしか出来ぬジェナーには、何の(すべ)もない。

 無論、精霊達の力を借りても、成せることと成せないことがある。

 人と精霊の間には、大きな隔たりがある。並みの人間には見えぬ。感じることも出来ぬ。

 故に、人間相手には何も成せない。

 その心に触れて、開かせることなどまず無理だ。

 自分の価値を過少評価し過ぎていた。

 自分の生まれ故に……。

 自分の異端者としての才故に……。

 自分と言う存在が、これ程にレ‐ラームに関わっていたとは思わなかった。

「ごめん……。何の力にもなれずに、ごめん。俺……、レ‐ラームが好きだから、この世界を助けたかったのに……。ごめんなさい……。何も出来ないどころか、かえって取り返しのつかないような状況に追い込んでしまった」

 泣きそうに、ジェナーの表情が歪む。

「ジェナーっ!!」

 ノアールの強い声。

 この天幕の中、唯一明るい色を含んだその声。

「ノアール……?」

 その余りにその場の雰囲気にそぐわぬ声に、ジェナーが訝しげに顔を上げる。

「お前、歌を歌えよ」

「はぁ………………?」

 思い切り訳が分からぬと言うような声を上げても、誰も責めようとはしなかった。

「だから、歌を歌えって!」

 レ‐ラームの事態が事態だけに、それは常軌を逸した申し出だった。

「ノアールっ!! 何ふざけてんのさっ!!」

 掴みかからぬばかりの勢いで、ジェナーが詰め寄る。

「『さすらい人』の再来たるあんたが、この状況で良くそんな阿呆なことが言えるな!!」

 ジェナーの言葉に、ノアールが真剣な瞳で返した。

「この状況だから、歌えと言っている!!」

「…………」

 ジェナーが呆れて、黙り込む。

「……焦れったいな。分からないのか──」

 苛立ったノアールが、叫ぶ。

「何が?」

 問われて、頭を抱え込む。

「お前……。自分の価値には、本当に気付いていないんだな」

大きな溜息と共に言われた日には、話の見えてないジェナーには怒りを表す以外には無く……。

「だから、何がだよっっ!!」

 苛立って叫び返す。

吟遊詩人(バード)としての、お前の力にだよっ!! どの街でも、どの都市でも、お前の歌に人々は魅せられた! お前の歌は、人の心を捉える。人の心の底にまで、染み入る力を持っている!」

 ノアールの言いたい事を悟って、ようやくにジェナーの疑問に曇った顔が晴れる。

「“歌”……か! そうか、その()があったな!!」

 歌の効力は、その昔から語られているではないか……。

 人は、いつもその想いを伝えるために歌に想いを託す。

 その神に……。

 その王に……。

 その恋する人に……。

 そして、あるいは不特定多数の人々に訴えるために……。

 人は、歌うではないか……!

 真実を込め、想いを込めて、力強く歌う声は、どのように頑なな人の心をも開く。

「晶琴を使えば、相当強力な想いを歌に込められる。各地に散らばっている晶琴に、歌を共鳴させることも出来る!」

 ジェナーの顔が、次第に輝いていく。

「やれるな?」

 訊ねてくるノアールに、ジェナーが不敵な笑みを浮かべてみせる。

「やらいでか!! 歌こそが、俺の欲望の第一だ。俺は、吟遊詩人(バード)になるんだって言っただろ? この喉が潰れる迄歌ってやる」




   *




 その日、戦いの終わりを告げる日没と共にそれは始まった。

 憎しみに燃え、長引く戦いに人の心は荒れすさみ、完全に麻痺していた。

 何をも受け付けることが出来ぬ程に、固く閉ざされた心。

 その心の扉を優しく叩く想い……。

 何を聞く余裕をも失っていた耳が、ゆっくりと、もどかしい程少しずつ、開いてゆく。

 声は、急がなかった……。

 ゆっくりと……だが、確実に人々の耳が傾けられる。

 疲れた心が癒されると同時に、疲れた体はそれに倍して癒されてゆく。

 人は、精神に支えられて生きるものである。

 心が癒されることは、体が癒されること以上に活力を呼び戻す……。

 穏やかに……、それは続いた。

 そして、人々が深い休息の眠りに就くと静かに跡絶えた。

 ……声は、毎晩続いた。

 やがて、人々は癒され、心が次第にほぐされる。

 そして、声は明確な形を取り始めた。

 それは“歌”……。

「そーいや、俺、歌を歌わなくなってどれだけたったろう?」

 ぼんやりと一人が呟く。

「長いこと、歌を聞くことも無かったよな」

 答えるように、傍に居た兵士が呟く。

 心に浮かぶ疑問……。

 触発されて、歌に伴う多くの記憶が雪崩を打って心の中に蘇る……。

 楽しい祭りの日。多くの友人達と騒いだ記憶……。

 愛する者達と、静かに過ごす穏やかな夜の記憶……。

 その日々を忘れて、どれ程が経っただろうか?

 そして、歌は幾晩も、幾晩も……。跡絶えることなく続いた。

 やがて人々は知る。

 己らが、足元の大地の荒れようを……。

 自分達の、成したことの愚かさを……。

 憎しみの、果てに残った悲しみを……。

 その悲しみは、相手にもある事を……。

「俺は……帰るぞ」

 一人が呟きと共に、手にしていた剣を捨てる。

「私もだ……。家には、生まれたばかりの息子が居るんだ。今頃、私を恋しがって泣いている」

「儂も帰るぞ! 儂のかわいい野菜達が、畑で泣いておるわ!」

 次々と、人々の手から武器が大地の上に落とされる。

 一人が、抜け出すと、後は早いものであった。

 上官たちの叱責の声も、敵前逃亡の罰も効かない。

 一人……また一人……。

 続々と人々は家路を辿った。

 愛するものが待つ地へと向かって……。

 その彼らを見送って……、哀しみを含んでいた歌がゆっくりと彩りを変えてゆく。

 それは、明確な安堵……。

 それは、明確な歓喜……。

 歌は、人々を祝福するように続いた。




 その日、戦線は崩壊し、……戦は、終わった。

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