第十話「暁への飛翔」⑩
察しのとおり、甲板に立ったレジーナは撃ち込まれる荷電粒子の勢いと競り合っていた。
「くっ」
しっかりと腰を落とし、足の踏ん張りをきかせ、黒い光に包まれた盾に体重をかけてなお、押し戻される。それに応じ、ヴェントゥスを覆った黒い膜も明滅の頻度を増すようになった。
限界が近い。レジーナは苦し紛れに次の技を繰り出した。
「ドライヴ・コンチネント」
右手に持った剣を逆手に持ち替え、盾に差し入れながら唱える。すると、針山のごとく隆起した海底が、海中に残るリヴァイアサンの身を突き上げた。
怪物は悲鳴をあげ、荷電粒子の放射を中断する。ジックを追撃していた尾の動きもそれで止まった。
やっとのことで攻撃が止み、レジーナは盾を支えに片膝をついた。しかし間髪入れず、
「飛べ! ジック・ブレイズ!」
激烈なる咆哮をジックに向ける。
「でも、俺は」
惑いのなか、ジックの高度はみるみる下がっていく。
その時、
「飛べるよ!」
なぜかアルマの声が聞こえた。
「アルマ!?」
「飛べる。だって、今までもそうだった! 私をあの場所から連れ出してくれたじゃない。そしてふたりで、たくさんの景色を見てきた。私の人生は、あなたに手を引かれたあの時からはじまったの!」
ジックの脳裏に、魂のない目で膝を抱いていた頃のアルマがよぎる。
「あの時から、ずっと。いつか終わってしまうんじゃないかってずっと怖くて、一緒にいられるだけで幸せだねって言い聞かせて、そうだねって言ってくれることに甘えて。ずっと――ずっと見て見ぬふりをしてきた」
伝えねばならないことがある。涙に声を震わせながらも、アルマは続けた。
「心のどこかで……あなたの時間を奪ってるんじゃないかって、怖かった。でも、あなたと生きていけることがうれしかった。明日のことを考えられるほど自由だった! そう、自由だったの!」
「自由……」
決して、アルマを枷に感じたことはない。だが心のどこかでは、自分を追い詰めていたのかもしれない。
彼女を連れて行かねばならないと。弱る彼女を見て、想いはより強くなった。
その心を、アルマは感じ取ったのだろう。
海面が近づく。
迷いはない。はじめからそうだった。
リヴァイアサンの活動が再開する。
アルマは通信を借りていたレジーナの機体から飛び降りると、甲板の端へと駆けた。そして、勢い余って手すりから身を乗り出しながら、墜落する赤いアーキグスタフに叫んだ。
「だからもう一度! なんにも囚われず生きたあの日々みたいに、もう一度!」
そして手すりを越え、
「一緒に飛んで、ジック!」
アルマは艦から身を投げた。
「もう一度、飛ぶ――」
その光景を目にした瞬間、彼女と出会い、苦楽をともにしてきた日々が、ジックのなかに走馬灯のようによみがえった。
閃光のごとく流れていくその最後に思い出されたのは、
――お前はひとりじゃ飛べないだろう。
いけ好かない新入りのそんな言葉と、大事な人が見せる温かな笑みだった。
赤いアーキグスタフが海に落ちる。
途端、爆熱を放つ赤光が走り、天を衝かんばかりに高々とした水しぶきがそびえ立った。
そのなかから、ひと筋の赤い閃光がヴェントゥスのそばを掠め飛ぶ。
レジーナは甲板に降り立つ赤き機体を見て、どこか満足げな、不敵な笑みをこぼした。
ジックは両手に乗せたアルマを静かに甲板へ降ろすと、瞬く間に暁へと飛翔する。
水平線から、朝日が昇った。
その光を受けて空を往くは、深紅の翼をはためかす紅蓮の機体。上半身を覆っていた装甲を背面に広げ、まるで朱雀のごとく舞い上がる。
それを叩き落とそうとリヴァイアサンの尾がしなる。しかしジックは空中で軽やかに身を捻り、躱すと同時に抜刀し、尾の先端を節から斬り捨てた。
切断面からアービター特有の青白い炎が上がる。
痛むのか、悲しくも聞こえる咆哮をあげたリヴァイアサンは、節という節から魚雷の大群を射出する。さらに続けて、その大口に帯電をはじめた。
