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第十話「暁への飛翔」⑨

 格納庫に向かって駆けるジックは、立っていることが難しいくらい激しくなる揺れに、体を幾度となく壁にぶつけながら進んだ。

(俺が、俺があの時飛べていたら)

 神楽夜を犠牲にすることはなかった。いま、ジックを突き動かすのはその後悔だ。

 飛べるという確証はない。レジーナの言葉を信じたわけでもない。けれど、このままにしておくわけには絶対にいかない。

 神楽夜たち姉弟には、アルマのことで助けられた恩がある。姉弟は「そんな恩着せがましいことしたくない」と言うだろうが、ジックにとってアルマは生きる理由だ。いままで誰の助けも得られず、たったひとりで妻の命の灯火が尽きていくさまを見続けてきた彼にとって、そばにいてくれる者がいるというだけで、心持ちは大きく違ったのだ。

 もしかすればアルマの体調が好転したのも、ほかの誰かとの時間を過ごせるようになったからかもしれない。そう思いもするからこそジックは、神楽夜を取り戻すという意思をより強固にする。

 ゆえに、ここで沈むわけにはいかないのだ。

 ジックは目つき鋭く格納庫へ駆け込んだ。

 格納庫には、いつかと同じように白銀のアーキグスタフ<エスクード>と化したレジーナがさきにいた。身を覆うほど巨大な盾を構えたそれは、静かに後部ハッチが開くのを待っている。

「リンケージ」

 告げたジックの身が赤い光に包まれ、赤きアーキグスタフ<フライハイト>が出現する。

 それに、

「飛び方は思い出せたのか?」

 と白銀のグスタフは背中で訊いた。

 これまたいつかと同じ台詞である。以前のジックは彼女の重そうな見た目に、

「スイミングスクールに通ってからのほうがいいんじゃないのか」

 などと答えたが、今回は、

「本当に、飛ぶ力なんてあるのか?」

 と、なんとも張り合いのない答えを返した。

「さあな。――だが」

 レジーナは背後に立つ赤いアーキグスタフを尻目に見る。

「お前はひとりじゃ飛べないだろう」

 言われた意味がすぐに飲み込めず、ジックは訝しげに眉根を寄せた。

 その直後、船体がぐんと下がった。なにかに力づくで引っ張られたような振動に、ジックは、

「今度はなんだ!」

 と確かめるようにあたりを見回す。

「なにかに腹、掴まれてるねえ」

 シーカーは通信で苦笑気味に答えた。操縦桿横にある船体の状態を映したモニターには、船底部の装甲に異常ありと警告が出ている。

「上がれないのか」

 レジーナが訊いた。

「無茶言う。底、抜けちゃうよ」

 のっぴきならぬ状況にもかかわらず、シーカーの態度は飄々としたものだ。ジックはしかめ面になった。

 考える時間はない。

「俺が行く」

 自ら名乗りを上げた。

「海んなかにいるなにかを引き剥がせばいいんだな?」

 ジックはシーカーに確認したつもりだったが、

「よせ」

 と止めに入ったのがレジーナだったゆえ、心底意外そうな表情で彼女を見た。こういう場合、この女は「好きにしろ」と言いそうなものである。

 しかし、

「アルマを悲しませるな」

 などと続けて言ってくるものだから、ジックはもう疑問しか浮かばなかった。

 だが問答をしている場合ではない。「なんでお前の口から」と出かかった言葉を飲み込んで、

「悲しませないために行くのさ。俺もここで終わる気はないんでな」

 と答えた。

 ――ここで終わりたいやつは、ここにいろ。

 それは、レジーナが言ったことである。

 考えを改める気がないと感じたレジーナはジックに道を譲った。

 ヴェントゥスの後部ハッチが開きだす。朝が近づく空が徐々に見えはじめた。

「……戻る時は言え。釣り揚げてやる」

 レジーナの言葉をその背に受け、荒れ狂う海を前に立つジックは、

「上は頼んだ――レジーナ」

 そう言い残し、海中へと身を投じた。

「ぐっ」

 瞬く間に体が強烈な水流に持って行かれる。

(こいつは)

 背中や四肢についた推進器だけでは、体勢を整えることさえままならない。ついには、上半身をマント状に覆う装甲の推進器をも総動員した。肩口から腰のあたりに向かう剣のごとき装甲は、その縁から猛火を噴出させる。それでようやく渦の流れに抗える程度に機体は安定した。

 すると、

「あれか!」

 暗黒の深海からヴェントゥスの船底に伸びる怪物の尾が見えた。尾の先端は五つに開いた赤い花弁のようで、いまやそれが爪となり、艦の底をつかんでいる。

 ジックはただちにその尾へ接近した。海中で得意の炎は使えない。それに、こちらの得物は水中で振るうには長すぎる。ゆえに、長剣を携えた右腕を引き、狙いを定めた彼は、

「離れろ!」

 推力に任せて最初の突きを繰り出した。

 刺突は船底をつかむ花弁の間をすり抜けて、花でいうなら子房のあたりに届いた。それが効いたか、海中にいながらも身を震わせるほどの咆哮とともに、<リヴァイアサン>は艦を解放した。

「よし」

 ジックは剣を引き抜き、距離を取る。まさかこれで終わるはずはない。

 案の定、尾は開いていた花弁を閉じると、胴に数多ある節を少し開いて伸長し、その間から無数の魚雷を放出した。それらはすべてジックめがけ潜行してきている。

(次から次へと!)

