第八話「冷々たる別離」⑦
「くっ」
続けて襲ってきた強い衝撃に、レジーナはベランダの手すりに掴まって身を留まらせた。その間にも、上階からのガラス片が眼下の夜景に煌めきながら落ちていく。
レジーナは月を睨み上げた。
さきほどまで指でつまめる程度であった影は、もはや両手に収まらないほど大きくなっている。
(艦……いや、魚か?)
艦船にも似た影をよくよく見れば、まるで魚が泳ぐかのように身を左右にうねらせている。
やがて目視で仔細を確認できるほどになると、巨大な魚影は大きく旋回をはじめた。そこで、こちらに向けていた艦首と思しき形状が明らかになった。
分厚い剣先のように突き出たその下には、のこぎりのごとくぎざぎざした歯が「い」の口できれいにかみ合わせられている。そのさまは魚というより鮫のほうが近い。
その胴体には、艦船よろしく二連装の艦砲が上下に一基ずつ、さらに横に一基ずつ、計四基あるのが見て取れる。
すると、旋回する鮫はその砲塔を稼働させ、マンションに照準を合わせる動きを見せた。
悪寒が、背筋を切るように走る。
(くそ!)
毒づくなり、レジーナは咄嗟に室内へ身を翻した。
それから間髪入れず、まるで間近に落雷したかのような轟音を立て、ベランダが粉微塵に吹き飛んだ。
炸裂する窓ガラスから頭を守りながら、レジーナは部屋に転がり込む。そして、起動した消火設備の雨に濡れながら、夜光のみとなった薄暗い室内で身を起こした。
見れば、すでに父親は数人の使用人に囲まれて、戸口に向かおうとしている。けたたましい非常ベルの音に交じって慌てふためき、叫び、急き立てる父の姿はあまりにもみじめだ。
それに比べ、日本から来たふたりの冷静さは際立っていた。姿勢を低くし、冷たい目で外の状況と己の退路を見極めている。間違いなく場慣れしていた。
そのうちにレジーナは神楽夜と目が合った。神楽夜はすばやく駆け寄るなり、
「怪我は!」
と叫ぶ。それにレジーナが首を振って答える間もなく、
「伏せろ!」
と飛び込んで来た鍾馗がふたりに覆い被さった。
次いで、直視できないほどの光線がひと筋、部屋のなかほどを両断した。室内にいた者らはかろうじて消し炭にならずに済んだが、この一撃はシスル親子の立ち位置を完全に分断した。
鍾馗は攻撃に間ができたと見るやすぐ起き上がり、神楽夜たちを立たせる。
一方、尻をついたルーベンは、閃光によって部屋のなかにできた巨大な溝を見て、心底驚愕した声を漏らした。
「荷電、粒子か……」
さきほど部屋を切り裂いた熱線のことである。
荷電粒子。いわゆるビーム兵器といえば通りがよいであろうその技術は、この時点でまだ実用化には至っていない。少なくともルーベンが代表を務めるシスル・エンタープライズでは、艦載兵器として大型のものが試験中の段階で、彼の知る限り、それは競合先であるヴォルファング社も同様であった。
数ある兵器メーカーにおいて、荷電粒子砲の実用化は業界での覇権を決めるといっても過言ではない一大事である。それを使って、しかもわざわざこの場所へ攻撃してくるとなれば、相手はまさしく引導を渡す気構えなのだろう。ルーベンはこの襲撃を指図した組織が、同じ軍需企業ではないかと睨んだ。
そのルーベンの考えを妨げるように、夜天に泳ぐ鮫は砲門の向きを微調整して次弾の発射体制を整えだす。
一瞬の不気味な静けさに危険を察したレジーナは、神楽夜と鍾馗をかき分け前に立つや、唐突に左腕を突き出し、そこにまとわせた青白い炎から身を覆うほどの巨大な盾を出現させた。
さらに炎は全身に広がり、彼女を黒い西洋甲冑に似た姿へ変身させる。そうして変貌を遂げた彼女は盾を前面に突き出すと、重心を下げて万全の構えを取った。
その背中を見た神楽夜は驚きもそこそこに、
(やっぱり)
と眉根を寄せた。やはり、あの公園で腹に食らった一撃は、盾による殴打であったのだ。
そして、あの炎。紛れもなく<アービター>の証の炎である。
間もなく鮫は砲口から光弾を次々に撃ち出して、<シスル・タワー>全体をその雨にさらした。外壁を無残に焼き抉る極熱の光弾は、建物全体の明かりが消え、黒煙と火の手があちこちから上がりだしても止むことなく降り注ぐ。
熱線は当然、神楽夜たちがいる室内にも易々と到達する。ひとり前に立ったレジーナは、構えた盾から円形に放出する黒い膜のようなもので、そのことごとくを受け流した。
だが、
(もたないか!)
頭上からする崩落の音に、レジーナは焦燥に満ちた顔を上げた。刹那、限界を迎えた上階の構造物が雪崩のごとく天井を突き破り、彼女たちの頭上に降り注いだ。
部屋はさきほど光線が走った部分から床が裂け崩れ、レジーナから見て向こう側にいた父親たちが、さきに暗い谷底へと飲み込まれていく。
レジーナは床の崩落が足元に迫るなか、その光景をゆっくりと、確かに見下ろした。
その視線の向きは、鉄兜に覆われている以上、外から見てわかりようはずはない。けれど、足場を失い、なにかにしがみつこうと手を伸ばしてあえなく落ちる彼女の父親は、最期の最期に娘と視線を交わせたと確信したらしい。安堵の表情を浮かべ、奈落の底へと消えていった。
間もなく、レジーナのもとにも崩落の波は押し寄せる。彼女に、胸の内に沸いた感情について思いを巡らせる時間はない。
レジーナは瓦礫とともに落ちながら、
(なんて、運のない)
と自分に続いて落ちるうしろのふたりを尻目に見やって、ぎょっとした。