魚雷が水中のみならず、空中の敵さえも追尾する代物であったのは驚きに値するが、ジックに動揺は見られない。目の前に掲げるようにして両手で剣を持ち、広げた翼を閉じた。
その翼が赤く発光をはじめる。直後、閉じられた翼からあらゆる方向へ無数の火球が撃ち出された。
それだけでも怪物が放った魚雷群は無力化できる。しかしそれでは飽き足らず、<フライハイト>は翼を広げるとともに、機体を中心とした一定の空間を橙色の光で包み込んだ。
球形の、烈火のごときその光は、触れた魚雷はおろか、先端を斬られ暴れていた尾すらも一瞬のうちに溶解させる。
これにはいかな海の覇者といえど耐えかねた様子で、怪物は身を激しくうねらせ大絶叫をあげるなり、その禍々しい口から再び荷電粒子の熱線を解き放った。狙いは当然、天にいる赤きアーキグスタフである。
ジックは眼前に構えていた長剣を高く掲げる。すると刀身を猛々しい炎が包み、それを携えて宙を舞う機体もまた、炎をまとった。
死滅の光が迫る。
だが、一点突破、ジックはその光へ彗星のごとく飛翔した。
翼を閉じて巨大な火球と化し、光輝燦爛とした濁流のごとき光条のなかを切り裂き、突き進む。そして、いよいよ怪物の口内が近づいた、その時。ジックは獲物に襲い掛かる猛獣のごとき形相で、たちまち咆哮をあげた。
「ヘリオスッ! ブレイザァァア!!」
口内に突入した<フライハイト>は、機械仕掛けの内部を抉った末に後頭部より斬り抜けた。翼を広げ、長剣を前方に突き出したその全身から、まとった炎が一斉に消える。それに呼応するようにして、大口を開けたまま硬直するリヴァイアサンの頭部は、天を裂くがごとき轟音とともに爆散した。
青白い炎に焼かれた破片が大海原に舞い落ちる。
海面に頽れる怪物の胴体を見下ろせば、渦潮は勢いを徐々に失いはじめている。けれども、巨大な残骸の水没は大きな波を生んだ。
助けがいるかに思えたが、ヴェントゥスはからくも浮上に成功した。それに並び、ジック駆る赤きグスタフ<フライハイト>は朝空を翔ける。
しばらくして、損害を調べるべく再び着水した艦の甲板に、<フライハイト>は舞い降りた。
「ジック!」
変身を解いた彼の胸に、アルマが飛び込んだ。
ジックは魚雷が食らいついた手足から出血していた。しかし男に後悔はない。どれほどの傷を負おうとも、ふたりで生きられるのならば。
「ありがとう、アルマ」
抱きしめる腕に力がこもった。
「忘れてた。逃げたあの日から、俺たちはずっとふたりで決めて、ここまで来たんだったな」
「うん。だから、自由なの。どこにだって行けるし、いつだって変われる。わたしたちの思いひとつで」
水平線から差すまばゆい朝日がふたりを照らす。
「意外と思いきりがいいんだな」
背中にかけられたレジーナの言葉に、アルマは振り返りざま、満面の笑みで答える。さらに、レジーナのうしろから姿を見せた朔夜には、
「ありがとう、サクヤくん。ドア、開けてくれて」
と謝辞を述べた。あの荒れた海で、もちろん甲板への扉は施錠されていた。アルマが外へ出られたのは、彼女の想いを汲んで協力した朔夜のおかげであった。
「ううん。よかった、みんな無事で」
朔夜は安堵した様子で笑顔を見せた。
「アルマ」
ジックに呼ばれ、アルマは再び夫を見た。
「俺はこのままカグヤを助けに行く。だから、さきにヴィクトリア・フォールズに行ってくれ」
そう言うだろうとはわかっていたが、アルマには怪我の具合が心配である。説得の言葉を考えるうち、
「いや、戦力は分けないほうがいい」
とレジーナが持ちかけた。これに、朔夜も首肯をもって同意を示した。
「だがな……」
ジックとしては一刻も早く取り戻しに行きたいところである。が、この艦ごと行くのは危険が大きすぎる。それはみなが承知していることだ。
一同の思案顔を見回したアルマは、
「みんなで行こう。ね、ジック?」
と言う。
その時だった。
「どういうワケでそっちに肩入れするんだい?」
甲板の出入口から、シーカーの少々苛立った声が響いた。
つづく