 機体の水中での機動性はいうまでもない。すべての推進器を噴射して必死に回避するジックであったが、群がる魚雷すべてを躱しきるなど、土台無理な話であった。

 命中した魚雷は、着弾した面を歪曲させて突き抜けようとする。魚雷が装甲に食い込んでいくにつれ、ジックは皮膚を食い破られる激痛に絶叫した。

 身を覆う装甲がなければ胴や背中もすぐに餌食となるところだ。だが、まだ手足だけで済んでいる。反撃の機はある。

 痛みからくる焦燥感で頭が真っ白になるなか、ジックは群がる魚雷をなんとか手で払い落そうと試みる。

 しかし無慈悲にも、そこへ激流とともに尾が叩きつけられた。

 圧倒的な質量をまともに受けたジックは、四肢が弾けんばかりの衝撃に、声にならない短い悲鳴をあげた。この時点で意識は飛んだが、幸運なことに魚雷はすべて砕け散った。

 急速に深海へと落ちていく機体を、今度は、待ち構えていたリヴァイアサンの胴が打ち上げる。機体は弄ばれて上昇し、一息に海面近くまで戻された。

 背中に加わった鈍痛が、途切れたジックの意識を連れ戻す。かすむ視界のさきでは、赤い花弁を大きく広げた怪物の尾が待っている。それが豪速で迫り来るのを見た時、ジックの恐怖心は極致に達した。

 たまらず両腕で顔を庇う。刹那、ジックは大魚に飲まれる稚魚のごとく尾にかっさらわれた。

 さきほどまでヴェントゥスにそうしていたように、尾はジックの装甲に爪を立てる。

(逃げ、られん)

 まるで巨人の手のなかだ。これでは、たとえ機体が万全であってもこじ開けるのは困難だろう。

 このまま握り潰されるのか。

(俺は……まだ)

 やるべきことが残っている。アルマとともに日本へ渡り、そこで新たな営みを見つけるのだ。

 アルマを連れて行くと決めたのは自分だ。ならば、その責任は自分で負わねばならない。アルマを幸せにするという責任を、果たすことができるのは自分だけだ。

 だのに、

(こんな、ところで)

 と、ジックは薄れゆく意識のなかで無力な自分を呪った。

 ジックを捕らえたまま海中を進み行く尾が、海面へと上昇をはじめる。やがて海面を突き破り、空を目指したリヴァイアサンの尾は、天空でジックを放り捨てた。

 尾はジックを海面へと叩き落すつもりである。勢いをつけるべく身をしならせた。

 一方で、リヴァイアサンの頭は禍々しい大口を開けた。上下に並んだ鋭い歯のさきをじりじりと稲妻が走りだす。

「まず、い」

 重力に従い落下するジックは、いまだ渦潮から逃れられずにいるヴェントゥスを見た。

 一度空を仰いだリヴァイアサンが、その口から轟雷のごとき熱線を解き放つ。

「アルマ!」

 手を伸ばしてそう叫ぶと同時に、ジックは振るわれた尾によって再び海へと叩き落された。

「ジック!」

 ブリッジからその光景を目の当たりにしたアルマは、シーカーの制止も聞かず、無我夢中で甲板へと走った。

 リヴァイアサンが放った荷電粒子の光が、ヴェントゥスの後方に迫る。

 巨大な閃光が明け方の空を裂く光景は、もはや天変、あるいは終末を彷彿とさせる様相だ。

 破滅の光は艦を易々と飲み込んで塵芥(ちりあくた)に変えるだろう。暗い海中に沈むジックは、全身を粉砕する痛みよりも、アルマを守り切れなかった絶望に心を砕かれた。

 我を失った彼にもはや抵抗する気力はない。追いかけてきた尾によって人形のように(なぶ)られ、またも空へと放り投げられた。

 水彩じみた淡い蒼穹(そうきゅう)が、彼を包み込む。

 その視界の端にほとばしる閃光を感じ、ジックは瞳を動かした。

 そして、途端にその目を見開く。

(ヴェン、トゥス!)

 艦は健在だった。いまだ夜が残る海ゆえに薄っすらとしかわからないが、半透明の黒い膜のようななにかが荷電粒子の熱線を(さえぎ)っている。

 思い返せば連合の追撃を受けた時、艦の側面に迫ったミサイル群も見えないなにかに防がれていた。

「レジーナか!」 

 一縷(いちる)の希望に、ジックは目に光を取り戻した。

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