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第九話「リンケージ」⑬

 なにやら牢の外が騒がしくなり、神楽夜は頃合いだと判断した。もうすでに数十回、地鳴りを伴う爆発音が響いている。外が平時でないと察するには充分過ぎた。

 朔夜たちが助けに来たと考えたいところだが、楽観が過ぎる話だろう。ともかく、抜け出す機会が得られたことは僥倖である。

(やってみるか)

 いまさら、あとさき考えたところでしようもない。

 神楽夜はベッドに腰かけた状態で、床につけた足を枷の鎖が目いっぱい緊張する程度まで開いた。肩幅にも満たない間隔だ。そこへ、合わせた両手をそっと差し入れる。足枷の鎖の中心に狙いを定めると、差し入れた合掌を背伸びする要領で頭上へと持ち上げ、その体勢で一度呼吸を整えた。

 全身を流れる気力、言い換えるならば生命力を、掲げられた合掌へ天を目指す大樹のごとく集中させる。いまや己の腕は、高々と構えられたひと振りの刀である。その心象が確固たるものとなった時、神楽夜はやにわにかっと目を見開いて、激烈に合掌を振り下ろした。次いで、短く甲高い金属の破裂音が響き、神速なる手刀は足枷の鎖を一刀のもとに両断した。

「よし」

 神楽夜はベッドから腰を上げ、自由になった足を肩幅より少し大きめに開き、どっしりと腰を落とした。やはり足が開けると重心の安定具合も増す。静かに深く呼吸して、へそのあたりに置いた腕を可能な範囲で交差させながら持ち上げた。それが顔の前に至ると、神楽夜は凄絶なまでの勢いでもって、空手よろしく十字を切った。

 響いたのはさきほどの清澄な音とは異なる炸裂音だった。引きちぎられた鎖の歪みが加わった力の凄まじさを物語っている。けれども、彼女はなに食わぬ顔で牢の出入口と対峙した。

 太く丸い鉄格子の端に、同様の造りをした片開きの扉がある。扉が床から少し上がったところにあるのは、すぐに飛び出せないようにするためだ。身を屈めなければ通れないほど開口の高さがないことも、それが狙いである。そこに神楽夜は、入ったが最後、という、作り手の強烈なまでの意思表示を感じ取った。

 ところが、それすら無意味に変える自信が神楽夜にはあった。(はりつけ)にすべきだ、と言った九垓の判断は正しい。四肢が自由を得たいま、神楽夜にとって、ただの鉄でできた牢をぶち破るなど造作もない。

 一撃で打ち貫くのみ。気炎が周囲の空気を巻き上げるなか、重心を落とした神楽夜は腰だめに構えた右拳を一気に爆裂させた。

 生じた爆音に、収容所の監視にあたっていた兵士たちは大いに動揺した。彼らからすれば、外からしていたはずの爆発音がなかから聞こえたのである。切迫した顔ですぐさま確認しに走れば、ちょうど神楽夜が牢を抜け出るところであった。

 まったく落ち着いた様子で通路に出る黒髪の少女に、兵士らは銃を向けながら周囲に目を走らせた。どうやって出たのか。さきほどの音の正体は。すると、あられもなくひしゃげた牢の扉が、なにかの冗談かと思うほど通路の壁にめり込んでいるのを見つけた。

 その横に立つ少女は黒髪の間から禍々しい深紅の目をぎろりと覗かせ、兵士たちを見据える。蛇に出くわした蛙のごとくすくみ上った兵たちが「動くな」と警告を発するが早いか、神楽夜は唐突に彼らの隊列めがけ突撃を敢行した。

 有無を言わず発砲した兵士たちは、無論、少女を射殺するつもりだった。が、少女はまるで弾道が見えているかのように身を翻す。さすがに目を白黒させた。しまいに少女は、腕に残った手錠で銃弾を弾きだしたものだから、兵士らは吃驚を通り越して現実かと疑い、茫然とする始末であった。

