第六の言 予兆
「シン‐フーザーっ!! お前が……? またもお前の企みかっ!!
一体何故このような、無意味なことばかり成すっ!!」
ジェナーの言葉に、シンが冷え切った笑みを浮かべる。
「私には、私の成さねばならぬことが有る。
前回は一本とられましたが、今回は譲りませぬよ。
今度は、貴方にも駒として動いていただきましょう……。
南大陸中に敬愛される麗しの“姫巫女”殿」
青い瞳が、満足げな冷たい光を宿して細められた。
「一体何を企んで──!!」
ジェナーの意識が、急速に薄れる。
「エル・クォードに到着する迄、ゆっくりお休み下さい」
怒りに注意を逸らされていた。
部屋の隅で細く煙を吐く、香炉……。
焚かれているのは、眠り草。
口惜しげに、ジェナーの唇が噛み締められる。
「お前の……好きなようにはさせぬ!!」
ジェナーの懐から取り出された懐剣が、大きく振り上げられる。
「……武器は全て取り上げられていた筈ですが。
さすが長い間、野に下っていただけあって、抜け目のない。
しかし……もう、力も入りますまい? 私を倒すことなど出来ませんよ」
侮るシンの言葉に、ジェナーの口許、不敵な笑みが登る。
振り降ろされた先には、差し出されたジェナーの左の二の腕があった。
深い痛みに、ジェナーの覚醒が促される。
深く息を吸い込み大きく口を開く。同時に、晶琴の弦を掻き鳴らす。
「我が友よ……。我が友たちよ!! 我が声に、答えよ! その強き聖力を我に委ねよ! この場より、我が身を解放せよ!!」
力強い声が、精霊達を呼ぶ。
晶琴の音がそれを増幅して、綺麗に調和する。
だが……、そこには何事も起こらなかった。
驚愕に、ジェナーの瞳が大きく開かれる。
「思い切ったことをなさるな。だが、無駄ですよ……、姫巫女殿。
そなたが晶琴の威力は、妖姫の一件で調査済み。
この部屋には、特殊な結界がはられている。精霊達の最も嫌う、忌まわしき人の欲望という念を集うて作った結界がな……」
く……と、シンの唇が満足げに笑みを描く。
ゆっくりと、近付くシンから逃れようと、ジェナーが後ずさる。
「逃げることは適いませんよ。眠り草で、ふらふらではありませんか……。
さあ、その物騒な物を捨てなさい」
伸びてきた手を、持っていた懐剣で切り付ける。
だが、それで精一杯であった。
ジェナーは、懐剣の刃を自分に向ける。
「自害するならそれでも良いですが、……私は、貴方が生きていると偽装しますよ?」
冷えたシンの言葉に、それが本気であることを知る。
偽装された時の影響の大きさに思い至り、ジェナーの手から懐剣が滑り落ちる。
「ひ……きょう──」
「誉め言葉です。事を成すに、手段は選びません。成してこそ価値がある」
「っ……」
ぐらりとジェナーの身体が崩れる。
シンがその身体を抱きとめる。
「最初から、大人しくしておれば良いものを……。
せいぜい……貴方には、働いてもらいます」
シンの瞳は、喜悦に染まっていた。
*
「許せ、イゾルデっ!!」
一気に、ノアールの剣が振り降ろされた。
力尽き、窪みに足をとられてしまったイゾルデは、足を折ってしまったのだ。
ジ・ダラルからフォン・ノエラまで、一千ロンデ(約二○、○○○km)にも及ぶ距離を駆け抜けたイゾルデに残された聖力は僅かな物で……。
ノアールの癒しの術に呼応することも出来ず、傷を癒すこと叶わなかった。
血の滲むような思いで、ノアールは十年来忠実に従った愛馬に止めを刺した。
せめて、苦しまぬようにと、寸分違わぬ急所に剣を突き立てる。
「長い間、御苦労であった。お前以上の馬には、二度と会えぬであろうな」
