第十一話「それは孤高なる常道」①
一同が視線を向けたさきのシーカーは、異様な状態にあった。
体を包むように、数字の羅列が周囲を巡っている。そのなかで口端を吊り上げるシーカーは、
「レヴィアタンまでやっちまって、まあ」
と怪物が沈んだ大海原へ呆れた目をやり、
「――消されたって文句は言えないよな、アルマトゥーラ?」
そうアルマへ試すような視線を向けた。
「シーカー、リウス……!」
そう応じるアルマの表情は険しい。
シーカーの体がゆっくりと空へ上昇する。甲板にいる者らが見上げるくらいの高さに達すると、巡る数字の動きが早くなり、その身は閃光に包まれた。
あまりのまぶしさに、見上げていた一同は反射的に手で遮るなどした。やがて光が収まり、シーカーが浮いていた場所に再び目をやった彼らは、ヴェントゥスの直上に滞空する巨大な鮫を見て呆気に取られた。
なかでも、軍用艦じみたその姿に覚えがあったレジーナは、
「あれは」
と驚きの声を漏らす。一昨日の夜、自身がいたマンションを襲撃した相手である。
「てっきり処分するんだと思って乗せてやったのに、これはこれは一体全体――もしかして、ニンゲンに情でも湧いたかい?」
シーカー、もとい<シーカーリウス>は、どこか小馬鹿にした調子で言った。
対するアルマは、
「だから、私たちをすんなり受け入れたのね」
と合点がいった様子で睨みを鋭くする。
それは、ゴビ砂漠でブレイズ夫妻をヴェントゥスに招いた時までさかのぼる。
生死の境をさまようアルマを看病すべく、神楽夜は乗船の許可をシーカーに求めた。
夫妻、特にジックは、連合に<カウボーイ>という異名で知られるお尋ね者だ。それに気づいたシーカーが、仕事とまったく関係のない、むしろ、厄介事を呼び込みそうな彼らの乗船を許すだろうか。
しかし、シーカーは許した。ジックに抱えられたアルマに向けるまなざしを、疑念から確信に変えて。その時彼がなにを思ったのか、誰も疑問を挟む余地などなかった。みんながみんな、苦しんでいる者を助けようとするシーカーの善意だとばかり思っていた。
けれど、違った。はじめから違ったのだ。
「いやあ、実際驚いた。アービターと一緒ってのもそうだが、まさかあんな状態で残っていられたなんて。さすが、側仕えをしてただけはあるってことかな」
シーカーリウスは聞き馴染みのあるシーカーの声で語る。ただし、その声は電子的なものだ。
ふたりの会話を理解できないでいるジックは、困惑の表情で頭上の鮫とアルマの背中とを交互に見た。
アルマはヴェントゥスよりひと回り大きい相手にも怯むことなく対峙する。
「シーカーリウス。もう私たちの役目は終わったの。見てたのならわかるでしょう?」
「ああ、終わりさ、アルマトゥーラ。規定どおり<カルニフェクス>の派遣を申請したよ。けど……やっぱり連絡つかないねえ。となると知ってのとおり、同等の<エクスプリゲート>が対処するわけだけど、悲しいかな、ここには俺しかいない。決まりとはいえ、やだねやだね」
いつもどおりの気だるさで半ば一方的に話すシーカーリウスからは、言い知れない不穏な空気が漂う。アルマたちは身構えた。
「主君の盾を相手にどこまで届くかわからないが、最速の名に恥じぬよう頑張るとしようか。――消えてもらうよ、アルマトゥーラ」
ひと際低い声色で、シーカーリウスは処断を宣告した。
と同時に、甲板から上空へふたつの閃光が走った。それぞれ赤と黒に輝く柱のごとき光である。その光柱の前に、朱雀と玄武の印が刻まれた。
「リンケージ!」
ジックとレジーナはともに叫ぶと、各々アーキグスタフへと姿を変える。
盾を構えた白銀のグスタフ<エスクード>は無防備なアルマと朔夜の前に出た。片や、赤き翼をはためかせる<フライハイト>は上昇し、滞空する鮫の鼻先に剣を突きつける。
「なんの話か知らないが、さきに俺を倒すんだな」
「飛べるようになったからって随分だねえ。あんま粋がんないほうがいいんじゃないかい、ニンゲン?」
シーカーリウスはその姿に違わず、まるで泳ぐように空をのぼる。ジックもそれに続くが、
(早い!)