 少女は瞬く間に懐へ潜り込んでくる。そこで同士討ちを避けるべく近接格闘を選択したのは、兵士たちの誤りだった。

 六人いた兵士はそれぞれナイフを抜くなりして備えたが、銃弾以上の速さで繰り出される少女の拳に追いつくはずはない。ましてや、その威力は砲弾に匹敵するのだ。防ごうなどと考えるほうが間違いであった。

 六人全員が倒れるのに一秒といらなかった。兵士たちが幸運だったのは、神楽夜がある程度の加減をわきまえていたことだ。もし全力であったならば、六人とも、いまごろ木っ端微塵の肉片だったことだろう。

 とはいえ、神楽夜も完全に制御できているわけではない。何人かは骨折する重傷である。

 神楽夜は悔恨(かいこん)の念を含めた視線を、己の拳から倒れ伏した兵士たちへと移す。この期に及んで彼らの手当てを考えてしまうのは、己の甘さか。それとも、穢れてなどいないと思いたいがゆえの自己欺瞞か。

 ――そんな体たらくで不殺を信条とするだと? 笑わせる。

 クラドノの夜、アレス・ヴァールハイトの放った言葉が、神楽夜の心をまたも抉った。

「わかってる……」

 渋い顔でつぶやいた背後から、

「いいや、なにもわかっていないな」

 と覚えのある声が響き、神楽夜は警戒心を露わに振り向いた。

「……アレス・ヴァールハイト」

 クラドノで別れて以来の再会である。忍び装束にも見える黒い衣服に、頭部全体をヘルメットで覆い隠したその者は、外へとつながる通路を塞ぐようにして立っていた。

 神楽夜の、なぜここに、という疑問をよそに、アレスは一方的に口を開いた。

「言ったはずだぞ。やらなければやられると。いつまで自分の傲慢さから目を背けるつもりだ」

「傲慢、だって?」

 アレスの言葉はいちいち癇に障る。囚われた鬱憤の晴らしどころを無意識に求めていた神楽夜の感情をさらに逆なでした。

「なんで殺す必要がある! 平然と命を奪うほうが、よっぽど傲慢だろ!」

 神楽夜は(たかぶ)る感情のままに言葉を返した。それにアレスは、

「進んで殺せと言っているのではない。銃で撃たれておきながら、なおも我が身可愛さに情けをかける、その甘さが傲慢だと言っているのだ!」

 と声を荒げ、そして口調を落ち着いた調子に戻して続ける。

「無益な殺生を避ける。その意気はいい。だが、この場で私がお前に刃を向けたとして、それでも、お前は手心を加えられるのか?」

 途端に心臓をわしづかみにされるような殺気が走り、神楽夜は全身をこわばらせた。前方より疾風が吹き抜け、なぜか、神楽夜の四肢に残った枷がするりと落ちた。

 神楽夜がはっとして見れば、枷はどれも鋭利な断面を見せて真っ二つに斬られていた。

「カグヤよ」

 背後からした声に、神楽夜はわずかに顔を横に向けた。面と向かっていたはずが、アレスはいつの間にか背中合わせにうしろにいた。

「トウヤを探すことで己にも危険が及ぶと、もうわかっているだろう。命を狙ってくる者に、弱者も強者もない。すべからく敵だ。このままその偽善を振りかざせば、このさき、それこそが最大の敵となる」

 諭す調子でそう言われても、神楽夜には理解しがたい。

「だから殺せって? あいにくだけど、私は兵士じゃない」

「だが当事者だ」

 神楽夜の目が見開かれた。

「お前はもう、国を守る側の人間だ。使命を帯びて国を出た以上、障害は己の手で払わねばならん。その覚悟を持てと言っているのだ」

「持ってるって! もうとっくに!」

 いよいよ我慢ならず、神楽夜は怒気を剥き出しにして振り返った。ここにいるのはその結果なのだ。観光気分だったはじめとは違う。養父(ちち)を見つけだすことこそが使命という心に相違はない。

