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第八話「冷々たる別離」⑩

 倒壊の難を逃れ得たのは、まさに修行の成果であった。でなければ、こうして怪盗よろしく夜に紛れ、屋根から屋根へ飛び移って逃げるということにはなっていない。みんな仲良く瓦礫の下でミンチになっていることだろう。

 レジーナの姿が消えて間もなく外に出た鍾馗は、悠長にしては間に合わないと判断するや、外壁を伝って降りる決断をした。それに臆することなく続いた自分を、神楽夜はいまになって自賛する。そして同時に、

(あの鮫)

 と上空にいたそれの姿を回想した。夜空から光弾と光線を乱射するそれは、昨晩クラドノで遭遇したものと同じに見えた。

 そのあと、突き出た大地のてっぺんに降り立つ白銀のグスタフを見た。あれは、おそらくレジーナだ。グスタフに変身する能力はアービターの特性と理解したが、よもやあんな超常的現象を引き起こせるとは思ってもみなかった。

 いまごろ、連合軍は行方をくらましたその二体を探していることだろう。遅くなるほど退路は狭まるに違いない。

 と考えながら次の屋根に跳んだが、

「っわ!?」

 次の屋上に飛び移った老師が急に立ち止まり、続く神楽夜はその背に危うく顔をぶつけかけた。

(あっぶな)

 そう胸を撫で下ろしたのも束の間、神楽夜は飛んでくるであろう鍾馗の怒号に備え身構えた。

 しかし、老師は前方を見やったまま動かない。

 何事かと脇から顔を覗かせたれば、

「レジーナ……」

 黒い甲冑姿の彼女がいた。

 その厳めしい雰囲気に、神楽夜は固唾を呑む。なにをする気かと窺っていると、レジーナは身につけた武装をすべて青い炎へ還し、白いブラウスに黒いチノパン姿へ戻った。

 次いで、

「トウヤを探すなら、私も連れて行け」

 と引き締まった顔つきで言い放った。

 鍾馗とすれば、特に手がかりのない現状で彼女の申し出は願ったり叶ったりのはずだ。神楽夜はてっきり受けるものと思い、老師を見た。

 街には緊急車両のサイレンがこだましている。

「覚悟のうえか? 戻れなくなってもかまわないと」

 鍾馗はレジーナにその真意を問うた。すなわち、ここで死ぬか、と訊いたのだ。

 世界的軍需企業<シスル・エンタープライズ>が有する高層マンションが、何者かの攻撃により崩れ去った。周辺の被害を含めれば、死傷者は相当な数になるだろう。もはやアリバイ工作のための密約など意味はないし、ルーベン・シスルの死が知れ渡るのも時間の問題だ。その衝撃が業界の内外に与える影響は想像を絶するに違いない。

 そしてそれは、レジーナについても例外ではない。

 この状況で万が一にもレジーナが生きているとわかれば、当然、彼女を連れ歩くヴェントゥス一行は注目を一身に浴びることになる。

 この場では鍾馗しか知り得ないことだが、神楽夜がゴビ砂漠にていざこざを起こした件も含め、連合にはヴォルファング社を通じ、これ以上ないほど便宜を図ってもらっている。この期に及んで、さらに爆弾を背負うことはできない。ゆえに鍾馗はレジーナに「同行するならばここで死んだことにしろ」と迫ったのである。

 アービターはひとりでも多くほしいことに変わりはない。けれど、仮にここでレジーナが断っても鍾馗はよかった。

 灯弥がレジーナに接触したのは、おそらく彼女がアービターと知ってのことだ。そう予想が立てられただけで、灯弥と古くからのつき合いである鍾馗には充分であった。それにレジーナほど顔の知られた人物であれば、たとえここで道を違えても、改めて探し出すのは造作もないことである。

 といっても、レジーナがそんなことを意に介すはずもなく。返答を待つ鍾馗にレジーナは一拍の間を置いたのち、

「愚門だな。もとより帰る場所など、ない」

 と、その目をじっと見据えて言い返した。

 そこに本気を見た鍾馗は、

「――よかろう。ついて来い」

 言うや否や疾風のごとく駆け出した。レジーナをつれて脱出を図るのに、ロンドン中の視線が倒壊したマンションに集まる現状はかえって好都合である。いまを逃す手はない。

 人目を避けるように闇を行き、あらかじめ有事の際の合流場所として定めてあった路地裏に向かう。大通りの光が薄っすら届く程度の、背中合わせになった建物の間を流れる路地裏だ。

 そしてそこに駆け込めば、

「やあ」

 と、陰湿なその場にそぐわない軽い挨拶が出迎えた。

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