知らず、涙の浮かんできた瞳を強く拭う。
「泣いている暇など無い! 早くジェナーを見つけねば……」
炎系の呪型を結ぶ。一瞬にして、イゾルデの骸が焼失する。
「さらばだ、イゾルデ!!」
ノアールは、悲しみを振り切るようにその場を後にした。
目指す、フォン・ノエラの王城は目前である……。
「ジェナー……!!」
*
王子、ソル‐ヴォーグへの面会をすげなく断られてしまったノアールは、実力行使に出た。
何分にも、その面会を断られた理由と言うのが、王子が幽閉されている故だと言うことを探り出したからだ。
遮系の術を用いて、自分の回りに人の瞳に写らぬようにする結界を張る。
後は……城の構造などいずこも似たり寄ったりである。
自らの生まれたエル・クォードの城の様子を思い出しつつ、地下牢のあるだろう所に見当をつけて、長い回廊を幾つも通り過ぎてゆく。
暗く湿った地下へと続く、螺旋階段を下り切った所に設けられた分厚い扉……。
扉の前には、二人の衛兵。
「最長老……。このような事に、術を用いることをお許し下さい」
小さく呟いてから、ノアールは掌を合わせた。
併せ目から、静かに煙が立ち昇る。
結界の境を抜けて、それは二人の衛兵の元へと流れてゆく。
普通ならば、興奮した人間の気を静めるために使う癒系の催眠の香である。
ノアール程の遣い手になれば、その効果はてき面。
見る間に力を失った衛兵の体が、床に崩れ落ちた。
ノアールは、完全に二人が意識を失ったことを確認してから、張っていた結界を解いた。
ゆっくりと扉に近付き、衛兵の懐から失敬した鍵で扉を開く……。
「我が子をこのような所に幽閉するとは、王もどうかしているぞ……」
中には……、ジェナーの手掛かりを聞き出せるだろう唯一の人物が居た。
鈍い銀色の固く真っ直ぐな短く切り揃えられた髪。ジェナーと同じ蒼銀の瞳。透けるような白い肌。
きつく情の薄そうに見える冷たく整った容姿。
──髪の質さえ同じなら、ジェナーにそっくりだ。
などと、不謹慎なことを思わず考えてしまったノアールであった。
「……何者だ? 何用あってこのような所へ来た?」
冷たく問うたソル‐ヴォーグの声には、有り有りとした不機嫌が潜んでいた。
「初めてお目に掛かります。ノアール‐ハン‐ノエルと申します」
作法に適った礼を執られて、ソル‐ヴォーグの態度がやや軟化する。
ノアールの黒ずくめの服装と、名乗られた名前……。
「“黒騎士”と呼ばれる、大層優れた術剣士とお見受けするが」
「はい、そのように呼ぶ者もおまりす。
ジェナーの……、ラ‐ヴィータ姫のことをお聞きしたく思い、このような形でお目に掛かります非礼をお許し下さい」
が、続いた言葉に、ソル‐ヴォーグの警戒心が一挙に強まった。
「ラ‐ヴィータのこと? 何故にラ‐ヴィータのことを知りたいと申される?」
強く、厳しい声が、再び上がる。
「どうか、警戒をお解き下さい、ソル‐ヴォーグ王子殿下。私は、敵ではありません。
姫とは、この一年程、共に旅をした者です……。ジェナー……ラ‐ヴィータ姫の事が心配で追って来ただけの者です」
答えに、ソル‐ヴォーグの表情が、別の色を交えて厳しくなった。
「……何故に、何故にラ‐ヴィータを手放したりなさった!?」
問いに、ノアールが訝しむ。
「ラ‐ヴィータと共に旅をしたと言うとこは、そなたが、『さすらい人』の再来なる者であろう?
ならば、何故補佐する者であるラ‐ヴィータを手放すなどと言う、愚かなことをなさった!? そのために、ラ‐ヴィータがどのような目に遇うかっ!!