 されど、次いでアレスの口から出た、

「ならばなぜ、マシュー・ゲッツェンを殺せなかった!」

 との問いには、燃え上がる激情に水をかけられた思いで、神楽夜はぐうの音もでなかった。

 アレスは背を向けたまま続ける。

「わかっているはずだ。見逃したのは、己の手を汚したくないからだと」

「……違う」

 神楽夜は苦し紛れに答える。

「あんなの、二度とごめんだからだ」

 そう回顧するのは、マシューとの初戦である。

 ゴビ砂漠で出くわしたマシューを撃破した時、神楽夜は殺したと思った。なにしろ手応えが、黄金の騎士を打ち貫いた時とはまったく違ったからだ。

 思い違いであったとはいえ、殺人の咎はあまりに重かった。知ってのとおり、しばらく自棄に陥るほど追い詰められもした。ゆえに、神楽夜は戦いになるたび忌避するのである。

「誰かの命を奪う資格なんて、誰にもない」

 と。しかし、それではアレスに対しての答えには足りない。アレスの言うように、襲い来る敵に弱者も強者もないのだ。

「では潔く散るのか」

 詰問を向けるアレスに、

「それは……できない」

 と神楽夜は両の拳を強く握った。

「ならばどうする。己を超える猛者と対峙してなお、まだその信念を貫くか」

 ――いつまで自分の傲慢さから目を背けるつもりだ。

 アレスがそう言った意味を、神楽夜はもう理解している。それでいて飲み込むことができない。もしそれを許せば、自分はタガが外れるような気がして、ならないのだ。

 殺さないという選択肢を持ったのは、ひとえに殺人を許容できないからだ。それは無理もない。が、その選択を押し通せるか、となると話は違ってくる。

 それをなすには、相手より優れていなければならないのだ。命のやり取りをする段にあって、互いの実力差を正確に推し量ることができるほど、神楽夜は老練ではない。

 普通の兵士相手にすら、確かな加減ができないのだから。

「私の、傲慢さ……」

 神楽夜は足元に倒れる兵士たちに視線を落とした。

「それが油断を生む。だから墜とされたのだろう?」

 ケルト海でマシューの不意打ちを右腕で防がなければ、事態は変わっていたかもしれない。牢にいる間、神楽夜がそう後悔しなかったわけではない。

 自分を守る偽善と相手を侮る傲慢さが、いまこの状況を生み出している。不服なれども、それは事実である。

「なにかをなすには、己の足で立ち、己の手で行わねばならない。お前が本当に守りたいと願うなら、責任を負うことから逃げるな」

 と、アレスは神楽夜を向いた。そして、歯噛みする彼女の背後へ視線を送り、背負った刀に手を伸ばした。

「来たか」

 神楽夜がアレスの呆れたようなつぶやきに顔を上げ、振り向けば、いつぞやの夜に見た黒い兵士らが、突き当りの角からぞろぞろと姿を見せはじめたところだった。白い内装に彼らの色合いは異質そのものである。

「あいつら」

 身構える神楽夜の前にアレスが進み出た。

「あれにも加減するのか、カグヤ?」

 皮肉に神楽夜は苦々しくも敵を睨む。すると、アレスは黒い鞘に納められた刀を抜きながら言った。

()をもって力を御す」

「理をもって……」

 神楽夜が怪訝な面持ちでアレスの背を見るそのさきで、頭数がそろったらしい黒い兵士たちは、群衆となって押し寄せた。

 緩んだ気を締め直し、構える神楽夜にアレスは言う。

「道は私が作る。この場から離れることだけを考えろ。――行くぞ!」

 疾風怒濤の技をもって、アレス・ヴァールハイトは黒い兵団に跳びかかった。

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