第十話「暁への飛翔」⑥
ブリッジのある上階へと階段をのぼるアルマは、ちょうど下りてきたレジーナ・シスルと鉢合わせになった。
夫のジックいわく、金髪碧眼の彼女は世界でも有数の軍需企業<シスル・エンタープライズ>にゆかりのある人物らしい。本人が認めたわけではないが、その名から親族だろうとは予想がつく。
けれど、ここはさまざまな事情を抱えた者が多い艦だ。彼女のふてぶてしくもある態度がジックは少々気に食わない様子であったが、誰もそれ以上の詮索はしない。アルマもそれに倣い、あれこれ質すことは避けてきた。
三階の踊り場に立ち、こちらを見下ろしてくるレジーナは、長袖の白いブラウスに黒いチノパンという簡素な装いである。どこかのオフィスでバリバリ仕事をこなしていそうな印象の傍ら、凛とした顔立ちは舞台に立つ役者のごとき華が感じられ、アルマは思わずまじまじと見上げてしまった。
そんな視線は慣れたものなのか、レジーナはアルマの姿を認めつつも目は合わさず、涼しい顔で下りてくる。
階段は狭い。大人がふたり、かろうじて並び立てる程度だ。
黒いショートブーツの小気味よい靴音を響かせるレジーナに、アルマは階段の手すりに体を押しつけて、気持ち程度に道を開けた。
そしてすれ違うさなか、その脳裏にレジーナの発言がよみがえる。
――お前が飛んで空を押さえろ。
洋上で連合軍の包囲が迫った折、彼女はジックに向けてそう告げた。
真意のほどは知れない。果たしてそれが可能であるのかも。しかし、「もし飛べていたら」という考えがいまのジックを追い詰めているだろうことは、考えるまでもないことだ。
「――なんだ?」
すれ違ったレジーナが足を止めたまま訊いてきて、ようやくアルマは彼女を目で追っていたことを自覚し、はっと我に返った。
いい機会である。
「どうして飛べるって」
素直な疑問を口にした。
するとレジーナは「そう感じたからだ」と端的に返し、自分の左手をわずかに持ち上げた。
長袖でありながら、その腕にはぼうっと青白い亀のような紋様が浮かび上がる。
「やつは、まだ使いこなせていない」
同じアービターゆえの勘が働いたとでもいうのか。夫の再起を願うアルマはほかに頼れる者もなく、藁にもすがる気持ちで願い出た。
「お願い。彼に……ジックに、使い方を教えてあげてほしいの。私じゃ、わからないから……」
「飛んで助けにでも行かせるか? まあ、この艦ごと行くよりは賢いかもな」
それもある。というのも、幸運なことに、<アームド・ゼルク>らしき機体が旧フランス領の基地<リュエール・デ・ゼトワール>に運び込まれたという報せが、さきほどシーカーのもとに届いたのだ。神楽夜もそこにいる可能性は高いと考えられた。
レジーナの言うとおり、ジックのグスタフが他に類を見ない空戦能力を持っているとして、連合との関係性悪化も考慮しなくていいとすれば、いますぐにでも助けに向かうところだ。
だがそのためにはまず、ジックに持ち直してもらわねばならない。むしろ、アルマにはそちらのほうが意義深かった。
「助けたい。助けたいけど……。ジックもあのままにしておきたくないの」
そう消沈するアルマをレジーナは尻目に見た。そして刹那の間を置いたのち、
「アルマ、だったか?」
と、その首をねじ向けた。
「え? あ、そう、アルマ。アルマ・ブレイズ」
「あの男とは兄妹か?」
アルマより数段下にいるレジーナは腕を組み、彼女とは反対側の壁に背を預けながら見上げた。
なんだか取り調べを受けるようだなと感じながらも、話を聞いてくれる気になったのは喜ばしい。アルマは安堵の表情を浮かべた。それも束の間、
「一応、夫婦……」
と少し残念そうに眉をひそめた。
「やっぱり、見えない……よね?」
「他人からどう見えようが知ったことじゃない」
レジーナの感想は実に明瞭である。アルマはいまのひと言で彼女の人柄をそれとなく知った気がした。だから、
「それで、私になにを教えろって?」
というふうに単刀直入に訊いてくることは、割とすぐに想像できた。
「できれば、飛び方を……」
ジックに飛べると言ったからには、そのやり方を知っているはずだろう。彼女に倣い、アルマもずばり尋ねる。
だがレジーナから返った答えは、予想に反したものだった。
「それができるのはお前だけだろう」
「私?」
アルマはきょとんとしてレジーナを見つめた。
「あいつは飛べる。そのやり方は、あいつ自身がよく知ってるはずだ。この力は宿主の心の在り方を汲み取る。あいつの紋様がなにか見たことあるか?」
問われ、アルマはクラドノの夜を回想した。ジックがアーキグスタフになれることを明かしたあの夜である。それ以前にも、連合の基地を襲撃する時などに目にしたはずだが、彼女が鮮明に思い出せるのはその場面だった。
夜空に立ち上がった赤い光の柱に、燃えるような翼を広げたその姿。
