第二の言 休息
「いいか、“ジェナー”!! ジェナーに言を織らせてみろっ!! お前を叩き割ってくれるから、そう思えっ!!」
ジェナーの腕の中に抱かれる“ジェナー”に向かって、ノアールが怒鳴る。
「ノアール、横暴っ!!」
だが、抗議を返したのは、ノアールによってベッドの中へと押し込まれているジェナー一人。
“ジェナー”の方は、ノアールの怒りが本物であるだけに、脅えた音で「分かった」との意味を返すのみ。
「いいか、ジェナーっ!! 私は、当分お前に『言織り』としての能力は要求しないから、お前も使うな!」
「だって、もうあまり残された時間はないんだぞっ!!」
「必要ないから、使うなと言っているっ!!」
珍しく、ノアールが声を荒げ、頭ごなしにジェナーを怒鳴る。
「ぶーっ!! もう三日もベットに押し込めて、歌も歌わせて貰ってないんだぞっ!! 俺、欲求不満になっちまうよっ!!」
思いっきり拗ねた表情で、ジェナーがノアールを見上げる。
「……その三日、私が癒系の術を司れるだけ司っても、元の身体に戻ってない奴が、文句を言う権利はない!」
きっぱりと言い切られて、ジェナーがますます膨れる。
「この位、大したことない! 全然稼ぎが無くって、ガリガリに痩せてた事だってあったんだからっ!!」
「悪い時と比べるな! 私が付いてる以上、お前には最高の体調でいてもらうから、そう思え!!」
「むーっ!! 俺の身体だぞっ!! 勝手に決めるな!」
あー言えば、こー言うジェナーに、ノアールはとうとう切れた。
「黙れっ!! お前が、私に、付いて来る、と、言ったんだからな!
私の言葉に逆らうなっ! これは『さすらい人』の再来としての命令だ! 『補佐する者』!」
思い切り、冷たくノアールが言い放つ。
「ノ……ノアール」
本当に怒らせたことを感じ取り、真っ青になって、ジェナーがノアールを見上げる。
ノアールの方も、言い過ぎたことを内心深く後悔したが、時既に遅く……。
二人の間に、気まずい沈黙が流れる。
そんな、二人の背後から忍び笑いが起こる。
「……お前の、そんなにムキになった表情を見たのは初めてだよ」
現れたのは、歳の頃は十三、四の少年。
ジ・ダラルの典型的色をその身に映した姿が、二人に与えられた部屋の戸口に現れた。
黒い瞳が楽しげに細められ、二人を見ていた。
黒い丈なす髪は、床を擦らぬばかりに伸ばされ、漆黒の肌を覆うゆったりとした同じ漆黒の衣に纏わり付いていた。
「最長老!!」
驚いたように、ノアールが頭を垂れる。
そのノアールの言葉に、ジェナーがきょとんとして現れた少年を眺める。
少年の口許に、悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
「初めてお目にかかる、姫巫女殿……」
深く礼をとられて、慌ててジェナーもそれに答えた。
「こちらこそ、初めまして。フォン・ノエラの言織りで、“ジェナー”と申します。
あ……えと、最……長老?」
しどろもどろに答えるジェナーに、少年が笑う。
「私の外見を気になさいますな。
ジ・ダラルの民には、既成の年令判断が通用しませぬ故……。
私など、この外見でゆうに八百年は生きておりますからな」
余りにもさらりと言われた言葉に、ジェナーが目を丸くする。
「ジ・ダラルの地は、力場の状態が非常に活性化していて、その民に術を司る力を与えます。それは言織りたる貴方なら御存知の筈ですね?」
にっこりと問われて、ジェナーが頷く。
「その強力な力の影響で、自然長命化しているのですよ。その分……子供には恵まれませぬが。
我が国が、国交を閉ざすのは、そのような血が外へ広がらぬためです」
初めて知った事実に、ジェナーが目を輝かせる。
「ジェナー!! 言を織るのは禁止だと言っただろうが!」
ノアールの厳しい声に、再度ジェナーがしょ気返る。
「……ノアール。お前は暫く黙っていなさい」
呆れ返って咎める最長老に、ノアールが抗議の瞳を向ける。
「少しでも油断すると、こいつはすぐ無理をするんです!」
「……本当に。自分の感情の扱いが下手な所は、変わってませんね。
まあ、それだけ感情を表せるようになっただけでも進歩したと褒めてあげましょう」
すっかり子供扱いをされて、ノアールが言葉もなく赤面する。
「姫巫女殿……、ノアールは貴方を心配して言っているだけですから、そう悲しまないで下さい。
ノアールは幼い時から、自分の感情を表す言葉の選択が下手なのですよ。それで、良く喧嘩騒ぎを起こしては、私を手こずらせたものです」
楽しそうに語る最長老に、ノアールは首筋まで赤く染めた。
「へぇー」
しょ気返っていたジェナーの顔に、明るさが戻る。
最長老は、それはそれは満足そうに笑んだ。
「そうそう、貴方には笑顔の方が似合いますよ。
さすがに、ノアールを此処まで鍛えた方だけあって、魅力的な笑みですね」
ノアールに続いて、ジェナーまでもが赤面した。
赤くなる純情な二人に、最長老は声を上げて笑った。
「本当に、お似合いだこと。
ノアールが真っ青になって貴方を抱えて飛び込んで来た時にも驚きましたが、今のように素直に感情を表しているのを見ている方が、余程驚きを誘われます」
