第十話「暁への飛翔」①
イネッサを包み込む光は夜を斬り裂いた。
天高くのぼる青い光には縦にうねる龍の紋様が浮かぶ。その光が解けていくにつれ、一機のグスタフが姿を見せた。
薄紫と濃紺を基調としたドレスを着たようなそれは、胸の前で大事そうに三叉の槍を持ち、喪に服すかのごとくうつむき気味で立っている。
(あいつ)
四つん這いの九垓は変貌を遂げたイネッサを尻目に見た。そして、反対側から響いた地を鳴動させる足音にすかさず視線を向けると、痛む体を押して立ち上がった。
唸り声のような音とともに体勢を立て直したグラディアートルは、対峙することを選んだイネッサの姿を認めるなり、
「ほう。戦うのかね、シスター・イネッサ」
と感心した様子で訊いた。イネッサはその呼び方に確信を得た。
「追って、来たんですね」
視線を下げたまま問いを返した。
「いかにも。あのまま大人しくしていれば、ここまでする必要はなかったんだが」
まるで「お前のせいだ」とでも言いたげな調子に、
「どうして、なんですか……」
イネッサはそう訊かずにはいられない。
「どうして、私なんですか!」
怒気を孕んだ顔を向けたさきで、泰然たるグラディアートルは、
「運命だ」
と、端的に言った。
「運、命……」
思いがけない言葉に、イネッサは半ば呆然とする。その顔が、
「君の母も報われることだろう」
と続いたグラディアートルの言葉に激しく歪んだ。
「……どういう意味ですか」
「身を挺した甲斐があったという話だ。あれはアービターではなかったが、シスター・イネッサ、君は違う」
グラディアートルの顔は相も変わらず影がかかり、六つの赤目が不吉にイネッサを見つめている。
「あの女に免じて、素直に従うならば手足は保障しよう。大人しく私とともにきたまえ、シスター・イネッサ」
グラディアートルは諭すような口ぶりであるが、どこか底知れぬ闇が垣間見える。
そもそもイネッサがこの男の誘いに乗るいわれはない。断るのは簡単だ。それでも言葉が出ないのは、理解が追いつかないからである。
(お母さんが、身を……)
挺した、とこの男は言ったが、それは違う。父が売ったはずなのだ。魔女であるからと、教会に。それがイネッサの知る母の末路である。
しかし、グラディアートルの口ぶりからは、まるで母が望んで身を差し出したように聞こえるではないか。
「じゃ、じゃあ、お母さんは……」
なぜあんな、諦めと安堵に満ちたほほえみを浮かべて去ったというのか。
湧いてくるよくない想像に惑い、立ち尽くす彼女に、
「力はヒトのために使うもの」
神父の声で母が常日頃から言っていた言葉が聞こえた。
「どうして、それを」
唖然とするイネッサにグラディアートルは続ける。
「シスター・イネッサ。これは神が君に課した使命なのだ。ゆえに運命――。敬虔なる父がいつも教えていなかったかね? この世は修行の場なのだと」
確かに、それは父も母もことあるごとに口にしていた。だから悪辣な環境に身を置いてこられたのだ。長きにわたる飢餓も、母の失踪も、だから耐えてこられたのだ。
すべては来世で報われる。生きとし生けるものは、すべからく神の救済の内にある。死こそが救いのはじまりであり、新たな世界への門出である。
そう、イネッサは頑なに信じてきた。母もきっと赦されるのだと信じてきた。そのために祈り、費やした二十年余りが、イネッサという人間の人生である。だからこそ、裏切ることは許されない。
もし裏切ろうものならば、それは、神を信じた母をも裏切ることになる。
イネッサは憤怒とも悲哀ともつかぬ震えに苛まれた。彼女そのものであるアーキグスタフ<ハイドランジア>は、その震えすら精確に再現する。トライデントを握りしめた両手から、金属同士を軋ませる耳障りな音がかすかに響いた。
「そ、そんなに……この力が、欲しいですか」
イネッサはやっとの思いで絞り出した。
「違うな。我々は欲しているのではない。解き明かしたいのだ。忌々しくも清浄なるその光が、なにゆえ貴様ら家畜の手に渡ったのかを」
己が目的を打ち明けるグラディアートルであったが、意図的に伏せているのか、話はどうにも要領を得ない。
イネッサはうつむかせていた顔を怪訝そうに持ち上げる。すると、彼女の視界の隅から雷光が走り、グラディアートルの正面で激しい稲妻が暴れ狂った。
電光石火の一打は、難なく片腕の刃で受け止められている。無論、九垓とて通るとは思っていない。
「大人しく寝ておればいいものを」
グラディアートルは半ば呆れ気味に言った。
「悪ぃが、そいつを守れってのも仕事なんでな」
「そうかね。では、まず貴様からだ」
そう言って刃に力を込めたグラディアートルの顔面に、どこからともなく放たれた無数の弾丸が直撃した。
銃弾の嵐のなか、出どころを探ってグラディアートルが睨んださきには、格納庫前から支援射撃を送る濃紺の機体が一機立っていた。
マシュー駆るヘルシャフト・カスタムである。図らずも、グラディアートルがイネッサと会話してくれたことが起動の時間稼ぎになった。
「クガイ!」
マシューの呼び声に、九垓は鍔迫り合っていた力の拮抗を崩し、体を沈み込ませるように引いて、相手の左腕をあえて振り切らせた。
わずかに前へつんのめった敵の正面ががら空きになる。そこへ、うしろへ跳び退いた九垓と入れ替わりに百八十ミリ口径のグレネード弾が飛来し、爆裂した。
直撃した手応えは確かにあったが、マシューは注意深く爆炎を睨んだ。この程度で抜ける装甲ではないはずである。
(やはりな)
案の定、観察していたマシューの視界に、グラディアートルは無傷のまま姿を現した。
「忌々しい。実に忌々しい。世の理に歯向かう愚者どもめ」
六つの赤い目がぎろりと輝きを放つ。
一切の攻撃が通らない。これではじり貧である。
「くそ……」
九垓は悪態を吐き、満身創痍の体に鞭打って立ち続けた。その背中に、
「クガイ、さん!」
とイネッサの声がかかる。
「ああ? なんだ!」
九垓はグラディアートルから目を逸らさず答えた。
「私に、考えがあります」
確固たる意思を感じさせる声色で、トライデントを抱いたイネッサが九垓とマシューの横に並び立った。