速度の差は歴然としていた。
唖然とするジックの心境を見透かしたか、
「他人の庭で争おうなんてねえ?」
と鮫は嘲笑いながら身を翻す。そして追いかけるジックめがけ、真正面からぶつかる勢いで急落した。
巨大な鮫があの禍々しい口を開く。のこぎりのような歯の向こうに見えるのは、さながら銀河を飲み込んだかのような、暗黒に浮かぶ極彩色の空間である。
ジックは目を見張った。
「その口に触れちゃ駄目ッ!」
アルマの叫びが届くがさきか、一瞬で間近に迫ったシーカーリウスにジックは翼を躍動させ、寸でのところでこれを躱した。が、
「ぅんっぐ」
すれ違いざま、鮫の胸鰭が機体の胸からへそにかけてを斬り裂いていく。続けて、敵の巨体が引きつれた突風に弾かれ、赤いアーキグスタフはあられもなく吹き飛ばされた。
「ジック!」
アルマが叫ぶその間にもシーカーリウスは旋回を終え、顔の側面に四門ある主砲から熱線を掃射する。<シスル・タワー>を崩壊させたあれだ。
主砲は、威力こそリヴァイアサンのそれに遠く及ばないが、紛れもない荷電粒子砲の一種である。体勢を立て直すジックへ、優れた連射性能をいかんなく発揮し、引きも切らず弾幕を送り込んだ。
躱しきれない。直撃を覚悟するジックの前で、しかし、光線は黒い薄膜に弾かれた。
(レジーナか!)
機を得たジックは射線から逃れるべく、すぐさま飛翔する。だがシーカーリウスはそれを追わず、
「なるほど、対象を指定できるってわけか」
とヴェントゥスの甲板に立つ白銀のアーキグスタフを睨み下ろすや、そちらめがけ一直線に急降下した。
「その艦、気に入ってたんだけどねえ!」
またもあの口が開かれる。敵は艦ごと沈める腹だ。
空より迫る圧倒的な質量に、
(止められるか――!)
とレジーナは睨み鋭く盾を構える一方、足元にいる生身のふたりを心配げに一瞥した。
すると、
(アルマ?)
彼女はなぜか海に向かって右手を突き出していた。念じるように静かに目を閉じた彼女の手のひらには、宝石のごとき紫の光が十字に煌めいている。
その輝きを恐れたか。全速力で落下していた鮫は途端に向きを反転させると、再び空に上がろうとした。
だが、すでに遅かった。
赤毛の三つ編みを強風に暴れさせ、アルマは落ちてくるシーカーリウスをキッと睨み上げると、普段からは想像もつかない雄々しさで絶叫した。
「グラヴィターティス・ルイナ!」
空に向かい、輝く右手を振り上げれば、直後、天空から傘を被せるように紫の波動が流れ落ち、ヴェントゥスの周囲の景色は徐々に歪曲をはじめた。
縦に引き伸ばされていく空間は光さえも吸い込んで逃がさない。暗黒へ変わりつつあるその場所で、逃げそびれたシーカーリウスはらしくもなく戦慄した。
「重力……! インペリウムでもないのに!?」
いまや彼を捕らえて離さないのは、超重力の力場である。
重力を操ること自体は、この時代でも一部に置いて確立された技術だ。驚くべきは、なんの仕掛けもなく、一定の範囲にのみ限定して制御していることにある。
力場の支配者たる赤毛の女を中心に、ドーム状に展開されたその領域は、シーカーリウスの宇宙艦にも勝る頑強な装甲さえ歪ませる。
決して侮っていたわけではない。しかし、ここに至ってシーカーリウスは、戦う相手を間違えたと悟った。
「やだねやだね……。でも、手のうちはわかった」
ひしゃげていくシーカーリウスの船体が鋭い輝きを発しはじめる。それを見たアルマは掲げた右手を握りしめようとするが、
「逃げ足には自信があってね。――また会おう、アルマトゥーラ」
