第八話「冷々たる別離」⑥
黙って睨み返すだけのレジーナに、ルーベンはまくしたてた。
「お前が家を出たいというからお願いしたんじゃないか。これはそのために必要なことだ。これも言ったはずだぞ。いったいどうしたいんだ、お前は。言ってみろ」
人がいるなかで怒鳴られるのは、大抵の者が恥辱を感じて堪えることだろう。普段ならルーベンも、わざわざ娘の恥を衆目にさらすようなことはしない。それを彼にこの場で許させたのは、立ち会う人間が日本人だったからだ。ルーベンにとってこの場における神楽夜たちは、その辺の立木と変わらない存在でしかないのである。
そんなルーベン・シスルだが、別に、ただ娘をこき下ろしたいわけではない。この手の男にありがちだが、すべては会社のためなのだ。
連合内での有力財閥<オルデンバルネフェルト>と共謀し、密かに白銀機関へ出資してきたからこそ、いまの<シスル・エンタープライズ>の繁栄はある。実の娘を白銀機関に入れるのも、手に負えない娘を月の檻に閉じ込めたいからではなく、機関との縁故をより強固に保つための手段であるからだ。そう考えるこの男にとって、「日本に情報提供せよ」との機関の依頼は、到底無下にできるものではなかったのはいうまでもない。
だが、当のレジーナにしてみればそんなことは関係ない話だ。目の前の実親に向ける鋭い眼光に、殺意にも近い激しい感情をしたためるのは、そういった事情をすべて知るがゆえである。
炯眼を射るだけの無言の抗議。幼少の折から、レジーナは怒鳴られるたびにそうしてきた。その頭のなかでは、相手の言うことに対して様々な反論が行き交っている。けれどもそれを口に出さないのは、その反論への相手の返しまでもが読めるからだ。さきほどの神楽夜との会話がそうであったように、自分のなかで対話を完結させてしまうきらいが、この娘にはある。
そして、娘のその反応が父ルーベンにはじれったく映る。ついに彼は怒りに目をぎらつかせ、片眉を著しく吊り上げた。
「お父さんはいつも言ってるだろう。やりたいようにやりなさいって。だからお父さんもお前がやりたいと言うなら大抵のことはやらせてきたはずだ。投資してるんだ。自分のことは自分が一番よくわかってる。そうだろう? お前はどうしたいんだ? お父さん、なにか間違ったこと言ってるか?」
しかし、レジーナは答えない。射るようなまなざしを不服そうに伏せると、仕方ないといった具合に軽くかぶりを振り、踵を返してベランダへと出て行った。
その背を見つめる父親は荒い鼻息を落ち着かせ、鍾馗らにひと言「申し訳ない」と頭を下げる。
それに鍾馗は顔つきを変えぬまま応じるが、一連のやり取りを見せつけられた神楽夜はそうもいかなかった。
(なにこれ……)
と胸に覚えたざわめきに唖然とし、ベランダへと首をねじ向ける。端的にいって、衝撃だったのだ。
神楽夜は、レジーナに厳しい言葉を浴びせるこの男が、彼女の実父であるとは聞かされていない。ゆえに言動から察するのみだが、これが本当の親子喧嘩だというなら、神楽夜には喧嘩にすらなっていないように思えてならなかった。
もちろん彼女も、あの温厚な朔夜でさえも、互いの関係に慣れた頃には養父としょっちゅう言い合いになったものだ。それは決して批判的でなく、ひとつ屋根の下で暮らすために必要な、異なる歯車を噛み合わせるような行いに近かった。だから神楽夜は納得しているし、それが「誰かと生きる」ということなのだとわかっているつもりである。
その神楽夜から見て、レジーナと父親のやり取りは冷ややかで、わずかに自分が知っている家族の形に比べて、なにかが足りない印象を受けた。
かくも家族とは千差万別である。他人の家庭に口を出す義理も筋合いもないが、しかし、神楽夜は黙っていられなかった。
思わず首を戻し、レジーナの父親を怪訝に睨みつけると、
「あの……どうしてちゃんと聞いてあげないんですか?」
詰問するふうに言葉をぶつけた。
「慎め、カグヤ」
さすがに老師の言うとおりか。はっとした神楽夜は納得がいかないものの、出した身を引っ込めた。
だが、ルーベン・シスルの反応は以外にも穏やかなものだった。
「君はトウヤ・イヴの養子だそうだね。気にかけてくれてありがとう。でも、レジーナはいつもああなんだ」
そう言って彼はベランダの娘に顔を向ける。
「いくら聞いてもろくに返事もしない。まったく、なにを考えているのか……」
その言葉尻には、長年にわたる苦悩がにじんでいた。
どこか仕方なさそうに顔をしかめるその男に、神楽夜は疑問しか浮かばない。なにがふたりをそこまですれ違わせているのか。
そう考える脳裏に、
――言葉を尽くせ。
と、アレス・ヴァールハイトの声がこだまする。
腑に落ちない様子でベランダに視線を送れば、レジーナの背中は心なしか、しぼんでいるように見えた。
そこまでの室内でのやり取りは、レジーナの耳にもかすかに届いていた。神楽夜の問いに父がなんと答えたかまでは聞き取れなかったものの、彼女は例のごとく言い分を予想して、呆れた顔を月へと上げる。
ぽっかりと浮かぶそれは満月に見えて、少し違う。満月は昨日だ。わかりにくいが、片側がほんの少しだけ内側に入っている。
常に完璧でいることは難しい。月でさえ日々変化しているのに、
(どうやって自分をわかれっていうんだ)
と、レジーナは夜に嘆息を投げた。
その矢先、彼女の顔は訝しげにしかめられる。
「ん?」
はじめは鳥かと思った。月を背にして飛ぶ小さい影を見つけたのだ。
(なんだ?)
彼女は目を凝らした。瞬きをするたび、影は大きくなっている気がする。
そして徐々に輪郭がはっきりとしはじめ、それが明らかに近づいてきているとわかった、その時。
突として頭上から爆発音が轟いた。




