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第十話「暁への飛翔」③

「どうした! 動きが緩慢だぜ!」

 吠える九垓の動きは、さきほどまでとは打って変わり俊敏である。その違いは当の本人がよく実感していた。なぜか体力の消耗が嘘のように感じられない。

 すばしっこく跳ねまわる九垓を捉えられずにいるグラディアートルは、格納庫前で天に祈るようにトライデントを掲げる濃紺のグスタフを睨みつけた。

「癒しの力――水のアービターか」

 腹立たしげな言葉に、イネッサは静かに瞼を上げた。彼女の機体の全身からはぼんやりと青い光が発せられ、それと同じものが九垓のグスタフ<風雷(フンレイ)>を包んでいる。

 攻勢に転ずる前、考えがある、とイネッサは言った。その際、

「それで、俺を治したあとはどうする」

 グラディアートルがゆっくりと前に進み出るさなか、九垓は隣立つイネッサに問うた。イネッサが言ったのは、まず自分の魔術で九垓の傷を癒すというものだった。

「霧を作ります。その間にマシューさんは輸送機に」

「しかし!」

 マシューはイネッサの言に反発した。傭兵である九垓はともかく、民間人であるイネッサを置いて下がるなど、マシュー・ゲッツェンにできようはずがない。その心は、ふたりともすぐに察した。だからこそ、

「兄貴、時間がねえ。それが適任だ」

 と、九垓は一歩前に出た。

 ――人間はその尊厳に生き、まっとうに死なねばならないからだ。

 亡きアルカンの声がマシューの脳裏にこだまする。

「クガイ!」

 不意にマシューに呼ばれ、九垓は意識だけを背後に向けた。

「――無茶はするな」

 雇い主らしからぬ言葉に九垓は鼻で笑った。それなりに続けてきた傭兵稼業で、そんな言葉をかけられたのは初めてのことだった。

 九垓はなにか気の利いた返事でもすべきかと思ったが、対する敵のツノから赤い閃光が放たれたのを受け、間髪入れずその場から跳んだ。そこからさきは、神楽夜が輸送機から見た光景である。

「イネッサ!」

 グラディアートルを翻弄し続ける九垓は、敵の狙いが自分からイネッサに移ったと察するや、次なる術の行使に向け足を止める彼女を急き立てた。

 水銀色の巨体が割って入った<風雷>を弾き飛ばし、前傾して突進の構えを見せる。

「ええい!」

 もはや間に合わないと判断したマシューが倉庫へ向いた自機を戻し、苦し紛れにイネッサの前に出た。

 グラディアートルの全身が、またも赤い光をまといだす。ありったけの銃弾を浴びせるマシューは観念し、イネッサの機体を抱えて飛び退こうと身を捻った。と、同時に、

「リキッド・エア!」

 彼女の叫びとともに三叉の槍が高々と掲げられ、あたりは一瞬のうちに濃霧に包まれた。

 グラディアートルは構わず突っ込んでくる。まるで隕石のごとき質量と速さだ。イネッサの機体の腰に手をかけたマシューは、背筋が凍る思いで彼女もろとも横へ跳んだ。

「ぐっ」

 凄まじい加速にマシューは歯を食いしばった。

 いくらヘルシャフト・カスタムが優れた機動性を有しているといっても、別のグスタフを抱えての緊急回避となれば馬力が足りない。せめてイネッサだけでも、という思いであったが、気づけば、イネッサどころか自分の機体も無事であった。

「無茶すんなつったのはどっちだ!」

 倒れ伏したマシューに、霧のなかから怒声が浴びせられた。

「すまん、助かった」

 マシューは機体を起こしながら、際どいところを救ってくれた九垓の背を見上げた。

「いまのうちだ。ゴウザブロウのとこに」

 九垓は濃い霧のなかでもおぼろげにわかる赤い発光を睨み、マシューにだけ聞こえるように小さく言った。

 さきほどの突進は勢いが凄まじいだけに制動するには難があるらしい。グラディアートルがまとう赤い明滅は、結構な距離を進んだところで起きていた。

 九垓は睨みを鋭くした。

(この状況でも使えるなんてこと、ねえよな)

 あの浮遊する腕のことだ。瞬間移動、というよりは空間転移のような挙動で襲いかかってきた刃を、この視界の悪いなかで躱すのは困難である。

 忍び足で去っていくマシュー機の姿が霧で見えなくなった頃、

「それで目を封じたつもりかね?」

 とグラディアートルの余裕に満ちた声が低く響いた。

(ハッタリか? それとも)

 赤い輝きはすでにない。しかしあの巨体が動けば、相応の足音がするはずである。イネッサを背後に隠すように立った九垓は、全神経をグラディアートルがいたはずの闇へと集中させた。