そう口にした矢先、巨大な鮫の姿は、その身の内側から発せられた閃光とともに消え失せた。
アルマは敵の逃亡を確認するなり力場の展開をやめ、肩で激しく息をしながらその場にへたりこんだ。
そこへ、
「アルマ、大丈夫か」
と、変身を解いたレジーナが真っ先に駆け寄った。
「うん……大丈夫」
とは言うものの、アルマの苦しげな微笑みは見ていて痛々しい。そのうちにジックも甲板に舞い戻り、変身を解くとすぐに彼女の横へしゃがみ、背をさすった。
問うべきなのだろう。おそらく、アルマを除いた全員が、彼女とシーカーの会話の意味を求めている。それはジックもわかっている。
けれど、いま言うべきはそれではない。
「アルマ。お前がどんな力を使えたって、俺は気にしない。どんなことになってもずっと一緒にいる。これだけは、忘れないでくれ」
夫の言葉に、アルマは優しくも悲しい複雑な笑みを返した。
「どうする」
夫婦の横でレジーナが訊いた。急き立てるようだが、誰も野暮とは言うまい。ついに操縦士までいなくなってしまったのだ。そしてここは大西洋のど真ん中である。食料の備蓄がまだあるとはいえ、移動できなければ、いずれは飢え死にだ。最悪、グスタフになったジックの手を借り、脱出するほかなくなる。
ただ、この手の艦について、ジックが操縦のいろはを持たぬわけではない。連合の基地からホバーバイクを失敬したように、かつては移動の足に艦を強奪していたこともある。が、果たして、正規品でないヴェントゥス相手にその経験が通じるか否か。
それに、仮に動かせたとしても、戦闘時にジックが出撃できない課題は残る。空戦能力を有する彼が出られないのは痛い。
誰か代わりに操縦できれば話は早いが、
「とりあえず、動かせるかやってみる」
まずはそちらの確認がさきであろう。駄目でもともと、ジックは自信なげに答えた。
だが、そんな彼を鼓舞するかのごとく、
「大丈夫だよ」
という声が背後から響き、夫婦とレジーナはそろって怪訝な顔を振り向けた。
そして、ジックははっとする。
いるではないか。ここにひとり、稀有な能力を持った少年が。
その期待に違わず、朔夜は凛々しき面構えでこう告げた。
「僕が、ヴェントゥスになる」
朔夜の体質を知る夫婦にすれば、それだけで今後の方策は見えたも同然である。ところが、
「どういう意味だ?」
レジーナはそれを知らない。当然の疑問が投げかけられた。
「サクヤは機械と融合できる」
「融合?」
ジックの説明がにわかに信じられず、レジーナは疑惑の目を向ける。それにジックが、
「ああ。カグヤがゼルクに乗っている時もそうだ」
と応じるや、次いでレジーナは朔夜に向かい、
「艦もいけるのか?」
と訊いた。
「たぶん。ヴェントゥスは何回かなか見てるから、いけると思う」
後部ハッチの強引な開閉などで数度、朔夜はヴェントゥスと融合している。それゆえにできると踏んだのだが、最初の男らしさはどこへやら。少年の言は少々弱気なものだ。
しかしこの際、試さない手はない。
「よし。なら、ブリッジに行こう」
アルマを介抱しながら立ち上がったジックは、朔夜と視線を交わし、甲板をあとにする。
その背を目で追うレジーナは、夫婦に続く朔夜へと視線を移した。
(そういえば、あの時)
――レヴィアタン……持ち場を離れたのか。
リヴァイアサンの襲撃に揺れるブリッジで、レジーナのもとに届いたその声は、朔夜のいるほうから聞こえてきたようだった。
