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第九話「リンケージ」①

女子(おなご)とわかっていたが、よもやこんな小娘とはな」

 独房に響いた男の声は、落胆というより哀れみに近いものだった。

 その声に、簡易ベッドに腰かけ、拘束された手足を見つめていた神楽夜はわずかに頭を動かし、顔にかかる髪の隙間から鉄格子の外を睨みつけた。

(この声……こいつが)

 侮蔑とも取れる視線を注いでくる金髪の男。さんざん仰々しく名乗るからどんな男かと思いきや、なに、マシュー・ゲッツェンとやらはキザっぽそうな痩身であった。

 ここは、アルカン領最大の基地<リュエール・デ・ゼトワール>内の収容所である。が、捕らわれてから目隠しをされていた神楽夜に、その所在がわかるはずもない。彼女が視界を取り戻したのはついさっき、独房に入る寸前のことである。

 大勢の人間に銃を向けられ、手錠をされ、目隠しをされた時は正直、生きた心地はしなかった。いま思い出すだけでも内臓から震えがはじまるほどである。

 その恐怖を引きずったまま牢にぶち込まれた神楽夜は、四肢の自由が奪われた現状に強い圧迫感を覚え、気が狂いそうだった。いまにも拘束具を引きちぎって暴れだしたい衝動に駆られる。人間、やはり手足を大きく動かせないと心労を感じるらしい。

 それでいて、神楽夜は全身を覆いつくす拭いようのない虚脱感も覚えていた。死刑囚が目の前に垂らされた絞縄(こうじょう)を眺めるような、まるでここが人生の終着であるかのごとき錯覚である。

 どうあがこうと助けは期待できない。

(終わった)

 神楽夜は力なく頭を垂れた。

 崩壊寸前の精神に、牢のなかはまぶしすぎた。

 内壁は薄い灰色をした金属パネルで、窓は一切なく、天井の明かりに照らし出されるさまは、なにかの実験場のように無機質だ。閉ざされた黒い鉄格子も、その印象をなお強めている。

 三畳ほどの独房のなかには簡易的なベッドのほかにトイレ、金属製の小さな机に椅子がひと組ある。いずれも冷たそうな白色をしている。

 思えば、ここは妙に色味が少ない。頭上から煌々(こうこう)とする照明からして、極力、影を生み出さないようにしているのか、と神楽夜は察した。

 出入口を塞ぐ鉄格子は、やろうと思えば突破できそうだ。足枷も手刀で断ち切ることができるかもしれない。しかし、ここがどこであるかも知れず、たとえ逃げ出せてもゼルクを動かせないのだから意味はない。

 格子の外には、見下ろしてくる金髪の男のほかに複数の人の気配がある。やみくもに脱出を図ったところで上手くはいかないだろう。

 手が使えなければ足を使え。足も使えなければ歯を。歯も使えなければ頭を。というのは、鍾馗(しょうき)が説く死逝連術(しせいれんじゅつ)の教えである。命を臨界まで高め、使い尽くすことを至上とする武術であるがゆえ、その思想はやや破滅的に思える節もある。だが、なすすべがないいまの神楽夜にとってみれば、それがかえって支えになった。

 ――恐れとは、無知から来るのだ。

(やるだけ、やるさ……)

 思い出された鍾馗の言葉に、せめてもの手がかりを得ようと、神楽夜は黙然として耳を澄ます。それだけでも気は紛れた。人間の息遣い、空気の流れ、移動する足音、そのすべてに注意を向ける。

 すると、

「貴様、所属と名前は」

 格子の外に立つマシューが()いてきた。もちろん、神楽夜は答えない。

(だいたい、所属ってなにさ)

 神楽夜は軍人でないから、そもそも所属などはない。強いていえば日本と言うところだろうが、馬鹿正直に言うわけはない。そんなのは分かりきった話である。

 だのにマシューは、神楽夜が手元に視線を落としたまま黙り続けるのが気に食わない様子で、

「聞こえているだろう! 貴様が日本から来たことは調べがついている!」

 と声を荒げて詰問した。

 静寂を引き裂く大声に、牢の見回りする看守の兵が何事かと視線を向ける。

 マシューは声色を落ち着いた調子に戻し続けるが、それは周りの目を気にしたからではない。

「私以外の者が来れば、どんな手を使うか知れたものではないんだぞ。おとなしく質問に答えたほうが身のためだ、カグヤ・イヴ」

(なんで、知ってる)

 神楽夜はわずかに目を見開きながらも、驚きを悟られぬよう沈黙を守った。

 事実、軍内には拷問を嬉々として(たの)しむ輩が一定数いる。マシューは脅す口ぶりでも、その話は神楽夜の身を案じたものである。無論、情報を吐かせたという実績がほしい下心もなくはない。しかし、こんな年端もいかぬ娘に苦難を強いるのは、否や性別にかかわらず人として、偉大な父を持つ彼の矜持(きょうじ)が許さなかった。

 けれど、その思いが伝わるはずもなく。頑なな姿勢を貫く少女に、いったいどうしたものかと渋面になるマシューのもとへ、ひとりの兵が近づいてきた。

 兵から耳打ちを受けたマシューは、

「わかった。すぐに行くと伝えろ」

 と応じるなり独房のなかを見やり、

「貴様が乗っていたあの機体、こちらで解析させてもらう。まさか忘れてはいないだろうが、私たちは機体が手に入ればいい。貴様がこれからどうなろうと、我々の知ったことではない。ただ――」

 そこでマシューはぐいと鉄格子に顔を寄せた。

「飢えた男どものおもちゃになりたくなければ、この質問だけは答えろ」

 より深刻ぶって圧をかけてくるマシューに、間違ってもそんなことにはならない、と神楽夜は自信を持ちつつも、反論することなく次の言葉を待った。

「貴様の父は、トウヤ・イヴか?」

(やっぱ、それか)

 予想し得たことだった。面と向かうのがはじめてのこの男が自分の名を知っていた時点で、それを確認しないことはないだろう。

(認めれば、養父さんを探すだしに使われるか)

 その代わり、身の安全は保障されるかもしれない。そのほうが都合がいいか。ふたつにひとつだ。神楽夜は思いきることにした。

「……育ての、だけど」

 返答に、マシューは怪訝(けげん)な顔つきになった。少女が応じたことより実子でないことのほうが驚きであり、そして眉唾であった。

(こいつが、父の……)

 仇の娘。

 さきほど報せを持ってきた兵には「すぐ行く」と言ってしまっている。マシューはうしろ髪を引かれる思いを抱え、出口へ身を転ずるその一瞬まで神楽夜を見つめ、複雑な面持ちで去っていく。

 神楽夜は、マシューの視線が自分から外れた瞬間、格子の向こうの彼の歩幅を静かに盗み見て、遠のいていく靴音に耳を傾けた。

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