第九話「リンケージ」⑫
なにが起きたかわからず目を瞬かせるマシューの顔に誰かの影がかかる。青白い炎を帯びたトンファーを一回転させ、東洋風の衣服に身を包んだその男は背を向けたまま、
「そうだぜ。まだ支払い済んでねえからな」
と言った。
「……クガイ!」
九垓は答えず間合いを測る。敵は突き飛ばされたひとりが体勢を立て直し、攻め入る隙を窺っている。
(見たことねえ装備だ。どこの連中だ?)
黒一色に赤いバイザーという色合いは、黒髪に赤目の神楽夜を思い出させる。ここに来るまで数体と交戦したが、どれも常人ならざる身のこなしで、それも彼女を彷彿とさせた。されど、九垓はこの黒い兵士たちと拳を交えても、なんら喜びを感じなかった。
命の滾りを感じなかったのである。
「待ちやがれ!」
臨戦の構えを見せていた黒い敵兵は突然横に跳ぶと、窓ガラスを破って地上へ落下した。ここは五階である。いくらパワード・スーツを着ているとはいえ十五メートル以上からの自由落下、ただで済むはずがない。
九垓は彼らが飛び出した窓から下を覗き込んだ。
(いったいなにもんだ、ありゃ)
驚きよりも怪訝さが勝った。九垓は厳めしい顔つきで、平然と地上を駆けていく三つの黒い背中を目で追う。彼らの向かうさきでは、炎のなかでカブトムシに似た巨大ななにかが暴れまわっていた。
静寂を取り戻した通路で力なく座したままのマシューは、
「あんちゃん、立てるか?」
と、ふいに背後から声をかけられ、ぎょっとして振り返った。
「ゴウザブロウか」
見ればイネッサも無事である。
マシューはようやく深い呼吸をして、腕のなかで眠るアルカンに視線を落とした。
「その、方は」
恐る恐るといった調子で訊くイネッサに、
「私の……父のような、人だ」
とマシューは答え、無念さをにじませながら祈りを捧げた。それを見るイネッサは「父……」と小さくつぶやき、自身の父の死を重ね、眉をひそめる。
そこへ、
「とりあえず、早く逃げねえとな」
と九垓の声がかかり、彼女は顔を向けた。
「なんか知らねえが、向こうで暴れてるやつがいる」
九垓は立てた右手の親指で自分のうしろを指した。ここからの判断は雇用主たるマシューがすべきことだ。すでに外は混沌とした戦場。事は一刻を争う。
「兄貴」
九垓に急かされてなお、マシューはアルカンの遺体を抱えて頭を垂れたまま立ち上がろうとしない。彼にとってみれば、父と慕うこの老人を置いていくのは断腸の思いに違いない。それはイネッサとの話を聞いていた九垓にも伝わった。だが、状況は待ってはくれない。
そろそろ時間がなくなってきたと催促が口を衝きかけたところで、九垓はイネッサの非難がましい視線に気づき、珍しくも気圧された末に言葉を飲み込んだ。父の遺体を置いてきたイネッサの心境も察してのことだったが、それは言うまい。
彼らのいる庁舎は避難が済んだのだろう。遠くから聞こえる苛烈な爆音だけが響いた。
「行こう」
マシューはアルカンを静かに床へ横たえた。そして立ち上がるころには、顔つきがすっかり軍人のそれに変わっていた。
九垓は安堵した。さてどう逃げたものか。
「クガイ、<サムライ>を回収するぞ」
「ええ!? あっちは火の海だぜ?」
度しがたい主の方針に、九垓は全力で抗議の意を示した。雇われの身とはいえ、命ぜられればたとえ火のなか水のなか、とはいかない。死んだら終わりだ、とは九垓の弁である。
「あそこに私の機体もあるのだ。それにここまでされて、おめおめ引き下がってられるか」
轟音がするほうへ向けられるマシューの顔には鬼気迫るものがある。
「それは、ゲッツェンの名にかけて?」
この期に及んでいつもの軽口を叩く九垓に、剛三郎とイネッサはさすがに顔を見合わせた。けれどもマシューは気にしたふうもなく、むしろ毅然たる態度で、
「ああ。私は、マシュー・ゲッツェンだ」
そう断言した。




