第八話「冷々たる別離」⑬
その頃、ヴェントゥスの一行は追撃の手が迫っているとは露知らず、イギリス海峡を経てケルト海へと進出していた。
けれど、海上に赤い艦の姿はない。空に立ち込める暗い雲は、次の目的地が定まらぬ彼らのさきゆきを表すかのようだ。しかしそれも、海中に潜む神楽夜たちには知りようもないことである。
ブリッジの三方を囲む窓からは、物音ひとつしない海のなかが見える。ヴェントゥスは浅い海中を漂うだけだ。変わらない景色に飽きた神楽夜は、日本を出た時に比べ随分と人が増えたブリッジを見回しながら立ち上がり、筋を伸ばした。
操縦席に座るシーカーははじめこそ、
「水中ねえ。楽勝だよ、楽勝」
とヴェントゥスが潜水できることを自慢げに話していたが、いまは傷が痛むのか、嘘のように黙り込んでいる。
そのうしろのふたり掛けの座席にはブレイズ夫妻が座る。窓際に座すアルマはなにもない海中を飽きることなく観察し、ジックはトレードマークともいえるテンガロンハットを目深に被って眠っている様子だ。
眠っているといえば、神楽夜の横にいる朔夜もそうだ。夫妻のさらにうしろの席で、壁に寄りかかって寝息を立てていた。神楽夜たちにその経験はないが、まるで遊園地に行った帰りの子供のようである。
最後に、新参者のレジーナは、神楽夜たち姉弟の席と通路を挟んで反対側に座っていた。ふたり掛けの席にひとりなのをいいことに、空間を目いっぱい使うように腕と足を組んでいる。が、窓外へ送る視線はどこか不機嫌そうだ。
(あと四つしか空いてないんだ)
神楽夜は感慨深い思いに浸った。
空席はレジーナの隣とその前にあるふたり掛けの席、そして操縦席と通路挟んで横にあるひとり掛けだけである。これで日本を出てからまだ一週間と経っていないのだから、なおさら驚きだった。
――自分の置き場を変えてみろ。
黒騎士の言うとおりだったと神楽夜は思う。日本にいた時に比べると、確かにものの見え方は変わった。急激な変化に戸惑う間すらなかっただけに、こうした静かな時間があると、ますます数日前の自分が子供じみて思えてくる。
――甘えた子供そのものだ。
あの黒騎士はそんなことも言っていた。
(いまの私は、どんな顔してんのかな)
自分ではわからない。ただ、いまの自分は確実に、昨日の自分よりも前に進んでいる。
そう、進まねばならない。老師が去り際に言ったように待つのも策だが、呑気にしている猶予はない。少しでも手がかりがあるならば、こちらから探しに行くべきだ。
一日でも早く養父を見つけ出して国に戻る、そのために。
思い立った神楽夜は意を決し、レジーナに呼びかけた。
名を呼ばれた彼女は神楽夜を面倒くさそうに一瞥すると、
「なんだ?」
と簡潔に返事をする。
それに神楽夜は内心むっとした。自分から「トウヤを探すなら、私も」などと言っておきながらその態度。とても協力的とはいえない。
されど、感情に流されても仕方がない。神楽夜は努めて抑えて、
「昨日聞けなかったこと。養父さん、次の行先とか言ってなかった?」
と訊いた。
レジーナは神楽夜から視線を外し、居住まいを直すことなく深く息を吐く。神楽夜からすれば、なにか呆れられているふうで気分が悪い。それでも彼女を横柄だと神楽夜は思わない。それは、
「……いや。悪いが、トウヤからはなにも聞いていない」
こんな具合に真摯に考え、答えるからだ。その印象は昨日から持っていて、単に不愛想なだけだろうと理解することにした。
それはそうと、これでは動こうにも動けない。ため息をつくのは、今度は神楽夜の番である。なんのために遥々ロンドンまで来たのか、と考えだした矢先、
「もしかしたら、月にいるかもな」
レジーナが冗談なのか本気なのかわからないことを言った。それに反応したのはシーカーだ。
「月ねえ」
呆れた調子でバックミラー越しのレジーナへ視線をやる。
「ないんじゃないかなあ。だいたい、指名手配されてるやつがそんなホイホイ月に行けるかって」
「指名手配?」
神楽夜は初耳であった。訝しげに聞き返す彼女に、答えは左から返ってきた。
「本当にあいつの娘なのか?」
レジーナはマンションでも聞いたその一節を口にし、さきを続ける。
「トウヤ・イヴは二十年前から連合が探している国際指名手配犯だ」
「え」
神楽夜はそれ以上言葉を出せずに、口を半開きにして固まった。
いまに至るまでの八年間、そんな話はついぞ聞いたことがない。養父と旧知の仲である麟寺や鍾馗もそれについて臭わせることはなかったはずだ。
(いや、知ってても)
あのふたりなら、いらぬ心配をかけまいとして言うことはないだろう。それについてはこの際、仕方ないとしても、解せないことがひとつある。
「でも、養父さんは繭を倒したんでしょ? どうしてそれが」
世界的な犯罪者扱いにならねばいけないのか。




