第八話「冷々たる別離」⑨
夜よりも濃く黒い闇の柱は、昨晩対峙した東洋風の男やジック・ブレイズの時のように天空へ伸びゆき、やがて柱の前に泰然自若と構える巨大な亀の姿が出現すると、一体の<アーキタイプ・グスタフ>が燃え盛る屋上のヘリポートに降り立った。
その姿はさきほどの黒い甲冑姿から打って変わり、白銀の騎士甲冑を思わせる細身なものである。胸部や肩、前腕や脛まわりは頑強そうな装甲が目立つ一方、胴や腿は随分と華奢だ。左手に携える盾に関しては、丸みのある逆三角形の形状こそそのままに、グスタフの全身を覆う大きさへと変貌を遂げていた。
その盾から、レジーナは愛剣を抜き出し、構える。護拳のついた両刃のサーベルは月に閃き、切っ先を夜空漂う一匹の鮫に向けた。
鮫の艦首側面のちょうど目にあたる部分には、斜めの溝が左右三つずつ、横並びに入っている。それらを赤く輝かせ、鮫は船体の正面を白銀のアーキグスタフに向けると、機体が立つ屋上へ全砲門による一斉射撃を開始した。
連射される光弾の合間を縫って、部屋を溶断したあの光線が放たれる。いずれも同じ砲門からである。鮫は砲塔ごとに出力を調整し、弾を撃ち換えていた。
いくら高性能な<アーキタイプ・グスタフ>といえど、レジーナの駆る<エスクード>に飛行能力はない。手出しできない現状ははなからわかっている。彼女は盾を前面に出すと、それを力任せに足元へと突き立て、肩で盾を押すように腰を落とした。
そこへ、すぐさま鮫の砲撃が着弾する。跳弾した荷電粒子は見当違いの方角へ飛び、いくつかは周辺の街へ着弾して爆発を引き起こした。
それでもレジーナは待ち続ける。構うことなく待ち続ける。ひっきりなしに盾に伝わる衝撃にも、倒壊の危険性が倍速で高まるこのマンションにも構うことなく、ただその時だけを待ち続ける。
隙だ。いかな大火力をもってしてもこの盾は抜けぬと、レジーナには絶対の自信があった。だからこそ敵が白兵戦を挑んでくるその一瞬を待つ。
そして傷ひとつつかぬ盾を前に、とうとう鮫は閉じていた口を大きく開き、レジーナめがけ飛び込んできた。
(短気なやつ)
レジーナはひとりほくそ笑んだ。
鮫はグスタフに比べると空母のごとき大きさである。禍々しい口はグスタフを丸のみできそうだ。鮫が目前に至り、あわやそれが現実になろうかと思われた時だった。ようやくレジーナは動きを見せた。
「ドライヴ・コンチネント」
鮫が噛みついてくるのと同時に、レジーナは右手の剣をくるりと逆手に持ち替えて屋上に突き刺した。屋上からマンションの最下層、さらには地中に至るまで、瞬時に黒い波動が行きわたる。
しかし、その一瞬でレジーナが餌食になるのは距離からしても明らかだ。遅すぎた反撃かに思われた。
が、あろうことかレジーナは鼻で笑った。
そう。目の前にいる、馬鹿のように口を開けたまま迫る鮫を見て笑ったのだ。
レジーナの技による異変はすぐに起きた。地鳴りとともに大地が激しく揺れたかと思えば、マンションの一階から低く唸るような轟音が響いた。
重々しい音が上に向かって続くうち、ややあってマンションは爆裂した。内側になにかを無理やりねじ込まれたかのような弾けぶりであった。
その正体はすぐにわかった。足元からせり上がって来る轟音に、レジーナは冷めた顔のまま盾を引き抜き、天高くうしろへ跳んだ。
直後、下から屋上を突き破って現れたのは、隆起した大地の剣先であった。
ロンドンでも有数の高層マンションはついに倒壊し、そこには、さながら大地の槍とも形容できる巨大な山が屹立した。
山は鮫の腹を直撃し、突き上げる。天空にてそれを待ち構えていたレジーナは、早速仕上げにかかった。
身を翻し、黒い輝きを放つ盾を下に急降下する。彼女は夜空を翔ける黒い流星となり、大地の槍によって空へと突き上げられる鮫めがけ、一直線に落下した。
技は、突き上げられた相手を上から盾で押し、山に深く突き刺すことで完結する。さらに、突き刺した山の頂を相手の内部で炸裂させることも可能である。
いずれにせよ鮫は「詰み」だ。レジーナはそう信じて疑わなかった。
目前で、その姿が消えるまでは。
「なに」
レジーナは驚きの声を漏らし、伸長を止めた山の頂点に足をそろえて降り立った。
煌びやかなロンドンの夜景が、月夜に立つ騎士を照らし上げる。
その状態でいくらあたりを見回せども、さきほどまで確かにいたはずの鮫は、幻のごとく消え失せている。残るのは、夜天に漂う青い光の残滓だけである。
眼下には、騒ぎを聞きつけた警察や救急隊のパトライトが集まりつつある。その景色から視線を外そうとした刹那、レジーナは、屋根から屋根へ跳び移る少女と老人の姿を見つけた。
(いったい……)
何者なのか。彼女の知る灯弥も恐るべき身のこなしであったが、あの者らも相当だ。
レジーナは視線を上げると、散りばめられた宝石のごとき街並みに飛び込むように跳躍し、滑空しながらグスタフの姿を解除した。