レヴィアタンという語は、その語源をヘブライ語に持つ。それをラテン語にして、さらに英語読みしたものがリヴァイアサンである。レジーナや連合の者、多くの一般市民の間で通りがいいのは圧倒的に後者だ。
仮に朔夜がそう言ったとして、レジーナが気になるのは、なぜその呼び方を選んだか、である。
――レヴィアタンまでやっちまって。
ただの偶然といえばそれまでだが、鮫へと姿を変える直前、シーカーも同じ呼び名を使っていた。
(だが、いまは……)
そう。いま優先すべきはこの状況からの脱出だ。問い質す必要は確かにあるが、ここで新たな面倒事を引き寄せても仕方がない。レジーナは三人に遅れて艦内に戻り、まっすぐブリッジを目指した。
そして踏み込めば、ジックはすでに操縦席に座し、アルマと朔夜はその傍らに立ってなにやら難しい顔をしている。
「おい」
レジーナは彼らの背中に歩み寄りながら呼びかけた。
「まさか、素直に領空を行くのか?」
飛ばせるかどうかを試すのはいいが、そのさきまで考えなければ立ち行かない。レジーナはそういうところを気にする性分であるがゆえに訊いたのだが、
「どうする……?」
と、ジックは実に深刻そうな顔をねじ向けてくるではないか。よもやそこまで考えなしとは思わず、レジーナは危うく嘆息しかけたが、
(ん……)
操縦桿の間に位置する画面を見てその細眉を寄せるに留めた。同じくそれを見つめる朔夜が「姉ちゃん……」と念じるように瞳を閉じるその横で、彼女は、
「リュエール・デ・ゼトワールが、墜ちた……?」
と、表示された文面の一部を怪訝そうに口にした。
それは、操縦者であるシーカーに宛てられた一通の電子文書であった。差出人の欄にはアルファベットで「Z」とある。
(まさか、あの基地が?)
壊滅などとは考えにくい。なにしろ連合最大の基地だ。レジーナは懐疑的な構えを保った。が、それを否定する根拠もまた彼女にはない。これでは、基地を急襲して助け出すという無謀な策すらも取りようがない。
「この人と連絡は取れない?」
困り果てた顔でアルマが言うが、操作の仕方もままならないのだ。そうでなくとも、シーカーがいなくなった理由をどう説明するというのか。
眉間にしわを寄せながら操作盤をいじっていたジックは、
「やっぱり、俺ひとりで」
と、湧き出る思いを口に出そうとした。
しかし、
「大丈夫」
朔夜にそう機先を制された。少年は静かに瞼を開けるや、続けて、
「ゼルクは――移動してる」
と自分の内に意識を向けたままそう言う。
ジックは訝しげに朔夜を見やった。
「わかるのか?」
その問いに朔夜は彼を見据え、
「なんとなく、だけど……」
と自信なげに応じる。だがこの際、どのようなものであれ、手がかりがあることに越したことはない。ゼルクを動かせるのは、現状、灯弥と神楽夜だけだ。朔夜の言を信じるならば、神楽夜が逃げ延びたと考えたいところである。
が、
「どうやって行く?」
レジーナが一同の悩みをいま一度代弁し、場はまたも消沈した。
ヴェントゥスで素直に領空を行くのはあまりに現実的でない。いま自分らに追撃の手が来ないのは、なにも<リヴァイアサンの巣>にいるからというだけでなく、連合最大の基地が壊滅的打撃を被ったからというのも大きいだろう。ならば、周辺の警戒は強まっているはずだ。
けれども、このまま指を咥えているばかりでは埒が明かない。思案に沈黙する大人三人を差し置いて、少年はひとり腹を決めると、
「宇宙から行こう」
そう引き締めた顔つきで宣言した。
第十一話「それは孤高なる常道」