「あれは……鳥?」
そう、まさしく鳥類である。
「フェニックスだ」
間髪入れずレジーナが言った。
「フェニックス……」
その言葉を反芻したアルマは、さきほど見た彼女の左腕の紋様も思い返した。
(あれは亀みたいだった)
フェニックスに亀。それに確か、クラドノで襲ってきたアーキグスタフは、姿を変える瞬間に虎のような印を浮かべていなかったか。
アルマには、それら三つから想像できるものがあった。
「四神……」
よもや彼女の口からその言葉が出るとは思わなかったらしく、
「へえ。詳しいのか?」
とレジーナは途端に興味ありげな笑みを作った。
「ジックのは朱雀、あなたのは玄武ね」
(それと、あの夜の敵は白虎)
となれば残るは青龍となるが、この時の彼女らはイネッサの背に宿るそれの存在を知らない。
「ただ、アービターは五人いるんだ。毎回五人」
レジーナがつけ加えた。
「五人……」
レジーナの言わんとすることはわかる。四神ではひとつ足りない。
しかし、そこに収まるものがなにか、彼女は知っている。
「――レクス・アカーシャ」
これまたアルマがつぶやいたものだから、
「お前……」
さすがのレジーナも不審げな顔つきにならざるを得なかった。
「どこで聞いたんだ」
真顔で訊いてくるレジーナに、
「それは……」
とアルマは言葉を濁す。
が、それ以上の追及はない。さきにも触れたとおり、この艦に乗り合わせた者たちの素性はさまざまだ。そのなかで、必要以上の詮索はしてくれるなと無言の圧を出し続けたのは、ほかでもないレジーナ自身である。
「まあ、いい」
意外にもすんなり引いたレジーナに、アルマは呆けた顔を向けた。
他人とは極力対等でありたいというのが、レジーナの生き方である。そして、頼ってきた相手を無下にしないのも信条のうちだ。ゆえにここは、己の関心よりもアルマの憂心に向き合うべきと判断した。
「さっきも言ったが、アービターが個々に持つ特性は、宿る者の在り方に沿う。私のは盾だ。守りの力であることをこいつは表している」
そう続けたレジーナは、再び左腕に玄武の紋様を浮かび上がらせて見せた。
「あいつのは朱雀だった。それで、飛べるんじゃないかって言ったんだよ」
そこで、アルマはふと疑問を抱いた。
「でも、ジックの印を見たのって」
迎撃に出た時だとすれば、変身する直前しかない。それまで、ジックは自分がアービターであることすら告げていなかったはずである。にもかかわらず、レジーナはブリッジで策を練る段階からジックに飛べと言っていた。
「それが使いこなせてないってことさ」
怪訝そうに見つめるアルマにレジーナは鼻で笑い、続ける。
「真に力を引き出せるなら、いちいちこんなもん、見えなくたっていいんだ」
と、レジーナは差し出していた左腕を下した。
「受け入れられないなにかがあるんだろう。夫婦だって言うなら、昨日今日会った私より、お前のほうがよっぽどあの男をわかってる。だから――」
「それができるのは、私だけ……」
アルマはレジーナに先んじて、自分に言い聞かせるように言った。
まだなにも解決したわけではないが、相談する前とは心持がまったく違う。それはレジーナの言葉が、受け取る側が驚くくらい率直だからだ。偽りがない。
(むしろ、不器用すぎるくらい……)
ゆえに、信頼に足る。アルマは澄んだ瞳でレジーナを見つめた。
それを見届けたレジーナは「できることはした」というように無言で壁から背を離し、階段を下りはじめる。その背中に、
「……ありがとう」
アルマは心からの感謝を伝えた。
この人ならばそのまま去って行くだろう。アルマはそう思い、上階への歩みを再開しようとした。
その矢先、
「レジーナだ」
と声がして、アルマははたと振り返った。
レジーナはさきほどと変わらぬ位置に立ち、アルマを見上げていた。
「レジーナでいい」
彼女はアルマを見据えて繰り返す。
好きに呼んでくれていいと言ったのはこの女のほうであるが、どういう風の吹き回しか。が、それを彼女に質そうとも、くどくど説明するのは好むまい。この手の表現が下手な人間を旦那に迎えているアルマは、だからこそそこまで察し、
「うん。ありがとう、レジーナ」
そう微笑むに留めた。
その健気な笑みになにか思うところがあったのか。レジーナはわずかにやりきれなさをにじませ、
「夜明けまでに救出の都合がつかないようなら、この艦はヴィクトリア・フォールズに行くらしい。さっき、操縦士の男が言っていた」
と言い残し、階下の暗がりに消えていった。
見送ったアルマはひとり思う。
(私ならこんな時、彼になにを……)
伝えるだろうか、と。
その答えは、アルマ・ブレイズの人生に問わねばならないだろう。
階段の途中に立つ彼女は物憂げなまなざしを上階へ振り向けると、一歩、その足を踏み出した。