怨みます!! ラ‐ヴィータは私の、大切な妹なのですっ!!」
烈火の如く、ソル‐ヴォーグの口から非難の言葉が迸る。
ジェナーの身に何か大変なことが起こったのだけは察しが付き、ノアールが青ざめる。
「私は……遅かったのですか?」
呟いた言葉に、再度ソル‐ヴォーグが更なる怒りを露わにした。
「愚かな……っ!! ラ‐ヴィータの価値をそなたは知らぬ!
あれが、エル・クォードに送られることは、私が送られる以上に、騒乱の種となる!!」
強く、その唇が噛まれる。
「──ラ‐ヴィータは、三日も前にエル・クォードへと術司によって移されておる!!」
その言葉に、ノアールの顔が完全に色を失う。
「……申し訳ありません。全てはジェナーから目を離した私の責任です。
ですが、今はどうかジェナーの置かれている状況をお教え頂きたい。そうでなければ、私も動きようがございません!」
「……エル・クォードから、フォン・ノエラの王族を、賓客として迎えたいとの話がきた」
「体のいい人質ですか?」
「そうだ。暗に、戦にしたくなければ、フォン・ノエラに折れろ、と。私が行くつもりで用意していた時に、ラ‐ヴィータが帰国した」
「凰の書簡に、ジェナーに戻るなと記されていたのは、そのためでしたか」
「そうか……、鳳と凰が、一緒では無かったのだな。それで、行き違ったか。私の手抜かりだ。二羽ともに書簡を持たせておくべきだった」
「いえ、私が、ジェナーから目を離したせいです」
短いやりとりで、二人は、互いの情報を補完し合う。
「エル・クォードの落としどころもわからぬ現状で、ラ‐ヴィータを送る危険に、陛下には、再三再考を願ったのだが……。とうとう聞き入れてもらえなんだ」
「叔父は、もともとはただの小心者だったのです。それが、どこで拗らせたのか、レ‐ラーム統一などという野心を抱いてしまった。その野心に、釘をさしてはいたのですが、それでは足りなかった。ご迷惑をおかけしました」
「……叔父? そなたは、エル・クォードの者かっ!?」
再度ソル‐ヴォーグが、警戒の色を浮かべた。
「……先代の王の第二子、オルフェス‐ハン‐ノエル‐サ‐ディザールーと言うのが私の本名です。二十年も昔にその名は捨てましたが、同じエル・クォードの王族として、叔父の不始末は我が手にて、付けます。
どうか、力をお貸し下さい。私は……、私はジェナーを、ラ‐ヴィータ姫を失いたくありません」
ソル‐ヴォーグの足元に平伏して、ノアールは懇願した。
その真摯なノアールの態度に、ソル‐ヴォーグが気付く。
ノアールの内に秘められている、一つの感情に……。
「……そなた? まさか、ラ‐ヴィータを?」
「自らに、そのような言葉を口にする資格があるかどうかは分かりません。なれど、お許し下さるのならば、ジェナーに……ラ‐ヴィータ姫にこの想いを告げたいと思っております」
ソル‐ヴォーグは、厳しくそのノアールに問うた。
「ラ‐ヴィータは、精霊と情を交わす異質な者ぞ。それを知ってか?」
ノアールが頷く。
「……透見という異才を持つ者ぞ。それを知ってか?」
再度、頷き。
「今言織り足るラ‐ヴィータに、偽りは通用せぬ。一生涯あれだけを、愛し護り抜く強さが必要ぞ! それを承知してか!?」
力強い、頷き。
ソル‐ヴォーグは、それに深い溜息を洩らした。
「……ならば、そなたに任せよう。
所詮私には、あれの兄としての愛情しか注いではやれぬ……。ラ‐ヴィータを頼む。
今、あれを一刻も早くエル・クォードから連れ帰らねば、この戦時下にもなろうという状況では、人質として、どのような目にあわされるかわからぬ。もし無体な真似で、ラ‐ヴィータが害されでもしたら、……フォン・ノエラの国民にとどまらず、南大陸の中の民が、怒り狂う」