 その集中を乱すかのように、

「大丈夫です」

 と、うしろのイネッサが唐突に妙なことを言い出し、九垓は「ああ?」と不機嫌そうに彼女を尻目に睨んだ。

「大丈夫。あの人に私たちは見えません」

 その言葉どおり、グラディアートルは彼女たちの姿を捉えられずにいた。

 否。正しくは、本体を、というべきだろう。

「なるほど、幻影か」

 グラディアートルは自身のセンサーが正常であることを確認し、そうつぶやいた。

 見回せば見回すほど、霧深い周囲には寄り添う二機のグスタフが増えていく。うろんな影絵のごときそれらは、取り巻く景観ごと彼を幻惑の術中に捕らえた。

 脱出にはまたとない好機である。

「早く、輸送機に」

 イネッサは立ち上がりながら促した。けれど、九垓はグラディアートルがいた方向を見つめたまま動こうとしない。

「クガイ、さん?」

 不信がって九垓の顔を覗き込んだ途端、

「――伏せろ!」

 と九垓がイネッサを押し倒した。

 直後、彼らがそれまでいた場所に赤い烈風が吹きすさんだ。

「な……」

 背中から倒れたイネッサは、上体を起こしながら絶句した。

 平らなアイスクリームの表面を巨大なスプーンですくったかのように、地面が抉られている。そこにあった建物や破片などは一切ない。格納庫はかろうじて半分を残している程度だ。

 その風は夜霧を一瞬だけ晴らした。宵闇に浮かぶ赤い輝きは、グラディアートルから発せられるもので間違いない。

「姿をくらませれば逃げられると思ったかね? 浅ましいな、ニンゲン」

 ずん、と大地が揺れた。

「本当に目障りだ。何度滅しても、どこからか生まれ出る。まるで虫のように」

 再び地鳴りがする。その足音がするたび、イネッサは慄き固まった。

 敵はこちらを捕捉している。ゆっくりと、確実に仕留めるために、あれは正面をこちらに向けようと身を反転させているのだ。

「だがな、ニンゲン。貴様らの命は有限だ。たとえ何千、何万と年を重ねようとも、私たちはそのことごとくを滅ぼそう。星の御子(みこ)が残した最後の希望、反逆の意思は、我らが母の前には無力と知れ」

(母……?)

 疑問を覚えたイネッサの身が、九垓に持ち上げられ颯爽と夜霧に消える。

「クガイさん……」

 呆けるイネッサに、九垓はわざとらしいまでの深い溜息を吐いた。

「その呼び方、気持ち悪ぃからやめろ」

 イネッサは思う。同じ危機を共有する者と思い、少しでも心配した自分が馬鹿だった、と。この男はこういう冷たいところがある。これ以上ないぞんざいな返しに、心を袈裟に斬って捨てられた気分でイネッサは言葉を呑んだ。

 その彼女に、

「おい。お前のその、水出すやつ。こっちの指示どおり、ピンポイントで出せるか?」

 と、九垓は霧のなかを駆けながら無遠慮に問いを投げてよこした。

 イネッサはむくれ面で睨み返すが、いかにアーキグスタフといえど表情の変化は再現できない。

「できますけど?」

 負けじと精いっぱいの冷ややかさで突っ返した。が、この修羅場において、そういった負けん気の強さはかえって男の挑戦心を(たぎ)らせることになる。

「上等だ」

 九垓が息巻く一方、格納庫の輸送機は発進準備を整えつつあった。立ち込める濃霧に紛れて二機分のエンジンが鳴動する。

 だから、はじめマシューは、剛三郎が乗り込んだのがどちらの輸送機かわからず右往左往した。そのうちに、

「マシュー・ゲッツェンだな?」

 と聞き覚えのない男の声で通信を受け、剛三郎のいるほうを伝え聞いた。なんでも、男は脱出の手助けをしてくれるという。

「貴様、何者だ! 名を名乗れ!」

「あとはカグヤに訊け。時間がない」

 相手の男はそう告げるなり一方的に通信を切り上げた。

(なんだというのだ、いったい)

 グスタフに変身する神父の襲撃にはじまり、所属不明の黒い兵団の強襲、アルカンの死と続き、マシューの心は深刻化する事態を受け止めきれなくなった。

 ――ハウトマンに、気を、つけろ。

(あの男が仕組んだとでもいうのか)

 アルカンは、ハウトマンが戦乱を呼ぶと言った。確かに、アルカンが倒れたこの状況で最も喜ぶのはやつだろう。

 では、黒い兵士に指示を出しているのはハウトマンか。手際のよさから見て、その可能性は高いと思えるが、あのグスタフに変化する神父はどうだ。出会ったのはただの偶然ではないか。

 なにか、見及ばぬ力が働いているように思える。そんなとりとめもない考えに耽っていると、静まり返っていた外が再び騒がしくなり、格納庫の外壁が消し飛んだ。

(時間がないか!)

 呆気に取られる間もなく、マシューは男から聞いた輸送機の横でグスタフを降り、急いで艦橋(ブリッジ)へ上がった。

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