「さ……最長老っ!!」
これ以上、自分の幼い頃のことを喋られてはたまらないと、ノアールが追い出しにかかる。
「まあ、待ちなさい。今日は貴方と姫巫女殿に朗報を持って来たのですから」
二人が同時に、首を傾げる。
「……例のこと、ジ・ダラルの長老会議で、承認されましたよ」
ノアールの顔が、見る間に真剣なものに変わる。
「一体何のお話しですか?」
分からないのは、ジェナーの方。
「ノアールから聞きましたよ。二大大陸の危機について……。
我々ジ・ダラルの民も、それを回避するために起つことを決しました」
ジェナーの顔も真剣な物に変化した。
「まあ、我々に出来ることなど高が知れておりますがな……。
未大陸へ旅立つことを決意した者達をかの地へ運ぶ役目は、私達にお任せ頂きたい。
その時が来るまで、我々は順次、未大陸への道を辿りましょう。
時満ちし時、身移しの術が司れるように……」
二人の顔が、晴れやかなものに変化した。
「俺も協力しますっ!! 精霊達に、皆さんに道を開くように伝えます!」
「ジェナーっ!! 言を織るのは駄目だと言ってるだろうがっっ!!」
「だって、あの地下道を通るには、あんたの『さすらい人』としての波動か、俺の『乙女』としての力か、どちらかが必要なんだからっ!!」
「だから、私が動けば済むことだ!!」
「何言ってんだよっ!! あんたはこれから目茶苦茶忙しくなる身なんだよっ!! 俺が、動くのが当たり前じゃないかっ!! 俺は、あんたを補佐する者なんだからっ!!」
二人が、どちらも譲らぬと言う勢いで睨み合う。
そんな二人に、最長老が苦笑する。
──何とも不器用な恋人達だこと。互いのことを思いやって、かえってその想いが深すぎて、言葉が見つからずに苛立って……。可愛いことだ。
「姫巫女殿……。貴方は休んでいて下さい。ノアールに動いて貰いますから」
仲裁に入った最長老の言葉に、ノアールは喜び、ジェナーは不満を露にした。
「まあ、そう怒らずに……。
地下道とやらを通る必要はありませんよ。ノアールに我々の内幾人かを連れて、未大陸に翔んで貰えば、後はその者達を使って、我々は向こうに翔ぶことが出来ますから」
すっかり失念していた事実を指摘され、二人が同時に感心する。
未大陸へは、地下道を通る他無いと思い込んでいたが、何のことは無い。術司であるノアールは、既に一度未大陸へ渡っているのだ。
身移しの術を使って、かの地へ翔ぶことは既に可能になっている。
「余りに簡単な事実と言う物は、ついつい気付かずに終わってしまうものですからね。
取り敢えずは、ノアールの心配性が解消される程に、貴方の体力が回復してからの話です。早く良くなって下さい。
私も、国の者も、貴方の吟遊詩人としての歌くらいは聞かせて頂きたい」
吟遊詩人として、歌を請われる以上に名誉なことはない。
ジェナーは、満面に笑みを浮かべて大きく頷いた。
*
ジ・ダラルは、巨大なカルデラ湖の中央に、術によって作られた人工島の上に築かれた都市群からなっている。
澄んだ湖の上を、それに負けない程に澄んだジェナーの声が滑る。
朗々たる声に、聞き惚れる人々……。
その様にますます喜んで、ジェナーが歌を歌う。
ジェナーは心底、歌うことを楽しんでいた。
そしてその幸せ一杯だと体中で表しているジェナーを見つめて、ノアールも幸福に浸っていた。
二人が共に過ごすようになって、間もなく十月──一年が経とうとしていたが、このように静かな時を過ごしたことは無かった。
会って間もなく、エル・マリカで渦巻いていた陰謀を潰し。
その結果、その後始末に独りで半年、共に同じく半年駆けずり回り。
それに続いては、未大陸への困難な道程を辿り。
そのあげく体を壊したジェナーに、ノアールは心配の余り不機嫌の極みに達し……。
そしてようやく、この穏やかな時を迎える……。
それが、嵐の前の静けさ的、一時のものであることは分かってはいた。
が、今、この時をノアールは十分に楽しもうとしていた。
この時が終われば、恐らくは、休息の間もなく人々を説得し、未大陸への道を示し、導き……。
そして、そこに新たな国を築かねばならないのだ。
「それでも……。お前が居れば、私には楽しい時になるだろうな」
静かに、ノアールが呟く。
初めて自分の心の奥底迄入り込んで来た、氷神のような外見に、光のように暖かく、明るい性格を隠した相棒、ジェナー。
何時も、真っ直ぐに素直に生きている。
その余りな、真っ直ぐさ故に、自分のことを顧みることを忘れてしまうジェナー。
毅いジェナー。
何があろうと、きっと一人で生き抜いていける力をもっているのは分かっている。
けれど、一人にはしておけない、愛しいジェナー……。
「お前は……、本当に、私の一生ものの道連れだよ。分かっているか? 私のジェナー……」
心底から、満足げにノアールが微笑む。
「ノアール! ねえ、次は何を歌う?」
明るく聞いてくるジェナーに、ノアールが笑って答える。
「そうだな……。お前の生まれた国の歌が聞きたいな」
請われて、にっこりと頷いて、ジェナーが晶琴を爪弾いた。