「ジェナーは、南大陸で何をなしたのでしょう? 私は、北の出身な上、長く国交を閉ざしたジ・ダラルに居たので、南のことを存じ上げず……」
真摯に状況を問うノアールに、ソル‐ヴォーグが静かに口を開く。
「十五年前からの二年間、南大陸を襲った未曾有の大旱魃。それから、民を救ったのは、ラ‐ヴィータの透見の才と乙女の力。それがなければ、どれ程の民の命が失われたか……。民は、その時のラ‐ヴィータの慈しみを、未だ忘れてはおらぬ。
そして八年前、私と王太子の座を争うことになった時に、王族として下らぬことに力を使うことを潔しとせず、最終的に国を出奔した。
あれは、王族としての役割以上に、民のことを慈しんでおる。民は、そんなラ‐ヴィータだからこそ、王太子になるのを望んだというのに。
自分には、フォン・ノエラの王になる資格はない。の一点張りで。
そうこうしているうちに、自分の役目を果たすため国を出たいと、私に相談してきた……。
あの夜、……ラ‐ヴィータが出奔した夜に、水晶真殿の真官と、配下の術司と共に、ラ‐ヴィータの召天を演出した。
フォン・ノエラの民は、姫巫女が自分たちの手の届かない所に行ってしまったと、どれほど嘆いたか。
ラ‐ヴィータは、そんな自分の価値を理解出来ておらん。あれの、自己卑下の心根は、どれ程私が愛を注いでも最後まで変わらなんだ。父と母が、ラ‐ヴィータを疎んだことも一因かもしれぬが、どうして、あそこまで自己肯定感が低いのか、私には理解してやることが出来なんだ」
「ジェナーは、王族としての責を、誰よりも果たしていたのですね。そんなこと、おくびにも出さず、傍にいて、力になってくれました。それに、あの、無私の心根は、私も気になっていましたが、そんな昔から変わらぬものだったんですか」
「無私……まさにそうです。ラ‐ヴィータは、自分の命を削るように、王族としての責を果たしていた。民は、なればこそ、あれを愛したのです。それこそ、陛下や私の存在をも超える、王としての資質を持っています。
……それを分かっておらぬのは、我が父たるフォン・ノエラの王のみ」
きり……と、ソル‐ヴォーグの唇が噛まれる。
「戦を避けねばならぬと口では言いながら、その実においてまるで分かっておらぬことを示しておられる。
情けない限りだ。父があのような腑抜けに成り下がったのも、あの忌まわしき者が現れたが故!
素性の知れぬ者を厚く遇するなどと言う、王族にあるまじき真似をなさるからこのようなことになるのだ……。
幾ら強い力を持とうとも、その力の用い方を知らぬ真官なぞ、真官足るを名乗るもおこがましいっ!!」
吐き捨てるようなソル‐ヴォーグの言葉に、ノアールの脳裏に一人の人物の姿が浮かぶ。
そう、あの一年近くにも渡る探索行にも関わらず、一切の消息を隠し切った、一番に警戒せねばならなかった人物……。
「シン……フーザー?」
呟きに、ソル‐ヴォーグが咎めるような視線を向ける。
「そなた、シンを知っておるのか?」
深く頷く。
「私とジェナーの二人で追っていた者です。
エル・マリカにおいても戦を起こすような策を弄して、二人で寸前のところで食い止めました。
二度とそのようなことが起こらぬようにと追っていたのですが、……まさかこのような所で、これ程の規模の事を企んでいたなど!」
ノアールの唇も強く噛まれた。
今回に限って、後手後手にまわってしまう己に、眩暈がする。
このような事が起こらぬようにと、あれ程追っておきながら、時の逼迫していた状況に迫られて後回しにしたばかりに、この結果である。
「後悔するのは後です……。取り敢えずここを出ましょう。ラ‐ヴィータの身に取り返しのつかぬ事が降りかかる前に手を打つのが、私達に出来る一番の策です」
ソル‐ヴォーグの言葉に従って、二人は急いで牢を抜け出した。




